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測量士と転移者  作者: ごま


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次の依頼

 その夜、俺たちは遅くまで紙を並べていた。


 十一年。十一年。十年。十一年。


 四回だけだ。四回で「周期がある」と言い切るのは、測量士としては雑だ。


 だが、雑だと分かっていても、目が離せなかった。


「ハルト」


「なんだ」


「ことしって、いった」


「言った」


 マリは、床の紙を見下ろしていた。


 そして、自分を指した。


「わたし、ことし」


 俺は黙った。


 彼女が何を言おうとしているか、分かってしまった。


「わたし、これ?」


 紙を指す。


 五十六件の、いなくなった人たちの列。


「わたし、そのなかの、ひとり?」


 ――違う、とは言えなかった。


 この娘は、届けも出ていない。誰も探しに来ていない。この国のどこにも記録がない。


 もし十一年ごとに人が消えるなら。


 もし逆向きに、人が現れることもあるなら。


「……分からん」


 俺はそう答えた。


「分からんが、調べる価値はある」


 マリは頷いた。


 それから、少しだけ笑った。


 笑ったのが、意外だった。


「よかった」


「何が」


「ひとりじゃ、ない」


 彼女は紙を指した。


「ごじゅうろくにん、いる」


 ――そうか。


 俺は、そこまで考えていなかった。


 この二月、この娘は世界にただ一人だった。


 言葉も通じず、身元もなく、同じ境遇の人間がどこにもいない。


 それが今夜、五十六人になった。


 会えるわけではない。ほとんどは死んでいるだろうし、そもそも別の話かもしれない。


 それでも、この娘にとっては、五十六人だ。


 俺は紙を集めて、揃えた。


 揃えながら、一つ引っかかっていた。


 ――四回で、周期と言えるか。


 言えない。


 測量なら、四点で線を引く者はいない。誤差か本物かを分けるには、点が足りなさすぎる。


 しかも、この五十六件は「届けが出たもの」だけだ。


 届けを出す者がいなければ、記録に残らない。旅人が消えても、誰も届けない。


 つまり、この数字には最初から偏りがある。


 ――だが。


 偏った数字でも、偏り方に規則があるなら、それは何かを示している。


 俺は測量士だ。誤差の癖を読むのが仕事だ。


 誤差の癖は、ふつう、ばらける。


 これは、ばらけていない。


「明日、綴じるか」


「つづる?」


「まとめて、糸で縫う。ばらけないように」


「する」


    ◇


 その晩、俺は寝台に入ってから、星のことを考えていた。


 十一年。


 俺の家に伝わる天測に、十一年で回るものはない。


 〈環〉が空を一周するのに、およそ三年。〈天秤〉は一年半。〈猟犬〉は動かない。


 十一年で戻ってくる並びを、俺は知らない。


 ――知らないだけかもしれない。


 俺が知っているのは、家で教わった範囲だけだ。測量に要る分だけ。方位と、季節と、緯度。


 それ以上のことを、親父は教えなかった。


 教える前に死んだのか、教えるつもりがなかったのか。


 俺は寝返りを打った。


 考えても答えは出ない。出ない考えを追いかけると、翌日の仕事に響く。


 ――が、その夜は、なかなか寝つけなかった。


    ◇


 ふた月半が過ぎた。


 マリは、俺の測量にほとんど手を出さなくなった。


 手を出さないというのは、指示待ちをしなくなったという意味だ。


 俺が屈む前に灯りが下がる。俺が振り返る前に縄が張ってある。石屑を運ぶ籠が、いつの間にか通り道に置いてある。


 ある日、俺が測り忘れた開口部を、彼女が先に測っていた。


 野帳を見せられた時、俺は少し言葉に詰まった。


 寸法は正確だった。


 歩幅が違うので、彼女は縄を使う。縄を張って、印を数える。手間はかかるが、間違えない。


「……見習いに上げるか」


「みならい?」


「ギルドの階級だ。今のお前は、その下だ」


 マリは、しばらく考えた。


 それから、首を振った。


「まだ」


「なぜ」


「ハルト、いなくなったら、こまる」


 俺は手を止めた。


「――俺は、いなくならんぞ」


「わかんない」


 彼女はあっさり言った。


「みんな、きゅうに、いなくなる」


 五十六件の帳面を、この娘は三日かけて読んだ。


 読んで、そういうものだと知った。


 俺は何と答えるべきか分からなかったので、野帳を閉じた。


