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ドリチン《機械じかけのエレクト》  作者: 伏見トキナ
第二章|VALUE ── 値札のついた身体
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第四話|通常業務

 午前六時二十分、黒川慎吾は枕元で鳴った目覚ましを止め、しばらく天井を見てから起き上がった。床には昨日着ていた服が脱いだまま置かれ、その向こうには銀色のケースがある。


 二日前までなら仕事へ行く朝に見るはずのない物だったが、今では中にドリルや消火装置やワイヤーアンカーが収まり、そのすべてが自分の股間へ接続できるという事実まで知っているので、寝起きに眺めるには少々情報量が多かった。


 身体に痛みはなく、PGS-01にも異常はない。マンションの機械室を水浸しにして制御盤まで壊した人間としては驚くほど健康だったため、慎吾はシャワーを浴び、作業着に着替え、いつもと同じようにインスタントコーヒーを飲んだ。


 その途中で篠宮へ電話すると、彼女は二度目の呼び出し音で出て、昨夜と変わらない落ち着いた声で慎吾の体調を確認したあと、「できれば本日もお休みになった方がいいと思います」と言った。


「二日もチンコのことで仕事休んでるんですよ。もう普通に働かせてください」


『人工ペニスです』


「そこ訂正するところですか?」


『医療機器としての名称は大切ですから』


「こっちは生活の方が大切なんですよ」


 篠宮はそれ以上休めとは言わなかったが、接続部に発熱や痛みが出た場合はすぐ使用を中止すること、東都バイオメカニクスの人間が接触してきても一人で対応しないこと、それから昨日X-00で確認した保守通信については引き続き調べることを、診療後の注意事項でも読み上げるように説明した。


 慎吾は適当に返事をしながら玄関脇の銀色のケースを見て、自宅へ置いていくか数秒迷った末、そのまま持って出ることにした。置いていけば盗まれそうで、持ち歩けば捕まりそうな荷物というのも珍しい。


 城南設備管理の事務所へ着くと、安井がコーヒーを飲みながら前日の報告書を眺めており、慎吾の顔を見るなり眼鏡を少し下げた。


「お前、来たのか」


「来ますよ。仕事なんだから」


「マンション水浸しにして、変な会社に追い回されて、それでも今日は普通に出勤するのか」


「だから普通に出勤したいんですよ」


 安井はもっともらしい顔で頷いたあと、営業車の後部座席へ慎吾が載せた銀色のケースへ目を向けた。古いブルーシートを上からかけてあるが、昨日本物を見ている安井には隠す意味などない。


「昨日のあれ、持ってきてんの?」


「置いてく方が怖いんで」


「中身、全部?」


「全部です」


「すげえ工具箱だな」


「工具箱って呼ぶのやめてもらえます?」


 工具箱ならまだよかった。必要になったら蓋を開け、中からスパナでもドライバーでも選べば済むが、あのケースに入っている物は、最終的に全部自分の身体へ取り付けることを前提としている。そんな物を工具と呼び始めたら、何か大切な感覚まで壊れそうな気がした。


 その日の最初の現場は、品川区にある築四十年近い雑居ビルだった。五階の事務所から天井裏で水の落ちるような音がすると連絡があり、管理会社から原因を調べてほしいと頼まれている。


 慎吾にとってはありがたいほど普通の仕事で、建物は古いが図面は残っているし、天井裏にあるのも配管とダクトと電線で、少なくとも「所有権につきましては担当部署では回答いたしかねます」などとは言わない。


 五階の廊下へ脚立を立て、点検口を開けると、埃と古い断熱材の匂いが落ちてきた。慎吾はヘルメットのライトを点け、腰袋を引っかけて中へ上がり、梁とダクトの隙間を腹ばいに近い姿勢で進んでいく。少し先には排水管と給水管が並んでおり、耳を澄ますと、一定の間隔で小さな金属音が聞こえた。


 水ではない。空調ドレンの配管を固定している吊り金具が緩み、機械の振動を拾った管がわずかに揺れて、金具へ当たっている。


 原因が分かれば、あとは締め直すだけだった。慎吾はレンチを取り出して保温材を避けながら手を伸ばしたが、頭上を横切るダクトが邪魔をして、ヘルメットのライトが肝心のナットを照らさない。首をひねれば光は届くものの、その姿勢では腕が入らず、腕を伸ばせば今度は自分の肩が光を遮る。作業灯を置くにはスペースが足りず、スマートフォンを突っ込んでも安定させる場所がなかった。


