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測量士と転移者  作者: ごま


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16/41

沈んだ王国

その夜、ハルマが酒を出してきた。


 俺は一杯だけ受けた。マリには湯を出してもらった。


「あんた、サルカドの家の者だろう」


 いきなり、そう言われた。


 俺は椀を持つ手を止めた。


「……なぜ」


「メルシアの測量士で、サルカドを代々やってる家がある。何十年も前から聞いてるよ」


 ハルマは自分の椀に酒を注いだ。


「この村にも、昔は測量士が来た。あんたじゃない。もっと前だ。同じ流儀だったね」


「流儀」


「入る前に、何か唱えるんだよ」


 俺は、椀を置いた。


「その人は、名を」


「覚えてないさ。四十年も前だ」


 彼女は酒を飲んだ。


「ただ、あの唱え方は覚えてる。祈りでもない、願かけでもない。仕事の道具を確かめるみたいに唱えるんだ。変わってると思ったから、覚えてる」


 ――親父ではない。四十年前なら、まだ子どもだ。


 その前の代。俺の祖父か、あるいはもっと前。


 俺は、自分の家について、驚くほど何も知らない。


「あんたもやるだろう」


「……やります」


「意味は」


「知りません」


 ハルマは笑った。


「そうだろうねえ」


    ◇


 翌朝、東の遺跡へ向かう前に、村の外れの家に寄った。


 ハルマが「あの爺さんに聞いておきな」と言ったからだ。


 家というより、小屋だった。


 中に、老人が一人いた。目が白く濁っている。ほとんど見えていないらしい。


 名はゲンといった。九十を超えているという。


「遺跡へ行くのかね」


「行きます」


「やめとけ、とは言わんよ」


 ゲンは笑った。歯がほとんどなかった。


「わしが若い頃も、みんな行った。何人か戻らなんだ。それでも行く」


「何があると」


「何もない」


 あっさりした答えだった。


「あそこは空っぽだ。石と、土と、獣だけよ。宝なんぞ、とうの昔に持っていかれとる」


「では、なぜ人は行くんです」


「話があるからだ」


 老人は、天井を見上げるように顔を上げた。


 見えていない目で。


「――沈んだ王国の話をしようか」


    ◇


 昔、この地に大きな国があった。


 そう、ゲンは語り始めた。


 王がいて、都があって、人が住んでいた。


 その国は、栄えた。


 栄えて、それから、沈んだ。


「戦で滅びたんじゃない」


 ゲンは言った。


「そういう話じゃないんだ。沈んだんだよ。地面の下へ」


「地滑りですか」


「違う」


 老人は首を振った。


「そういう話でもない。……そもそも、あの国は最初から、半分は地面の下にあったのさ」


 俺は、椀を置く手を止めた。


「地面の下」


「そう聞いとる。偉い者ほど、深いところに住んでおった」


 ――旧市街だ。


 俺の背中を、冷たいものが走った。


 偉い者ほど、深い。


 旧市街の言い伝えと、同じだ。


 メルシアから馬車で三日離れたこの村に、同じ話がある。


「王は、一番深いところにおった」


 ゲンは続けた。


「そして王は、地面の下の何かを守っておった、と」


「何かとは」


「知らんよ」


 老人は肩をすくめた。


「わしの婆さんも知らんかった。婆さんの婆さんも知らんかったろう。そういう話は、途中で中身が抜け落ちるもんだ」


「……それで、王国は」


「滅ぼされた」


 ゲンは、そこで初めて声を落とした。


「よその国が攻めてきた、という話になっとる。だが、わしが子どもの頃に聞いたのは、少し違った」


「違う、というのは」


「――身内だ、と」


 俺は動かなかった。


「王の身内が裏切ったのさ。同じ血の者が。だから防げなかった。城門を開けたのは中の人間だった、と」


「それは、伝承ですか」


「伝承だよ。証文なんぞない」


 ゲンは笑った。


「だが、この手の話はな。よその国のせいにするほうが後から作りやすい。身内が裏切ったなんて話は、わざわざ作らんもんだ」


 俺は椀を握っていた。


「――なぜ、裏切ったんです」


「知らんよ」


 ゲンはあっさり言った。


「知らんが、婆さんはこう言っとった。『喧嘩の中身は、宝の使い道だった』と」


「使い道」


「王が守っとった、その何かをな。使うか、使わんかで割れたんだと」


 老人は、指を二本立てた。


「片方は、使わずに守れと言った。もう片方は、使えと言った」


「どちらが勝ったんです」


「使えと言ったほうだ」


 ゲンは笑った。


「そりゃそうだ。使えと言うほうが、いつも勝つ。守れと言う奴は、戦の支度をせんからな」


 俺は、しばらく黙っていた。


「――使ったんですか。その、何かを」


「さあて」


 老人は肩をすくめた。


「使えたなら、その国は今もあるだろうよ」


 小屋の中が、静かになった。


「使えなかったのさ」


 ゲンは言った。


「奪ったはいいが、使えなかった。だから話が終わっとる。……わしはそう思っとるがね」


    ◇


(――王国)