    ◇


 その週、俺は一度だけ、ギルドの書庫に降りた。


 サルカドの綴りを、頭から見た。


 百年ぶん。


 俺が探していたのは、二十四年前の一年だ。


 誰も測りに来なかった年。


 「欠」とだけ書いてある年。


 その前後を、丁寧に読んだ。


 二十五年前――親父の字。いつも通りの図面。〈相違無シ〉。


 二十四年前――欠。


 二十三年前――師匠の字。


 師匠の最初の頁に、一行だけ余計な書き込みがあった。


 〈引継。前任者ノ記述、確認ス〉


 それだけだ。


 誰から引き継いだか、なぜ引き継いだかは書いていない。


 ――書けなかったのだろう。


 俺は綴りを閉じた。


 閉じてから、もう一度開いて、その一行を見た。


 師匠は、俺を引き取った時、何と言ったか。


 「お前の親父は、俺の遠い縁者だ。それだけ知っておけ」


 それだけだった。


 それきり、二十三年、一度も話さなかった。


 俺も訊かなかった。


 訊かなかったのは、訊いてはいけない気がしたからだ。


 子どもでも、そのくらいは分かる。


    ◇


 三月目に入った頃、ギルドの掲示板に一枚、赤い縁の紙が貼られた。


 赤縁は急ぎだ。


「ハルト」


 フェイラが手招きした。


「カラン村。魔獣被害」


「討伐なら冒険者だろう」


「討伐は、もう三度出てる」


 彼女は書付を滑らせてきた。


「三度出て、三度とも減らないの」


 俺は紙を取った。


 カラン村。メルシアから馬車で三日。カラン草の産地だ。俺の荷袋に入っている、あの苦い葉が採れる。


 被害の記録が並んでいた。


 家畜。畑。三月前から。


 最初は月に一件。先月は週に一件。今月に入って、四日に一件。


「増えてる」


「増えてるのよ。だから、討伐じゃなくて調査」


 フェイラは腕を組んだ。


「なんで増えてるのか、誰も分からない。冒険者は倒すのは上手いけど、数えるのは下手なの」


「……なるほど」


 俺は紙を折った。


 どこから出てきているのか。何匹いるのか。なぜ増えたのか。


 それは、討伐の仕事ではない。


 測る仕事だ。


「村の近くに遺跡は」


「ある。小さいのが一つ」


 フェイラは書付の裏を指した。


「そこが怪しいって、村長が言ってる。……でも、三度潜って、何も見つからなかった」


「潜ったのは冒険者だな」


「そう」


 俺は少し笑った。


 冒険者は、奥へ行く。


 俺は、全部を測る。


 見つからないものがあるとしたら、たぶん、彼らが通り過ぎた場所にある。


「受ける」


「三日で出られる?」


「明日出る」


    ◇


 その夜、荷を作りながら、マリが訊いた。


「むらの、なまえ」


「カラン村」


「カラン。……くさの、カラン?」


「そうだ。あの草が採れる」


 マリの顔が、あからさまに嫌そうになった。


 あの苦い葉のことを思い出したのだろう。


「たくさん、ある?」


「山ほどある」


「……いらない」


 俺は少し笑って、麻袋に葉を詰め足した。


 彼女はそれを見て、何とも言えない顔をした。


    ◇


 荷が揃った頃、外は暗くなっていた。


 俺は棚の上を見上げた。


 包んだ狐。蜜の壺。


 狐は、あれきり光っていない。


 毎晩、寝る前に一度は見る。一度も光らない。


 俺はあの夜以来、その理由を考えないようにしている。


 考え始めると、次に考えることが決まってしまう。


 ――もう一度、あの壁の前に立って、唱えてみればいい。


 そう思ってしまう。


 思ってしまうから、考えない。


 俺は灯りを消した。


「ハルト」


 暗がりで、マリの声がした。


「なんだ」


「あした、いく、むら。……とおい?」


「三日だ」


「みっか」


 少し間があった。


「……はじめて」


「何が」


「メルシアから、そとに、いく」


 俺は、そのことに気づいていなかった。


 この娘は三月、この町から一歩も出ていない。


 出ていないというより――出られなかった。


 行き先も、道も、言葉も、何もなかったから。


「明日、出る」


 俺はそう言った。


「みっか、あるいたら、しらない、とこ」


「そうだ」


 しばらく黙ってから、マリは小さく言った。


「……たのしみ」


 俺は返事をしなかった。


 返事をしなかったのは、その言葉が、どういうわけか、少しだけ胸に引っかかったからだ。

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