「……こういうときに限って」


 口に出した瞬間、昨日、篠宮が銀色のケースを開きながら説明していたユニットが嫌になるほど鮮明に頭へ浮かんだ。


 《F-07 照明・信号ユニット》


 暗所作業及び災害現場における照明、救難信号用。連続照射時間約六時間。装着者の体幹方向に合わせて照射軸を保持し、両手を使用する作業を妨げない。


 説明を聞いたときには、暗闇で股間を光らせる必要性が最後まで理解できなかった。今も理解できているわけではないが、目の前には暗くて見えないナットがあり、両手は使いたくて、腰はちょうど作業箇所を向いている。


 慎吾は天井裏から降りると、誰もいない地下の機械室まで戻り、営業車から持ってきた銀色のケースを床へ置いた。F-07を取り出してみれば、銀灰色の筒状ユニットの先端には高輝度LEDのレンズが並んでおり、どこから見ても真面目に作られた作業用照明器具である。唯一問題があるとすれば、それを作業用照明として使うための接続先が、慎吾の場合ひとつしかないことだった。


「ほんとに、何でここなんだよ」


 答える人間はいないので、慎吾は機械室の扉へ鍵をかけ、作業着の前を必要なだけ開けてPGS-01の接続ロックを解除した。昨日一度教わった手順なので迷うことはなく、F-07を固定すると短い電子音が鳴り、腰の下から伸びた白い光が真正面の壁を明るく照らした。


 照射された配管を眺めながら、慎吾はしばらく何も言わなかったが、見れば見るほど馬鹿にしか見えないので、最終的には「……馬鹿だろ」と呟いた。もちろん機械は何も答えず、その代わり壁だけが妙に明るかった。


 再び天井裏へ入ってスイッチを入れると、光は思っていた以上に強く、目的のナットだけでなく、その奥にある吊りボルトや配管の表面までくっきり浮かび上がった。頭を動かしても照射方向がぶれず、両腕を伸ばしても自分の影が作業箇所へ落ちないうえ、腰を少し動かすだけで見たい場所へ光が移る。


 慎吾はレンチを当て、緩んでいたナットを締めた。管を軽く揺すって振動が止まったことを確認し、隣の支持金具もわずかに緩んでいたので、ついでに増し締めする。普段ならライトの位置を何度か変えながらやる作業が、ほとんど手を止めずに終わった。


 そこで初めて、自分が何の不満もなく作業していたことに気づいた。


「……これ、いいな」


 思わず声に出したあと、慎吾は誰もいない天井裏を見回した。配管とダクトしかない場所で、自分が今褒めたのは股間に取り付けた照明器具である。


「いや、ヘッドライトでいいだろ」


 そう言ってみたものの、ほんの数分前までヘッドライトで困っていたので、自分でも説得力がないことくらい分かっていた。


 F-07を外して標準状態へ戻したころ、一階の管理人から、四階給湯室の点検口もついでに見てほしいと頼まれた。以前から配管カバーの端が少し浮いており、専門業者を呼ぶほどではないものの気になっていたらしい。慎吾はいつもの調子で「見ておきます」と答え、脚立と工具を持って四階へ向かった。


 こちらは故障というほどでもなく、給湯管を覆う薄い金属カバーの受け金具が少し歪み、片側だけ浮いていた。カバーを押さえながら内側のビスを締め直せば済む話だったが、点検口が狭いため、片手でカバーを支えると残るのは一本だけである。ビスを押さえながらドライバーを回すには、もう一本手が欲しい。


 そこまで考えたところで、慎吾は脚立の上で動きを止めた。


 昨日までなら、それで終わっていた。誰かを呼ぶか、少し無理な姿勢で片手作業をするか、テープで仮止めしてから締めればいい。しかし今、営業車の後部座席には《H-09 多目的マニピュレーターユニット》が入っている。


 篠宮は昨日、それを「第三の把持肢」と呼んでいた。


「……いや、あるけど」


 自分で言ってから嫌になった。


 営業車へ戻って銀色のケースを開け、H-09を取り出す。掴む、回す、保持する、簡単な切断を行うための小型作業機で、最大保持荷重は約八キロ。昨日は「俺、手二本ありますけど」と真顔で返したのに、今日はその三本目を自分から取りに来ている。


「……仕事だからな」


 誰に言い訳しているのか分からないまま、慎吾は給湯室へ戻った。


 点検口の内側へH-09の先端を入れ、金属カバーの端を挟ませる。接続部の圧力と身体の動きを使って開閉や保持力を調整する方式は、説明だけ聞いたときには意味が分からなかったが、実際に動かしてみると数回で感覚が掴めた。少し身体を引けばしっかり保持し、位置を戻せばカバーが安定するので、その状態で両手を使ってビスを差し込み、ドライバーを回していく。


 一本目を締め、二本目の位置を合わせ、最後のビスまで固定すると、金属カバーは綺麗に元の位置へ収まった。そのとき廊下から管理人が「黒川さん、どうですか」と声をかけてきたので、慎吾は反射的に点検口の奥へ身体を寄せた。


