↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
13/20

第13話 俺を飛ばしただと?




 翌朝、部長は決裁記録を確認していた。


 タダシが席に着いて、上着を脱いだところだった。


「浅野!」


 部屋の入口から声が飛んだ。三階の全員が振り返った。


「ちょっと来い!」


 タダシは上着を椅子の背に掛け直して、立ち上がった。


「はい」


 部長は書類を握っていた。昨日の決裁の写しだった。


「お前、俺を飛ばして本部長まで上げたらしいな!」


「はい」


 タダシは頷いた。


「昨日中でないと間に合わなかったので、次長に相談しました」


「相談?」


 部長の声が大きくなった。


「相談という形なら何でも上に持っていけるってことか。それを許したら、決裁経路なんてものは意味を失うんだよ。組織には順番ってものがあるんだ!」


「そうですね」


「分かってるなら、なんでやった!」


「間に合わないので」


 部長が言葉に詰まった。


 それから、写しを机に叩きつけるように置いた。


「……次長に話をつける」


 彼は踵を返して、部屋を出ていった。


 フィナが立ち上がりかけていた。顔が赤くなっている。


「フィナさん」


「だって」


「座ってていいですよ」


 タダシは、机の上の束に手を伸ばした。


 ラスが、青い顔で近づいてきた。


「浅野さん、あの、大丈夫ですか。部長、たぶん処分をって話にしますよ」


「そうですか」


「そうですかって」


「呼ばれたら行きますよ」


 呼ばれたのは、半刻後だった。


 次長の部屋には、部長が先に立っていた。机の前で、まだ何か言っている途中だった。


「——こんな勝手を許したら、組織が回らなくなります。処分すべきです」


「まず事実を確認しましょう」


 次長は、入ってきたタダシを見た。


「浅野さん。経緯を説明してください」


「はい」


 タダシは、いつもの調子で話した。


「一昨日、書類の山を分けているときに、鉄環の牙の申請が出てきました。申請から二週間経っていて、決裁の印が一つもありませんでした。遠征の出発が翌朝だったので、昨日の朝、課長さんに持っていきました」


 次長が頷いた。


「課長さんの所見をいただいて、部長さんに持っていって、印をいただきました。それから次長のところに持ってきて、不備を指摘されました」


「支部の充足状況だね」


「はい。三支部分を揃えるのに、夕方までかかりました。直したものを、もう一度課長さんに通して、部長さんに持っていきました」


 タダシは、そこで一度切った。


「別の日に持ってこいと言われました」


「俺は忙しかったんだ!」


 部長が割って入った。


「昨日は朝から立て込んでた! お前も見ただろう、机の上を!」


「はい」


 タダシは頷いた。


「なので、次長に相談しました」


 部屋が、静かになった。


 部長が口を開いた。開いたまま、何も出てこなかった。


 次長が、机の上で手を組んだ。


「部長」


「……はい」


「浅野さんは、あなたの決裁を勝手に省略したわけではありません。私に相談したんです」


 一拍あった。


「緊急案件として本部長へ上げたのは、私です」


「しかし、それでは——」


「期限があり、相談を受けた。だから私が判断しました」


 次長の声は、淡々としていた。責めてもいなかったし、庇ってもいなかった。手続き上、そうなっているというだけの言い方だった。


「経路の問題を言うなら、私のところで止まった話です。浅野さんに処分の理由はありません」


「納得できません」


 部長は引かなかった。


「では、これからも期限が近ければ、誰でも次長に相談すればいいことになります。それは経路の形骸化です」


「そうだな」


 次長は立ち上がった。


「その点は、本部長にも聞いていただこう」


 本部長の部屋は、最上階だった。


 白髪の男は、次長の説明を最後まで聞いてから、老眼鏡を上げて部長を見た。


「君の言うことは正しい」


 部長が、少し顎を引いた。


「経路は守られるべきだ。誰もが期限を理由に飛び越えるなら、決裁は意味をなさない。そこは、その通りだ」


「……はい」


「忙しかったのも、分かる」


 本部長は、書類を机に置いた。


「ただ、私が問題だと思っているのは、浅野君が君を飛ばしたことではない」


 彼は、部長を正面から見た。


「君を通していたら、期限に間に合わなかったことだ」


 部長が、口を開きかけた。


「私にも、他の業務が」


「忙しいのは分かると言った」


 本部長は遮らなかった。ただ、静かに続けた。


「だから、優先順位を判断するのが管理職だ。全部を同じ速さで処理しろとは言っていない。どれを先にやるかを決めるのが、君の仕事だ」


 部屋が、静かだった。


「決裁権は、書類を止めるためにあるんじゃない。判断するためにある」


 部長は、何も言わなかった。


 しばらくして、頭を下げた。


「……失礼しました」


 彼は部屋を出ていった。


 廊下を歩きながら、部長は決裁の写しを握り直した。紙の角が、指の形に潰れた。


「……あいつ、絶対潰す」


 すれ違った職員が、聞こえなかったふりをして通り過ぎた。


 扉が閉まってから、本部長は老眼鏡を下ろして、タダシを見た。


「ところで、浅野君」


「はい」


「君宛てに手紙が届いている」


 彼は机の引き出しから、封筒を一つ出した。封蝋はなく、宛名が太い字で殴り書きされている。


「例のパーティーのリーダーからだ。今朝、出発前に置いていったそうだ」


 タダシは受け取って、開いた。


 紙は一枚だった。字は大きく、行が傾いていた。


 ——昨日は怒鳴って悪かった。


 ——後で聞いた。あんたが止まってた申請を動かしたんだってな。二週間止めてたのはあんたじゃないと。


 ——間に合わせてくれて助かった。ありがとう。


 ——帰ったら飲みに行こう。奢る。


 タダシは、それを二度読んだ。


「……律儀な人ですねえ」


 横から覗き込んでいたフィナが、少しだけ胸を張っていた。


 部屋を出ていく二人を、次長が見送った。


 扉が閉まる。


「本部長。彼が、例の」


「ああ。そのようだね」


 本部長は椅子に背を預けた。


「早速やってくれる」


「殿下への追加報告、入れますか」


「そうしてくれ」


 彼は、机の上の決裁の写しをもう一度見た。


「しかし、本部勤務を始めて、まだ三日だろう?」


「三日です」


「三日で、二週間止まっていた案件を動かしたか」


 本部長は、しばらく黙っていた。


「浅野タダシ……すごい男だ」


「飄々として見えますが」


 次長が、書類を揃えながら言った。


「相当先まで考えているのでしょうな」


 その相当先まで考えている男は、三階の自席で湯を沸かしていた。


 鞄から挽き器を出して、豆を挽く。布を張った漉し器に粉を入れて、湯を少しずつ注ぐ。


 香りが、部屋に広がった。


 ラスが顔を上げた。向かいの職員も、手を止めた。


「タダシさん、私も貰っていいですか」


「どうぞ」


 フィナが器を受け取る。


 ラスが、自分の机から首を伸ばした。


「……俺も、貰いたいな」


「どうぞ」


「俺も」


 向かいの職員が立ち上がった。


「あ、じゃあ俺も」


「私も」


 気がつくと、五人ほどが机の周りに集まっていた。


「はいはい」


 タダシは、湯をもう一度沸かし直した。



お読みいただきありがとうございます。

続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。