03_灰になった世界樹と死刑宣告
レディシカ・アシュリーは、恋愛小説『世界樹の守護者』の主人公だ。
生まれてまもなく、家族との馬車での移動中に事故に巻き込まれ、親と離れ離れになり、孤児院に預けられる。
それから、親切な夫婦に引き取られて大切に育てられるが、アシュリー伯爵家の娘であることが発覚するのだ。
アシュリー伯爵家の妹や使用人に虐げられるなどよくあるお馴染みの展開があったあと、レディシカはロインズと恋に落ちて結ばれる。
それは、最初から決められた結末だった。
「どうしてそんな優等生のフリをしてるの?」
「本当の僕を見せて、失望させるわけにはいかないから。僕には聖公爵家の名誉を守る責任がある」
「そうやってずっと……窮屈な思いをしてきたのね。私は全部、分かってるから。私の前では自分を偽らないで」
ロインズはずっと、上位貴族としての仮面を被り続けてきた。
幼いころから両親に厳しく育てられ、周囲から期待され、プレッシャーに押し潰されそうになりながら、理想のロインズ・メルシエを演じできたのだ。
メイジーが初めて出会ったロインズも、彼の仮初の姿に過ぎなかった。
散財家の両親が作った莫大な借金返済や世界樹の管理のために、何としてでもメイジーとの婚姻を成立させるように両親に言われていたのだ。
『いいか、ロインズ。我が家のために必ずあの娘の心を繋ぎ止めるんだ』
『あなたは聖公爵家の次期当主になるのだから。その美貌も能力も、使える手札は全て使って家のために尽くしなさい』
『分かりました。……父上、母上』
そして唯一、ロインズの心の闇に寄り添い、彼が姿を素顔を見せられたのが、平民育ちで明るく自由奔放な、レディシカだった。
だからロインズは、レディシカの前では少し砕けた喋り方をするし、無理に取り繕って笑わない。
ここが小説の世界だと知らなかったメイジーは、自分に見せてくれる姿がロインズの全てだと思い込んでいたし、自分の知らないところで、ロインズとレディシカが絆を深めているとは夢にも思わなかった。
レディシカが編入してきてから、ロインズは変わっていった。
毎日放課後には欠かさず教室に迎えに来てくれていたのに、度々レディシカを理由に一緒に下校するのを断ってくるようになった。
「すまない、メイジー。レディシカが学園に来たばかりで慣れないから今日も傍に付いてやっていいか?」
そして、レディシカは言う。
「ロインズ様のおかげで慣れない学園生活の不安も和らぎました。いつも親切にしてくださって彼には本当に感謝しています」
彼がいつものように教室に来ないので、メイジーの方から教室に行くと、誰もいない教室でふたりは同じ机を挟み、楽しそうに笑っていた。
「なんでここの問いがBになるんだ?」
「だってほら、ここに三を代入して、二をかけたら……」
「だから、三に二をかけて十になるわけないでしょ」
「あ、ほんとだ」
数学の教科書に、メイジーが何かを書き込んでいる。すると、ロインズは頬杖をつきながら、くっと喉の奥を震わせて笑った。
「お前、ほんと馬鹿だね」
「な……馬鹿じゃないわ。馬鹿って言う方が馬鹿なんだから」
「はは、すぐムキになるなって」
教室の窓から、楽しそうなふたりのやり取りが聞こえてきて、ずきっと胸が痛む。
ロインズはメイジーに見せたことのない表情で話していた。
(ロインズ様のあんな顔、初めて見た)
みんなの理想の公爵令息とは違う、年相応の姿に驚きつつ、自分の前では出さなかった子を、レディシカに見せていることに心がざらついた。
メイジーは妬ましさや苛立ちを抑え、扉から教室に入る。
「どうしてまたレディシカさんと一緒にいらっしゃるの?」
「メイジー……これは、その……レディシカが分からない問題があるって聞いてきて」
「今日は私と一緒に帰ってくれるっておっしゃってたではありませんか」
ロインズはどこか迷惑そうに、レディシカと顔を見合わせる。それから、優しい口調で言った。
「私のことは気にしないで。メイジー様と帰ってあげて?」
「すまない。勉強はまた今度教える」
「気を遣わなくていいのに」
「次赤点とったら留年になるかもしれないんだろう。君のご両親にもアカデミーで面倒を見るように頼まれてしまったからね」
ロインズはアシュリー伯爵夫妻とも、いつの間にか挨拶しているようだった。メイジーは婚約者を取られてしまうのではないかとますます不安になり、つい嫌味を零してしまう。
「とっても仲がよろしいようですね。私ではなく、レディシカ様と婚約されては?」
「「……………」」
