なぜか分かる
掘るのに、二日かかった。
村の男を四人借りた。塞ぎの仕事は終わっていたし、みんな面白がっていた。
掘る前に、俺は範囲を決めた。
地面から出ていた石の面。その傾きと、向き。
石の上面が水平なら、それは床か、天井か、あるいは階段の踏み面だ。
この石は、わずかに傾いていた。
三度ほど。手を当てて、目で見て、それから杆を置いて確かめた。
「傾いてる」
「まがってる?」
「沈んでる。片側だけ」
俺は野帳に線を引いた。
「傾いてる方向の、逆側が浅い。だからそっちを掘る」
村の男が首を傾げた。
「なんでだ」
「沈むってのは、下に空洞があるからだ」
俺は石を叩いた。
「片側だけ沈んでるなら、空洞は片側だけにある。逆側は詰まってる。詰まってる側から掘れば、崩れない」
男たちは、しばらく顔を見合わせた。
それから、黙って掘り始めた。
二日かけて、彼らは一度も崩さなかった。
出てきたのは、階段だった。
四段。その先は土に埋まっている。
旧市街の浅い家と、同じ形だ。
「家だな」
俺は言った。
「ここに、家があった」
「遺跡の外にか」
「外というのは、こちらの都合だ」
俺は野帳を開いた。
「東の遺跡を『遺跡』と呼んでいるのは、そこに入口があるからだ。だが、この土の下には、もっと広がっている」
村の男が、周りを見回した。
草の生えた、ただの斜面だ。
その下に、街がある。
――旧市街と、同じだ。
◇
階段を掘り下げて、三日目の昼に、中へ入れるようになった。
俺は先に降りた。マリが灯りを持って続く。
部屋が二つ。それだけの、小さい家だった。
誰も入っていない。埃が厚い。
俺は測り始めた。
通路幅、四尺五寸。
天井高、八尺二寸。
もう、いちいち手が止まらない。
止まらないことに、自分で少し慣れてきていた。
◇
二つ目の部屋を測り終えて、俺は立ち上がった。
そして、北の壁の前へ歩いた。
杆の石突きを、壁の一点に当てた。
「マリ。灯りを、この高さで」
「はい」
俺は壁を叩いた。
――こん。
軽い。
俺は少し離れた場所を叩いた。
――ごつ。
鈍い。
「……やっぱりな」
「やっぱり?」
「この向こうに、もう一部屋ある」
俺は野帳に線を引いた。
部屋の輪郭。その北側に、壁を挟んで、もう一つの四角。
マリが覗き込んだ。
そして――彼女の手が、止まった。
「ハルト」
「なんだ」
「たたく、まえ」
「ん?」
「たたく、まえに、ここ、きた」
俺は顔を上げた。
「たたいて、しらべた。ちがう」
彼女は、ゆっくり、言葉を選んでいた。
「さきに、ここ、あるいた。それから、たたいた」
――。
俺は、自分の足元を見た。
部屋には、壁が四つある。
北、東、南、西。
俺はまっすぐ、北の壁へ歩いた。
東も南も西も叩いていない。
最初から、北だけを叩いた。
……なぜだ。
俺は野帳を持つ手を下ろした。
理由を探す。
――音か。
部屋を歩けば、足音の反響で空洞の見当はつく。熟練の測量士なら、ある程度は分かる。
だが、それは「見当がつく」であって「まっすぐ歩く」ではない。
俺は普段、四つの壁を全部叩く。それが手順だ。手順を飛ばしたことは、この二十年で一度もない。
今日、飛ばした。
しかも、当たった。
「……気のせいだ」
俺は言った。
マリは、何も言わなかった。
言わずに、俺の顔を見ていた。
俺は、その顔から目を逸らして、東の壁を叩いた。
鈍い。
南。鈍い。
西。鈍い。
――やり直しても、意味はない。
もう当てた後だ。
当てた後に手順を踏むのは、確かめているのではない。ごまかしているだけだ。
俺は杆を下ろした。
二十年、俺はこの手順を守ってきた。
守ってきた理由は、そうしないと間違えるからだ。
勘は外れる。だから数える。だから叩く。だから全部測る。
今日、勘が当たった。
当たったことのほうが、外れるより気持ちが悪い。
――なぜだ。
俺は自分に訊いた。
この部屋に入って、俺は何を見た。
床。天井。壁の四面。埃の積もり方。
どこかに、北だけが違う理由があったはずだ。あって、俺の目が拾って、頭が勝手に答えを出した。
そういうことにしたい。
だが、いくら思い出しても、北の壁は他の三面と同じに見えた。
◇
壁を抜くのに、半日かかった。
三つ目の部屋は、他の二つより広かった。
そして、埃の下に、床の模様があった。
俺は屈んで、埃を払った。
同心円。
そこから枝分かれする線。
