第五話 解毒の花嫁
ヴァルダ王城の大広間に、朝の光が満ちていた。
母国からの正式な通達が届いたのは、アルフレートが引き上げてから七日後のことだった。宰相バルトが、その書状を王へ差し出す。
玉座の傍らに立つセラフィーナは、封蝋の紋章を見て、静かに息を整えた。
「セラフィーナ、読むかい」王が尋ねる。
「いいえ」彼女は首を横に振った。「陛下の言葉で、聞かせてください」
もう、あの国の文字を自分の目で追う必要はない。そう思えることが、何より自分を軽くしていた。
王は書状を広げ、目を通し、口の端をわずかに上げた。
「第二王子アルフレートは、王宮の毒物管理を長年怠り、多数の中毒事件を招いた責を問われた。……王位継承権を剥奪。地方の離宮にて、蟄居となった」
広間に、静かなどよめきが走る。
「そして」王は続けた。「彼を唆し、無実の薬師を追放へ導いた侯爵令嬢ミレーユは、その罪を問われ、侯爵家より勘当。社交界からも追放された」
華やかな地位を求め、他人の功績を欲した女は、そのすべてを失った。剣も血も流れぬまま、二人はただ、自らの選択の報いを受けたのだ。かつて「代わりはいくらでもいる」と嘲った者たちが、代わりのきかない一人を失って、崩れていった。
セラフィーナは、その報せを、不思議なほど穏やかな気持ちで聞いていた。ざまぁ、と胸のすく思いはある。けれど憎しみはもう、どこにもなかった。
「陛下」ゴットフリートが進み出た。「隣国からは、追ってこのような書状も。……セラフィーナ様の名誉回復と、王家を三度救った功績を、正式に認める、と」
十年、誰にも知られなかった功績。それが今、追放した国の手によって、公に記された。
「……よかった」セラフィーナは、そっと呟いた。「私は、無能では、なかった」
その言葉に、王が眉をひそめた。
「無能だなんて、誰が決めた。君は、私が出会った中で、最も優れた薬師だ。それを証明する記録なんて、本当は要らない」彼は真剣に言った。「だが、君自身がそう思えるなら、この報せにも意味がある」
数日後。二国の間で長く懸案だった、国境地帯の水源の毒害――かつてセラフィーナが村で見抜いたのと同じ、有毒植物による汚染――の解決策を、彼女がまとめ上げた。両国の民を救うその功績に、ヴァルダの民は彼女を「解毒の薬師」と讃え、宮廷は「国宝級」と称した。
その夜、月光の差し込む城の庭園で、王はセラフィーナと並んで歩いていた。
「セラフィーナ」彼は足を止めた。「君がこの国に来て、半年が経った。……私は、もう病んではいない。君のおかげだ」
「陛下のご快復が、何よりです」
「王として、感謝している。……だが今夜は、王としてではなく、一人の男として、言いたいことがある」
彼は、まっすぐに彼女を見つめた。その瞳に、月が映っていた。
「私は、君に救われた。命だけじゃない。君の、腐らず、まっすぐで、誰かのために手を尽くすその姿に――心を救われた。君と共に、これから先の人生を歩みたい。……私の、妃になってくれないか」
セラフィーナは、息を呑んだ。
かつて、婚約を「破棄」された。無教養だと、代わりはいくらでもいると。あのとき失ったものが、今、まったく違う形で、目の前に差し出されていた。尊重と、信頼と、対等な想いとともに。
彼女は、ゆっくりと微笑んだ。この半年で、少しずつ取り戻してきた笑顔で。
「陛下。……いいえ、リヒト様」初めて、その名を呼んだ。「ひとつだけ、条件があります」
「なんだ。なんでも聞こう」
「妃になっても、薬師の仕事は、続けさせてください。私は、毒を読み、人を救うことが、好きなのです。それが、私だから」
リヒトは、声を上げて笑った。心から嬉しそうに。
「それでこそ、君だ。もちろんだ。――ヴァルダに、これほど頼もしい妃はいない」
彼はセラフィーナの手を取り、その指に、そっと口づけた。
「二度と、返さないと言ったろう。……これからは、隣で。ずっと」
セラフィーナは、繋がれた手を、しっかりと握り返した。
捨てられた場所の門を出た、あの夜。行くあてもなく、それでも息ができると思った、あの一歩の先に。
名誉があった。居場所があった。信じ合える相手が、いた。そして――自分で選んだ、明るい未来が、待っていた。
月光の庭で、解毒の花嫁は、静かに、けれど確かに、幸せに笑った。
もう二度と、うつむくことはない。
(了)