戸惑うふたりの顔を見てはっと我に返り、逃げるように教室を出た。
「怒っていたわね。ごめんね、私がふたりの邪魔をしてしまったせいで……」
「君が気にすることじゃないよ。とても繊細な方なんだ」
「そっか……。婚約者さん、厳しくない? ロインズ様が可哀想……。貴族令嬢と付き合うって大変なのね。こういう言い方は良くないかもしれないけど、気位が高くて」
教室を出てすぐにその悪口が聞こえてきて、思わず足を止める。
するとさらに聞こえてきた。
「ロインズの初恋が私だってことを知られたら、もっと大変なことになりそうだね」
メイジーは静かに、嫉妬で心が凍りついていくのを感じた。
◇◇◇
自分の過去と小説の展開を照らし合わせながら、暗い牢屋でメイジーはひとり、ため息をつく。
メイジーが火をつけた世界樹は、燃え尽きて灰になってしまった。
この世界にはひとつの国に一本の世界樹があり、それぞれ、豊穣や癒し、火や水、土など何らかの要素を司っている。
オスニエル王国の世界樹は氷を司っており、人々に氷に関連した力を授けている。
この国は昔から、世界樹による力で生み出された人工的な氷を販売することで、国の経済を支えてきた。
その世界樹が灰になったことで、オスニエル王国は今、大騒ぎになっている。
(ロインズ様の初恋相手がレディシカ様と知ったあのとき、潔く身を引いてたらこんなことにはならなかったのに)
放課後の教室でふたりの特別な関係を知っただけの段階では、メイジーはただの当て馬役で済んだ。
しかし、メイジーは嫉妬を拗らせ、精神不安定のメンヘラになり、大罪を犯してしまった。
『ロインズ様お願い、好きって言って……っ』
『あの女ともう話さないで。私のことだけ見ていてください!』
『今日も一緒に帰りましょう。もし断るなら、メルシエ家への経済支援を止めるようお父様に言いつけるわ』
『ロインズ様がいなくなったら私、もう生きていけないもの……っ』
メイジーは四六時中ロインズに付きまとい、束縛し、散々わがままを言って愛情を確かめ、迷惑をかけた。
執着すればするほど彼の気持ちがレディシカに傾いていくのを感じ取り、メイジーは心をすり減らしていった。
そしてとうとう、オスニエル王国にとって国家存続の要である世界樹を燃やしてしまったのだから、悪役令嬢と言って相違ないだろう。
今は国家反逆罪を問われ、王宮の牢屋に閉じ込められている。
「どうして、こんなことに……」
両手を冷たい床につき、小さく呟く。
まさか世界樹を燃やして、人生詰みが確定した直後に前世を思い出すなんて。
小説では、あの炎の中でメイジーは命を落とすはずだった。
しかし、前世の記憶が蘇ったことで、本能的に炎から逃げたし、自分に治癒魔法をかけて一命を取り留めた。
(今さら、何ができるっていうの)
前世のメイジーは、日本のどこにでもいる鈴木奈々子という名前のOLだった。
けれどとことん男運がなく、浮気、ギャンブル依存、借金、モラハラ、マルチや宗教勧誘、DVエトセトラ……。ひと通りの地雷彼氏は網羅している。
前世では、彼氏が洗面台を殴ってガラスが飛び散るのを呆然と眺めた日、家を飛び出した先で彼氏の浮気相手の女に刺されて死んだ。
今のメイジーなら、ロインズはかなりの地雷枠。これまで数々の男に裏切られ、研ぎ澄まされたクズ男センサーが反応する。
ジャンル:浮気男
地雷度:★★★★☆
スマホを肌身離さず、風呂やトイレに持っていき、飲み会や出張がやたら多いタイプ。
連絡を無視したあとの言い訳は大抵『ごめん、寝てた』だ。基本的にいつも寝ている。
『レディシカはただの妹みたいなものだよ』
ロインズはよくそう言っていたが、男性の言う『妹みたい』という言葉を信じてはならないのは、前世で実証済みだ。
「女として見てたくせに、よく言う……」
自嘲気味に呟いたとき、カツンと靴音が聞こえて、はっと顔を上げた。
「自分がどれほど重い罪を犯したか、分かっているか」
「ロインズ、様……」
「君のせいでメルシエ聖公爵家は王家から責任を問われ、毎日屋敷には人々が抗議に来ている。好きでもない君を婚約者にしたのは間違っていた」
地を這うような声を、メイジーは黙って受け止める。
「今日は君の処遇を伝えに来た」
彼は一拍置いて、冷たく告げる。
「――処刑だ」
世界樹を燃やしたのだから、当然の報いだ。しかし、その言葉がメイジーの心に、鉛のように重くのしかかる。
小説の中で、本物のメイジーは世界樹とともに命を落としている。
小説の展開とは異なり、生き延びたものの、物語の悪役に待ち受けている結末は――死だけなのだと悟った。




