第六話|誰が俺のチンコを売った
翌朝、黒川慎吾は自宅のリビングに立ったまま、床へ散らばった書類と引き出された収納ケースを眺めていた。
昨夜、警察が来てから指紋を採り、玄関や窓の状態を確認し、盗まれた物がないか一つずつ聞かれた結果、現金もパソコンも腕時計も残っていることが分かり、空き巣としてはかなり変わった侵入だという話になった。
警察官から「他に狙われそうな物はありますか」と聞かれたとき、慎吾は玄関脇に置いていた銀色のケースを見ながら説明を試みたものの、中に入っている十種類の部品が人工ペニスへ接続するための拡張ユニットであり、その人工ペニス自体も開発会社から回収を求められている最中だと話したあたりから、事情聴取というより自分の人生を初対面の人間へ弁明する時間になっていた。
幸い、警察官は途中で笑わなかった。そのことだけはありがたかったが、最後に「それでは、このケースについても盗難や奪取の可能性があるということですね」と真顔で確認され、慎吾が「そうだと思います」と答えた瞬間には、自分の股間に取り付けられた機械が正式に捜査上の関心事になったことだけが妙に印象に残った。
結局、夜のうちに玄関の鍵を交換し、荒らされた部屋は最低限だけ片づけたものの、落ち着いて眠れるはずもなく、午前九時を過ぎた頃には銀色のケースを持って篠宮佳澄の仕事場へ向かっていた。
元は電気工事会社だったという古い建物の一階には、今日も測定器や工具箱が壁際へ並び、中央の作業台には昨日見た《PGS共通接続規格・機能拡張ユニット取扱要領 暫定版》が開かれていた。その横へ篠宮がノートパソコンと小型の解析装置を置き、慎吾が持ってきたケースからX-00を取り出している。
「警察は何と?」
「盗られた物がないから、目的を絞って調べるって言ってました。あと、俺の説明を全部聞いてくれました」
「それはよかったですね」
「よくないですよ。人生で警察に『人工ペニスに接続するドリルです』って説明する日が来ると思ってなかったんで」
篠宮はX-00の端子を確認しながら「正式には高トルク穿孔ユニットです」と訂正したので、慎吾はそれ以上話すのをやめた。
今日もそこからなのかと思った。
「それでは接続します。昨日と同様、PGS-01の保守通信記録と管理ログを読み出しますが、よろしいですか」
「お願いします」
篠宮は毎回そこだけは確認する。
東都バイオメカニクスは慎吾の身体に入っている機械を回収対象と呼び、本人の知らないところで遠隔管理機能まで残していたのに、この女は人工ペニスへケーブル一本つなぐだけでも必ず本人の許可を取る。その違いを意識するようになったのは、篠宮と知り合ってまだ二日しか経っていない慎吾にとって、あまり愉快なことではなかった。
X-00を接続すると作業台の装置へ細かな数字が流れ始め、篠宮は画面を追いながら何度か表示を切り替えた。慎吾には日時と英数字の列くらいしか分からなかったが、昨日の十四時三十七分という時刻だけはすぐ見つけられた。
《14:37:12 MAINTENANCE AUTH REQUEST》
その下に長い認証番号があり、さらに接続拒否を示す記録が続いている。
「これ?」
「はい」
篠宮はマウスを止め、認証番号を見ながら眉を寄せた。慎吾は昨日、同じ女がドリルを見ても、高圧射出ユニットを見ても、人工ペニスへ第三の把持肢を付ける話をしてもほとんど表情を変えなかったことを思い出し、その篠宮が黙っているというだけで嫌な予感がした。
「何ですか」
「少し待ってください」
「最近それ言われたあと、だいたい嫌な話になるんですけど」
篠宮は返事をせず、古いファイルをいくつか開いて番号の一部を照合し、それから椅子を少し引いた。
「東都の現行管理キーではありません」
「そこは昨日聞きました」
「ただ、まったく知らない認証キーでもありません」
慎吾は作業台へ両手をついた。
「どっちなんですか」
「旧式の外部保守キーです」
「外部?」
篠宮は画面に表示された番号の先頭部分を指した。
「PGS共通接続規格を開発していた当時、第六研究班は東都バイオメカニクスだけで拡張ユニットを製造する想定ではありませんでした。義肢メーカー、産業機器メーカー、災害救助機器を扱う会社など、複数の企業が同じ規格へ参加できるように、試験用の認証キーを発行していた時期があります」
慎吾は少し考え、足元に置いた銀色のケースへ目を向けた。
「じゃあ、これ全部、東都で作る必要なかったってこと?」
「はい。本来はそういう規格です」
「何でそんな大事な話を、ドリルの説明より後にしたんですか」
「昨日までは必要ありませんでしたので」
「必要になる人生だと思わねえよ」
篠宮はその言葉には反応せず、ケースの中からD-05を少し持ち上げて接続部分を慎吾へ見せた。
円形の基部に小さな端子が並び、機械的な固定部と通信部がひとつの接続面へ収まっている。慎吾はこれまで、それを自分の人工ペニスへドリルを取り付けるためだけの頭のおかしい仕掛けだと思っていた。
