出口を数える
東の遺跡は、旧市街のものと同じ造りだった。
当たり前だ、と言われれば当たり前だ。ドルスなら「同じ帝国の地方遺構ですから」と言うだろう。
俺は入口の前で杆を立てた。
通路幅、四尺五寸。
天井高、八尺二寸。
――もう、驚かない。
驚かないことにした。驚いていたら仕事にならない。
俺は野帳を開いて、石段の一段目に足を置いた。
窪みは、なかった。
この遺跡には、代々通っている家がない。踏まれ続けた場所がない。
それでも俺は、いつもの位置に足を置いて、唱えた。
――シャルカディ・オム・ネイア。
何も起きなかった。
いつも通りだ。
いつも通りであることに、なぜか、少しほっとした。
◇
中は、荒れていた。
冒険者が三度入っている。その痕跡がそこら中にある。
燃えた松明の残り。食い散らかした骨。壁に彫った印。
彼らは、まっすぐ奥へ向かっている。
通路の埃を見れば分かる。中央だけが踏み固められて、脇は誰も歩いていない。
「マリ。縄」
「はい」
俺は、脇から測り始めた。
冒険者が歩いていない場所を、先に測る。
彼らが歩いた場所には、もう何もない。三度も往復すれば、落ちている物は拾われ、開く扉は開かれている。
残っているとすれば、彼らが「行き止まり」と判断した場所だ。
行き止まりを判断するのは、簡単だ。
突き当たりを見て、通れないと分かれば、そこで引き返す。
俺は、その突き当たりを叩く。
叩いて、音を聞く。それから、天井を見る。床を見る。壁の目地を見る。
一つの行き止まりに、四半刻かける。
冒険者なら一呼吸で通り過ぎる場所だ。
◇
三日かけた。
冒険者なら半日で「探索完了」と言う規模だ。俺は三日かけた。
部屋を全部開けた。行き止まりを全部叩いた。天井の高さを全部控えた。
三日目の夕方、村へ戻って、俺はハルマの家の卓に図面を広げた。
村の男が六人、集まっていた。
「これが、東の遺跡です」
俺は指した。
「入口は一つ。ここです」
「知ってるよ」
「――だと思ってた、というのが正しい」
俺は、図面の別の場所を指した。
三か所。
「ここ、ここ、ここ。獣道が繋がっています」
卓が、しんとした。
「地表からは見えません。斜面の草に隠れています。人が通れる幅じゃない。だが獣なら通る」
「そんなもん、どうやって見つけた」
「風です」
俺は言った。
「遺跡の中で、灯りを置いて回りました。炎が傾く場所を全部書き出した。傾くということは、外と繋がっている」
男が息を吐いた。
「……三つ」
「三つです。うち二つは、村の東を向いている」
俺は指を動かした。
「あなた方が北に塀を積んだ。北の入口が塞がった。だから獣は、残った東の二つを使うようになった」
「じゃあ、被害が東に移ったのは」
「あなた方が塀を積んだからです」
誰かが、低く唸った。
「――俺たちのせいか」
「違う」
俺は首を振った。
「塀は正しい。塞げば減る。ただ、三つあるのを一つだけ塞いだから、残りに集まった」
俺は図面に、三つの印を強く書いた。
「三つ全部を塞げば、遺跡から村へ出る道はなくなります」
「……塞げるのか」
「塞げます。石と土で足りる。中から獣が押しても崩れない積み方は、私が書きます」
俺は野帳から一枚破って、卓に置いた。
断面図だ。積み方と、傾斜の角度と、要る石の数まで書いてある。
「石は、村の北の塀から一部回せます。北はもう使われていない」
男たちが、図を覗き込んだ。
誰も、何も言わなかった。
しばらくして、一番年嵩の男が顔を上げた。
「……あんた、討伐は」
「しません」
「じゃあ、獣は生きたままだな」
「生きたままです」
俺は言った。
「殺しても、また増える。餌が遺跡の中にあるうちは、いくらでも湧く。だが道を塞げば、村には来ない」
「それで済むのか」
「済みます」
俺は椀の水を飲んだ。
「私の仕事は、獣を殺すことじゃない。獣がどこから来るかを数えることです」
◇
次の日から、村総出で塞ぎにかかった。
俺は現場に立って、積み方だけを見た。石は村人が運ぶ。俺は角度を測る。
