↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/20

第5話 ……誰がやった?



 監査官は、思っていたより若い男だった。


 三十代の半ばくらいか。灰色の上衣に、革の書類挟みを一つ。供も連れず、荷馬車から降りて、まっすぐギルドの扉をくぐってきた。


「本部監査部、アルベールです」


 支部長は階段を駆け下りてきた。今朝は上衣に袖を通し、襟まで留めていた。


「遠いところをようこそ。いやはや、最近は我が支部もかなり改善しておりまして」


「拝見します」


 アルベールは書類挟みを開いた。


「報告書は読みました。薬品、在庫、勤務、依頼。四つとも改善されているとありましたので、順に確認させてください」


「もちろん、もちろん」


 受付の奥で、フィナが帳面を握りしめていた。隣の職員も落ち着かない様子で、時々こちらを見ている。


 タダシは、いつものように空箱を運んでいた。


 最初は薬品棚だった。


 アルベールは小部屋の戸を開けて、しばらく黙って棚を見ていた。それから、一段ずつ順に目を動かした。


「用途で分けてありますね」


「はい」


「同じ薬の中は……古いものが手前。使用頻度の高いものが中段。残数の札。なるほど」


 彼は書類挟みに何か書き込んだ。


「この配置に変えたのは、誰です?」


「私の指導のもとで、職員に」


 支部長が前に出た。


「ずっと問題だと思っておりましてね。倉庫の整理というのは、どこの支部も後回しにしがちですが、うちは早くから」


「では、どういう基準で分けていますか」


「……基準、といいますと」


「たとえば、なぜ回復薬と解毒薬を中段に置いたのですか。上段でも下段でもなく」


 支部長の口が半分開いたまま止まった。


「それは、その、取りやすいということで」


「誰にとって、どの状況で取りやすいのですか」


 答えがなかった。


 アルベールは支部長を三秒ほど見てから、視線を受付のほうへ移した。


「どなたか、説明できる方は」


 しばらく誰も動かなかった。


 それから、フィナが一歩前に出た。


「……タダシさんです」


「タダシさん」


「浅野タダシさんです。うちの、雑務の」


 アルベールが振り返った。小部屋の入口で、空箱を抱えた男が立っていた。


「あなたですか」


「はい」


「なぜ中段に」


「急ぐやつなんで」


 タダシは箱を下ろした。


「毒で駆け込んでくる人って、だいたい走ってくるじゃないですか。しゃがんだり背伸びしたりしてると、それだけ遅くなるので。手を伸ばした位置にあったほうが早いかなと」


「古いものを手前にしたのは」


「古いのから使わないと、奥で期限が切れて捨てることになるので」


「今月の廃棄は」


 タダシは少し考えた。


「ゼロですね」


 アルベールの手が、書類挟みの上で止まった。


 それから、また書いた。


 次は在庫だった。


「追加発注の基準は」


「回復薬でしたら、七本になったら頼んでます」


「なぜ七本」


「一日一本弱くらい使うので、七本だと七日ですよね。商会から届くのが早ければ三日、遅いと十日なので、それくらいで頼んでおくと、なくなる前に間に合うかなと」


 アルベールは帳面を見た。指で何かを数えている。


「先月、南の丘の件で払い出しが急増していますね。この日、在庫は」


「二本まで減りました」


「切れていない」


「三日前に追加分が届いてたので」


「その発注は、いつ出したものです」


「その、六日前です」


 アルベールが顔を上げた。


「急増を予測していたのですか」


「いえ、全然」


 タダシは即答した。


「あの日は驚きました。あんなに来るとは思ってませんでしたよ」


「では、なぜ間に合ったのです」


「なくなる前に頼んでたからです」


 アルベールはしばらくタダシを見ていた。


 それから、支部長を見た。


「この発注基準を決めたのは」


「支部の方針として、私が――」


「回復薬は何本で発注ですか」


「……それは、担当に任せておりまして」


「先ほど、指導のもとでと仰いましたが」


「細かい数字までは、いちいち」


 アルベールは何も言わずに、書き込んだ。


 勤務表の前では、彼は長く立っていた。


「この形式は本部でも見たことがありません。時間帯ごとに人数を変えていますね」


「朝と夕方が混むので」


「休日が明記されている」


「休みですからね」


 アルベールは、名簿の欄を指でなぞった。


「欠勤が減っていますね。先月と比べて半分以下だ。それと……受付での記入誤りの記録が、ここで途切れている」


「疲れてるとミスしますから」


「休みを増やしたのに、処理量が落ちていない」


「むしろ上がってると思いますよ。詰まらなくなったので」


 アルベールは帳面を閉じた。


「これを組み直したのは」


「タダシさんです」


 答えたのはフィナだった。今度は一歩前に出る必要がなかった。


「私、ここに来て初めて、丸一日休みました」


「初めて」


「はい。二年です」


 部屋が少し静かになった。


 アルベールは、その静けさの中で書き込みを続けた。


 依頼の箱の前では、四つの札を順に読んだ。


 未受注。対応中。報告待ち。完了。


「これは」


「タダシさんです」


 包帯の職員が答えた。声が少し大きかった。


「これもタダシさんです。全部、タダシさんです」


「ヨル村の角猪の件も、ここから」


「未受注の箱から出てきました。期限が翌日でした」


「翌日」


「十一日、山の中に埋まってました」


 アルベールは礼状を手に取った。村の男が置いていった紙だ。字が大きく、行が傾いている。


