第15話 これ、競争になってないですよね?
フィナが、三枚の紙を覗き込んだ。
「何が変なんですか?」
「この商会、毎年取ってますよね」
タダシは、一番上の行を指でなぞった。
薬品の欄。今年も、去年も、一昨年も、同じ商会の名前が並んでいる。
「そういうものじゃないんですか? 付き合いが長いとか」
「まあ、それはそうなんですけど」
タダシは、その隣の列を指した。
「二番目の商会も、毎年ほとんど同じ金額なんですよ」
フィナが、数字を見比べた。
落札した商会と、二番目の商会の差が、三年ともほとんど変わらない。落札額よりわずかに高い位置に、毎年きれいに収まっている。
「……本当だ」
「で、こっちが保存食です」
タダシは別の紙を引き寄せた。
今年はB商会。去年はC商会。一昨年はA商会。
燃料の欄を見た。今年はC商会。去年はA商会。一昨年はB商会。
タダシは、三つの品目を順に指でたどった。
「……順番に取ってません?」
フィナが、しばらく紙を見つめていた。
それから、声を落とした。
「それって、談合とか……?」
「そこまでは分かりませんけど」
タダシは、紙を揃えて机に置いた。
「なんか、競争になってないように見えますねえ」
翌日、タダシは調達を担当している課へ話を聞きに行った。
担当の職員は、四十くらいの穏やかな男だった。嫌な顔ひとつせず、手順を説明してくれた。
「うちは、昔から付き合いのある商会に見積もりを頼むんです。大きい取引なので、確実に納めてくれるところじゃないと困りますから。四社か、五社ですね」
「その中から選ぶんですね」
「一番安いところに決めます。たまに、向こうで話し合ってから持ってくることもあるみたいですけど」
「話し合ってから」
「ええ。今年はうちが受けます、みたいな。まあ、あちらの都合もあるでしょうし」
タダシは頷いた。
「参加する商会を増やすのは、駄目なんですか」
担当は、少し考えた。
「別に、規則上は駄目とは書いてないですね」
「じゃあ、増やしてもいいんですか」
「増やしてもいいんでしょうけど……昔から、このやり方なので」
三階に戻ると、ラスが待っていた。
「どうでした?」
「増やしてもいいそうです」
「増やす?」
「声をかける商会を、ですね」
タダシは席について、紙を広げた。
「条件を先に決めて、それを満たせるところに手を挙げてもらうことにします。必要な量。品質。納める期日。それと、本当にその量を納められるかどうか」
「安いところを選ぶんじゃないんですか」
「安くても、届かなかったら困りますからねえ」
タダシは、条件の項目を書き出していった。
「値段だけで決めると、取るために無茶な額を出すところが出てきます。で、納期に間に合わないとか、半分しか来ないとか。そうなると、困るのは支部なので」
「なるほど」
「だから、量を用意できるかも確認します」
フィナが、横で書き写しながら言った。
「……ずいぶん厳密なんですね」
「まあ、これくらいは」
条件は、街の商業組合の掲示板と、周辺の街の組合にも回された。
声をかけたのは、従来の四社を含めて、十一社になった。
部長がその話を聞きつけたのは、数日後だった。
「浅野」
彼はタダシの机の横に立って、腕を組んだ。
「地方の仕入れと同じに考えるなよ。本部は量が違う」
「そうですね」
タダシは書類から顔を上げた。
「だから、納められるかどうかも見ます」
「……ふん」
部長は、それ以上は言わずに戻っていった。
ラスが、その背中を見送って小声で言った。
「浅野さん。あれ、失敗するのを待ってますよ」
「そうですか」
「そうですよ。失敗したら、責任を取らせるつもりです」
「じゃあ、失敗しないようにしましょうか」
期日の当日、会議室に十一通の封が並んだ。
調達の担当と、経理から二人、それにタダシとラスが立ち会った。一通ずつ開けて、読み上げて、記録していく。
三通目で、調達の担当が声を止めた。
「……え」
「どうしました?」
「いや、安い」
彼は数字をもう一度見た。
「今年の見積もりより、三割下です」
「納期と量は」
「両方、条件を満たしてます。……この商会、うちは使ったことがないですね」
「隣の街の組合から来たところですね」
タダシが記録を見た。
「取引の記録、ありますか」
「確認します」
結局、十一通のうち七通が条件を満たしていた。そのうち四通が、従来の価格を大きく下回っていた。
供給能力の確認に、さらに三日かかった。倉庫と輸送の実績を出してもらい、過去の取引先にも問い合わせた。一社は、量を用意できないことが分かって外れた。