「大丈夫です。今、終わります」


「手伝いましょうか?」


「いえ、大丈夫です!」


 思ったより大きな声が出たらしく、管理人は少し間を置いてから「そうですか」と答え、そのまま離れていった。


 慎吾はH-09が金属カバーを掴んでいる様子を見ながら、昨日の篠宮の顔を思い出した。あのときは、技術者というものは便利という言葉の意味を根本から間違えているのだと思ったし、今でも半分くらいはそう思っている。しかし、カバーを支えるためだけに誰かを呼ぶ必要もなく、無理な姿勢を取ることもなく、両手を使って作業を終えられたという事実まで否定するのは難しかった。


「……これも便利じゃねえか」


 認めた瞬間、何かに負けた気がした。


 午後三時を少し回ったころには予定していた点検がすべて終わり、慎吾は地下の機械室で報告書へ添付する写真を整理していた。朝からポンプを見て、天井裏へ潜り、緩んだ金具を締め、管理人へ作業内容を説明しただけで、やっていることはこれまでと何も変わらない。違うのは営業車の後部座席に銀色のケースが置かれており、今日だけで二回、その中身を自分の身体へ取り付けたことだった。


 ケースの蓋を閉じる前に中を見ると、高圧射出ユニット、ワイヤーアンカー、ドリル、消火装置、超音波探傷機が整然と並んでいる。昨日までは頭のおかしい研究者が残した危険物の詰め合わせにしか見えなかったものが、F-07とH-09を実際に使ったあとでは、ほんの少しだけ工具に見えてしまう。


 たぶん、それが一番まずかった。


 スマートフォンが鳴り、画面を見ると篠宮佳澄と表示されていたので、慎吾はケースの蓋へ手をかけたまま電話に出た。


「はい」


『黒川さん、今どちらですか?』


 朝と同じ落ち着いた声ではあったが、余計な挨拶がなかった。


「仕事です。品川の現場。もう終わりましたけど」


『本日、PGS-01へ何か特殊な操作をしましたか?』


 慎吾は開いたままのケースへ目を落とした。


「照明と、手みたいなやつを使いました」


『H-09ですね』


「そう。それ以外は何もしてません」


 受話口の向こうでキーボードを叩く音が続き、慎吾は嫌な予感を覚えた。ここ数日、その予感だけは外れたことがない。


「何かあったんですか」


『昨日X-00を接続した際、PGS-01の保守通信へ監視フラグを設定しました。管理権限による外部接続要求があった場合、こちらにも記録が残るようにしてあります』


「会社がまた何かした?」


 篠宮はすぐには答えず、数秒の沈黙を挟んでから言った。


『違います』


 慎吾は機械室の中で手を止めた。送風機の低い振動音だけが、さっきまでと変わらず床から伝わってくる。


「違うって、何が」


『東都バイオメカニクスの管理IDではありません』


 朝からようやく普通の仕事をしていた一日が、そこで終わった気がした。


「じゃあ、誰なんですか」


『まだ分かりません。ただし、PGSの保守系統へ接続できる認証情報を持っています。完全な外部から侵入したというより、正規系統に近いアクセスです』


「それ、余計に嫌なんですけど」


『私もです』


 篠宮が珍しく即答したあと、もう一度キーボードを叩く音が聞こえた。


『接続要求が入ったのは十四時三十七分です。黒川さん、その時間は何をしていました?』


 慎吾は壁の時計へ目をやり、考えるまでもなく答えた。


「四階の給湯室です」


『H-09を使用していた時間と重なります』


 慎吾はケースの中に戻したマニピュレーターユニットを見た。数時間前まで、それは単に「三本目の手」として役に立っただけで、自分では押さえきれない金属カバーを代わりに掴み、両手を自由にしてくれた。便利だったからこそ、今の話は妙に気味が悪い。


「篠宮さん」


『はい』


「俺があれ使ってる最中に、誰かが外から俺のチンコに繋ごうとしてたってことですか」


 篠宮は一拍置いてから、いつもの調子で答えた。


『技術的には、そういうことになります』


 慎吾は天井を見上げた。蛍光灯は普通に点いており、ポンプも回っているし、配管から漏水もない。午後三時を少し過ぎた古い雑居ビルの機械室には、故障らしい故障など一つもなかった。それなのに、自分の身体だけが、また設備のように誰かから触られようとしている。


 朝、篠宮へ言った言葉を慎吾は思い出した。二日もチンコのことで仕事休んでるんですよ。もう普通に働かせてください。


 少なくとも今日の午後二時三十六分までは、その願いは叶っていたらしい。


 どうやら機械のチンコというものは、仕事の役には立っても、普通の生活にはあまり役に立たないらしい。

お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
ここまで読みました。いやぁこれは面白い作品だ。第二章も読んでいこうと思います。ブクマとお気に入り登録のほうさせて頂きますね。
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