29_さよならのあとで
セランが命を懸けて浄化を行った世界樹は、役目を終えたと言わんばかりに、翌日には枯れていた。
世界樹が枯れると、ひと月以内に別の場所から、新しい芽が出てくる。
また、世界樹は主を選ぶとされており、主の目の前に生えてくるとされている。
小説では、ロインズの目の前に生えてきて、彼が聖公爵となった。
(いっそ、生えてきた瞬間に燃やしてしまおうかしら)
魔法学院の廊下を歩きながら、そんなことを考えていると隣りを歩いていたグリーテが心配そうに眉をひそめた。
「メイジー大丈夫? 無理、してない?」
「平気よ」
グリーテを心配させないよう、笑顔を取り繕う。
「平気じゃないわ。辛いのは分かってるから。聖女になったって、大妖精様がいなくなったんじゃ、意味ないわよね」
あれからひと月、世界樹から国を救ったメイジーに聖女の称号が与えられ、多額の褒賞と領地が与えられた。
小説で聖女になるはずだったレディシカは、血の契約を使用したせいで、むしろ批判的に見られていた。
本来、邪霊暴走に巻き込まれて命を落とすはずだったギースとジルバートは助かり、怪我人はいたものの死亡者はひとりも出なかった。
グリーテにも大妖精のことをこれまで隠してきたが、国王から聖女として表彰されたのをきっかけに、メイジーがいつも持っていたぬいぐるみが世界樹から解放した大妖精だったと打ち明けた。
「しばらくは学園を休んでゆっくりしたら? あなたには心の整理をする時間が必要よ」
「休んだら、卒業できなくなってしまうもの。ちゃんと卒業して、ちゃんと就職して、ちゃんと……」
幸せになるの、という言葉は、喉に詰まって声にならなかった。
◇◇◇
放課後、メイジーはウェザーズ公爵家の屋敷裏にある丘に向かった。
見晴らしがよくて、街を一望できる場所に、セランの墓を建てた。骨も何も残らなかったけれど、供養はしたくて。
メイジーはセランが好きだったケーキ屋のクッキーを墓に供えて手を合わせ、目を閉じる。
祈り終えたあと、そっと微笑み、話しかける。
「メルシエ聖公爵家がね、爵位と財産を没収されて国外追放になったわ。ロインズ様は国内で数年間の謹慎処分だったんだけれど、自分から国外追放を申し出たみたい。サティーサの血も魔塔が責任を持って管理してるから」
これでスッキリしたわ、と笑って見せたが、虚しさが胸に広がった。
ロインズとレディシカとの婚約も解消されている。
「私ね、セランが邪霊の浄化のために死んじゃうこと、最初から知ってたの。セランを助けたくて頑張ってきたけど、結局私、なんにも力になれなかったわね」
もっと早く打ち明けていたら、何か変わっていただろうか。
いや、血の契約がある以上、セランに自由はなかった。彼は世界樹を守る役目から逃げられなかったから。
「ごめん……ね……。でも私、セランの分までちゃんと幸せになるから。でも叶うならもう一度、会いたい……わ」
そう呟いたとき、メイジーの涙が墓石にぽたりと落ちる。
直後、地面がぐらりと揺れ地鳴りがして尻もちをつく。そして、セランの墓の下から、芽がものすごい勢いで生え始め、急速に成長した。
「なっ……」
(これって、世界樹――!?)
世界樹は、ロインズを新たな主に選ぶはずだった。
しかし今、自分の目の前に生えてきたことに驚きを隠せない。
大木になって成長が止まったところで、幹の中に吸い込まれて視界がゆれた。
「きゃあああっ……」
◇◇◇
気づくと、奈々子が死ぬ前に最後に住んでいたアパートの部屋にいた。
ローテーブルの上に、読みかけの小説『世界樹の守護者』が置いてあって、テレビからバラエティ番組の笑い声が流れてくる。
(どうしてここに? 確かさっき、世界樹に吸い込まれて)
状況を整理していると背後から誰かに抱きつかれ、酒の匂いが鼻をかすめた。
「奈々子ぉ〜、頼むから金貸してくんね? お願い!」
手をすり合わせて懇願してきたのは、奈々子が最後に付き合っていた元カレだった。
(ここはひょっとして、私の過去の中?)