最終的に残った商会は、条件を全部満たしていた。
「これなら、大丈夫そうですねえ」
タダシが言うと、フィナが数字を見ながら首をひねった。
「……かなり安くないですか?」
「競争したからじゃないですかねえ」
差額を計算したのは、経理だった。
一階の窓口の奥、帳簿の積まれた机で、中年の女性職員が算盤を弾いていた。
薬品。保存食。燃料。備品。
品目ごとに、従来の契約額と、今回の額を並べる。差を出す。合計する。
彼女の手が、途中で止まった。
もう一度、最初から弾き直した。
同じ数字が出た。
三度目を弾いた。
しばらく、黙っていた。
「…………浅野さん」
「はい?」
窓口の前に立っていたタダシが顔を上げた。
「これ」
彼女は算盤から顔を上げなかった。
「かなり浮いてますよ」
「そうですか」
「かなりです」
彼女は、ようやく顔を上げた。
「……職員全員のボーナス、三年分払えます」
経理の部屋が、静まり返った。
帳簿を抱えて通りかかった職員が、足を止めた。奥の机の職員が、椅子ごと振り返った。
「三年分!?」
「全員のですか!?」
「今、三年分って言った?」
人が集まってきた。
「え、じゃあ今年期待していいの?」
「まだ何も決まってない!」
女性職員が算盤を持ち上げて制した。
「これは浮いた分の話であって、どう使うかは上が決めます!」
「でも三年分でしょ!?」
「三年分だけどね!」
「言っちゃってるじゃないですか」
タダシは、その騒ぎの端で困った顔をしていた。
「全部ボーナスになるわけじゃないと思いますけど」
「夢くらい見させてください」
フィナが真顔で言った。
「フィナさんも本部の職員なんですね」
「もう三週間いますから」
女性職員が、算盤を置いた。
それから、窓口越しにタダシを見た。
「浅野さん」
「はい」
「あなた、本部に来て何日?」
「ええと」
タダシが指を折った。
「三週間と、少しですかね」
「たった三週間……」
彼女はため息をついて、それから笑った。
「新入りさん、頑張ってねって言ったの、間違いだったわ」
「何がです」
「頑張りすぎよ」
その話が部長の耳に入ったのは、同じ日の午後だった。
経理の女性職員が、決裁書類を持って三階へ上がってきたときだった。彼女は部長の机の前で立ち止まった。
「部長。この調達の案件、浅野さんに任せたんですよね」
「……まあ」
「ボーナス三年分ですよ」
部長の手が止まった。
「……マジか」
「マジです」
彼女は書類を置いて、戻っていった。
部長は、しばらく書類を見ていた。
それから、自分の額を押さえて、深く椅子に沈み込んだ。
夕方、次長が本部長の部屋を訪ねた。
「本部長」
「何だ?」
「なんか、すごいことやったみたいですよ」
本部長が老眼鏡を上げた。
「今度は何だ」
「調達の方式を変えたそうです。声をかける商会を増やして、条件を先に出して競争させた」
「それで?」
「浮いた分が、職員全員のボーナス三年分だそうです」
本部長は、動かなかった。
しばらくして、老眼鏡を外した。
「……まさか」
一拍あった。
「また、あの男か」
従来の契約については、監査部が調べることになった。
三年分、品目ごとに落札業者が順番に入れ替わっていること、二番手の額がいつも同じ幅で並んでいること。それだけの資料が上がれば、あとは監査の仕事だった。
ひと月ほどして、関わっていた商会の何人かと、調達に長く携わっていた職員が一人、役所に呼ばれたという話が流れてきた。それ以上のことは、三階には降りてこなかった。
タダシは、その報せを聞いても特に何も言わなかった。
「そういうのは、私の仕事じゃないので」
自席で、湯を沸かしていた。
豆を挽いて、漉し器に粉を入れて、湯を少しずつ注ぐ。香りが広がって、ラスが顔を上げ、向かいの職員が手を止めた。
タダシは自分の器を持って、椅子に座った。
ずず、と啜った。
「タダシさん」
「はい」
「職員全員のボーナス、三年分ですよ?」
「そうみたいですねえ」
フィナは、自分の器を両手で包んだまま、じっとタダシを見た。
「もっと、何かないんですか」
「何かって」
「嬉しいとか、やったとか」
タダシは、器の中を覗いた。
湯気が上がっている。今日のは、少し薄かった。
「そうですねえ」
彼は、もう一口啜った。
「今日も、ちゃんと仕事しましたねえ」
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