「この部分がPGS共通接続規格です。機械的な寸法、固定方式、電源供給、制御信号、認証手順までを共通化することで、メーカーが違っても同じ基部へ機器を接続できるように設計しました」
「USBみたいな?」
「概念としては近いですが、人体へ接続しますので安全性も冗長性もかなり違います」
「USBでいいです。そっちの方が俺にも分かる」
篠宮はD-05をケースへ戻しながら、少しだけ考えるように指を止めた。
「義手なら、日常生活用の手だけではなく、作業に特化した機器を選べる。義足なら歩行だけではなく、競技や登山、重作業に適したユニットを選べる。そのたびに身体側を作り直すのではなく、接続部を共通化して機能だけを交換できれば、利用者は一つのメーカーが用意した選択肢に縛られません」
昨日、ドリルを前にして聞いた話と同じだった。失った機能を元へ戻すだけではなく、その先を選べる身体。あのとき慎吾は、ずいぶん立派な夢が最終的に股間のドリルへ着地したものだと思ったが、こうして接続部だけを見せられると、篠宮が何を作ろうとしていたのか少しだけ分かる。
「じゃあ、他の会社が勝手にアタッチメント作れるようにしたかったんですか」
「勝手に、ではありません。安全基準と認証は必要です。ただ、一社が身体の選択肢を独占する形にはしたくありませんでした」
「東都は?」
篠宮はすぐには答えなかった。
その間が答えみたいなものだった。
「研究初期には同じ方向を向いていたと思います」
「途中から違った?」
「規格が実用化に近づけば、知的財産としての価値も変わります」
ずいぶん穏やかな言い方だったが、慎吾にも意味は分かった。誰でも使える夢の接続規格も、金になると分かれば誰かが囲いたくなる。
そして昨日会った男は、人工ペニスそのものが手に入らないなら接続規格だけでもいいと言っていた。その言葉を思い出したところで、慎吾は作業台の画面を指した。
「で、この古いキーを今も持ってる会社があるってこと?」
「その可能性があります。ただ、研究終了時に外部キーは失効処理されているはずです」
「はず?」
篠宮はまた画面を見た。
「東都側の記録を確認する必要があります」
「東都に聞くの?」
「はい」
「誰に?」
篠宮は慎吾を見た。
「鳥居さんが一番早いと思います」
慎吾は即座に首を振った。
「嫌ですよ」
「なぜです?」
「三日前に俺のチンコ回収しに会社まで来た人ですよ」
「今は情報が必要です」
「向こうも俺の情報欲しがってるでしょうが」
「だから話が早いんです」
理屈は分かるが、気持ちが追いつかなかった。
それでも篠宮は慎吾の返事を待ちながらスマートフォンを手にしており、この女の場合、同意を取らずにPGSへ接続することは絶対にしないくせに、鳥居へ電話することにはあまり抵抗がないらしい。
慎吾はため息をついた。
「そもそも、あの人信用していいんですか?」
「必要な情報は持っていると思います」
「信用できるかって聞いてるんですよ」
「それは別の問題です」
「もっと嫌だな」
結局、鳥居が姿を見せたのは一時間ほど後だった。今日は宮地を連れておらず、一人で仕事場へ入ってきた鳥居は、慎吾を見るとわずかに頭を下げた。三日前には職場で返却書類を広げ、その翌朝には自宅マンションで水をかぶっていた男が、今日は何事もなかったように普通のスーツ姿で篠宮の作業台の前へ座っている。慎吾には、その状況自体がまだ信用できなかった。
「まず申し上げておきますが、今回の件について弊社が黒川様の住居へ侵入した事実はありません」
鳥居が着席するなり言ったので、慎吾は椅子の背にもたれた。
「まだ何も聞いてないけど」
「先にお伝えしておく必要があると思いました」
「疑われるようなことしてる自覚はあるんですね」
鳥居は否定しなかった。篠宮がノートパソコンを回し、十四時三十七分の認証記録を画面へ出す。
「これを見てください」
鳥居は数秒眺めたあと、慎吾にも分かるほど顔つきが変わった。
「これ、どこから?」
「黒川さんのPGS-01です」
「原本ですか」
「X-00から直接取得しました」
鳥居は画面へ顔を近づけ、番号をもう一度確認した。
「その認証キーは、弊社でもすでに失効済みです」
慎吾は待っていたように口を開いた。
「じゃあ誰が使ってるんだよ」
「それを現在調査しております」
「お前ら、本当に何も分かってねえな!」
鳥居は反論しなかった。その代わり、スーツの内ポケットから会社支給らしいスマートフォンを取り出し、何件か連絡を入れたあと、篠宮へ旧研究班の管理番号を確認した。二人が話している内容の半分は慎吾には分からなかったが、第六研究班、共同研究契約、試験認証、失効処理、資料回収といった言葉が繰り返されるうちに、一つだけ妙なことに気づいた。
「ちょっと待って」
二人が黙った。
「資料回収って何?」
鳥居が慎吾を見た。
「第六研究班の事業終了時、共同研究先へ提供していた仕様書、試験機器、認証情報について回収及び廃棄の手続きが行われています」
