第3話 800万円の殴り方
800万円という金額を見てから、俺は依頼書の条件を最後まで読み直した。
市営第3ダンジョン、32階層。石の巨人を討伐し、魔核を回収すること。討伐の確認は協会職員が行い、回収した素材の買取代金は報酬に含まれない。
倒すだけで800万円。そのうえ、素材まで売れるらしい。
「魔核は、壊さず持ち帰る必要があるんですね」
「はい。巨人の活動を支える中枢です。研究と装備開発の両方で需要があります」
久世は依頼書の該当箇所を示した。
「ただし、回収を優先して危険を冒す必要はありません。討伐だけでも、通路が使えるようになります。その場合の報酬は別に定めています」
資料をめくると、巨人の背後に大きな扉が写っていた。
32階層から先へ進むには、ここを通る必要があるという。脇を抜けようとすると巨人が追ってくるうえ、扉を開けるには相当な時間がかかる。戦いながら人を送り込める場所ではなかった。
俺は写真の胸元を指でなぞった。
厚い外殻の内側に、魔核を守る可動式の覆いがある。攻撃に使う魔力を取り込むときだけ開く構造なら、異世界で倒したものと同じだ。
「倒した後の身体も、持ち帰っていいんですか。かなり重いと思いますが」
「回収できる部分は、すべて買取対象です。通常は現地で解体し、数日に分けて運びます」
「それなら、俺の収納が使えます。まず現物を見せてもらえれば、資料との違いも確かめられます」
久世は俺の顔を見て、それから瀬川へ視線を向けた。
「32階層の待機所へ連絡してください。榎本さんに、現地の案内をお願いしたいと」
まだ測定を繰り返すのかと思っていたが、話は早かった。
もっとも、彼女は依頼書を差し出す前に、もう1つ条件をつけた。
「討伐に挑むかどうかは、現場を確認してから判断してください。引き受けた以上は退けない、とは考えないでいただきたいんです」
「承知しました。知らない場所ですから、道も退き方も教えてください」
魔王を倒せても、地形を知らずに深い穴へ落ちれば面倒なことになる。
俺がそう答えると、久世はようやく依頼書をこちらへ寄せた。
◇
市営第3ダンジョンは、駅から車で20分ほどの場所にあった。
高い塀に囲まれた敷地には、大型車の通る搬入口と、人間用の受付が分けて設けられている。建物の中へ入ると、鉱山の坑口にも似た広い空間が続いていた。
壁際では、防具を外した冒険者が水を飲んでいる。荷車に素材を積んだ一団が通り、床についた泥を清掃員が洗い流していた。
俺は発行されたばかりの冒険者証を受付へ出した。
読み取り機が音を立て、通過を示す緑色のランプが灯る。
「龍宮寺さん、こちらです。今日は30階層まで転送設備を使います」
瀬川が案内した先には、金属製の枠に囲まれた円形の石板があった。
異世界で見た転送陣によく似ている。ただし周囲には監視装置が並び、係員は机の端末で行き先を確認していた。
「設置した転送盤同士をつなぐ設備です。移動先を確保して、装置を運び込まないと使えません。現在の最深部は30階層で、そこからは徒歩になります」
「帰りも同じ場所へ戻ればいいんですね」
「はい。運搬にも使うので、経路は整備されています」
俺は出発前に、自分の足元を確かめた。
履いているのは、召喚された日に使っていた安全靴だ。服も袖の裂けた作業シャツのままだった。
瀬川から防具を貸すと申し出てもらったが、195センチの身体に合うものはすぐには見つからなかった。無理に小さいものを着るより、動き慣れた服で闘気をまとったほうがいい。
手袋だけ借りて石板へ乗ると、係員が周囲の安全を確認した。
光が足元を包み、駅前へ帰ってきたときより短い浮遊感があった。
次に目を開けたときには、岩壁に囲まれた広間へ立っていた。
頭上の照明が、床へ引かれた黄色い線を照らしている。端には救護用の寝台と物資の棚が並び、発電機らしい低い音が響いていた。
出入口の前で待っていた男が、俺たちを見ると歩いてきた。
「攻略班の榎本です。32階層の巨人までご案内します。床に亀裂のある場所がありますので、道中は私の後ろについてください」
40歳前後の、肩幅の広い男だった。胸当てには深い傷があり、背負った大きな槌の柄は、握る部分だけ色が変わっている。
