16_救急箱と胸のときめき
「いっ……」
「ごめんなさい、痛かった? 優しくやってるつもりだったけど」
「平気だ」
メイジーは消毒綿をピンセットでつまみ、セランの背中の傷を一つ一つ丁寧に手当てしていった。
ガラス片が深く刺さっている傷もあり、抜くときにセランがわずかに顔をしかめた。
セランの背中は、肩幅が広く腰が引き締まっていてメリハリがあり、服で隠れていた筋肉が盛り上がっている。思わず抱きつきたくなるような背中に、意識したくないのにどきどきしてしまう。
(これはただの治療なんだから)
すぐにときめいてしまうのは、前世からの悪い癖だと自分を諫める。
集中してどうにか手当てを終わらせて、汚れた綿とピンセットを片付ける。
「はい、終わり」
ガラスをしっかりと取り除いたあと、治癒魔法をかけ、傷ひとつなくなった。背中にそう告げ、「もう部屋に戻るね」と言いかけたとき、視界が振られて揺れ、セランに組み敷かれていた。
セランは両手をメイジーの顔の横に置き、こちらを静かに見下ろしていて。
「あ、あの……セランさん?」
「あんたさ、男の部屋にノコノコ入ってきて、無警戒すぎんだろ」
「……」
そう低く囁いたあとは、メイジーの頬に手を添えて、ふっくらとした唇を親指の腹で撫でる。彼の瞳に熱のようなものが垣間見えて、どきっと心臓が跳ねた。
すると、セランの顔がゆっくりと近づいてきて、思わずぎゅっと目を閉じる。口付けされるかと思ったが、唇に予想していたような感触はなく、目を開けるとセランが片手でメイジーの額をつんと弾く。
「あんたって、そうやってすぐ絆されんのな」
「セラン……?」
「俺が本当に変な気起こす前に自分の部屋に戻ったほうがいいかもな?」
「私のことからかってたのね!」
「あいにく、お前みたいなお子様には興味ねーよ」
「なっ……セランの馬鹿!」
メイジーとしても、この部屋にこれ以上いるのは、理性と心臓が持つ自信がなかった。
彼に言われた通り、救急箱を持って、「おやすみなさい」と挨拶し、すぐに部屋を出る。
残されたセランは両手で顔を覆い、大きなため息をこぼす。瞼の裏には、無防備な顔で自分を見上げたメイジーの顔が焼き付いている。それに、親指が触れた柔らかな唇の感触も、鮮明に残っていて。
「……俺は何をやってんだ」
◇◇◇
「まぁ、私に花束をくれるの? かわいい……ありがとう」
翌朝、メイジーが学園に行くと、学園の廊下で複数の男子生徒に囲まれているレディシカを見かけた。
レディシカには男友達がやたらと多く、いつも男子生徒といる印象だ。
しかし、小説『世界樹の守護者』のストーリーで、レディシカはロインズといつも一緒にいたはず。こんなふうに別の男子たちと付き合っている描写はなかった。
(やっぱりレディシカは――転生者なの……?)
そう思いながら、レディシカたちを横目に通り過ぎようとすると、彼女がこちらに手を振って近づいてきた。
「おはようございます、メイジーさん」
「……ごきげんよう」
「お友達が多いんですね」
「ああ、みんな、学園に慣れない私を心配して、すごく色々と気を遣ってくれてるんです」
レディシカがロインズとの距離を縮めるきっかけになったのも、彼女が学園のルールを知らない編入生だったのが大きい。
しかし、学園に慣れないという理由で、一体どれだけ男友達を作ったのだろう。
それに、レディシカが編入してきてから半年が経ったのに、いつまで編入してきたばかりのような顔をするのかと思ったが、口にはしないでおいた。
「あ、よかったら友達、紹介しましょうか? メイジー様と仲良くなりたいって言う人も何人かいて……。その……メイジー様の婚約解消は私の責任でもあるし、新しい素敵な相手と、幸せになってほしくて……」
(は、はぁー!? どの口が言ってるの?)
さすがに図々しくてびっくりした。どれだけメイジーを舐めているのだろうか。
自分が婚約者を奪ったくせに、他の令息を当てがおうとするなんて。あくまで悪者ではない態度で、善意のふりをしたマウントを取ってきているのだ。
メイジーは眉間にシワを寄せながら、「お構いなく」と答えるのが精一杯だった。
花束を手にしたりレディシカは、こちらを見ながらにこりと可愛らしく微笑む。
「それから、先日は助けてくださってありがとうございました! あのとき、死ぬんじゃないかってほんとに怖くて……。メイジーさんには感謝しています」
「怪我もなかったようで安心したわ。お礼は結構よ。じゃあ、もう行くわね」
「待って! あのときのお兄さんにも、直接お礼が言いたいんですけど、機会をいただけませんか?」
「……」
メイジーの制服の袖をちょこんとつまんだレディシカは、一瞬、鞄の隙間から覗いた妖精のぬいぐるみをちらりと見た。
恐らくレディシカは、魔物を倒した青年が大妖精セランだと気づいている。もしかしたらこのぬいぐるみが、セランのもう一つの姿ということにも気づいているかもしれない。
「ごめんなさい。彼、ああ見えて、すごく人見知りで。お礼なら私から伝えておくわ」
「……そうですか……残念です。せめてお名前だけでも伺っても?」
「セバスチャン」
メイジーがそう答えると、その眉間にわずかなしわが寄った。
咄嗟に、一番執事っぽい名前を答えたのだが、それが気に入らなかったみたいだ。
「では、セバスチャンさんによろしくお伝えください」
「ええ」
そう言って今度こそ踵を返し、教室に向かうと、セランがカバンの中から、「俺はいつからセバスチャンになったんだ?」と怪訝そうに呟いたのだった。
一方、廊下で立ち止まるレディシカは、メイジーの背中を見送りながら、親指の爪を噛む。そして、地を這うような声で呟いた。
「絶対に取り返さなくちゃ。この世界は私を中心に回ってるんだから」




