27_誤解から嫉妬
表彰式が終わった、学園の広間での夜会。この夜会は毎年創設記念式典のあとに、学生たちが社交の場での礼儀作法やマナーを学ぶ目的で行われる。
「メイジー様、本当に美しくて素敵だわ……」
「ああ、まるで絵画みたいだ」
夜会用のドレスに着替えたメイジーを、他の生徒たちが遠くから眺めて感嘆の息を漏らす。
逆行前は、ロインズへの恋慕をこじらせて精神不安定になっていたせいで、評判は最悪だった。
今では状況が変わり、ヒロインのレディシカの方が評判が悪いくらいなのだ。
今日も彼女は複数の取り巻き男子と楽しそうに話しており、周囲から懐疑的に見られている。
だが、今日メイジーは、人々の目に凛とした理想の淑女だと思われている。
(リックス様はどちらかしら)
この夜会ではまず最初に、バラ生に選ばれた男女二名が踊る慣わしだ。
バラ生のリックスを探して辺りを見渡していると、男子生徒が声を掛けてきた。
「バラ生選出、おめでとう。メイジー」
反射的に礼を言って振り向くと、ロインズが立っていてはっと息を呑む。
「ロインズ様……」
「急に話しかけてごめん」
「いえ……。私、リックス様を探さなくてはならないので、もう行きますね」
「待って」
通り過ぎようとするメイジーの腕を、ロインズが掴む。振りほどこうにも力が強くて抵抗できない。
「な……んですか」
「君に……謝りたくて。この前無理矢理、キスしたこと」
「……そのことならもう、いいです。だからこの手を離してください」
「待って。もう少しだけ、僕の話を聞いてくれないか」
「話を聞くので、手を離して」
「分かった」
怪訝そうに訴えると、彼はゆっくりと手を離す。メイジーが掴まれていた部分を反対の手で擦っていると、彼はこちらをじっと見つめて呟く。
「綺麗だ」
「えっ……」
(婚約してたときは、一度も言ってくれなかったのに……!?)
ぎょっとして思わず顔をしかめ、一歩後退する。
「お、お金なら貸しませんよ……?」
「ふっ、そんなつもりで言ったんじゃない」
口元に手を添え、柔らかく笑う彼を見て、ますますぎょっとした。
婚約者だったときは、こういう自然な笑顔を見せることもなかったから。
「式典の際のバイオリン演奏も見事だった。思わず聴き入ったよ」
「……なんのおつもりですか」
「今になって気づいたんだ。君が婚約者として完璧だったってこと。当たり前のように傍にいて、僕は十分に感謝を示せなかった」
「そんな風に謝られても、セランは渡しませんよ」
きっとロインズは、世界樹の邪霊が暴走しかかっていることに気づいているだろう。
世界樹を延命し、メルシエ聖公爵家を存続させていくために、セランの存在は欠かせない。
「違うよ。確かに大妖精は僕たちにとって重要な存在だ。でも、僕にとっては君も、大切な存在だと気づいたんだ」
「……」
「レディシカと再婚約してから正直、度々君と比べてしまう。やっぱり婚約者として僕の元に戻ってきてくれないかな? よりを戻そう」
失望と軽蔑が、胸の奥に渦巻く。
この人はきっと、女を手に入れるまでの過程がピークなのだろう。
婚約者にしてしまえば満足して、また次の刺激を求める。
要するに、安っぽい男なのだ。
呆れるあまり言葉を失っていたそのとき、目の前にレディシカが割り込んできて、手に持っていたグラスのぶどうジュースをメイジーにぶっかける。綺麗に整えた髪から、ぽたぽたと水滴が落ちる。
「きゃっ……」
「最低。別れたくせに、人の婚約者にちょっかいをかけるなんて」
「はっ……誤解です」
「誤解ですって? 今、よりを戻すとかどうとか、お話なさっていたでしよう?」
「そう言ってきたのは、ロインズ様の方です」
メイジーはハンカチを懐から取り出して、濡れた場所を拭いていく。どうして被害者のメイジーが飲み物をかけられなくてはならないのか。
(ベタベタして、気持ち悪い)
一方のレディシカは、両手で顔を押さえてわっと泣き出してしまう。
「ひどい……。私のこと、捨てるおつもりだったの?」
「ひどいのは君の方だろう」
「な……」
「パーティーのパートナーは婚約者がなるのが基本だ。だが君は、友達とやらばかりを優先していた。僕をほったらかしにしていても、僕が離れることはないと思ったか?」
だがその不満は、ロインズがレディシカを優先し、婚約者であるメイジーを蔑ろにしていた際に思っていたことだ。
少なくともロインズは、レディシカにとやかく言う資格はないし、自身のしたことが返ってきているだけだと思った。
