18_元婚約者と口づけひとつ
「大妖精セラン……数百年前に存在したっていう伝説の?」
「はい」
ギースの問いに、メイジーは頷く。
室内にはどこか緊張した空気が漂い、向かい合う三人の間に、ティーカップから湯気が昇る。
沈黙を破り、シルバートが言う。
「私たちをからかっているんですか? おとぎ話の存在であるセランが実在したという記録は見たことがありません」
「証拠なら、ここに」
ゆっくりと視線を鞄に落とすと、セランと目が合う。
直後、ポンッと煙が出て、ぬいぐるみは一瞬にして美しい青年の姿に変わった。彼はギースとシルバートを静かに見下ろしている。
「三百年前、忌々しい聖公爵に契約魔法で、世界樹に封じられ、精霊に魔力供給をしていたセランは――俺だ」
パチンと彼が指を鳴らすと、室内に膨大な魔力が満たされ、広大な草原の景色が映し出される。
そこには一本のまだ若い世界樹が立っていた。
幻覚魔法の一種だが、これほど高度な術は並の魔法師には扱うことができない。
もう一度指を鳴らすと、辺りの景色は元の室内に戻る。
「なんて魔力だ……」
「これで俺が妖精ってこと、少しは信じたか?」
シルバートの戸惑いと感嘆を含んだ呟きに、セランは不敵な笑みを返す。
セランは、ローテーブルの皿のクッキーをひと口口に運び入れ、ドスンとソファーに腰を下ろして足を組んだ。
それから両腕を組んで言う。
「まぁ、お前たちが納得しようとしなかろうとどっちだっていい。ただひとつ言えるのは、じきに世界樹の邪霊が暴走するってことだ」
「「…………」」
衝撃を受けて言葉を失っているふたりに反し、セランは落ち着いた様子で、メイジーの紅茶を勝手に飲み干した。
◇◇◇
邪霊暴走についてキースとシルバートに伝えたが、整理をする時間が欲しいと思い、今日はそのまま帰ることにした。
小説では、邪霊暴走は三ヶ月後だ。オスニエル王国の魔力の流れは乱れ、多くの人たちが体調不良を訴える。そして、真冬のように気温が下がり、国中に猛吹雪が吹き、大混乱が起きる。
魔塔の魔法師だけではなく、騎士たちも邪霊を抑えようと戦い、多くが命を落とした。
そして、セランも……。
(暗い気持ちになったって、未来が変わるわけじゃない。前を向かなきゃ)
不安になった自分を鼓舞して頬を叩く。
魔塔を出たあと、メイジーとセランは街の本屋に寄った。
背を伸ばして、目当ての本を取ろうとする。なかなか手が届かなくて、つま先立ちをしていると、後ろからするりと別の手が伸びてきて、代わりにセランが取ってくれた。
「ほら」
「ありがとう」
「また魔法の本か? 勉強熱心だな」
「少しでも強くなりたくて」
「どうしてお前はそこまで力を尽くそうとする? この国から逃げたっていいはずだ」
「……この国が大変なことになるのを知っているのに、逃げたら、絶対後悔するから。放っておけない。セランだって同じでしょ?」
セランも小説の中で、この国やレディシカを守るために邪霊と戦う。
それに、逆行して人生をやり直すメイジーの傍で、ずっと見守ってくれている優しい人だ。
すると、セランはわずかに顔をしかめ、拳を固く握り締めた。
「俺はお前とは違う。俺はお前みたいにいい奴じゃない」
「……」
いつも飄々としている彼の、どこか余裕のない険しい表情に、意外な一面があるのだと思った。
メイジーよりずっと長く生きているセランはきっと、大変なことをたくさん抱えているはずだ。
メイジーがそれを分かった気になるのおこがましいかもしれないが、彼が抱えている痛みを癒し、心にそっと優しく丁寧に触れてみたくなる。
「セランはいい人だよ。私は大好き」
「……っ、そういうこと、軽々しく言うな」
「だって、本当だもん」
セランがいなければ、今の自分はいないから。