「全部?」
「記録上は」
また出た。
「記録上はって便利な言葉ですね」
鳥居は少し困った顔をした。
「私も当時の担当ではありませんので、完了報告に基づいて申し上げています」
「じゃあ本当に全部戻ってきたかは分からない?」
「現時点では確認が必要です」
「それを普通は、分からないって言うんですよ」
篠宮は画面に残る古い認証番号を見ながら、しばらく黙っていた。
「仕様書は回収できても、規格そのものは回収できません」
鳥居が彼女を見る。
「どういう意味ですか」
「一度、共同研究先が実際に接続ユニットを設計しているなら、寸法も信号仕様も認証方式も、社内に知識として残ります。資料を返してもらったからといって、技術者の頭の中まで回収できるわけではありません」
鳥居の表情がさらに硬くなった。その横で慎吾は、昨日駅前で会った男の言葉を思い出していた。
《本体でなくても構いません。接続規格だけでも》
そのときは意味が分からなかった。人工ペニスを三千万円で買うと言い出した人間が、断られた途端に今度は差込口だけ欲しいと言い始めたくらいにしか思っていなかった。だが、今なら分かる。男が見ていたのは慎吾の人工ペニスではない。その先に何でも接続できる仕組みだった。
「篠宮さん」
「はい」
「あの男、最初からPGS-01が欲しかったわけじゃないんじゃないですか」
篠宮も同じところへ辿り着いたらしく、ゆっくり頷いた。
「可能性は高いと思います」
鳥居が慎吾を見る。
「男?」
慎吾は昨日の出来事を説明した。
駅前で声をかけられたこと、PGS-01とケースを三千万円で買い取ると言われたこと、断ると接続規格だけでも構わないと言われたこと、その夜に自宅を荒らされたことまで話すと、鳥居は途中からスマートフォンへメモを取るのをやめた。
「なぜ、それを昨日の時点で弊社へ連絡されなかったんですか」
「何で自分のチンコ買われそうになった報告を、俺のチンコ取り上げようとしてる会社にしなきゃならないんですか」
鳥居は口を閉じた。
篠宮が小さく息を吐いた。
「狙われているのはPGS規格ですね」
作業台の上にはX-00があり、足元のケースには九種類の拡張ユニットが残っている。慎吾の身体には、それらを実際に動作させるPGS-01が装着されている。篠宮が一つずつ確認するように視線を移した。
「完全に動作する本体、異なる用途の複数の拡張ユニット、それぞれの接続記録と認証履歴を保持しているX-00。それだけ揃えば、規格のかなりの部分を解析できます」
慎吾は嫌な予感を抱きながら銀色のケースを見た。
「……つまり」
「はい」
「俺のチンコが、規格見本になってるってこと?」
篠宮は少し考えた。
「極端に表現すれば」
「もう極端でいいですよ。ここ数日ずっと極端なんで」
鳥居は笑わなかった。むしろ、その言葉を聞いてからケースを見る目が明らかに変わっていた。二日前までは回収すべき会社資産として見ていたはずの銀色の箱を、今は誰かに奪われてはいけない物として見ている。慎吾はそれに気づいた。
「鳥居さん」
「はい」
「今度は守る側になったんですか」
鳥居はすぐには答えなかった。
「弊社として、PGS共通接続規格が第三者へ不正に流出することは看過できません」
「俺を守るとは言わないんだな」
「……黒川様の安全確保も必要です」
「後から足しましたよね?」
「否定はしません」
慎吾は少しだけ鳥居を見る目を変えた。好きにはなれない。自分の身体から人工ペニスを回収しようとした会社の人間であることも変わらない。ただ、少なくともこの男は、自分が何を守りたいのかについて嘘をついてはいなかった。
鳥居は会社を守り、篠宮は自分が作った規格と、その思想を守ろうとしている。昨日の男が見ているのは、おそらくその価値だ。
慎吾だけは違った。銀色のケースを持って普通に会社へ行き、設備を直し、仕事が終わったらビールを買って家へ帰りたいだけだった。
同じ機械を前にしているのに、全員が見ているものが違う。
「一個だけ聞いていいですか」
慎吾が言うと、篠宮と鳥居がこちらを見た。
「結局、誰が俺のチンコ売ったんです?」
鳥居が眉を寄せる。
「売ったと決まったわけではありません」
「じゃあ誰が配った?」
「それも現在確認中です」
「何なら分かるんだよ」
鳥居は答えず、篠宮も画面へ視線を戻した。
その日の午後、東都バイオメカニクスは初めて慎吾へ、PGS-01を不用意に持ち歩かないよう正式に要請した。三日前までは持ってこいと言っていた会社が、今度は人に渡すなと言っている。慎吾は銀色のケースを抱えたまま、しばらくその変化について考えた。
どうやら機械のチンコというものは、本人が知らないうちに会社の資産になり、市場の商品になり、次世代技術の規格見本にまでなるらしい。
それでも慎吾にとっては、相変わらず自分の身体だった。
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