↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/20

第9話 責任は私が持ちます



 十日ほどが過ぎた。


 朝、受付裏で豆を挽く音がする。湯が沸き、香りが広がる。器を受け取った職員たちは、それぞれの持ち場へ散っていく。


 誰も、タダシに指示を仰がなかった。


 薬品棚の札は、若い職員が昨日の数字の下に今日の数字を書き足していく。依頼書は来た順に「未受注」の箱へ入り、冒険者が受ければ「対応中」へ移る。勤務表の来週の欄は、もう希望の丸で半分埋まっていた。


「タダシさん、豆なくなりそうです」


 ニコが、空に近い袋を振ってみせた。


「あ、本当だ。注文しときましょう」


 発注の控えは、タダシより先にフィナが出していた。


 新しい支部長が着任したのは、その日の昼前だった。


 五十手前くらいの、痩せた男だった。旅装を解くと、地味な灰色の上衣が出てきた。荷物は少ない。


「レイナルトです。今日から、よろしくお願いします」


 挨拶はそれだけだった。


 職員たちが緊張した顔で並ぶ前で、レイナルトは二階へは上がらず、そのまま受付の中へ入ってきた。


 薬品棚を見た。札を読んだ。依頼の箱を覗いた。勤務表の前で、しばらく立っていた。壁の連絡表を、上から下まで目でなぞった。


「浅野さん」


「はい」


「これは、全部あなたが?」


「最初は私が始めましたけど」


 タダシは受付のほうを見た。フィナが依頼書を仕分け、ニコが札を書き替え、ガルドが報酬を数えている。


「今は皆さんで使ってますよ」


「なるほど」


 レイナルトはもう一度、受付全体を見渡した。


「よく回っていますね」


 それだけ言って、彼は勤務表の前に戻った。


 昼過ぎ、レイナルトは職員全員を受付に集めた。


「では、浅野さん」


 静かな声だった。


「支部長代理の任は、本日をもって解きます」


 受付が、しんとなった。


 フィナの表情が、固くなった。ニコが息を呑む音が聞こえた。


「はい」


 タダシだけが、いつも通りに頷いた。


「承知しました」


「その上で」


 レイナルトは、間を置かなかった。


「本日付で、浅野さんを当支部の業務統括責任者に任命します」


 一拍、誰も動かなかった。


「……え?」


「業務統括?」


 職員たちが顔を見合わせる。


 レイナルトは紙を一枚、タダシに渡した。


「薬品と在庫の管理。勤務の編成。依頼の処理。緊急時の体制。業務の改善。それと、他支部との調整。今まで浅野さんがやっていたことを、そのまま正式な職務にします」


 彼は付け加えた。


「代理の手当は今日で終わりますが、同じ額を、業務統括責任者の手当として付けます。こちらは期限なしです」


「あ、給金は下がらないんですね」


 タダシが、ほっとしたように言った。


 レイナルトが、初めて少しだけ表情を崩した。


「……そこですか」


「宿代がありますので」


「タダシさんらしいです」


 フィナが、肩の力を抜いて笑った。


 その後ろで、ニコが天井を仰いでいた。


「……よかったあ……」


「お前、今日も泣くのか」


「泣いてないっす」


 夕方、トマが勤務表を持ってタダシの机に来た。


 包帯の件で、最初にタダシへ声をかけた職員だ。


「あの、来週の三日目、遅番と早番、入れ替えてもらえませんか。ガルドさんとは話がついてて」


「理由、聞いていいですか。勤務表に書くので」


「……母の、具合が。医者が来る日なんで、朝のうちに顔を出したくて」


「分かりました」


 タダシは勤務表を見た。入れ替えても、どちらの時間帯も人数は足りる。


「大丈夫そうですね。じゃあ、支部長に確認してきます」


 立ち上がって、階段へ向かいかけたところで、ちょうど上からレイナルトが降りてきた。


「勤務の変更ですか」


「はい。トマさんとガルドさんの入れ替えで。人数は足りてるので、問題ないと思うんですが、一応」


「浅野さん」


 レイナルトは階段の途中で足を止めた。


「毎回、私に許可を取りに来る必要はありません」


 タダシが瞬きをした。


「でも、責任者は支部長ですよね?」


「そうです」


 レイナルトは頷いた。


「ですから、判断はあなたに任せます。責任は私が持ちます」


 受付にいた職員たちが、手を止めてこちらを見ていた。


「これだけ結果を出している人間に、毎回私のところまで説明に来させるほうが非効率です。あなたが問題ないと判断したなら、それで進めてください。何かあれば、それは任せた私の責任です」