俺の服装へ目を向けたものの、余計なことは言わなかった。
代わりに、歩きながら巨人の攻撃範囲を説明してくれた。
右腕の振り下ろしと、左腕による横薙ぎ。距離を取ると胸を開き、魔力を放つ。背後へ回ろうとすれば、足元を踏みつけてくるらしい。
「槌で膝を狙いましたが、表面を欠かせるだけでした。胸が開くところへ攻撃を集中させても、内側の覆いに阻まれています」
「開く時間が短いんですね。閉じる前に、もう1枚ある覆いを割らないといけない」
榎本が振り返った。
「おっしゃる通りです。そこまで確認できたところで、撤退しました」
声音に、言い訳は混じっていなかった。
倒せなかった相手を前にしても、何が起きたかを正確に説明できる人間は頼りになる。俺は礼を言い、岩の通路へ目を戻した。
大きな扉の手前に、写真で見た巨人が立っていた。
◇
近くで見ると、頭の位置は4メートルほどもあった。
石造りの人間に、分厚い鎧を重ねたような姿だ。右肩は盾のように張り出し、腰から下は短く太い。床へ置いた両足の間にも、砕けた石片が散っている。
鑑定を向けると、見慣れた種族名が浮かんだ。
【種族:黒鎧の守護巨人】
【レベル:154】
【特性:外殻硬化/魔法耐性/魔力砲】
【魔核位置:胸部中央】
呼び方まで同じだった。
魔力の流れを追う。肩と腰から胸へ集まり、中心の魔核を通って全身へ戻っていく。その巡り方にも、覚えがある。
「俺の知っているものと同じです。胸の魔核も、まだ傷んでいません」
瀬川が胸元の記録装置を確かめた。
撮影は討伐の確認と、今後の攻略研究のためだと、出発前に説明されている。一般公開するには、俺の同意を別に取るという約束だった。
榎本は通路の壁に刻まれた線を指さした。
「ここから先へ入ると、巨人が動きます。私たちは後方で待機しますが、救援が必要なら合図をください」
「ありがとうございます。倒れたときに石が飛ぶかもしれません。念のため、曲がり角の内側にいてください」
借りた手袋を締め直し、俺は境界を越えた。
床から低い音が響いた。
巨人の頭が動き、暗かった目の奥に赤い光が灯る。右脚を引きずるように踏み出すと、肩の装甲が擦れ、石の粉が落ちてきた。
俺は歩く速さを変えず、間合いへ入った。
右腕が持ち上がる。
真上から落ちてきた拳を、俺は左へ踏み込んでかわした。床を叩いた衝撃が靴底へ伝わり、砕けた石が脚へ当たる。
続いて左腕が横から迫った。
その内側へ入り、巨人の肘を掌で押し上げる。硬い腕が俺の頭上を抜け、空振りした身体がわずかに傾いた。
俺は踏み込んだ右足を止め、胸の外殻へ拳を当てた。
響いたのは、岩の奥で何かが割れるような重い音だった。
拳を中心に亀裂が走り、厚い外殻が内側へ陥没する。巨人が上体を引いたところで、俺も手を引いた。
砕けた石が床へ落ち、胸の中央に黒い覆いが露出した。
これで、外側は邪魔にならない。
巨人の両肩が大きく開いた。
胸の溝が左右へ広がり、奥に赤い光が生まれる。背中と腰から集まる魔力が増え、空気が熱を帯びた。
後ろへ跳べば、通路の2人へ向けて撃たれる。
俺はそのまま懐へ入り、開きかけた覆いへ左手をかけた。
閉じようとする力が指を押し返してくる。闘気を通した腕で押さえ、右の拳を内側へ当てた。
拳を大きく振りかぶる必要はなかった。
肘と肩を連動させ、短い距離で衝撃を通す。黒い覆いが割れ、その向こうに埋まっていた赤い魔核が見えた。
ここから先は、壊してはいけない。
俺は右手を開き、魔核の周囲へ指を差し込んだ。
身体へつながる魔力の経路を、闘気で断つ。
掌に収まった魔核を引き抜くと、巨人の目から光が消えた。持ち上がっていた両腕が落ち、上体が前へ傾いてくる。
俺は横へ抜け、倒れてくる胸板へ肩を入れた。
重みを受けながら、膝をつかせる。最後に上体を床へ下ろすと、広間へ鈍い音が響いた。
静かになったのを確かめ、俺は通路へ声をかけた。
「終わりました。魔核も、無事に取れています」
返事の代わりに、榎本がゆっくりと角から出てきた。
◇
榎本は倒れた巨人の胸へしゃがみ、砕けた外殻を手で拾った。
