08_学園入学に備え
メルシエ聖公爵邸での顔合わせのあと、ロインズは頻繁にウェザーズ公爵家のメイジーに会いに来るようになった。
「今日は花束を持ってきたよ。花屋でこの花を見たとき、君を思い浮かべたんだ」
「……ありがとうございます」
「この花より、君の方がずっと綺麗だけど」
「……」
爽やかな笑顔で、さらりと褒め言葉を口にする彼。
(これは演技なんだから。真に受けちゃダメ)
一度目の人生のメイジーなら、うっとりとした表情を浮かべて喜んでいただろう。
最初の出会いでもらったバラはその場で捨てたが、今度はどうしようか。
そんなことを考えつつ花束を受け取ると、ロインズは背を丸めて、こちらの顔を覗き込んで言った。
「どう? 少しは僕と結婚したくなった?」
「ごめんなさいいいえ」
きっぱりと答えたメイジーは、彼の体を押し離してにっこりと微笑む。
「言いましたよね。私があなたを愛するつもりはない、と」
「はは、やっぱりガードが固いなー。もう三年も口説き続けてるって言うのに」
ロインズからの熱烈のアプローチは三年続いている。
どうせ、メイジーがロインズを好きになるならなかったところで、家同士の利害関係の一致により、婚姻は進められるのだが、彼は体裁を整えるために余念がない。
もっとも、メルシエ聖公爵家の家業が成功して、ウェザーズ家からの経済援助が必要なくなると、彼はあっさり初恋の幼馴染に乗り換えるのだけれど。
「今日はもうお帰りください」
「まだ来たばかりなのに?」
「お花、部屋に飾らせていただきますね」
どうせ捨てても新しいものを持ってきそうだから、という言葉は喉元で留めておく。
メイジーは花束を手に、余裕のある笑顔を返した。
(もう私は、騙されないわ)
「それでは、お帰りを」
「はは、分かったよ。また来るね」
その日の夕食で、メイジーは両親から苦言を呈された。
父が、ステーキを食べながら言う。
「今日もロインズ君を来て早々返したそうだな」
「はい。それが何か」
「せっかくお前のためにわざわざ足を運んでくださっているのに失礼だろう。たまには一緒に茶でも飲んだらどうだ?」
主人の席に一番近い椅子に座る母が、うんうんとうなずく。
「そうよ。これからふたりは夫婦になるんだから、仲良くしてちょうだい。来年学園に入学したら、ロインズ様は他の方に心変わりしてしまうかもしれないわよ? お心を繋ぎ止めてておけるよう、努力するのが淑女の義務だわ」
「…………」
どうして、ロインズの顔色を窺って努力しなくてはならないのだろうか。
まるで、男性側の心変わりの原因は、女性にあるとでもいうような言い方に違和感を抱く。
(前世では散々、相手の機嫌をとって、心を繋ぎ止めようと必死に尽くしてきた。でも、だめな男は結局、こっちの誠意をいとも簡単に踏みにじって裏切るのよ)
母の言葉に答えず、黙って食事を続けていると、父が言った。
「こんなによくしてもらって、お前は一体、ロインズ様のどこが不安なんだ?」
「全部です!」
ガタンと、椅子から立ち上がると、その拍子にフォークが落ちた。
使用人がさっと拾い上げて手早く新しいものと交換する。
(表面的な優しさなんていらない。私が欲しかったのは、ロインズ様の愛情だけだった)
けれど、尽くして、尽くして、尽くした結果――浮気されて捨てられた。
物語の悪役令嬢の結末は決まっている。
「メルシエ聖公爵家の借金返済がかかっているんですから、正式に結婚するまで、こちらにいい顔をするのは当然のこと。ふたりが見ている今の献身的なロインズ様は、本来の姿じゃありません」
握り締めた拳が小刻みに震えているのを見て、父は眉尻を下げる。「ごちそうさまでした」と挨拶をして、食堂を出て行こうとすると、母がメイジーを呼び止める。
「それ、忘れてるわよ」
母は指差したのは、椅子に転がった妖精のぬいぐるみ――セランだった。
メイジーが大切そうにぬいぐるみを抱き抱えると、母は言う。
「結婚はあなただけじゃなく、家の問題でもあるのよ。わがままを言って私たちを困らせるのはやめてちょうだい。もう来年は学園に入学するんだし、ぬいぐるみも卒業したらどうなの?」
