23_ヒロインの不思議な体験と転機
レディシカが、自分のいる世界が小説の中だと知ったのは、十二歳のときだった。
ある日気づくと、知らない部屋の床に座っていた。
不思議な大きな板から映像と音が流れているのをぼんやりと見つめる。
「ここは、どこ……? 私は一体……」
孤児のレディシカは心優しい義両親に引き取られて、慎ましく穏やかに暮らしていた。
ついさっきまで、昼食の準備をしていたので、身体にベーコンを焼いていた匂いが残っている。
もこもこした服を着た腕を伸ばして床に置いてある手鏡を取ると、黒髪に黒い目をした知らない女性の顔が映っていた。
(誰?)
自分の身に起こっている状況が理解できずに、混乱していると、鏡に知らない文字が彫られていて。
見たことがない文字のはずなのに、なぜか読めて、そこには人の名前が書かれていた。
「鈴木奈々子……」
鏡をローテーブルに置くと、その隣の一冊の本が目に留まった。
タイトルは『世界樹の守護者』。なんとなく気になって手に取ってみる。気づくと夢中になって最後まで読んでいた。
(私が、小説の主人公――!?)
自分の未来を覗き見て、不思議な気分だった。
レディシカには平凡な運命が待っているだろうと思っていたのに、実は貴族家の娘で、国を救った聖女になるなんて。にわかには信じられない。
もう一度プロローグを読み返していると、部屋の玄関がガチャリ、と鍵が開く音がして、レディシカはびっくりして本を床に落とす。
「ただいまぁ、奈々子」
入ってきたのは、フラフラと足元のおぼつかない、騎士風の出で立ちをした青年だった。顔は赤く色づいていて、ひどく酔っているようだった。
彼はニコニコと上機嫌で、こちらに歩み寄り、抱きついてきた。
「……っ、どなた……?」
「なんで今日のライブ見に来てくれなかったんだよぉ。約束したのに」
レディシカの話は全く耳に入っていない様子。
知らない青年に擦り寄られて、戸惑ってしまう。それに彼の口から強いアルコール臭がして、思わず顔をしかめた。
青年はこちらをじっと見上げ、甘えるように言う。
「奈々子ちゃん……お金貸してくんね? もうパチンコは行かないからさぁ。前借りた二十万も、ちゃんと返すからぁ」
どうやらレディシカが入っているこの身体の主は、この呂律が回っていない男に何度もお金を貸しているようだ。
十二歳のレディシカでも、こういう人にお金を貸したら返ってこないことは想像できた。
(この奈々子って人は、ダメンズ好きなのね)
ジャンル:ダメ男好き
地雷度:★★★☆☆
好きな相手がとことんダメ男で、男運が悪い。『私が支えてあげなくちゃ』という謎の使命感を持っており、母性本能が強く他人に依存しがち。
「お金は、持ってません」
そう言いかけた瞬間、元の世界の元の時間に戻っていて、フライパンでベーコンが焼ける音が響いた。
仕事を終えた両親が、部屋に入ってくる。
「レディシカちゃん、今日もお昼作ってくれてありがとうね」
「お、ベーコンを焼いているのか。美味そうな匂いだなぁ」
しかし、レディシカは義両親に応えず、フライパンに返しを置いて、家を飛び出していた。
「おい、どこへ行くんだい?」
「夕方には帰ります!」
乗り合い馬車に乗って急いで向かったのは、メルシエ聖公爵邸だった。
まだ小説を読んだばかりだから、よく覚えている。現在、ロインズもメイジーもレディシカと同じ年齢の十二歳で、今日はふたりが出会う日だ。
メルシエ聖公爵家の敷地に着くと、門の前に荘厳な馬車が一台止まっていて。
(あの馬車の家紋は、ウェザーズ公爵家だわ)
ウェザーズ家の家紋には、カモミールの花が使われている。
そして、使用人が馬車の扉をゆっくりと開くと、小説の表紙に描かれていたメイジーが降りてきた。
敷地を囲む柵の隙間から、中の様子を覗き見ていると、メイジーが落とした帽子をロインズが拾って、ふたりが話をする。
(出会いのシチュエーションまで一緒なんて……)
衝撃を受けたレディシカは家に帰ると、覚えている限りの小説の内容を記録した。
そしてその翌年、アシュリー伯爵家の隠し子であることが発覚して、屋敷に呼び戻され、この世界が小説の世界だと確信するのだった。
◇◇◇
それからレディシカは、最適な人生を歩むために、小説の自分に沿った言動や行動を取るようにしていた。
すると、レディシカに嫌がらせをしていた使用人たちや令嬢は小説通りに制裁を受けた。周りの人から自然と好かれるようになり、十年ぶりに再会したロインズも、婚約者ではなく――レディシカを選んだ。
何もかも思い通りに進んでいたけれど、次第に退屈に感じるようになり、ロインズ以外に男友達を作ってみた。
ロインズは小説の内容と同じ、予想通りの行動しか取らないが、小説に出てこない男たちは先が読めなくて楽しかった。
しかしそれが、ロインズの父の反感を買ってしまった。
「君が複数の令息と関係を持っていると言う話を耳にした。それは誠か?」
「か、関係を持っているなんて言い方……。誤解です。私はただ、学園に慣れるために、親切にしていただいただけで」
