第二話 隣国の、蝕まれた王
ヴァルダの王城は、母国のそれよりも簡素で、しかし気品があった。
馬車に揺られること三日。セラフィーナが通されたのは、豪奢な客間ではなく――王の寝室だった。
寝台に横たわっていたのは、若い男だった。歳の頃は二十七、八か。整った顔立ちだが、肌は蒼白く、目の下には濃い隈が刻まれている。長く病に蝕まれた者の顔だ。
「陛下」ゴットフリートが声をかける。「お連れいたしました。かの薬師にございます」
男――ヴァルダ国王リヒト・ヴァルダは、ゆっくりと目を開けた。その瞳は、病んだ体に反して、驚くほど澄んでいた。
「よく来てくれた」彼はかすれた声で言い、わずかに笑った。「すまないね。こんな姿で迎えることになって」
セラフィーナは寝台の脇に膝をつき、静かに口を開いた。
「ご無礼をお許しください。お手を、拝見しても?」
男が手を差し出す。セラフィーナはその手を取り、爪の色を確かめ、脈を測り、目の縁を見た。それから、枕元の水差しと、薬瓶の並ぶ棚に目を移す。
「陛下。この不調は、いつ頃から」
「三年ほど前からだ。徐々に体が重くなり、食が細り……宮廷医は皆、原因が分からぬと」
セラフィーナは棚の薬瓶をひとつずつ手に取り、栓を開け、匂いを嗅いだ。あるものは舌の先でわずかに確かめる。ゴットフリートが息を呑んだ。
「セラフィーナ様、それは陛下の常用薬……危険です」
「ええ。だからこそ、です」
彼女の手が、ひとつの瓶で止まった。薄青い液体。強壮のための薬だという。
「……これです」
「なに?」
「この薬、単体では確かに無害です。ですが――陛下、あなたが毎朝召し上がるという、この鎮静の薬」彼女は別の瓶を掲げた。「このふたつを一緒に体に入れ続けると、少しずつ、しかし確実に、肝の臓に毒が溜まっていきます」
部屋の空気が、凍りついた。
「毒を盛られていたのではありません。……良かれと処方された二つの薬が、体の中で毒に変わっていた。医術ではよくあることです。ただ、それを見抜く目が、この城にはなかった」
王が、ゆっくりと身を起こした。
「では……治せるのか」
「はい」セラフィーナは迷いなく答えた。「今宵からこの二つを断ち、代わりに肝の臓を助ける薬をお出しします。一晩で楽になり、ひと月で見違えるはずです。――どうか、私を信じてください」
その夜、セラフィーナは薬を調合し、王に与えた。翌朝。
寝室に入ったゴットフリートは、言葉を失った。王が自らの足で立ち、窓辺で朝日を浴びていたのだ。三年ぶりに、頬に血の色が差していた。
「……信じられん」老侍医は震える声で呟き、そして、セラフィーナに深く頭を下げた。「わたくしの見立ての及ばぬところを。……お見それ、いたしました」
頑固な老医が折れた瞬間だった。
「セラフィーナ」王が振り返った。その顔には、もう病の影はなかった。「君は、私の命を救った。……あの国は、君のような薬師を、どうして手放したんだ?」
セラフィーナは、静かに目を伏せた。
「私は、毒味役でしたから。無教養な女だと」
「無教養?」王は眉をひそめ、それから、ふっと笑った。「君ほど深く物を知る者を、私は見たことがない。――君を手放した国は、愚かだ」
彼はまっすぐにセラフィーナを見た。
「だが、そのおかげで君は私のもとに来た。だから言わせてくれ。君を、二度と返さない。ここに、君の居場所を作る」
胸の奥が、じんと熱くなった。十年間、誰にも言われなかった言葉。「必要だ」と、「返さない」と。
そのとき、廊下を駆けてくる足音がした。伝令が息を切らして飛び込んでくる。
「陛下! 隣国より急報! ――かの国で、あの宴以来、原因不明の毒に倒れる者が相次いでいると!」
セラフィーナの動きが、止まった。
あの国で。彼女が、いなくなった、あの国で。