「…………」
確かに、来年十六歳になるのに、いつまでもぬいぐるみを肌身離さず持っていたら、変な目で見られてしまうかもしれない。けれど……
「このぬいぐるみは、とても大切なものなんです」
ぬいぐるみ姿のセランを見下ろして、どうしたものかと考えつつ、両親に「失礼します」と挨拶をして食堂を出るのだった。
廊下に出ると、扉の奥から両親の悩ましげな会話が聞こえてきた。
「本当にどうしたものかしらね」
「反抗期かもしれないな。卒業後の結婚に備えて、学園に入るころには、態度を改めてくれるといいんだがな」
「ええ。聖公爵家と繋がりを持てる機会なんて、滅多に訪れないもの。メイジーには家のために頑張ってもらわなくちゃ」
両親は娘を政略の道具にすることを、当たり前だと思っており、メイジーの気持ちを尊重する気はなかった。
結局我が家は、ロインズに良いように使われて、踏み台として捨てられてしまうことになるのに。
「こんなに嫌がってるのに、薄情な両親だな」
「し。廊下ではしゃべらないで」
こちらを見上げて声をかけてきたセランに、口の前に人差し指を立てて、『静かに』のジェスチャーを取る。
廊下には複数の使用人が往来しており、誰が聞いているか分からない。
変わらず、このぬいぐるみが大妖精であることは、騒ぎにならないよう秘密にしている。
――パタン。
自室に戻ったあと、扉を閉めたメイジーは、セランを寝台にそっと置く。
「全く、この姿も不便だな」
「それはこっちのセリフよ。私も成長してるから、セランを連れて出かける度に、変な目で見られるようになってきたわ。これからは家で留守番してくれる?」
「連れて行け。この部屋にいても退屈なだけだからな」
「じゃあ、どうにか別の姿になれない?」
「仕方ない」
セランは腕を組んで小さくため息を吐いた。
するとぼんっと音がして辺りに煙が広がり、今のメイジーと同じ、十五歳くらいの子どもの姿になる。セランは手をかざして自分の姿を確かめながら言った。
「今の魔力だと、これが限界だな」
「新しい使用人としてそばに置く分には十分よ」
メイジーは人間姿のセランをじっと観察する。すると、顔を引きつらせて警戒心むき出しの彼は「なんだよ」と言って一歩後に下がる。
「あなた、かわいい顔してるのね。クッキーあるけど、食べる?」
「子ども扱いするな」
にこにことクッキーが載ったお皿を差し出すと、セランは文句を言いつつ、クッキーをポイッと口に投げ入れた。
それからメイジーは、机に座って勉強を始めた。机に広げられた本を見下ろしながら、セランが言う。
「逆行してきてからお前、熱心に勉強してるな。魔法の訓練も」
「ええ。だってこれから……」
この国を救う聖女になるのだから、という言葉が舌先まで出かかるが呑み込む。
メイジーは手に持っていたペンをことん、と机に置いて顔を上げた。
「王立学園に首席入学しようと思って」
一度目の人生で、筆記と実技試験の総合主席はロインズだった。
けれど今回は、男に頼らず自立した女性として生きていく第一歩として、実力を示すつもりだ。
(家格と才能だけの女なんて、もう誰にも言われたくない)
「実技はともかく、勉強はロインズ様の方ができるのよね」
「なら俺が教えてやるよ」
「本当!?」
「クッキーの礼」
そう言ってセランは隣に腰を下ろし、メイジーのノートを指差して言う。
「ここ間違ってる。公式はこっちを使って――」
「できた!」
セランは思った以上に教えるのが上手で、分からないところも理解できた。
数学の難問が解けてぱっと表情を明るくさせると、彼はメイジーの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「よくできました」
「ちょっ、子ども扱いしないで」
「ふ。俺よりずっとガキだろ」
セランは頬杖をつき、大人びた微笑みを浮かべている。
それは確かにそうなのだが、メイジーはうっかり照れてしまい、ほんのり赤くなった頬を隠すように教科書に視線を落とすのだった。