 タダシは、しばらく黙っていた。


 前の会社では、コピー用紙の発注一つにも判子が三つ要った。予算の枠内でも、課長と部長と経理の顔を順番に見に行った。それが普通だと思っていた。


「……分かりました」


 タダシは頷いた。


「じゃあ、そうさせてもらいます」


「ただし、一つ条件があります」


「はい」


「無理をしないでください」


 タダシは、きょとんとした。


「そんなにしてます?」


「してます」


 フィナと、トマと、ガルドと、ニコと、受付にいた全員の声が揃った。


 レイナルトが、階段の上で小さく咳払いをした。笑いをこらえたのかもしれなかった。


 その日の夕方、タダシは東通りから戻ってきた。


 手に、黒い板を持っている。


「点きましたねえ」


 画面の右上に、細い線が一本だけ光っていた。


「十日以上かかりましたね……」


 フィナが覗き込んだ。


「一日も休まず通って、これですか」


「雷の人も、途中から面白がってましたよ」


 そのとき、板が手の中で震えた。


 画面に、見覚えのある名前が出ていた。


 タダシが指を滑らせると、すぐに声が飛び込んできた。


『浅野か!?』


 部長だった。前回ほど怒鳴ってはいない。声が、妙に掠れていた。


『……浅野、悪い』


「はい」


『一回、会社に来られないか』


 受話口の向こうは、静かだった。前回のような別の声も重ならない。


『引き継ぎだけでもいい。一日でいい。今、本当に……回ってないんだ』


 フィナが、タダシの顔を見た。


 タダシは少し考えた。怒っている顔ではなかった。困っている顔でもなかった。


「申し訳ありません」


 いつもの調子で言った。


「私、もうそちらの社員ではないので」


『……それは、そうだが』


「それに私、今はこちらで——」


 タダシは、手元の紙をちらりと見た。昼に渡された任命書だった。


「業務統括責任者という役職で、やらせていただいておりまして——」


 ぷつり。


 画面が黒くなった。


 タダシは黒い板を見下ろした。


「……切れた」


「一番いいところで切れましたね」


 フィナが、笑いを噛み殺しながら言った。


「そうですか?」


「そうです」


 タダシは板を鞄に戻した。


 フィナは受付台に肘をついて、しばらく黙っていた。それから、ぽつりと聞いた。


「前の会社、タダシさんが必要だったんじゃないですか?」


 タダシは鞄の留め具を閉めて、少し考えた。


「まあ……」


 夕方の受付に、帰還した冒険者の声が聞こえ始めていた。依頼書が箱に入る音。棚の札を書き替える音。


「私が普通だと思ってたこと、皆さんには、結構役に立ってたみたいですねえ」


 フィナは、何も言わなかった。


 ただ、少しだけ嬉しそうな顔をした。


 半月ほどして、本部から封書が届いた。


 レイナルトは受付に降りてきて、それをタダシの机に置いた。


「浅野さん。本部から辞令です」


 受付にいた全員の手が、止まった。


 タダシは封を切って、中の紙を読んだ。


「浅野タダシ、本部勤務を命ずる……」


 フィナが、受付台の向こうで固まっていた。ニコは箒を持ったまま動かなかった。トマも、ガルドも、こちらを見ていた。


「推薦したのは私です」


 レイナルトが、静かに言った。


「ここに置いておくには、惜しいと思いましたので」


 タダシは紙から顔を上げた。


「本部ですか」


 それから、しみじみと言った。


「大きいところですねえ」



お読みいただきありがとうございます。

続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。