第九話|機械のチンコの値段
黒川慎吾が、自分の人工ペニスについて五人の大人と会議をすることになったのは、一億円を提示された翌日の午後だった。
場所は榊が勤務する病院の小会議室で、慎吾の隣には篠宮佳澄、その向かいには東都バイオメカニクスの鳥居と法務・研究管理部の真鍋理恵が座り、少し離れた席では榊が腕を組んでいる。机の中央には銀色のケースが置かれていたが、さすがに病院の会議室で蓋を開ける気にはならず、慎吾も今日は中から何かを取り出すつもりはなかった。
二日前までは会社へ行けば安井がいて、現場へ行けば配管とポンプがあり、壊れたものを直して帰ればそれで一日が終わっていたのに、今では自分の身体の一部について法務担当者まで交えて話し合い、その市場価格はどうやら一億円らしい。
「最初に確認しておきたいんですが」
慎吾は会議が始まってすぐ、向かいに座る鳥居を見た。
「昨日俺を尾行してた二人、本当に東都の人間じゃないんですよね?」
「違います」
鳥居は即答した。
「弊社から黒川様への接触については、現在すべて私を窓口に一本化しています。昨日の二名についても警察から照会があれば協力しますが、少なくとも弊社が手配した者ではありません」
「前にマンションまで来た人たちは?」
「弊社が手配しました」
「そこは認めるんだ」
「事実ですので」
以前ならその落ち着いた顔を見るだけで腹が立ったが、最近は鳥居が嘘をつくのではなく、会社に都合の悪い話でも業務として淡々と答える人間なのだと分かってきたせいで、慎吾も少しだけ扱い方を覚えていた。
「じゃあ、昨日の連中は柏木って男のところ?」
真鍋が手元の資料へ目を落としながら答えた。
「現時点では確認できていません。ただ、柏木俊一については弊社でも把握しています」
「知ってるんですか」
「過去に医療機器メーカーや研究開発会社の技術移転を仲介していた人物で、東都との直接契約はありませんが、弊社の共同研究先と接点があったことは確認されています」
「何でそんな奴が俺のチンコの値段決めてるんです?」
真鍋の手が一瞬止まった。
鳥居が視線を落とし、榊は咳払いをしたが、篠宮だけは何も気にしていない。
「正確には、人工ペニスです」
篠宮が言った。
「そこ、全員で守るルールなんですか?」
「正式名称ですので」
「一億円の話してるときくらい、好きに呼ばせてくださいよ」
慎吾が椅子へ座り直すと、真鍋は資料を閉じた。
「柏木氏が提示した一億円という金額について、PGS-01そのものの市場価値を示しているとは考えていません」
「それは本人から聞きました。規格に一億なんでしょう」
「正確には、規格を再現できるだけの情報一式に対する対価でしょう」
慎吾は机の中央にある銀色のケースを見た。
数日前までなら、そこに一億円が入っていると言われても冗談にしか聞こえなかったが、今ではケースの中にある十種類のユニットと、自分の身体に装着されたPGS-01、それにX-00へ残された記録を合わせれば、本当にそれだけの金を払おうとする企業があるらしい。
金額だけ聞けば夢のある話だが、問題は、その夢が慎吾の股間に接続されていることだった。
「そもそも」
慎吾は篠宮を見る。
「PGSって何なんです?」
篠宮が少し眉を動かした。
「今さらですか?」
「今さらですよ。人工ペニスの治験だって聞いて付けたんですから、ドリルが付くとも、一億円になるとも聞いてません」
「それはそうですね」
「納得するなよ」
榊が小さく息を吐き、慎吾へ向き直った。
「黒川さんに治験を紹介した時点では、医療機器としてのPGS-01について説明しています。排尿機能、外観、身体への固定、感覚フィードバック、それから術後の管理については説明しましたが、その基礎技術がどこから来ているかまでは、私も十分に知らされていませんでした」
「先生も?」
「ああ」
榊がそこまで言うなら本当なのだろう。
篠宮はノートパソコンを開き、古い設計資料らしい図を画面へ表示した。そこには人工ペニスらしき形はなく、人間の身体を簡略化した図の横に、腕、脚、腰、背中など複数の位置へ円形の接続部が描かれている。
その上には、
《汎用身体拡張インターフェース構想》
と書かれていた。
「PGSシリーズは、これを基礎にしています」
慎吾は画面へ顔を近づけた。
「義手とか義足?」
「それだけではありません。日常生活用の義肢、作業補助、災害救助、重作業支援など、人間の身体へ固定する機器について、接続方式と制御の考え方を共通化する研究でした」
篠宮が画面を切り替えると、今度は脚の義肢へ複数のユニットを装着した図が表示された。
「たとえば義足を使用している人がいるとして、通常歩行用の足しか選べない必要はありません。登山へ行く日は地形に適したユニットへ交換し、仕事では工具や荷重補助装置へ接続し、競技をする人なら競技用の機能を選べる。身体側の接続部が共通であれば、そのたびに義肢全体を作り直す必要もありません」
