第17話 あなたに、組織を変える仕事をお願いします
通されたのは、本部長室の隣の小さな応接室だった。
カティ王女は、供の二人を廊下に残して入ってきた。本部長と次長が壁際に立ち、部長は扉のすぐ内側で、直立していた。
「お座りください」
王女が先に言った。
タダシが座り、フィナがその後ろに立つ。本部長たちは立ったままだった。
「あの」
タダシが口を開いた。
「殿下は、どうして私のことを」
「報告書です」
王女は、卓に一束の紙を置いた。
表紙はなかった。何枚もの写しが、日付順に重ねられている。
「地方支部で、薬品の管理を変えた。勤務表を組み直した。依頼を整理して、期限の迫った村の依頼を見つけた」
彼女は、紙を一枚ずつめくった。
「他支部へ助言に行き、討伐隊の補給が間に合った。本部へ移ってからは、二週間止まっていた遠征申請を一日で通した。調達の方式を変えて、費用を大きく下げた」
めくる手が止まった。
「その全部が、同じ人物でした」
部屋が静かだった。
「ここ一年ほど、私の机には、あちこちから改善の報告が届きます。たいていは、その場限りのものです。誰かが頑張った、それで終わる。翌年には元に戻っている」
王女は顔を上げた。
「あなたの報告だけ、戻っていませんでした」
「まあ、皆さんがやってくれたので」
後ろで、フィナが小さく息を吐いた。
王女の視線が、一瞬そちらへ動いた。
「……今の顔は」
「あ、いえ」
フィナが慌てた。
「その、タダシさんはいつもそう言うので」
「そうですか」
王女は、また前を向いた。
「浅野さん」
「はい」
「先ほどの書式の件ですが」
彼女は、卓の上で指を組んだ。
「私が命じれば、全国支部の書式を今日から変えることもできます」
扉の内側で、部長がわずかに姿勢を崩した。
「認可は通します。反対も押さえます。三日あれば、新しい様式を全支部に送れるでしょう」
タダシは頷いた。
「そうなんですね」
「でも、それでは前例になりません」
王女は、指を解いた。
「私が命じて変わったものは、私がいなくなれば元に戻ります。今までも、そうでした。命じた人間が死ぬか、失脚するか、他へ関心を移すか。それだけで、制度は簡単に戻る」
彼女は、卓の上の報告書を軽く叩いた。
「私は、戻らないものが欲しいのです」
「なるほど」
タダシは、少し考えてから言った。
「まあ、そうですねえ」
「納得していただけますか」
「はい。命令で変えると、なんでそうなってるか誰も知らないまま残りますから。そうすると、困ったときに直せないんですよ」
王女の指先が、止まった。
「……続けてください」
「理由が分かってる決まりは、必要になったら直せます。理由が分からない決まりは、誰も触れなくなるので。前の職場でも、なんでこうなってるのか誰も知らない書類が、結構ありました」
「どうしていたのですか」
「なんとなく、みんな書いてましたね」
王女が、初めて笑った。
短い笑いだった。すぐに消えた。
「だから、あなたのやり方で通してください」
「私のやり方」
「説明して、話を聞いて、試して、結果を出して、それから正式に承認を取る。あなたが今までやってきたことです」
彼女は、供の一人を呼んだ。
男が入ってきて、書状を卓に置いた。封蝋が押されている。
「本日付の任命です」
王女が、それを開いた。
「浅野タダシを、ギルド本部総務課兼業務改革担当に任ずる」
部屋の空気が動いた。
次長が息を呑み、本部長が眉を上げた。部長は、扉の内側で固まっていた。
「殿下直々に……?」
「業務改革担当? そんな役職、うちにありましたか」
「今、作りました」
王女が事もなげに言った。
タダシは、書状を受け取って、二度読んだ。
それから、不思議そうに言った。
「でも、総務ですよ?」
「はい」
「総務のままなんですね」
「そこが大事なんです」
答えたのは、フィナだった。
言ってから、自分でも驚いた顔をした。
「あ、すみません。勝手に」
「いえ」
王女は、フィナを見た。
「その通りです」
彼女は書状を指した。
「業務改革という言葉だけを置くと、特別な仕事に見えます。誰かが特別なことをして、その人がいなくなれば終わる。そういう扱いになる」
王女は、タダシに視線を戻した。
「あなたがやっているのは、総務の仕事です。それを、そのまま制度にします」
「はい」
「権限の範囲を説明します」
王女は続けた。
「各部署、各支部への調査。業務上必要な照会。改善案の提出。試験運用。結果の取りまとめ。これらは、あなたの判断でできます」
「分かりました」
「ただし、正式な変更は、今まで通り必要な承認を通してください」
彼女は、はっきりと言った。
「好きに変えろ、とは言いません。変える根拠を作ってください」
タダシは、しばらく黙っていた。
それから、頷いた。
「普通に仕事する感じですね」
「そうです」
「分かりました」
王女は、最後に一度、部屋全体を見た。
本部長。次長。扉の内側の部長。
「反対意見は構いません」
声の調子が、そこで変わった。
「実務上の問題があるなら、むしろ出してください。現場が困る案は、通っても意味がない。指摘は改善の材料です」
彼女は、一拍置いた。
「ただし、肩書きや出身や、政治的な事情だけで潰すことは認めません」
部屋の誰も動かなかった。
「必要な権限は与えます。政治はこちらで引き受けます」
王女は立ち上がった。
「あなたは、結果を出してください」
「それは助かります」
タダシが、いつもの調子で言った。
「ああいうの、私は上手くないので」
王女は、扉の前で振り返った。
「上手くなくて結構です」
部長が、深く頭を下げていた。
「……承知しました」
王女が出ていき、廊下の足音が遠ざかった。
しばらくして、部長が顔を上げた。
「……グギギ」
「部長、声が出てます」
課長が小声で言った。
「出てない!」
部長は、書状を一瞥して、部屋を出ていった。
三階に戻ると、同僚たちが集まってきた。
「浅野さん、殿下直々って本当ですか」
「本当みたいですねえ」
「役職まで作らせたって」
「作ってません。作ってくださったんです」
「同じですよ!」
向かいの職員が、両手を広げた。
「何者なんですか、ほんとに」
フィナが、両手を後ろで組んで胸を張った。
「これが、タダシさんです」
「……またそれ言ってますね」
タダシは、机に紙を広げていた。
フィナが覗き込む。
「何を書いてるんです?」
「試験の計画です」
紙には、もう項目が並んでいた。
どの支部で試すか。何か月試すか。旧書式との併用をどうするか。問い合わせをどこで受けるか。支部から意見を返してもらう方法。
「殿下に任命された直後ですよ?」
「仕事、増えましたからねえ」
タダシは線を一本引いた。
その手が、いつもより速かった。
フィナは、しばらくその手元を見ていた。
それから、自分の椅子を引いて、隣に座った。
「どこから手伝えばいいですか」