 私は、二人の会話を必死に追っていた。


 半分も分からない。老人の言葉は訛りが強くて、単語も難しい。


 でも、「ふかい」と「おう」と「うらぎり」は聞き取れた。


 ハルトさんの顔が、途中から動かなくなった。


 これは、私が知っている顔だ。


 あの壁の前で、彼が「疲れてるんだ」と言った時の顔。


 狐が光った時の顔。


 ――何かを飲み込んでる顔だ。


 私は膝の上で手を握った。


 この人は、飲み込んだものを、外に出さない。


 三月一緒にいて、それはよく分かった。


 言わないのは、言えないからだ。


 私は、それを責める気になれない。


 だって、私も同じだから。


 私はまだ、あの土偶のことを言えていない。


 言葉が足りないから、じゃない。


 もう三月経った。今なら、たぶん、片言でも言える。


 「あれ、わたしのくにに、ある」


 それだけ言えば済むはずだ。


 言っていないのは、言ったら、この人が信じるかもしれないからだ。


 信じたら、この人はきっと、調べに行く。


 あの壁の向こうへ。


    ◇


 小屋を出る時、ゲンが呼び止めた。


「測量士さん」


「はい」


「一つ、聞いていいかね」


 老人は、見えない目をこちらに向けた。


「あんた、遺跡へ入る前に、何か唱えるかね」


 俺は足を止めた。


「――唱えます」


「そうか」


 ゲンは、それだけ言って頷いた。


「なら、気をつけて行きなされ」


「なぜ、それを訊いたんです」


 老人は、しばらく黙っていた。


 それから、こう言った。


「昔の話にな、ついておる。王の一族は、扉の前で言葉を唱えたそうだ」


 俺は、動けなかった。


「意味は誰も知らん。ただ、そういう話がある」


「――ゲンさん」


「なんだね」


「それは、王の一族だけの話ですか」


「さあて」


 老人は笑った。


「わしは知らんよ。ただの、ばあさんから聞いた話だ」


 小屋の戸が閉まった。


 俺はしばらく、その前に立っていた。


 ――王の一族は、扉の前で言葉を唱えた。


 伝承だ。


 証文はない。婆さんから聞いた話だ。老人自身がそう言った。


 この手の話は、いくらでもある。


 どこの村にも、王の血だの、神の使いだの、地の底の宝だのという話がある。全部が本当なら、この国は王だらけだ。


 俺は自分にそう言い聞かせた。


 言い聞かせながら、手の中の杆を握り直していた。


 柄の銘が、掌に当たる。


 読めない字。規則が整いすぎている字。


 ――伝承の中の一族は、扉の前で唱えたという。


 俺は、遺跡の前で唱える。


 それだけだ。


 それだけの話に、意味をつけようとしている自分が、少し嫌だった。


 どこの家にも、意味の分からない習わしはある。


 塩を撒く家。北枕を嫌う家。石段の一段目を右足で踏む家。


 俺の家のは、たまたま言葉だっただけだ。


 ――たまたま、あの壁が開いただけだ。


 俺は歩き出した。


 マリが、俺の顔を見上げていた。


 何か言いたそうだった。


 だが、彼女も何も言わなかった。


 しばらく歩いてから、彼女が訊いた。


「さっきの、おじいさん。なに、はなした」


「昔の国の話だ」


「むかしの、くに」


「ここに、大きな国があった。滅びた。……よくある話だ」


「よくある」


 マリは繰り返して、それから首を傾げた。


「ハルト、かお、かわった」


「変わってない」


「かわった」


 彼女は自分の眉のあたりを指した。


「ここ。すこし」


 俺は歩調を変えずに言った。


「……気のせいだ」


「それ、きのう、も、いった」


 言われて、俺は口を閉じた。


 昨日、北の壁を叩いた時だ。


 二日続けて、同じ言葉で片づけている。


 ――これは、癖になる。


 癖になったら、そのうち本当に気のせいになる。


 俺は前を向いたまま、正直なところを言った。


「気になってる」


「うん」


「だが、まだ言葉にならん」


 マリは、しばらく黙って歩いた。


 それから、小さく頷いた。


「わかる」


 その一言が、なぜか、妙に楽になった。

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