慎吾は画面を見ながら、以前照明ユニットを使ったときのことを思い出した。
頭のライトでは影になった場所が、F-07なら腰を向けるだけで見えた。H-09を使ったときには、金属カバーを押さえたまま両手で工具を扱えたし、つい先日はD-05で壁に穴を開け、その向こうに取り残された作業員を助け出した。
馬鹿みたいな位置に付いていることを除けば、篠宮の言っていることはすでに自分の身体で体験している。
「つまり、失ったものを元に戻すだけじゃない?」
「はい」
篠宮は頷いた。
「私は、義肢を使う人が失う前の身体へ近づくことだけを目標にしなくてもいいと思っています。必要なら、以前にはできなかったことまで選べていい。その選択肢を一つの会社が決めるのではなく、共通規格の上で複数のメーカーや研究機関が作れる状態にしたかったんです」
「だから一社で独占してはいけないと思っていました」
篠宮がそう言うと、向かいの真鍋が静かに口を開いた。
「その考え方自体を否定するつもりはありません。ただ、企業としては別の問題があります」
篠宮が真鍋を見る。
「安全性ですか」
「それもあります」
真鍋は銀色のケースへ視線を移した。
「仮にPGS規格を完全に公開し、誰でも接続機器を製造できる状態にした場合、規格上は接続できても、安全性が確認されていない製品が市場へ出る可能性があります。制御信号を誤れば装着者へ直接影響しますし、機械的な強度が不足していれば接続部そのものを損傷することもある。認証のない第三者製品によって事故が起きた場合、誰が責任を負うのかという問題もあります」
慎吾は黙って聞きながら、篠宮の話だけなら、一社が身体の未来を独占しないという考え方はもっともに聞こえると思った。
しかし慎吾のケースには、三千二百回転で回るドリルがあり、弾を射出する装置があり、周囲の電子機器を止めるかもしれない電磁パルス試験機まで入っている。その一式を実際に自分の身体へ付けた人間としては、「誰でも自由に作っていい」と言われても、少し待てと思うところはあった。
「ちなみに」
慎吾は真鍋へ聞いた。
「安全性を理由に東都が全部管理したら、どうなるんです?」
「東都が規格を管理し、認証した機器だけが接続できる形になります」
「他の会社が作るときは?」
「弊社の認証が必要になります」
「金は?」
真鍋はわずかに間を置いた。
「ライセンス契約が発生する可能性があります」
「やっぱり金じゃねえか」
「企業ですから」
真鍋がそこを否定しないまま答えると、篠宮は腕を組んだ。
「それでは、利用者は東都が認めた機能しか選べません」
「認証のない機器を人体へ接続させるよりは安全です」
「東都が市場から撤退したら?」
真鍋は答えなかった。
篠宮は続ける。
「規格そのものを一社が所有していれば、その会社が事業をやめた瞬間、利用者の身体まで更新できなくなります。部品供給が終われば交換もできず、新しい機能を選ぶこともできない。それは義肢ではなく、身体ごとメーカーへ依存することになります」
慎吾は二人の間を見ながら、開放すれば危険な機械まで接続される可能性があり、閉じれば一社が身体の入口を握るのだから、どちらも間違っているようには聞こえないと思ったが、ずいぶん難しい話になってきたところで、もっと単純な疑問が残っていることに気づいた。
「で」
四人がこちらを見る。
「何でその業界標準候補が俺のチンコに付いてるんです?」
会議室が静かになった。
篠宮は少し考えることもなく答えた。
「適合率が最も高かったので」
慎吾は椅子へ深く座り直した。
「俺のチンコだけ世界標準候補だったのかよ」
「正確には黒川さんの骨盤形状、残存組織、神経接続、荷重分散、それから術後の固定条件を含めた適合率です」
「説明されるほど嫌だな」
榊が顔を伏せたのは笑っているからのようにも見えたが、慎吾は見なかったことにした。
「そもそも人工ペニスへこの規格を使った理由は?」
「身体へ恒常的に固定される義肢の一例として条件が合っていました。それに、PGS-01は日常使用時の外形を損なわず、内部へ接続基部を組み込めたので」
「だからってドリルまで付ける必要ないでしょう」
「接続できたので」
「その理屈、何回来ても強いな」
篠宮は悪びれず、慎吾は銀色のケースを見ながら、昨日柏木から言われた一億円という金額をもう一度考えたが、自分が二十年以上働いて稼ぐ金を考えても、簡単に無視できる数字ではなかった。しかし、その値段が付いているのは身体そのものではなく、そこへ接続されている仕組みであり、さらにその仕組みを欲しがる人間たちは、誰一人として慎吾と同じものを見ていない。