メイジーがふわりと微笑みかけると、セランはわずかに目を見開いて、ふいと顔を背ける。
「俺はあっちのケーキ屋に行く」
彼はそっけなくそう言い残して、本屋を出た。
ひとり本屋に残ったメイジーは、大妖精セランに関する本を探した。
セランは力のある大妖精なのに、どうして聖公爵家の契約魔術を受け入れたのだろうか。
たまたま手に取った本を開いて、中を読むと、契約魔術のことが書かれていて、契約魔術は契約する側がされる側より強い魔力を持たなくてはかけることができないとある。もしくは、双方の合意が必要と書いてあった。
セランとメイジーも契約魔術を結んでいるが、どちらの条件も満たしている。
(聖公爵家の人間の中にセランを上回る魔法使いがいたとは思えないし、セランが自分から支配されることを望んだとも……)
契約魔術は、相手を無理矢理従わせる危険な魔術で、倫理的な理由から世界中で禁じられている。
セランは過去の話をしたがらないけれど、三百年前に一体何があったのだろうかと首を傾げる。
そのとき、後ろから聞き馴染みのある声が降ってきた。
「熱心だね」
「……!」
過去の自分が何年も焦がれたその声を、聞き間違えるはずがない。
はっと息を呑み恐る恐る振り返ると、そこにロインズが立っていた。
「どうしてここに……」
「たまたま通りかかったら、窓の外から君の姿が見えたんだ」
「そうですか。私はもう行きますね」
早くここを出よう。そう思って、本を棚に戻そうとしたとき、ロインズが本棚に両手をついて、逃げ道を奪った。
本棚とロインズに挟まれた状態になり、身動きが取れない。いわゆる壁ドンだ。
「待ってよ、メイジー」
「何のつもりですか?」
「そう警戒しないでくれ。僕はただ君と話がしたいだけだ」
「……私には話すことなんて何もありません。離れてください」
しかしロインズは微動だにせず、こちらを静かに見下ろしている。
すると彼は、メイジーの頬に片手を添えた。婚約者だったときにでさえ、こんな風に触れられたことがなく、戸惑いと嫌悪感で鳥肌が立つ。
「レディシカに聞いたよ。君は、僕のことが好きなんだってね。嫉妬のあまり――世界樹を燃やそうとしてしまうくらい」
「………!」
「知らなかったよ。君がそこまで僕を思ってくれていたなんて」
レディシカはおそらく、小説『世界樹の守護者』の悪役令嬢メイジーの話をしたのだろう。
一度目の人生のとき、メイジーはロインズが大好きだった。愛おしくて、憧れて、憧れて……。いらないと思われるのが怖くて、物分かりの良い自分を取り繕って、必死に尽くしてきたけれど、ロインズは結局メイジーを見てくれなかった。
(違う。もうあなたのことなんて愛してない)
そう言い返したいのに、喉の奥がきゅっと締まって、うまく声が出せない。傷ついた記憶が、生々しい感情と一緒にフラッシュバックする。
するとロインズはゆっくりと顔を近づけ、メイジーのふっくらとした唇に自身の唇を押し当てた。
「――!?」
一度目の人生で一度も与えられなかったそのぬくもりに衝撃を受けた。
不快感と驚きでぐちゃぐちゃになって固まっていると、ロインズはゆっくりと顔を離し、爽やかに囁く。
「お願いだ、メイジー。大妖精を僕に返して」
心が凍りつく。
彼はどれだけメイジーに屈辱を味わわせれば気が済むのだろう。
いや、こういう扱いをしてきたのは、ロインズだけではない。前世からずっとそうだった。便利な道具として雑に扱い、キスひとつで全部許すと思われて。
『奈々子、お前ってほんと都合いい女だよな。キスしたら機嫌直るだろ?』
前世で元カレにかけられた言葉を思い出す。
本当は悔しくて悲しいのに、見捨てられたくないから笑って誤魔化すことしかできなかった。
メイジーの片目から頬に、静かに雫が伝った。




