嘘をそそいで
晩秋の木枯らしに吹かれながら、僕は夜の帳の中をいつもの場所へ向かっていた。中学生が出歩くには、はばかられる時間だが、ユウに呼ばれれば断る理由はない。夜中の呼び出しにも、もう慣れていた。
許可なく敷地に入り浸るのはやめてほしいと、園の方から言われたのは、小学校の卒業を迎える間際のことだった。園長先生も変わり、もう見逃してはもらえなくなった。半ば諦めながら数ヶ月を過ごしていた頃、唐突にユウから連絡が来た。夜、この場所で会おうと。
ユウとは、この二年ほど離れ離れになっていた。家の都合で遠くへ引っ越してしまったのだ。それが、いつの間にかまたこの街に戻ってきていた。再会した僕たちは、当たり前のように、あの頃の続きを始めていた。
闇の深い夜空の下、離れた外灯の明かりに照らされて、ハナミズキが静かに揺れていた。ユウはすでに来ているようだった。幹に寄りかかるひとつの影が、じっとこちらを待っている。表情は見えない。けれど、数歩近づいたところで、わずかに気配が動いた。
僕は少しだけ歩みを早めた。呼びかけようとした、その瞬間――思わず息を飲んだ。ほんのわずかな薄明りに照らされた口元が、かすかに笑っていた。
たわいのない冗談にも、鼻で笑う程度で、口角を上げることは決してない。僕の知っているユウなら、そんな表情を見せるはずがなかった。どこか、見慣れない笑い方だった。
「ユウ――」
呼びかけた、その瞬間だった。
強い風が吹き抜け、土埃が舞い上がる。思わず目を覆った。視界が戻ったとき、そこにいたのは、いつもの無表情なユウだった。さっき見たものは、気のせいだったのかもしれない。
「大丈夫?」
彼女は一歩近づき、そう言った。
「ああ……うん」
返事をしたそのとき、ビニールの擦れる音が耳に届いた。彼女の手に提げた袋が、風に揺れてかすかに鳴っている。これが、今日の「新しいお友達」なのだろう。そう思って覗き込もうとしたが、彼女はそれを遮るように袋を抱え直し、わずかに距離を取った。
「車に轢かれた猫よ。アナタは穴を掘るのを手伝えばいいわ」
そう言うと、彼女は再び樹の方へ戻っていった。
かつては虫や小魚程度だったものが、最近ではツバメやインコのような小鳥、そして今日は――猫まで。
足が止まりかけた。だが、彼女の背中を見ていると、何も言えなくなる。小さく息を吐いて、僕は遅れて後を追った。
埋葬している間、僕もユウも黙ったままだった。
それ自体は、別におかしなことじゃない。いつだってそうだった。
今は、どこか違っていた。
再会したときから、ずっと感じていたものかもしれない。同じことをしているはずなのに、何かが噛み合っていない。
以前は、この静けさの中に、確かな意思があった。けれど今の彼女からは、それが感じられない。ただ、形だけのものが残っていた。それは、まるでこの固く冷たい土のようだった。
作業を終え、僕たちは樹の根元に並んで腰を下ろした。枝の隙間から、冷たい夜空がのぞいている。
落ちたハナミズキの葉が、ここに眠るものたちを静かに覆っていた。
「寂しいね」
静けさの中に、ユウの言葉がこぼれ落ちた。
僕はわずかに彼女へ視線を向ける。抱えた膝に顔を埋め、その目だけが、どこか遠くを見つめていた。
寂しい。何が?
無惨な死を遂げた猫のことか。それとも、生きているものは皆、最後は死ぬからか。考えてみても、どこか違う。どの答えも、しっくりこなかった。
……いや、そうじゃない。
寂しいのは――ユウだ。
初めてここに来た日、彼女はそう言っていた。
ひとりで寂しかったと。なら僕は、どうすればいい。
「ユウ……」
僕は口を開いた。彼女の方を向き、視線が返ってくるのを待つ。ユウはわずかに顔を上げ、首を傾げるようにこちらを見た。
風が止み、葉音が消える。
「好きだ」
ただ、それだけを言った。瞬きをしたユウの瞳に、かすかな光が宿った。
彼女の言葉を待たず、僕は続けた。
いつも僕を導いてくれたこと。この世界のことを教えてくれたこと。そして、ユウが僕にとっての理想だということ。
「だから僕は――」
もう一度、好きだと言おうとした、そのときだった。ユウの目が、周囲の空気とともに、ふっと闇に溶けたように見えた。
言葉が、止まる。
彼女は、どこか寂しいような、虚ろなような目で、ただ僕を見ていた。僕は、それ以上何も言えなかった。
「好き、なんだ」
ユウが静かに言った。僕は息を吐くように頷き、そのまま目を伏せた。
「ありがとう」
かすれた声が、小さく落ちた。それ以上の言葉はなかった。それでよかったと思うことにした。
僕は、彼女を救いたかった。
この言葉で、この想いで、彼女の寂しさを消せると信じていた。けれど、それができたのかは分からない。
ただ、今の彼女には僕が必要なんだと、そう思いたかった。
その日以降、ユウの口から「寂しい」という言葉が出ることはなかった。夜に呼び出されることも、少なくなっていった。
これでよかったんだ。不安になる度、心の中でそう繰り返した。
彼女の心は、どこか遠くへ行ってしまったように感じられた。けれど僕は、その暗く濁った場所に、自分の言葉を、想いを、注ぎ続けていれば、いつか元に戻ると信じていた。
――翌年の夏、彼女が亡くなるまでは。




