第四話 二度と、戻らない
アルフレートがヴァルダの王城を訪れたのは、灰色の雲が空を覆う昼下がりだった。
謁見の間には、王リヒトが玉座に座し、その傍らにセラフィーナが立っていた。宮廷薬師の証である、深い青の外套をまとって。宰相バルト、老侍医ゴットフリート、そして居並ぶ重臣たちが、成り行きを見守っている。
アルフレートは、セラフィーナの姿を認めると、あからさまに眉をひそめた。
「……ずいぶんと出世したものだな、セラフィーナ」
彼は王に向き直り、外交的な笑みを貼りつけた。
「ヴァルダ国王陛下。単刀直入に申し上げる。そこにいる女は、我が国の元毒味役。国の事情により、返していただきたい。無論、相応の礼はいたします」
王は、静かに彼を見下ろした。
「返す? 彼女は物ではない。それに――」彼はセラフィーナを見やった。「決めるのは、私ではない。彼女自身だ」
視線が、セラフィーナに集まる。
彼女は一歩、前に出た。かつて震えた声は、もう震えていなかった。
「アルフレート殿下。ひとつ、お尋ねします」
「なんだ」
「私を追放なさったとき、こう仰いましたね。『毒に強いだけの、無教養な女』『代わりはいくらでもいる』と。――では、その『代わり』の方々は、今なぜ、貴国の毒を止められないのでしょう」
アルフレートの表情が、こわばった。
「そ、それは……」
「お答えしましょう。貴国で今、人々を苦しめているのは、盛られた毒ではありません」セラフィーナは、集めておいた報告書を掲げた。「王宮の地下、毒物と薬草を管理する貯蔵庫。そこの管理が、この十年、ずさんを極めていた。古い毒物が腐り、湿気で気化し、隣接する厨房の食材と水に、少しずつ染み出していたのです。あの宴の夜、老貴族の杯に毒が回っていたのも、その厨房で洗われた杯だったからにほかなりません」
謁見の間が、ざわめいた。
「もともと貯蔵庫の毒物は腐り始めていました。そこへ、私が去って管理の目が完全に失われた。だからこの半年で、毒は一気に噴き出したのです。――そして、その貯蔵庫の管理を『無用な役目』として縮小させたのは、殿下、あなたのご命令だったはずです。私が去る、半年前に」
アルフレートの顔が、真っ赤に染まり、次いで蒼白になった。
「で、でたらめを言うな! 貯蔵庫の管理など、私は――」
「命令書の写しが、ここに」バルトが冷ややかに、一枚の書状を示した。ヴァルダの諜報が入手した、まぎれもない証拠。「殿下のご署名でございますな」
言い逃れは、できなかった。
アルフレートの後ろで、ミレーユがじりじりと後ずさった。彼女は震える声で口走った。
「わ、私は関係ないわ! あの女を追い出すよう進言したのは事実だけど、毒のことなんて何も――」
「進言、なさったのですね」セラフィーナは静かに聞き返した。「王家の命を守っていた者を、何の落ち度もないのに、追い出すよう」
しまった、という顔で、ミレーユが口をつぐむ。だが遅かった。重臣たちの視線が、彼女に集まっていた。自ら、追放を仕組んだ側だと認めてしまったのだ。
アルフレートは最後の力を振り絞るように叫んだ。
「セラフィーナ! お前が戻って毒を鎮めれば、すべて丸く収まる! それがお前の役目だろう! 恩を――」
「恩?」
セラフィーナの声は、静かで、けれど凛と響いた。
「十年、私は貴国の命を守りました。功績を誇らず、名を求めず。その報いが、婚約破棄と追放でした。私は、貴国に何ひとつ借りはありません」
彼女はまっすぐにアルフレートを見据えた。
「貯蔵庫の毒の鎮め方は、この書状に記しておきました。腐った毒物を正しく処分し、貯蔵庫を清め、換気すれば、毒は止まります。宮廷医の方々にも、できるでしょう。――ご自分の国のことは、ご自分たちで、どうぞ」
それは、拒絶であると同時に、慈悲でもあった。彼女は、人が死ぬことを望んではいなかった。ただ、二度と、彼らのために自分を犠牲にする気はなかった。
「私は、ここで生きます」
セラフィーナは、王を振り返った。王は、その言葉を確かに受け止め、深くうなずいた。
「聞いての通りだ、殿下」王は静かに告げた。「彼女は、ヴァルダの宮廷薬師。我が国が誇る、かけがえのない人だ。――お引き取り願おう」
近衛が扉を開ける。アルフレートは、屈辱に顔を歪め、ミレーユとともに、逃げるように謁見の間を後にした。
扉が閉まると、張り詰めていた空気がほどけた。
王が、そっとセラフィーナに歩み寄る。
「よく、言い切った」
「……はい」ようやく、肩の力が抜けた。「言えました。あなたが、そばにいてくれたから」
王は何か言いかけ――しかし、そこへ再び伝令が駆け込んできた。
「陛下! 隣国より……第二王子殿下の処遇について、正式な沙汰が下される見込みとの報せが!」




