25_奪われたドレス
恐怖で思考がままならないメイジーは、言うことを聞くことしかできない。こくこくと頷いて、セランにしがみついた。
セランが視線を下に落とすと、大きな川が流れていた。彼が手をかざして呪文を唱えれば、突風が吹いて水面が凹む。
落下速度がわずかに和らいだ直後、ふたりは入水した。
バシャンッ……。
水飛沫が辺りに飛び散り、メイジーは必死に息を止める。
(苦しい……)
水面に叩きつけられた衝撃で、全身が痛む。
だんだん酸素が足りなくなって息苦しくなっていき、げほっと肺の空気を外に吐き出してしまう。
意識がぼんやりとしていく。
その間も、セランはメイジーを離さず、水深の深いところから水面に向かって泳ぎ続けた。
セランが水面に出るころには、メイジーは気絶していた。
「おい、メイジー。しっかりしろ」
横抱きで岸に運んで寝かせたメイジーの頬を軽く叩くが、反応がない。
セランは半身を水に浸けた状態で背を丸め、メイジーのふっくらとした唇に、自身の唇を押し当てた。
◇◇◇
「……っ」
メイジーが目覚めたときには、夕方になっていた。川に落ちたときから記憶が途切れている。
ゆっくりと半身を起こすと、セランが声をかけてきた。
「やっと気づいたか、お姫様?」
「セラン……って、その格好は……」
セランは上半身裸だった。よく鍛え、筋肉がついた引き締まった体躯に、思わず両目を手で押さえる。
「なーに恥ずかしがってんだよ。前も見たことあんだろ?」
そう言って彼はこちらに歩み寄り、目を隠していると強引に引き剥がした。セランはそのままメイジーの顔を観察し、「何なら、触ってみるか?」などとからかって、メイジーの手を自身の胸にあてがう。
「なっ……からかわないで」
メイジーは慌てて手を引っこめて、睨めつける。
「ふ。顔色は良いみたいだな。痛いところは?」
「ないわ。あの高さから落ちて無傷でした……なんてことは?」
「ない。俺が治癒魔法をかけたんだよ」
セランのメイジーの額をツンと指で弾いて、地面に腰を下ろした。そして、指折り数えながら言う。
「そりゃ大変だったぜ。全身の骨折、内臓と脊髄の損傷、靭帯もやられてたな……それから――」
「も、もういいわ。説明しなくていい」
とりあえず、大怪我だったということはよく分かったので、セランの口を両手で塞いで黙らせる。
あまりにひどい怪我の具合で、聞くだけで気分が悪くなってきた。
「助けてくれてありがとう。セランがいなかったら、今ごろどうなっていたことか……」
セランの口を塞いでいた手を離したとき、手に残る唇の感触から、唇にキスされた記憶が蘇る。
「あの……セラン、ひょっとして私に人工呼吸とか……した?」
「あー、した」
彼はさらりと答えたが、顔が赤くなる。
しかし、あくまで救命行為だと、自分に言い聞かせ、「そうだったのね」と気にしていない素振りで、小声で返すのが精一杯だった。
ふたりが過ごしていたのは、洞窟だった。セランはおもむろに洞窟の外に視線をやる。
魔物討伐をしていたときは晴れていたが、今は強い雨が降っていた。セランは干していた服を手に取って乾いていることを確認し、着る。
「今夜はここで過ごすことになりそうだな」
「くしゅんっ……」
川に落ちて身体が冷えていたのに加え、外から冷たい風が吹き込んで身震いする。
身体を腕で包み込むようにして擦っていると、セランが上からバサッと上着を被せてきた。
メイジーが顔を覗かせると彼は、「風邪引くからかけとけ」と言った。ぶっきらぼうな優しさに、思わず頬が緩む。
「半分、入る?」
「俺はいい」
「セランこそ、風邪ひいたら大変だわ。ほら、遠慮しないで」
上着を持ち上げてアピールすると、「その上着は、もともと俺のだっつーの」といぶかしげに呟き、メイジーの隣に腰を下ろした。
「んじゃ、お言葉に甘えて。もう疲れた、寝る」
そう言って今度は、メイジーの肩に頭を預けて目を閉じ、すぐに寝息を立て始めた。
気を遣っているのか、無遠慮なのかよく分からない気まぐれな態度は、猫みたいだと思った。
(でも、心配してずっと傍にいてくれたのよね)
「……ありがとう」
メイジーは小さく呟き、上着がセランの肩までかかるように引っ張った。
翌朝目覚めると、雨は止んですっかり晴れていた。先に目覚めたセランが、川で捕ってきた魚を焼いている。
焼いた魚を串で刺しただけの簡単な料理を差し出され、メイジーは目を瞬かせる。
「食わないのか?」
