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測量士と転移者  作者: ごま


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22/42

はぐらかす

翌日から、俺は仕事を選ぶようになった。


 旧市街の浅い家。半日で終わるやつ。人通りのある街道沿い。


 深いところへは行かない。遠くへも行かない。


 マリは何も言わなかった。


 言わないが、気づいている。


 三日目に、彼女は俺の野帳を覗いて言った。


「きょう、みじかい」


「短い」


「きのうも、みじかい」


「そうだな」


「……なんで」


 俺は縄を巻いた。


「そういう依頼しか出てない」


 嘘だった。


 掲示板には、二日がかりの仕事が三枚貼ってある。俺はそれを見なかったことにしている。


 マリは、しばらく黙っていた。


 それから、こう言った。


「うそ」


 俺は手を止めた。


「うそ、ついてる」


 彼女はまっすぐ俺を見ていた。


 ――言葉が達者になった。


 三月前は、こういう時に黙るしかなかった。


 今は、言う。


「……仕事の選び方は、俺が決める」


「きめる。それは、いい」


 マリは頷いた。


「でも、うそは、いらない」


 俺は縄を袋にしまった。


 しまいながら、返す言葉を探した。


 探して、見つからなかった。


    ◇


 その日の夕方、俺は一人でギルドに寄った。


 ダウムの部屋の前に立って、しばらく迷って、結局叩かなかった。


 訊きたいことは、はっきりしている。


 サルカドの金を出しているのは誰か。


 書庫の古い綴りに描かれた模様は何か。


 よそ者は、何を探しているのか。


 ――訊けば、答えは返ってくるかもしれない。


 だが、訊いた時点で、俺は「調べる人間」になる。


 調べる人間は目立つ、とダウムは言った。


 あれは忠告だった。


 忠告というのは、たいてい、先に何かを知っている人間が出す。


 俺は階段を降りた。


    ◇


 一階の受付で、フェイラが帳面を閉じるところだった。


「あら。今日はもう上がり?」


「ああ」


「……ハルト」


 彼女は帳面を脇に抱えて、声を落とした。


「昨日ね、ここにも来たわ」


 俺は動きを止めた。


「よそ者か」


「二人。丁寧だったけど、目が丁寧じゃなかった」


 フェイラは唇を歪めた。


「登録簿を見せてくれって。断ったわよ。ギルドの登録は外に出さない決まりだから」


「引き下がったのか」


「あっさりね。無理を言わなかった」


 彼女は少し考えて、続けた。


「それが、逆に気持ち悪くて」


「なぜ」


「だって、普通は粘るでしょ。金を積むか、脅すか、上に掛け合うか」


 フェイラは腕を組んだ。


「あの人たち、断られた時、ちょっと笑ったの」


「笑った」


「『そうですか』って。……もう、要らなかったみたいな顔だった」


 俺は、その言葉を頭の中で二度繰り返した。


 要らなかった。


 つまり――もう知っている。


 登録簿を見なくても、知っている。確かめに来ただけだ。


 俺は口を開いた。


「フェイラ」


「なに」


「その連中、俺のことを訊いたか」


「訊いてない」


 彼女は首を振った。


「一度も、あんたの名前は出さなかった」


 俺は、そこで背筋が冷たくなった。


 油屋には訊いた。


 ギルドには訊かなかった。


 ――順番だ。


 外堀から埋めて、本丸には触れない。


 こちらが警戒することを、避けている。


 俺は、その手口を知っている。


 測量と同じだ。


 中を見たい建物があるとする。中には入れない。ならどうするか。


 外周を測る。壁の厚みを測る。窓の位置を数える。屋根の勾配から天井高を出す。


 それだけで、中の間取りはだいたい描ける。


 入らずに描く。入れば気づかれるからだ。


 あの連中は、俺の周りを測って回っている。


 油屋。市場。ギルド。


 俺に触らずに、俺の輪郭を出そうとしている。


「フェイラ」


「なに」


「その二人、何を訊いた」


「だから、登録簿を」


「それだけか」


 彼女は少し考えた。


「……いえ。もう一つ」


「なんだ」


