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測量士と転移者  作者: ごま


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13/42

神隠しの記録

 ふた月が過ぎた。


 マリは、一人で買い物に行けるようになった。


 最初はパンだけだった。次に、卵と油。今は、値切りの真似事までする。


 「たかい」と言って首を振り、指を折って値を示す。それだけで、市場の連中は面白がって少し引いてくれる。


 言葉というのは、正しく喋れなくても回る。


 俺が二十年かけて知らなかったことを、この娘は二月で証明した。


    ◇


「ハルト。きょう、しごと、ない」


「ない」


「じゃあ、わたし、いく」


「どこへ」


 マリは、少し言葉を探した。


「ほん、ある、ところ」


「――記録保管所か」


「そう。それ」


 俺は野帳から顔を上げた。


「読めないだろう」


「よめない」


 彼女はあっさり頷いた。


「でも、かず、よめる」


 そう言って、彼女は自分の帳面を開いて見せた。


 数字が並んでいた。この国の数字だ。俺が教えたやつだ。


 一の位から千の位まで、彼女はもう完全に読める。


 最初に覚えたのが数字で、今も一番正確なのが数字だった。


「何を数えるつもりだ」


「わたしと、おなじ、ひと」


 俺は手を止めた。


「同じ、というのは」


「きゅうに、いなくなる。ひと」


 マリは、自分を指した。


「わたし、きゅうに、ここ、きた。だれか、おなじ、あるかもしれない」


 ――ああ。


 俺は、そのことを考えていなかった。


 いや、考えなかったわけではない。この娘がどこから来たのか、何度も考えた。考えて、答えが出ないので、置いていた。


 だが、この娘は置いていない。


 二月かけて言葉を覚えて、最初にやろうとしたのが、これだ。


「一人で行くのか」


「ひとりで、いく」


「道は」


「しってる。ちず、かいた」


 彼女は帳面のもう一頁を開いた。


 メルシアの町の図が描いてあった。


 主要な通り、市場、井戸、ギルド、家。それに、記録保管所の位置。


 ――歩幅で測ったな。


 通りの長さの脇に、数字が書いてある。


「……よくできてる」


「ハルト、おしえた」


「教えてない」


「みてた」


 俺は口を閉じた。


    ◇


(――やっと来られた)