――狐の背中と、同じ形だ。
俺は動きを止めた。
いや、正確には違う。狐の模様のほうが細かい。この床のものは、もっと大きくて、単純だ。
だが、作りが同じだ。
同じ考え方で描かれている。
「ハルト」
マリの声が、少し硬かった。
彼女は、床の模様を見ていた。
俺は彼女の顔を見た。
――知っている顔だ。
あの、壁の像を見た時の顔。
「知ってるのか」
俺は訊いた。
三月前なら、訊いても答えられなかった。
今は違う。
「……にてる」
マリは言った。
「わたしの、くにの、もの。にてる」
俺は息を吸った。
「どこの国だ」
訊いてから、しまったと思った。
この三月、俺は一度もそれを訊かなかった。
訊いても答えられないと思っていた。答えられるようになってからも、訊かなかった。
訊けば、この娘が困るからだ。
案の定、マリは黙った。
黙って、床を見ていた。
やがて、彼女は言った。
「……とおい」
「遠いのは分かる」
「ほんとうに、とおい」
彼女は俺を見た。
「ハルト。あるいて、いけない。うまも、ふねも、いけない」
俺は、その言葉を、しばらく飲み込めなかった。
歩いても行けない。馬も船も行けない。
――そんな場所は、ない。
この世界に、そんな場所はない。
俺は口を開いた。
「……マリ」
「わからない」
彼女は首を振った。
「わたしも、わからない。ほんとうに、わからない」
彼女の声が、少し震えていた。
「でも、あるいて、いけない」
◇
俺はその日、それ以上訊かなかった。
訊けなかった、というのが正しい。
部屋を測り終えて、床の模様を野帳に写した。
写しながら、手が何度か止まった。
――北の壁を、なぜ最初に叩いた。
――この床の模様が、なぜ狐と同じ作りをしている。
――この娘の国は、なぜ歩いて行けない。
全部、図面に書けない。
俺は野帳の隅に、小さく書いた。
〈北壁、先ニ叩ク。理由不明〉
書いてから、しばらくその字を見ていた。
理由不明。
二十年で、初めて書いた言葉だった。
◇
その夜、俺は村の家の屋根の下で、空を見上げていた。
癖だ。寝る前に一度は見る。
〈環〉が、だいぶ高い。
メルシアで見るより、少しだけ位置が違う。当たり前だ。三日ぶん東に来ている。緯度も少し下がっている。
俺は指を立てて、地平からの高さを測った。
――そういえば。
トバスが言っていた。
お前んとこの構えは逆だ、と。
空の側から、地面を見下ろす形で測っている、と。
俺は自分の腕を見た。
指を立てて、目の高さに合わせて、地平と星の間を測っている。
これは、地面に立って空を見上げる測り方だ。
――違う。
俺は、気づいた。
俺は今、星と地平の角度を測っていない。
星と星の角度を測っている。
〈環〉と〈天秤〉の間。〈天秤〉と〈猟犬〉の間。
地平は、使っていない。
地面の上から見るなら、地平を基準にするのが当たり前だ。船乗りも、隊商の道案内も、そうする。
地平を使わない測り方は、一つしかない。
――地面が要らない測り方だ。
どこにいても、同じ答えが出る。
俺は腕を下ろした。
誰が、そんな測り方を要る。
地上を歩く人間には、要らない。
俺は、しばらく空を見ていた。
見ていたが、答えは出なかった。
◇
戸口に、気配があった。
マリだった。毛布を肩にかけて、外を見ている。
「ねむれない?」
「そんなところだ」
彼女は隣に来て、同じように空を見上げた。
しばらく、二人とも黙っていた。
「ハルト」
「なんだ」
「ほし、おなじ?」
「同じ、というのは」
「メルシアと」
俺は少し驚いた。
この娘は、三日ぶん移動したことで星が動くと思っている。
いや――思っているのではない。確かめている。
「変わる。だが、少しだ」
俺は指を立てて、〈環〉を示した。
「三日ぶん東に来ると、こいつが指二本ぶん低くなる」
「ゆび、にほん」
「そうだ。……それを使って、自分がどこにいるかを出す」
マリは、しばらく〈環〉を見ていた。
それから、言った。
「わたしの、くにの、ほし、ちがう」
俺は横を見た。
「ぜんぶ、ちがう」
彼女は、静かに言った。
「はじめの、よる。それ、みた。……こわかった」
俺は何も言わなかった。
言えることが、なかった。
三日で指二本ぶん動く星が、全部違う場所。
そんな場所を出すには、どれだけ動けばいい。
――計算が、できない。
俺は空を見上げたまま、そのことを考えていた。