切断面を確かめ、俺の手元にある魔核へ目を移す。その後ろから来た瀬川は、記録装置を動かしたまま巨体を撮影していた。
「胸を開かせてから攻めるんだと思っていました」
榎本が、石片を床へ戻した。
「最初から外殻を割れるなら、話が違ってきますね」
「待っていても倒せますが、奥の覆いが見えたほうが取り出しやすいので。魔核を割らずに済ませたかったんです」
俺は掌の赤い塊を差し出した。
瀬川が両手で受け取り、持参した測定器を近づけた。表示を確認すると、通信機へ顔を寄せる。
「討伐を確認しました。魔核回収済み、負傷者なし。胸部以外の素材も、ほぼ原形を保っています」
短い間を置いて、久世の声が返ってきた。
『了解しました。通路の安全を確かめた後、戻ってください。扉から先への調査は、別の班で実施します』
俺は巨人の向こうを見た。
扉の中央に埋め込まれていた光が消え、両脇の壁から低い振動が伝わっている。奥へ進めそうではあったが、俺の仕事はここまでだ。
榎本が扉の状態を記録している間に、瀬川へ確認した。
「身体のほうは、もうしまって構いませんか。後で必要な部位があるなら、支部で出せます」
「はい。全体の記録は取れました。収納できるなら、お願いします」
巨人の肩へ手を置き、アイテムボックスを開いた。
意識の中で、ほかの荷物と重ならない場所を選ぶ。次の瞬間、床へ横たわっていた巨体が消えた。
残ったのは、砕け落ちた石片と拳の跡だけだった。
瀬川が何もなくなった床を見下ろし、榎本は背負った槌の位置を直した。
「解体も運搬も、いらないんですね。討伐した当日に全部持ち帰れるとは、思っていませんでした」
「この大きさなら入ります。帰ったら、広い場所を用意してもらえると助かります」
榎本は頷き、通路へ向き直った。
その横顔は、広間へ来たときより明るかった。
「仲間に連絡します。あの先へ進むために、ずっと準備していましたから」
俺が800万円の仕事だと思って見ていた巨人の向こうに、この人たちの仕事もあったらしい。
戻る道すがら、榎本は扉の先で予測される地形を話していた。まだ誰も確かめていない場所について、仲間と何度も検討してきたのだろう。瀬川も端末を開き、調査班へ必要な情報を送っている。
俺は2人の後ろを歩きながら、借りた手袋を外した。
右手の甲に少し石の粉がついているだけで、破れてはいなかった。
◇
地上へ戻ると、日が傾き始めていた。
搬入口に用意された作業区画で巨人を取り出すと、待っていた職員たちが一斉に顔を上げた。
大型の荷台に収まりきらない身体を前に、担当者が無線で人を呼ぶ。俺は指定された枠の内側へ巨体を横たえ、回収した魔核を別に渡した。
査定には時間がかかるらしい。
だが、討伐依頼のほうは、その場で完了が確認された。瀬川の端末に書類が届き、俺が目を通して署名すると、800万円の報酬が確定した。
振り込みは翌営業日になるという。
数字を見つめている俺に、瀬川が言った。
「素材代は、査定後に別途ご連絡します。今日の記録映像についても、公開のご相談をするなら事前にご連絡しますので」
「分かりました。俺のほうからも、また仕事の相談をさせてください」
朝は、次の日雇いを探すつもりだった。
今は、住む場所を値段だけで決めずに済む。身体を丸めずに眠れる寝床も、ちゃんと選べるだろう。
財布の薄さを気にせず暮らせると思うと、ようやく帰ってきた気がした。
解散する前に、榎本が俺の前へ来た。
「龍宮寺さん。胸へ入れた最初の打撃ですが、あれは筋力だけで出せるものなんでしょうか。私にも改善できるところがあるなら、教えていただきたいんです」
俺は、榎本の槌を持つ手を見た。
柄の擦り減り方からして、振るってきた回数は少なくない。
「俺は闘気を使っています。ただ、踏み込んだ力を腕へつなぐところなら、見られると思います。槌を振るう場所があれば、少し試してみましょうか」
榎本は驚いた顔をした後、深く頷いた。
今日はもう、誰かに急かされて魔王のところへ行く必要はない。
帰る前に少し付き合うくらいの時間は、俺の好きに使ってよかった。
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