 記録保管所は、思っていたより小さい建物だった。


 役所の裏の、二階建て。中に入ると、紙とカビの匂いがした。


 受付の人に、私は紙を見せた。


 昨日の夜、ハルトさんに書いてもらった紙だ。


 ――「昔の、人がいなくなった記録を見たい」。


 最初は自分で書こうとしたけど、文字がまだ書けない。読むのも、数字と、あといくつかの単語だけだ。


 受付の人は紙を読んで、私を上から下まで見て、それから面倒くさそうに立ち上がった。


 でも、案内はしてくれた。


 二階の、奥の棚。


「行方不明、って括りはないよ」


 そう言われた(たぶん)。私が首を傾げていると、その人は言い直してくれた。


「……いなくなった人。届け。ここ」


 ゆっくり、短く。


 この二月で、私はこういう人に何度も助けられている。


 この国の人は、外から来た人間に慣れている。行商人がいて、季節労働者がいて、言葉の訛りが強い地方の人がいる。


 だから、通じない相手に「ゆっくり短く言い直す」という習慣が、みんなにある。


 私は頭を下げて、棚に向かった。


    ◇


 綴じられた帳面が、ぎっしり並んでいた。


 埃を払って、一冊抜く。


 開くと、当然、読めない。


 でも、形は分かる。


 左の列に日付。真ん中に名前らしきもの。右に、短い記述。


 日付。


 私はそこだけを見た。


 この国の暦は、覚えた。一年が十二の月に分かれている。ひと月が三十日前後。一週が七日。


 ――ここも、七日なんだ。


 最初に知った時、なんとも思わなかった。


 今も、深く考えないようにしている。


 私は日付を、自分の帳面に書き写し始めた。


 一冊目。二十七件。


 そのうち、記述が短い――たぶん「見つからず」で終わっているもの――が、九件。


 私はその九件だけを、別の頁に写した。


 二冊目。三冊目。


 窓の外が暗くなるまで、私はそれをやっていた。


 途中で、受付の人がお茶を持ってきてくれた。


 私が何をやっているのか、たぶん分かっていない。


 でも、二日目からは、私が来ると黙って二階の鍵を開けてくれるようになった。


 三日目には、古い順に棚を教えてくれた。


 ――やさしいな、この国の人。


 そう思って、すぐに思い直した。


 やさしいんじゃない。私が、害がないと分かっただけだ。


 言葉が通じなくて、字も読めなくて、毎日来て、数字だけ写して帰る娘。


 怖くない。だから親切にできる。


 私は、それでいいと思った。


 怖がられるより、ずっといい。


    ◇


 書き写しながら、ひとつ気づいたことがある。


 記述の長さが、二種類ある。


 長いのと、短いの。


 長いほうは、たぶん、後日談が書いてある。「三日後に隣村で見つかった」とか、「川で遺体が上がった」とか、そういうことだと思う。


 短いほうは、一行で終わっている。


 その一行が、どれも同じ形をしている。


 同じ文字が、同じ順番で並んでいる。


 私は、その一行を写して、家に持ち帰った。


 夜、ハルトさんに見せた。


「これ、なんて、よむ」


 彼はそれを見て、ごく短く答えた。


「――『不明』だ」


「ふめい」


「分からない、という意味だ。届けは出た。探した。見つからなかった。それだけしか書けない時に、こう書く」


 私は、その二文字を野帳に写した。


 自分で書けるようになった、二十六個目の言葉だった。


    ◇


 三日通って、私は五十六件を書き写した。


 保管所にある、一番古い帳面から新しいものまで。だいたい百四十年ぶん。


 家に帰って、床に紙を並べた。


 ハルトさんは図面を引いていたけど、途中から手を止めて、こっちを見ていた。


 私は日付を、年の順に並べ替えた。


 ――そして、気づいた。


 最初は、気のせいだと思った。


 でも、二回目に確かめて、三回目に数えて、確信した。


 私は顔を上げた。


「ハルト」


「なんだ」


「これ。みて」


    ◇


 床に、紙が並んでいた。


 マリが指したのは、日付の列だ。


「これ、ぜんぶ、いなくなった、ひと」


「行方不明の届けか」


「そう。みつからない、だけ」


 見つかった者は除いてある、ということらしい。


「五十六件か」


「ごじゅうろく」


 彼女は頷いて、それから、指で日付を辿った。


「ここ。ここ。ここ」


 三つの日付を指す。


 俺は数字を見た。


 年が違う。だが――


「……月と日が、近い」


「ちかい」


 マリはもっと多くを指した。


 六つ。八つ。十一。


 俺は屈み込んで、数字を追った。


 全部ではない。だが、明らかに固まっている。


 五十六件のうち、二十件ほどが、決まった時期に寄っている。


 しかも――


「間隔が」


 俺は指で数えた。


 寄っている時期と、次に寄っている時期の間。


 年数を引く。


 十一年。


 次。十一年。


 次。十年。


 次。十一年。


「……十一年ごとか」


 声に出して、自分で背筋が寒くなった。


 人が消えるのに、周期がある。


 そんな話は聞いたことがない。


 マリは、俺の顔を見ていた。


 彼女は、俺が数えるより先に、これに気づいていた。三日前に気づいて、確かめて、それから見せに来た。


「ハルト」


「なんだ」


 彼女は、少し言葉を探した。探して、見つからなかったらしい。


 最後に、こう言った。


「つぎ、いつ」


 俺は答えられなかった。


 最後に寄っている年を見る。


 そこから十一年を足す。


 ――今年だ。


 俺は指を止めた。


 止めたまま、しばらく数字を見ていた。


 もう一度、頭から数え直した。


 十一。十一。十。十一。


 足す。


 今年だ。


「ハルト」


 マリが呼んだ。


 俺は顔を上げなかった。


 顔を上げて何と言うか、決まっていなかったからだ。


 この娘に、どう説明する。


 ――お前が現れた年は、人が消える年だ。


 それは、説明ではない。ただの符合だ。


 符合は、意味ではない。


 二十年、俺はそう教わってきた。数字が二つ揃っただけで話を作るな、と。


 揃った数字が三つになったら、そこで初めて疑え、と。


 俺は紙をもう一度並べ替えた。


 年。月。日。


 三つ目が、まだ足りない。

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