「『サルカドの定期は、どこの家がやっているか』って」


 俺は、動かなかった。


「答えたのか」


「答えてない。それも登録の話だから」


 フェイラは眉をひそめた。


「でも、あれ……訊き方が変だったのよ」


「変」


「『どこの家か』って訊いたの。『誰か』じゃなくて」


 俺は、その違いを、しばらく噛んだ。


 誰か、なら人を探している。


 どこの家か、なら――


 もう、家があることを知っている。


    ◇


 家に帰ると、マリが飯を作っていた。


 この三月で、彼女は竈を扱えるようになった。最初は火の起こし方から分からなかったが、今は俺より上手い。


 俺は椅子に座って、しばらく黙っていた。


 やがて、マリが皿を置いた。


「ハルト」


「なんだ」


「はなす?」


「何を」


「なんでも、ないこと」


 俺は顔を上げた。


 マリは、俺の向かいに座って、自分の皿を引き寄せた。


「ハルト、ずっと、『なんでもない』って、いう」


「……ああ」


「なんでもない、が、いっぱい、ある」


 彼女は麦粥をすくった。


「わたし、かぞえた。ろくかいめ」


 俺は、皿を見た。


 六回。


 自分では数えていなかった。


「ろくかい、なんでもない、あったら」


 マリは言った。


「それ、なんでも、ある」


 ――言い返せない。


 俺は匙を取った。


 取って、しばらく動かさなかった。


「マリ」


「うん」


「……悪い噂が流れてる。俺に関係あるかもしれない」


 言った。


 言ってから、思ったより喉が渇いていることに気づいた。


「かんけい、ある?」


「分からん」


「わからない」


「本当に分からん。だが、用心はしてる」


 マリは頷いた。


 それから、こう訊いた。


「わたし、あぶない?」


 俺は顔を上げた。


 そこを訊くのか、と思った。


 この娘は、自分が巻き込まれるかどうかを訊いている。


 当たり前だ。当たり前なのに、俺はそれを考えていなかった。


「――分からん」


 俺は正直に答えた。


「だが、危ないなら、俺が先に気づく」


「どうやって」


「そういう仕事をしてる」


 マリは、しばらく俺を見ていた。


 それから、少しだけ笑った。


「……そう」


 彼女は麦粥を食べ始めた。


 俺も食べた。


 その晩は、それで終わった。


 ――終わったと、その時の俺は思っていた。


    ◇


 寝る前に、俺は窓から空を見た。


 癖だ。


 雲が出ていて、〈環〉は見えなかった。


 見えないのに、俺は指を立てて、いつもの高さを測っていた。


 ――何をやっている。


 自分に呆れて、手を下ろした。


 下ろしてから、ふと思った。


 この癖は、誰のためのものだ。


 測量に星を使うのは分かる。方位を出し、緯度を出す。仕事に要る。


 だが、寝る前に見るのは、仕事ではない。


 毎晩、必ず一度。曇りでも見る。


 師匠がそうしていた。師匠は親父から教わったと言った。


 ――なぜ、毎晩なんだ。


 方位も緯度も、毎晩変わらない。


 毎晩見る必要があるのは、変わるものを見ている時だけだ。


 星の並びは、日ごとに少しずつ動く。


 少しずつ動いて、いつか、ある形になる。


 ――その形を、待っている人間の癖だ。


 俺は窓を閉めた。


 閉めてから、その考えを打ち消した。


 打ち消したが、消えなかった。


    ◇


 翌朝、俺は掲示板の前に立った。


 二日がかりの依頼が、まだ三枚貼ってある。


 北の坑道の再測量。西の街道沿いの遺構調査。旧市街の深い一軒。


 どれも、俺なら取れる。


 取れるが、取らなかった理由は分かっている。


 ――遠くへ行くと、家が空く。


 家が空けば、マリを一人にするか、連れて行くかだ。


 連れて行けば、道中で目立つ。


 一人にすれば、町に置いていくことになる。


 どちらも選べないから、短い仕事だけを取っている。


 俺は掲示板から離れた。


 離れながら、自分に呆れた。


 ――守るものができると、下がれなくなる。


 師匠は、そこまで言わなかった。


 言わなかったが、たぶん知っていた。


 知っていて、俺を引き取ったのだ。

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