28_王国の危機
オスニエル王国全土が仄暗い雲に覆われ、邪気が広がった。
あちこちで警鐘が鳴り響き、人々は建物内へと避難した。
メイジーが事前に呼びかけていた通り、学生たちが世界樹のあるメルシエ聖公爵家の屋敷周りに強力な結界を張る。
メイジーはセランやギース、ジルバートたち特殊保安部とともメルシエ聖公爵家を訪れた。
門の前でメルシエ聖公爵が言う。
「この結界はなんだ? このような勝手な真似を許した覚えはない」
「世界樹から邪気が拡散されるのを防ぐためです」
「今起きている国内の異変の原因解明のため、世界樹を調べさせてください。ご協力をお願いします」
「駄目だ。許可はしない」
屋敷に入ろうとする魔術師一行を、聖公爵は拒否する。だがギースは一歩門に近づき、「なぜです?」と食い下がった。
「世界樹の管理の全責任はメルシエ聖公爵家にある。今日の件のあと、世界樹の安全は我々の方で確認済みだ」
「安全が確認できているなら、私たちが見ても問題ないでしょう。それとも何か、後ろめたいことでもあるんじゃありませんか」
「お帰り願うと言っているのが分からないか」
そのとき、どこかで雷が落ちてぴかっと光り、雷鳴が轟いた。静かに見つめ合う二人の間にも、バチバチと火花が散り、緊張した空気が流れる。
すると、メイジーに抱かれたセランがはぁとため息をつき、メイジーの腕から離れて人の姿になった。
「埒が明かない。こうすればいいだけだろ」
そう言って片手をかざすと、突風が門を軽く吹き飛ばした。
風を受けながら、聖公爵が唖然とする。
セランは手を下げてずかずかと敷地内に足を踏み入れた。
「どうせこいつは犯罪者なんだ。遠慮はいらないだろう。なあ? 聖公爵」
「貴様は、一体……」
一行は世界樹の管理場に着き、呆然とした。辺りは禍々しい霧に包まれていた。
(これのどこが、安全は確認している、よ)
メイジーは邪気に圧倒されて息を呑みつつ、内心で思う。
メルシエ家はあらゆる貴族の中でも別格の存在である聖公爵の地位を四百年維持し、絶大な権力を誇っている。長い間政治に関与し、王家にも影響力を持っていた。
現在、魔塔の別動隊が混乱に乗じて聖公爵家の資料室に行っている。世界樹延命の証拠を押さえたら、メルシエ聖公爵家は終わりだ。
邪気が生み出した下級魔物が世界樹の周りを浮遊しており、聖公爵家の騎士たちが必死に攻戦している。
怪我人も倒れていた。ロインズも怪我をして、座り込んでいた。
そこにセランが歩いていき、また手をかざし、人差し指と親指をくっつけるしぐさをし、左から右へゆっくりスライドさせる。
するとその指の動きに合わせて次々に下級魔物が凍りついていく。
セランが拳を握ると、魔物はバリンッ……と微細な音を立てて粒になった。
「メイジー。浄化だ」
「ええ」
メイジーはこくんと頷き、前に出る。
神聖な妖精であるセランに、精霊の浄化は行えない。これは、メイジーにしかできないことだ。
契約魔術によってセランの魔力はメイジーに共有される。伝説の大妖精の魔力が身体中に巡る感覚に意識を集中させて、世界樹を見上げ、両手を組んで唱えた。
「――浄化」
その直後、メイジーの足元から眩い光の柱が空高く伸び、辺り一面に広がる。
黒い霧に包まれていた世界樹も光で覆い尽くされていき、光が収まるころには元の緑を取り戻していた。
「成功……したの?」
「……いや、してない。上を見ろ」
セランに言われて視先を上げると、相変わらず空には分厚い雲が広がっていた。
その直後、新たに生まれた鳥型の魔物がメイジー目掛けて飛んでくる。反応が遅れると、セランが前に出て、魔術で倒した。
まだ魔物が発生するということは、浄化に失敗したということだ。
身体の力が抜け、喉の奥がひゅっと鳴る。浄化を成功させるために今日まで必死に実力を付けてきたのに、上手くいかないなんて。
もう、身体にほとんど魔力は残っていない。各地から訪れた魔術師たちが浄化をしているが、どれも威力が弱く、邪霊の邪気に押し負けていた。