マリは縄を持って、俺の指した位置に立つ。
三日目、二つ目の穴を塞いでいる時、村の若い男が言った。
「なあ、あんたの助手さん」
「なんだ」
「あれ、字が書けないのか」
「書けない」
「そのわりに、寸法を間違えないな」
俺は手を止めて、マリの方を見た。
彼女は縄を張って、印を数えていた。数えて、絵で書いていた。
数字は書ける。単語は絵で残す。
誰にも教わっていない書き方だ。
「あれは、あれで通じてる」
俺はそう答えた。
◇
(――ちょっと、悔しい)
私は、縄を張りながら思っていた。
字が書けない。
三月やって、数字と、あといくつかの単語しか読めない。
喋るのは、だいぶできるようになった。聞き取りも、ゆっくり言ってもらえれば八割いける。
でも、文字は無理だ。
この国の文字は、音を表してるんじゃなくて、意味の塊で出来てる。漢字に近い。でも漢字じゃない。似てるところが一つもない。
だから、覚えるしかない。一個ずつ。
私は五十個くらい覚えた。
ハルトさんの野帳には、たぶん二千個くらい使われてる。
(――遠い)
でも、やめる気はない。
だって、あの記録保管所の帳面が読めたら。
五十六件の、名前と、いなくなった時の様子が読めたら。
私はきっと、もっと分かる。
私は縄を持ち直した。
その時、後ろで石が崩れる音がした。
振り返ると、村の男が二人、崩れかけた石を押さえていた。
その足元――斜面の草の間に、何かが見えた。
石だ。
地面から、少しだけ頭を出している。
私は近づいて、しゃがんだ。
草をどける。
――四角い。
人が切った石だ。角がある。表面が平らだ。
「ハルト」
私は呼んだ。
「これ、なに」
彼が来て、しゃがんで、草をもっと払った。
石は、思っていたより大きかった。
地面の下へ、まだ続いている。
彼は、そこでしばらく動かなくなった。
「……ここは、遺跡の外だ」
彼は言った。
「外周は測ってある。ここは、遺跡の壁の、二十歩は外だ」
私は彼の顔を見た。
彼は、地面を見ていた。
「――遺跡の外に、まだ何かある」
◇
その晩、俺は村長の家の卓で、図面を引き直した。
東の遺跡の外周。その外側に、今日見つけた石の位置。
二十歩。
二十歩というのは、微妙な数字だ。
偶然そこに石が一つ落ちている、という話でも通る。何百年も前の建物の残骸が、崩れて転がった。よくある。
だが、あの石は転がっていなかった。
地面に据わっていた。上面が、ほぼ水平に。
転がった石は、水平にならない。
俺は図面に、その一点を打った。
打ってから、しばらく紙を見ていた。
――旧市街と、同じことをやればいい。
旧市街では、俺は「遺跡が一つある」と考えたことがない。
あそこは、家が何百とある野原だ。だから、一軒ずつ測る。
ここでは、俺は「遺跡が一つある」と考えていた。
入口が一つで、中が繋がっていて、それで終わりだと。
なぜそう考えた。
冒険者がそう呼んでいたからだ。ギルドの依頼票にそう書いてあったからだ。
――名前に引きずられた。
測量士として、これは恥だ。
俺は新しい紙を出して、一番上にこう書いた。
〈カラン東・沈下遺構群〉
遺跡、ではなく。
群、と。
◇
書きながら、俺は考えていた。
――ドルスは、これを何と呼んだか。
旧市街を歩きながら、あの学者は「沈下遺構群」と言った。学士院ではそう呼ぶのだと。
群、と言っていた。
学者のほうが、俺より先に正しく呼んでいたわけだ。
俺は少し笑った。
笑って、それから笑うのをやめた。
――学士院は、旧市街を「群」と呼んでいる。
なら、カランのここも群だと分かるはずだ。
分かるはずのことが、なぜ誰も測っていない。
答えは簡単だ。
依頼がないからだ。
誰も金を出さない。だから誰も測らない。測らないから、地面の下に何が広がっているか、誰も知らない。
この国は、そういうふうに出来ている。
俺は紙の隅に、小さく書いた。
〈要・広域測量。依頼者無シ〉
依頼者無し。
書いてから、少し馬鹿らしくなって、そのまま残した。