その騒ぎを見た生徒たちが、「何、修羅場?」、「痴話喧嘩だ」とひそひそ噂しており、メイジーは自分が巻き込まれるのが不本意だった。
すると、レディシカが踵を持ち上げ、ロインズにそっと何かを耳打ちする。その直後、ロインズは強気な態度を一変させ、弱腰になった。
「すまない。僕が悪かった」
「ロインズ様の婚約者は、私だけよね?」
「ああ、もちろんだ」
慌ててレディシカをフォローするロインズを尻目にメイジーは広間を出た。
メイジーがいなくなった後、ロインズは静かに拳を握りしめる。レディシカに囁かれたのは、『私を捨てるなら、メルシエ聖公爵家の秘密をバラすわよ?』という言葉。
本来、世界樹延命については、当主だけが口伝えし、妻には共有されないのだが、レディシカは知っていて、脅しに使ってくるのだ。
(まさかレディシカがここまで計算高く、性格が悪かったとは)
「ねぇロインズ様、あなたにお願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「拒否権はないんだろう?」
彼女が何も言わずに強かに微笑んだのを、ロインズは肯定と捉える。
メイジーは婚約期間、ロインズに頼ってくることがなかったので本当に楽だった。レディシカのおねだりを最初はかわいいと思ってなんでも許していたが、彼女をつけ上がらせたのか、要求はエスカレートしていき、わがままになった。
レディシカは、扉近くで歩いているメイジーと、どこからか現れた人の姿のセランの後ろ姿を見つつ、給仕から飲み物のグラスを受け取る。
彼女は懐から小瓶を取出して、中の液体をぶどうジュースに注いだ。レディシカはグラスをロインズに差し出して微笑む。
「これをセラン様に飲ませて」
「その小瓶、いつの間に奪った?」
「ロインズ様が眠っている隙に、ちょっと借りただけよ」
その小瓶の液体はメルシエ聖公爵が代々受け継ぐ、大妖精セランとの契約の証である――魔女サティーサの血だった。
◇◇◇
広間から王宮内のサロンに移動したメイジーは、サロンに用意されていたタオルで、服にかかったぶどうジュースを拭き直したが、色が全然落ちない。
「シミになっちゃったわ……」
ソファーに座りながら、ため息をこぼす。
セランはバルコニーに出て、空を見上げて、小さく呟いた。
「嫌な気配がする」
「何か言った?」
「いーや、なんでも。にしても、災難だったな」
「そうよ。ほんと最悪」
メイジーがぶつくさ言うと、セランはくっと喉の奥を震わせて、白亜の手すりに腰かけた。爽やかな風が、セランの艷やかな銀髪を揺らす。
「原作知識を持つと、別人みたいに変わっちゃうのね。まあ私も人のこと言えないけど」
「なんか言ったか?」
「別に、なんにも」
スカートのシミを濡れタオルで熱心に擦っていると、セランが棚からもう一枚タオルを手に取ってこちらに歩いてきて、メイジーの頭に被せた。メイジーが「わっ」と声を出してびっくりしているのに構わず、彼は濡れた髪をわしゃわしゃと拭いた。
そのとき、コンコンと扉がノックされ、王宮の使用人がワゴンを押して入ってきた。
ワゴンの上には、ババロアやロールケーキ、タルトなど美味しそうなお菓子が並んでいる。
「あの、これは?」
「レディシカ様とロインズ様より、お詫びの品だそうです。どうぞお召し上がりください」
「おう、やけに気が利くな」
背後からするりと手が伸びてきて、セランはマカロンを一つつまむと早速口に入れた。
ワゴンを運んできた使用人は、お辞儀をしてサロンを出ていく。
「行儀が悪いわよ」
セランはぶどうジュースが注がれたグラスを手に取り、「お前は飲まないのか?」と聞いてくる。
「いいわ。ロインズ様たちが用意したものなんて、飲む気にならないもの。セランもやめた方がいいわ。変なものが入ってるかもしれないわよ」
と、忠告する前に彼は飲んでいた。
「なんかこれ、変な味するな」
「やっぱり何か入ってたんじゃないの!? ほら、吐き出して、早く!」
「ごほ、けほっ おい、叩くな――」
メイジーがセランの背中をバシバシと叩いていたとき、床がグラッと大きく揺れる。
その揺れはしばらく続き、シャンデリアの光が消え、棚から食器が落ちてきた。落下物で怪我をしないよう、セランがメイジーを抱きかばう。
「地震……?」
「いや、単なる地震じゃない。世界樹の邪霊が暴走したんだ」
セランがいつになく険しい声でそう呟いた瞬間、先ほどまで晴れていた空に暗雲がたちこめ、猛吹雪が吹き始めた。
二人は顔を見合わせた。




