第9話_手を伸ばす理由
石畳の曲がり角で、オルヴェが足を止めた。
小さな灯石が、二人の靴とスカートの裾を照らしていた。広間の音楽は続いているが、ここまで来ると笛の音だけがかすかに聞こえる。
「ここ、残してよかった」
彼が言った。
テシアは灯りを見て、うん、と答えた。あの喧嘩のあと、同じことを言ってもらえる日が来るとは、すぐには思えなかった。
「私、オルヴェに嫌われたと思った」
言うと、彼は顔を向けた。
テシアは指を手袋の中で曲げた。
「温室から帰った日。もう一緒に町へ行けないかもしれないって」
彼は視線を落とし、俺も少し怖かった、と答えた。
勝手に決めたことで、テシアが話さなくなるのではないかと思ったという。
「でも、次の日、来てくれたから。話せるところまで話そうと思った」
テシアは彼の顔を見た。
嫌われたかもしれないと考えていたのは、自分だけではなかった。彼なら誰とでもうまくやれる、怖くないと思っていた。
「また、上手く言えないことがあると思う」
予告のようになってしまった。
オルヴェは少し笑い、俺もある、と答えた。たぶんまた、できることを確認する前に、返事をしそうになる。
「そのとき、止めてほしい。俺も自分で止まるようにするけど」
テシアは頷いた。
彼の言葉を聞くたび、前より安心するのに、今夜は胸の奥が落ち着かなかった。そばにいられるだけでは足りない。町へ誘われる人でいるだけでも。
そんなことを望んだら、せっかくできた関係を壊すかもしれない。
それでも、一曲踊った手の温かさを、もう一度感じたかった。
「あの、私」
声を出すと、彼がこちらを向き直った。
テシアは続けようとして、喉に言葉が詰まった。オルヴェは待っていたが、少しして自分の手袋を外した。
「俺から言ってもいい?」
テシアは顔を上げ、頷いた。
彼は手袋を片手へまとめ、もう一方の手を自分の脇に置いた。さっき広間で差し出してくれたようには、まだ近づかなかった。
「テシアが好きだ。係が終わっても、休日に会いたいし、一緒にご飯を食べたい。恋人として」
恋人、という言葉が、庭の静けさの中で聞こえた。
テシアは彼の顔を見たまま、息を吸った。誰かの顔色を読み、適した返事を探す必要はない。自分がどうしたいか、答えればいい。
「私も、好き」
声は少し掠れたが、聞こえたらしかった。
オルヴェの口元が緩み、それから彼は目を伏せて笑った。その笑い方を見て、テシアも頬が熱くなった。
「いつから?」
聞かれて、考えた。
蛙のことを教えてくれた日だろうか。暗い中庭を一緒に歩いた日。菓子を分けた日。どれも思い出せるが、一つを選べない。
「わからない。でも、川で、また誘っていいって聞かれたときは、もう好きだったと思う」
オルヴェは頷き、俺はもっと前かもしれない、と言った。
彼が教えてくれたのは、実習でテシアが壊れた灯石をいつまでも見ていた日のことだった。
廃棄して新しいものへ替えるよう言われていたのに、記録を取りたがったのだという。
「どうして壊れたか知りたかっただけだよ」
テシアが答えると、彼は笑った。
「うん。そのとき、何を考えてるんだろうって気になった。それで話したら、ますます気になった」
立派な理由ではなかった。
優しいからでも、誰にも理解されない特別な人だからでもない。彼が見た自分の一つの姿から、話して、今日まで来たのだ。
テシアは手袋を外した。片方を外すあいだ、もう片方がうまく抜けず、オルヴェが待っているのがおかしくて、二人で少し笑った。
「手、繋ぎたい」
言うと、彼が右手を差し出した。
テシアは指を重ね、握った。素手の温度は、広間で触れたときよりずっとはっきりしていた。
噴水へ戻る道を、二人で歩いた。
彼の歩幅は少し大きく、テシアが遅れると手が引かれた。オルヴェが気づいて速度を落とし、テシアも自分の歩きやすい速さを探した。
一度で揃わなくても、歩いていれば調整できた。
回廊の手前で、オルヴェは広間へ戻る時刻を確かめた。
テシアは寮へ帰ることにした。もう少し一緒にいたいが、疲れた体に嘘をつくと、嬉しかった夜まで苦しくなりそうだった。
「寮の入口まで送る」
彼が言い、テシアは頷いた。
女子寮の灯りが見えるところで手を離すと、指の間が涼しかった。オルヴェは明日の昼食を誘い、テシアは同じ席で待ち合わせると答えた。
「おやすみ、テシア」
名前を呼ばれたことは何度もあるのに、今夜は一度で終わらせるのが惜しかった。
テシアはおやすみと返し、彼の名も呼んだ。
部屋へ戻って衣装を脱ぎ、寝台へ座ると、足がずいぶん疲れていた。髪の銀色の紐をほどくあいだも、握った手の温かさが残っている。
眠る前、明日の昼食へ何を着ていくか考えかけて、制服だと気づいた。
声を立てて笑ったら、廊下で誰かが立ち止まった。テシアは口元を押さえ、扉の向こうで足音が遠ざかるのを聞いた。