「困ったことがあるなら、ロインズを頼ればいいはずだ。君たちは婚約しているのだから」
「…………」
「それから、これを」
メルシエ聖公爵は複数の書類を引き出しから取り出して、執務机に置いた。
「君は夜会やパーティーでも、『社交界に慣れないから』という理由で、何人もの男と親密にしているそうだな。君が原因で婚約破棄になったと、三件も苦情が届いている」
「そんな……っ私は無関係です」
「だが、書面にははっきり、君が原因だと書かれているぞ」
書簡を読むように促されて、恐る恐る手を伸ばすと、そこには、レディシカがその令息に取った思わせぶりな態度が羅列されていた。
手を繋いで抱きつくなどの、身体に触れる行為、『あなたが婚約者ならよかったのに』、『あなたに出会えて嬉しい♡』などの好意をほのめかす言動の数々……。
それらは、婚約者がいる淑女にそぐわない行動だと、メルシエ聖公爵は苦言を呈した。
この世界にいる人たちは、レディシカという主人公を引き立てている脇役のようなものだ。
主人公の自分が微笑みかけ、優しくすれば、みんなありがたがってレディシカを好きになる。
(せっかく私のための世界なのに、楽しまないともったいないじゃない。お義父様はどうして分かってくれないのよ)
レディシカに反省の色はない。
「信じてください。悪気があったわけじゃないんです。ただの友達としか思っていなかったのに、その人たちが勝手に勘違いしただけで……」
「悪気があったわけではないなら、この件をロインズに話しても問題ないな?」
「ダメ!」
咄嗟にそう返したレディシカははっと我に返り、「ダ、ダメです。言わないでください」と懇願し直す。
ロインズに知られたら、関係が悪くなってしまうかもしれない。
なぜなら、ロインズがメイジーと婚約しているときも、ボディータッチをしたり、『あなたが婚約者ならよかったのに』、『あなたに出会えて嬉しい♡』と同じセリフを言っていたから。
けれどロインズは他の男達と違って本命だ。彼に対する行動や言動に嘘はないし、レディシカのハッピーエンドにロインズは欠かせない存在だ。
すると、メルシエ聖公爵ははぁとため息を吐き、皮肉を零す。
「君の中にまだ罪悪感があったようで、安心したよ。だが私は君を、メルシエ聖公爵家の婚約者として認められない」
「……!」
そう告げられ、レディシカの心臓がどきんと跳ねる。
(こんなセリフ、小説にはなかった)
レディシカが新たなロインズの婚約者になった時点で、本来は聖公爵に歓迎されるはずだった。
しかし公爵は未だに、レディシカを品定めしているようで。
「ロインズが、君には光魔法の才があるとしきりに言ってきたから、その才能を見込んで婚約を許した。だが、学園の成績は平均以下。才能があっても活かせないのなら、意味のないことだ。君に比べてメイジー嬢は優秀だった。彼女は研修生として学園を代表して魔塔に通っているそうではないか」
そして、決まってメイジーを引き合いに出す。
この世界の人たちが小説の筋書き通りに動く中で、唯一のイレギュラーが彼女だった。
小説に登場する悪役メイジーはロインズに異常な執着心と深い愛情を抱き、精神不安定になって大勢を振り回し、挙句の果てに……世界樹を燃やした。
けれど、現実のメイジーはロインズに全く執着せず、世界樹を燃やすこともなく、それどころか理想の淑女として評判になっている。
「メイジー嬢を手放した選択を、私に後悔させないでくれるか?」
「も、もちろんです……」
「では、バラ選定で優勝しなさい。それが、君を婚約者に認めるための最低限の条件だ」
バラ選定とは、王立学園で一年に一度、最も模範的な学生を男女一名ずつ決めるというコンテストだ。
小説では世界樹を燃やして命を落としたメイジーは参加しておらず、レディシカが選ばれた。
だが今回は、バラ生最有力候補として、メイジーの名前が上がっている。しかし、怯んではいられない。なぜなら――
「分かりました」
(この物語の主役は、私なんだから……!)
メルシエ聖公爵からの呼び出しが終わって執務室を出ると、廊下の壁にロインズがもたれかかっていた。
「ロインズ様……!」
「随分長く話しているようだったね。何の話だ?」
「ええと……聖公爵家の婚約者として期待してるって。バラ選定を頑張るように言われたわ」
「そうか」
とっさに嘘をついてしまったが、バラ選定を頑張らなくてはならないのは事実だ。
ロインズの胸に擦り寄り、上目がちに見つめる。
全ての歯車が狂ってしまったのは、メイジーが大妖精に取り入ったことだ。
世界樹の邪霊を浄化して、聖公爵夫人の地位を与えられ、名誉も財産も何もかも手に入れて、幸せな結末を迎えるために、セランを取り戻さなくては。
全ては、レディシカの未来のために……。
レディシカは甘えるような声で言う。
「ロインズ様の婚約者にふさわしいのは私だと必ず証明してみせるわ。だから応援してね」
「……」
しかし、ロインズからの返事はなく、物言いたげな眼差しだけが与えられた。