 彼はそれを読み終えると、書類挟みを閉じて、支部長のほうを向いた。


「報告書には、支部長主導の業務改善とありますが」


「……もちろん、最終的な責任者は私ですから」


「では説明してください」


 アルベールの声は、大きくならなかった。


「薬品配置の基準。発注の本数と納期の考え方。勤務表の時間帯別配置。依頼の四分類。この四つを、なぜその形にしたのか。あなたの言葉で」


 支部長は口を開いた。


 それから閉じた。また開いて、「支部の全体方針として」と言いかけて、止まった。


 誰も助け舟を出さなかった。


 受付の職員も、掃除をしていた者も、酒場の卓にいた冒険者たちも、その沈黙を聞いていた。


 アルベールは待った。十数える間くらいは待った。


 それから、書類挟みを開き直した。


 最後に、彼はタダシに向き直った。


「浅野さん。以前も、こういう仕事を?」


「似たようなことはやってましたねえ」


「どういった職場で」


「会社です。事務方で、総務というところにいました」


「規模は」


「三百人くらいでしたかね」


 アルベールの手が止まった。


「三百人」


「はい」


「その職場の、薬品や備品や勤務の管理を、何人で」


「総務は、だいたい私が……」


 タダシは指を折った。


「あとは、部長の予定と、健康診断の手配と、保険の書類と、車の管理と、あと、誰の担当とも決まってない仕事を、まあ、はい」


「一人で」


「一人ですね」


「三百人分を」


「そうなりますかね」


 アルベールは、書類挟みを持ったまま動かなかった。


「……三百人分を、一人で?」


「そうですねえ」


 タダシは頷いた。それから、少し首を傾げた。


「あ、でも、忙しい時期だけ派遣の方に来てもらってましたよ」


「そういう話ではありません」


 フィナが、口を押さえた。


「タダシさん。それ、普通じゃありません」


「そうですか?」


 タダシは本当に分かっていない顔をした。


「誰でもできる仕事だって言われてましたけど」


 アルベールが、初めて表情を動かした。


 目を細めて、それから、ゆっくりと息を吐いた。


「どなたが仰ったのですか、それは」


「前の職場の、上の人です」


「そうですか」


 彼はそれ以上聞かなかった。代わりに、書類挟みに長く書き込んだ。


「所見を申し上げます」


 アルベールは、その場にいる全員に聞こえる声で言った。


「四つの改善は、いずれも偶然の産物ではありません。明確な業務改善です」


 支部長が何か言おうとして、やめた。


「薬品、在庫、勤務、依頼。すべて同じ人物が、同じ考え方で改善しています。配置の理由、発注の根拠、人員の割り振り、状態の分類。全部が一つの筋で通っている。これは偶然にはなりません」


 彼は書類挟みを軽く持ち上げた。


「それと、報告書の書き方について一つ訂正しておきます。この支部が、偶然改善したのではありません」


 一拍あった。


「浅野さんが、問題を問題として見える形にして、一つずつ改善した。その結果です」


 誰も何も言わなかった。


 フィナが、鼻をすすった。慌てて顔を背けた。


「そんな大げさなものですかねえ」


 タダシが言うと、アルベールは即座に答えた。


「大げさではありません」


 彼はもう一度書き込んで、それから支部長を見た。


「本報告書の功績帰属は、監査結果に基づき訂正します。加えて、管理責任と、監査時の説明内容について、本部で確認させていただきます」


「待ってください、私は――」


「本日付で職務を停止します」


 アルベールは書類挟みを閉じた。


「続きは本部で伺います」


 翌朝、フィナが受付の奥から顔を出した。


「タダシさん。支部長、いなくなったそうです」


「そうなんですか」


 タダシは箒の先を揃えていた。


「……驚かないんですか?」


「まあ、よくあることですよねえ」


 フィナは何か言おうとして、結局、笑った。


「やっと、ちゃんと見てもらえましたね」


「皆さんが答えてくれたからですよ」


 タダシは箒を壁に立てかけた。


「私が言っても、たぶん、ああはならなかったと思います」


 その日の午後、荷物の整理があった。


 支部長室の私物、古い書類、それから、街道の詰所からまとめて届いていた遺失物の箱。


 箱を運んできた職員が、途中で足を止めた。


「タダシさん。これ、タダシさんのですか」


 彼が持ち上げたのは、黒い鞄だった。持ち手が擦れて、角が少し潰れている。


「街道で拾われた物が、全部この箱に入ってまして」


 タダシは手を止めた。


「ああ」


 受け取って、持ち手の内側を見た。薄くなった文字が入っている。


「鞄もこっちに来てたんですねえ」


 留め具を開けた。


 折りたたみの傘。手帳。飲みかけの茶のボトル。歯の欠けた櫛。


 その下に、黒くて薄い板が入っていた。


 タダシはそれを取り出して、側面を押した。


 一度目は何も起こらなかった。二度目で、板の表面がぼんやり光った。表示が滲んで、端が黒くなっている。


 画面の一番上に、小さな字が出ていた。


 不在着信 43件


 タダシは、その数字をしばらく見ていた。


「……四十三?」



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

「タダシ、もっと報われろ」と思っていただけたら、ブックマークと、下の☆☆☆☆☆での評価をお願いします。

作者をお気に入り登録していただくと、新作の通知も届きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。