「いえ、食べるわ。いただきます」
貴族令嬢としての生活が馴染みすぎていて、魚を丸かじりすることに少し抵抗を抱いた。
けれど、思い切ってかぶりついてみると、お腹が空いていたこともあって、本当に美味しく感じた。
朝食が済んだあと、魔術師団に無事を報告するために、まずは近くの街に出た。露店がずらりと並ぶ中で、お菓子を売っている店がふと目に止まる。
(わぁ、かわいい)
その中で惹かれたのは、七種類のクッキーが入ったクッキー缶だった。メイジーは一箱買って、セランに渡す。
「これ、あげる。昨日のお礼」
「どうも」
メイジーはセランを見上げてふわりと微笑んだ。
◇◇◇
魔物の討伐から数日後、メイジーは学園内で話題になっていた。
「聞いた? 魔物討伐でメイジー様がすごく活躍なさったそうよ」
「ええ、聞いたわ。だって今、学園内では、その話で持ちきりだもの」
魔塔研修生に選ばれるだけでも特別なことなので、メイジーが魔物討伐で貢献したことは、学園の生徒たちはもちろん、学園外の多くの人々を驚かせた。
セランと洞窟で、一夜を過ごしたあと、魔塔に行くと、ギースがとても心配していて、メイジーたちの捜索部隊が派遣されようとしていたところだった。
セランがいなかったら、危うく命はなかったかもしれないが、無事に初の魔物の討伐が終わって安心している。
(セランとの契約による力の扱いもだいぶ慣れてきた気がする)
メイジーは自分に注目が集まっているのを感じつつ、廊下を歩きながら手のひらに視線を落とした。
手首に輝く魔法石の腕輪に、セランは眠っている。
妖精である彼は、神聖な存在なので、たとえ悪霊化していたとしても精霊を浄化することはできない。穢れを受けやすいのだ。
だから、セランの力を借りて、メイジーが邪霊を浄化してみせる。
「メーイジーっ、なーに難しい顔してるの?」
「グリーテ……」
後ろからポンと肩を軽く叩かれ、メイジーはわずかに肩を跳ねさせる。
「ううん、別に」
「すっかり有名人ね。魔物討伐の件もだけど、バラ生選出おめでとう」
「ありがとう」
「あんたがどんどん遠くに行っちゃった気がして寂しいわ」
「ふふ、何言ってるのよ。私たちはずっと親友でしょ」
「メイジー!!」
グリーテは感激してうるうると目を潤ませ、「大好き」と言いながら、メイジーにぎゅっと抱きついた。大きな胸を押し当てられて、同性といえども、なんだか気まずい。
日ごろの振る舞いだけではなく、魔物討伐の成果も評価され、メイジーは無事にバラ生に選ばれた。
今日は午後から学園創設記念の式典があるのだが、バラ生のふたりが楽器演奏をする予定だ。その後、表彰式と記念パーティーが行われる。
「でもまさか、ロインズ様がバラ生に選ばれないとはね」
小説では、ロインズとレディシカがバラ生となり、創設記念式典で演奏を披露した場面が、挿絵になっていた。
レディシカはともかく、品行方正で評判の良いロインズが選ばれないのは予想外で、思わずそう言う。
「そう?意外とは思わないわ」
「どうして?」
「これまでロインズ様の評価が高かったのは、メイジーの婚約者だったっていうのも大きいでしょ。美人で理想の淑女、なんて言われる婚約者がいるステータスがなくなって、ロインズ様の本当の評価が浮き彫りになったってわけ」
そうなのだろうか、と首を捻る。
確かに、婚約者が誰かということで、周りの見る目はかなり違うような気がするが、当事者としてはよく分からなかった。
一度目の人生では家格と才能だけの女だとロインズに言われたけれど、今回は理想の淑女と言われるまでになったのは、努力のおかげだなと思う。
「私は、誰かの付属品にはなりたくないわ」
「そうよそうよ。メイジーはひとりでも煌めいてるんだから」
「はは。何よ、それ」
ふたりは軽く笑いながら、講堂を移動する。これからメイジーは、式典の演奏準備のため控え室に行かなくてはならないので、グリーテとは一度お別れだ。
「それじゃ、演奏頑張ってね」
「うん、頑張る」
手を振ってグリーテと別れ、控え室に向かって学園の敷地を歩いていると、メイジーが式典で着るはずのドレスを着た人物が視界に入り、思わず目を見開く。
「ちょっと、そこのあなた。そのドレスは私の……っ!」
そう呼びかけると、女子生徒はメイジーに背を向けて走りだした。あのドレスがないと困るため、メイジーは追いかける。
「はっ……はぁ、はっ……」
(一体どこに行くつもりなの……!?)