「どうして……」
「お前のせいじゃない。自分を責めるな」
「でも……」
セランに慰められても、心は軽くならなかった。
そして間もなく、邪霊は再び暴走を始め、聖公爵家を囲みこんでいる結界に、ヒビが入り始める。結界が破れたら邪気は国内全域に広がり、甚大な被害が出るだろう。
完全に浄化するためには、一度にもっと強力な浄化をしなければならない。けれど、国内だけではなく 、国外からも浄化魔術を使える魔術師を集めて再度浄化するまで、時間がかかりすぎる。
そのとき、芝生を踏む音と聞き馴染みのある声が辺りに響いた。
「皆様、大丈夫ですか……!?」
現れたのはレディシカで、彼女は治癒魔法を広範囲に発動させて、怪我人を癒していく。
治癒魔法は、希少な光属性の魔術師しか扱えないもので、しかもレディシカは生まれつき魔力量が多く、恵まれていた。レディシカはセランの元に歩みよって両手をかざし、負傷した彼の腕を癒した。
レディシカはメイジーの方を見て言う。
「遠くから様子を見ておりましたが、浄化……失敗してしまったようですね。このままでは、国が大変なことになるでしょう」
「……」
こんな緊迫した状況なのに、レディシカはゆるりと口角を持ち上げる。
そのとき、頭上の結界が割れて、黒い邪気が外に漏れていく。
「どうして邪霊を鎮める別の方法を知っているのに、使わないんですか?」
「……!」
小説では、セランが自分の命を削って浄化した。けれどそれを彼にさせたくない。
「大勢の人を見捨ててまで、そんなに彼を助けたいですか? でも残念。セランには役目を果たしてもらわないと。セラン様――」
レディシカはセランを見て、告げる。
「『大妖精セラン様、世界樹を守って……』」
そのとき、セランの身体が薄くなり始めていき、メイジーは目を見開く。セランは薄くなっていく自分の手のひらを見たあと、レディシカを睨みつけた。
「サティーサの血を持っているな?」
「ええ。あなたには創立記念パーティーで私の血を飲んでいただきました。ぶどうジュース、美味しかったですか」
レディシカは胸に下げたサティーサの血が入った小瓶をかざす。
魔女サティーサとセランの間で交わされた血の契約の鍵になるのは、血の交換だ。自らの血を与えることで成立する儀式をレディシカは勝手に実践したのだろう。
契約主の言葉は絶対。抗うことはできない。
「だめ、セラン……!」
メイジーはセランに駆け寄って手を伸ばす。しかし、セランの下半身から腕まで光の粒になって消えていき、掴み損ねてしまう。
まるで、自分の半身をもぎ取られていくような気分だった。
しかし、少しずつ身体が消えていくセランを前にしてもなす術がなく、目が泳ぐ。するとセランは「メイジー」と呼び、優しい表情でこちらを見つめて言った。
「次はちゃんと、幸せになれよ」
その瞬間、セランの身体は髪の先まで光の粒になって消えた。
それから間もなく、世界樹の邪霊は自然に浄化され、空も晴れていった。
周囲の人たちが安堵する中で、メイジーはその場に崩れ落ちて、芝生に手をつき、ぎゅっと握りしめる。
(セランがいなくなったら、幸せになったって意味ないじゃない)
「私を、置いていかないで……っ」
一方、契約魔術の力で無理やりセランに浄化をさせたレディシカが、浄化を成功させたと人々に囲まれ、賞賛される。
だが彼女は、両手で顔を覆ってわっと泣き出した。
「いいえ、私の力ではありません。大妖精セラン様が力を貸してくださったからできたことなんです。でもセラン様が、可哀想……」
それは、小説のレディシカの言葉と同じだった。
メイジーは立ち上がり、レディシカに掴みかかる。胸元の生地を掴んで怒鳴ろうとするが、言葉がうまく出てこない。代わりに、両目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「セランを返して……っ、返しなさいよ……!」
そのとき、自分にとってセランがどれほど大切な存在になっていたか思い知った。