鳥居と真鍋には会社が守るべき知的財産に見える。柏木と、その向こうにいる名前も知らない企業には、これから金になる技術に見えている。篠宮には、身体を失った人間が以前にはなかった機能まで選べる未来に見えている。榊には、事故で傷ついた患者へ普通の生活を返すための医療機器なのだろう。慎吾にとっては、その全部である前に、朝起きれば最初からそこにあり、トイレへ行き、風呂へ入り、仕事へ出かけるときにも外して棚へ置いていけない、自分の身体だった。
「一個、確認したいんですけど」
慎吾が言うと、真鍋が頷いた。
「どうぞ」
「東都としては、まだこれを返せって言ってるんですよね?」
「契約上、PGS-01は弊社所有の治験機器です」
「それ、俺が死んだら回収できる?」
真鍋の表情が変わった。
鳥居も慎吾を見る。
「昨日、柏木に言われました。装着者が死んだら機械として回収できるんじゃないかって」
榊が腕を解いた。
「そんなことを言ったのか」
「仮定の話だそうです」
「随分悪趣味な仮定だな」
榊の声には、これまでにない硬さがあった。真鍋は慎吾を見たまま、少し時間を置いて答えた。
「契約書だけを読めば、治験終了時には機器を返却する条項があります。ただし、人体へ恒常的に装着された機器について、装着者の生命や身体より会社の所有権が優先されるという意味ではありません」
「じゃあ、生きてる俺から回収しようとしてたのは?」
鳥居の視線が落ちた。
真鍋は逃げずに答えた。
「会社として、判断を急ぎました」
「急ぎすぎでしょう」
「そう思います」
慎吾は少し驚いた。東都の法務担当がそこを認めるとは思っていなかった。
「現在、病院側の倫理委員会からも正式に異議が出ています。遠隔管理権限を装着者へ十分説明していなかった点を含め、PGS-01の扱いそのものを再検討しています」
榊が続けた。
「俺がここ数日呼び出されていたのも、その件だ。病院側としては、黒川さんの身体から本人の同意なくPGS-01を外すことは認めない」
篠宮も頷いた。
「私も同じです」
鳥居だけが黙っていたので慎吾がそちらを見ると、数秒考えたあとで口を開いた。
「私は会社の人間ですので、弊社の正式な決定に従います。ただ、少なくとも以前のような形での回収を続けるべきではないと、現在は報告しています」
「マンションまで追いかけてきた人が?」
「その件については申し訳ありませんでした」
慎吾は、まさか謝られるとは思っていなかったので、しばらく鳥居を見たまま返事に困った。
「……今度やったらドリチン使いますよ」
鳥居の顔がわずかに引きつった。
「それはお控えください」
篠宮が横から言う。
「D-05は対人使用を想定していません」
「分かってますよ」
「A-04もです」
「もっと分かってます」
真鍋が二人の会話を聞きながら、机の上の銀色のケースを少し遠ざけた。その日の話し合いではPGS-01を誰が所有するのかについて結論は出ず、東都には契約と知的財産があり、病院には患者を守る責任があり、篠宮には規格を一社へ閉じたくない理由があり、慎吾には自分の身体を他人の都合で外されたくないという、もっと単純な事情が残った。
ただ、一つだけ全員の意見が一致したのは、柏木の背後にいる相手へPGS規格を渡してはいけないということだった。安全性の確認もなく、誰が何のために使うのかも分からない状態で規格だけが流出すれば、篠宮が夢見た共通規格とはまるで別のものになる。
会議が終わり、慎吾が銀色のケースを持って立ち上がると、真鍋がそのケースを見ながら言った。
「黒川さん」
「はい?」
「念のため申し上げますが、一億円という金額は規格情報に対する提示額であって、黒川さんご自身の価値を金額で評価したものではありません」
「分かってますよ」
慎吾はケースを持ち上げた。
「でも俺、この数日で三千万から一億になってるんですよね」
「規格の価値です」
「分かってるって」
会議室を出ようとしてから、慎吾は一度振り返った。
「ちなみに篠宮さん」
「はい」
「もしこの規格、本当に世界中で使われるようになったら?」
「使う人が、自分の必要な身体を自分で選べるようになればいいと思っています」
「東都は?」
真鍋が答えた。
「安全性を管理できる規格にする必要があります」
「鳥居さんは?」
「会社の決定に従います」
「榊先生は?」
榊は少し笑った。
「患者が困らなければ、それでいい」
慎吾は四人を順番に見てから自分の腰のあたりへ目を落とし、同じ機械を見ているはずなのに本当に全員が違うことを考えているのだと思いながらケースを持ち直して、今度こそ会議室を出た。
どうやら機械のチンコの値段というものは、一億円でも三千万円でもなく、見る人間によっていくらでも変わるらしい。
ただし慎吾にとっては、今のところ非売品だった。
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