奈々子はことごとくダメ男ばかりと付き合ってはひどい目に遭ってきたが、この男もそのひとりだ。
ジャンル:ヒモ
地雷度:★★☆☆☆
夢追い人に多く、自分は働かずに女性に経済的に頼る。口ぐせは『お金貸して』。もちろん、貸した金が返ってくることはない。
奈々子はこの男の浮気相手に殺された。
頼られている間は、自分が必要とされている気がしていた。
押しに弱くて、相手の顔色ばかりうかがって、不満は全部飲み込んで。
本当はただ、愛されていたいだけだったのに。
「嫌よ。そうやって人に頼ってばかりいないで、自立したら?」
「な、奈々子ちゃん、どした? 今日機嫌悪い? あ、生理とか」
「そういうデリカシーないところも本当に嫌。大人として恥ずかしくないの?」
前世で、こんな風に思ったことをはっきり言ったことがなかったため、(言ってやったわ)とすっきりする。一方でヒモ男は、大人しく言うことを聞くばかりだった奈々子の物言いにびっくりして、固まっていた。
奈々子は小説を手にとって、しおりを挟んだページを開くと、大妖精セランとサティーサが血の契約を結ぶ場面のさし絵だった。
サティーサに「どうして人の姿になりたいか」と尋ねられたセランはこう答えていた。
――人間の女を好きになったから、と。
そのとき、紙のページが水面に水滴が落ちたように波紋を描き始め、視界が揺れる。
そのままメイジーは、本の中に吸い込まれていた。
◇◇◇
次の瞬間、メイジーは森の中にいた。見覚えのない景色に混乱していると、野犬がぬいぐるみを咥えながら歩いているのに遭遇する。
しかもよく見ると、そのぬいぐるみは――大妖精セランだった。
「セ、セラン……!? ちょっと、それを離して……っ」
近くに落ちていた木の枝を振り回すと、野犬はセランを落として去っていった。
メイジーはセランを持ち上げ、土をそっと払う。しばらくぐるぐると目を回していたセランははっと気づき、メイジーの手から離れて地面に降り立った。
「大丈夫?」
しゃがみ込んでそう尋ねると、彼は言った。
「あんたは、誰だ?」
「メイジーよ、私が、分からないの?」
「ああ、初めて見る顔だな。助けてくれたこと、礼を言う」
すると、メイジーの視界の先にかごを持った少女が通りかかった。
気になって声をかけ、名前を聞くと「シディー」と答える彼女。
それは、セランが人になりたいと願うきっかけになった好きな人間の名前だった。
「すみません。買い物に行くのでもう行きますね」
「あっ、待って――」
引き止めようとするも、シディーは行ってしまった。
そこで今自分がいるのは、数百年前――セランの過去の世界だと分かった。世界樹の精霊が、なぜメイジーをここに連れてきたのかは分からない。
「知り合いか?」
「ううん、違うの。それよりセラン……会えて嬉しい」
メイジーの知っているセランではないが、もう二度と会えないと思っていた彼に会えた嬉しさで、堪えていなければ泣いてしまいそうだった。たとえこれが、幻でもいい。
「俺に会えて嬉しい? 嘘だ。そんな人間、いるはずない」
セランは長い間、人間に利用され、搾取され続けていた。力を求められれば貸し、尽くしてきたが、セランと仲良くしようとする人はいなかった。人と違う妖精は、畏怖の対象だったから。
「そんなことないわ。セランと友達になりたい。友達にしてくれる?」
「……」
するとセランは、くりっとした大きな瞳から、ぽろぽろと涙をこぼす。
メイジーはセランの頭をぽん、ぽん、と撫でて、「泣かないで、寂しかったんだよね」と宥めた。
しかしすぐにまた、ぐらりと視界が歪み、何かに吸い込まれるあの感覚に襲われる。
(待って、まだセランと話していたいのに――)
するとセランが小さな手でメイジーの手を掴む。
「もう行かなきゃ」
「どこに」
「私は未来から来たの」
「じゃあいつか、人間の姿になってあんたに会いに行く」
それは小説の中でセランが恋に落ちた少女に言っていた言葉だった。メイジーは身体が消えていくのを感じながら、最後に「うん、待ってるわ」と微笑んだ。
「ひとつだけ約束して」
「なんだ?」
「魔女サティーサに関わってはだめ」
「……分かった」
過去が塗り変わったら、何か未来も変わるのだろうか?
◇◇◇
そして、時間が現在に戻り、メイジーは丘の上で、新しく生えた世界樹を見据えていた。
世界樹とは、この国の魔力量を調整し、天候や環境を整えるなど、超越した力を持っている存在だ。
メイジーは、世界樹に向かって話しかけた。
「私が新しい守護者ってことですよね? どうして前世や過去に連れて行ったんですか?」
セランに、待ってるなんて格好付けたセリフを言ったけれど、もう二度と会うことはできない。
その事実が、メイジーの胸を締めつける。
「会ってしまったせいで、余計に寂しくなっちゃったじゃないですか」
そんな不満と同時に、ぽたりと涙が落ちる。
そのとき、世界樹が淡く暖かい光を放ち、聞き慣れた声が降ってきた。
「なーに泣いてんだ、お嬢さん」
「! セ、セ……ラン。どうして……」
人の姿のセランは、メイジーの頭に、ぽんと手を置く。それから、こちらの顔をじっと覗き込んで、いつものように不敵に微笑んだ。
「会いに行くって約束しただろ? 一方的に人の過去を書き換えといて忘れるなんて、薄情な女だ。だが、お前のおかげで、サティーサの契約から解放された」
「どういうこと?」
「俺の頭には、お前が書き換える前と後のふたつの記憶がある。……あれから、自力で人になる方法を探したんだ。あの性悪……じゃなく、サティーサとの縁は切れてる」
つまりもう、セランは世界樹のために命を懸けなくていいということだ。
世界樹が起こしてくれた奇跡につい感情が高ぶり、メイジーはセランに思いっきり抱きついた。彼は小揺らぎもせずにそれを抱き止め、支える。
「会いたかった……」
セランはふっと小さく笑い、「俺も」と短く答えるのだった。




