第8話_庭へ続く道
祝祭の前夜、最後の試験で噴水の灯りが一つ消えた。
テシアは膝をつき、台の内側を覗いた。昼間は動いていた切り替えの留め具が、湿った風に当たると接点からずれていた。
温室で試すだけでは気づけなかった。
予備の部品はあるが、同じ形へ替えるだけではまた動くかもしれない。テシアは道具箱を開け、小さな固定板を探した。
「こっちの石、一回外せる?」
頼むと、オルヴェが隣にしゃがんだ。二人で石を外し、台の中へ板を入れる。ネジを締める場所が狭く、テシアの指が何度も滑った。
回廊では装飾係が帰り支度をしていた。明日のために休まなければ、とわかっているのに、終わらないことに焦る。
「少し止めよう」
オルヴェが道具箱の蓋へ手を置いた。
テシアは顔を上げ、まだできていないと言った。
「だから、手が戻るまで止めよう。俺も一回、立ちたい」
彼は膝を伸ばし、腰へ手を当てた。
自分だけに休めと言われたのではないとわかり、テシアも立った。回廊の柱へ背をつけると、指先に力が戻ってきた。
「明日、点かなかったらどうしよう」
オルヴェは噴水を見た。
「そのときは直す。直らなかったら、残りで点ける」
彼は大丈夫とだけは言わなかった。
灯りが一つ消えたところで、何をするかは残っている。テシアは息を整え、工具を持ち直した。
留め具を固定し、湿らせた布を近くに置いて何度か試した。灯石は予定どおり色を変えた。
最後に道の三つを灯すと、石畳の曲がり角も段差も見えた。
テシアはそこを一度歩き、振り返った。オルヴェが噴水の前に立っている。手持ち灯は消していたが、顔が見えた。
「明日は、ここで待ってる」
彼が言った。
テシアは道の入口から戻り、何時に、と尋ねた。開会の挨拶のあと。時刻を決めると、明日の庭が少し具体的になった。
翌日、衣装を着るときにミルカが手伝ってくれた。
背中の留め具を整え、髪へ細い銀色の紐を結ぶ。鏡の中のテシアは、自分のままだった。けれど、鏡から目を逸らしたくはならなかった。
「その色にしてよかったね」
ミルカが肩越しに言った。
テシアはありがとうと答え、先に会場へ行く彼女を見送った。待たせていないことを確かめてから、靴を履いた。
広間の入口には、人が溢れていた。
香水と温かい食べ物の匂いが混ざり、あちこちから名前を呼ぶ声がする。テシアは受付を通り、壁際まで歩いた。
去年と同じ場所だった。立っているだけで、何かを間違えている気がした。
逃げているように見えるだろうか。楽しむ努力が足りないのだろうか。
そう考え始めたところで、壇上から開会の挨拶が聞こえた。話が終わるまで聞き、テシアは庭へ続く扉へ向かった。
行く場所は決めている。
中庭の噴水は、まだ金色に光っていた。
回路を動かす時刻まで、ディナが栓の横で待っている。テシアが近づくと、彼女は手を上げた。
「試しておいた。ちゃんと動いてるわ」
自分で確かめたくなったが、ディナの言葉を受け取った。ありがとう、と答え、噴水の向こうへ回った。
オルヴェがこちらを見つけた。
濃い青の上着で、襟元に小さな銀の留め具がある。昼間、制服で会ったばかりなのに、違う人のように見えた。
「……似合ってる」
先に言ったのは彼だった。
テシアは手袋をした指を揃え、ありがとうと返した。こちらからも伝えようとして、顔を見すぎた。
「オルヴェも。いつもより、少し」
そこで言葉が止まり、彼が笑った。
「少しだけ?」
からかわれているとわかったが、嫌ではなかった。テシアは彼の留め具を見てから、格好いい、と最後まで言った。
オルヴェの笑みが薄くなり、唇が一度開いて閉じた。
その顔を見て、テシアの胸もいっぱいになった。
噴水の灯りが、淡い青へ変わった。
周りの生徒が声を上げ、誰かが手を叩いた。テシアは反射的に回路へ目を向けたが、八つとも点いている。
オルヴェが横へ並び、小さく言った。
「できたな」
テシアは頷いた。
台を選んだ日のこと、点かなかった実習室、喧嘩をした机、前夜の湿った風。全部が、目の前の光まで続いていた。
広間へ戻ると、ちょうど次の曲が始まるところだった。
オルヴェが手を差し出した。テシアは手袋越しに指を重ね、彼と列へ入った。
一歩目でスカートを踏みそうになり、肩へ力が入る。
「俺を見て。足は、時々でいいから」
そう言われても、彼を見るほうが難しかった。
それでも顔を上げると、オルヴェは真面目な目でこちらを見ていた。ふざけていないとわかって、テシアは息を吐いた。
回る方向を間違えかけ、彼が少し歩幅を小さくする。テシアも次の拍子を待ち、二人の足がまた揃った。
「今の、私?」
聞くと、彼は首を傾けた。
「俺も遅かったかも。次は合う」
次の拍子で、今度は合った。
テシアは少し笑った。何のために笑ったのか考える必要がなかった。
曲が終わると、拍手と一緒に人の輪がほどけた。
オルヴェがもう一曲と聞きかけたが、テシアは先に、少し外へ出たい、と伝えた。
彼は頷き、出口へ向かった。ついてきてほしいと頼んでいないのに、よいのだろうか。テシアが確かめると、俺も外へ行きたい、と答えた。
回廊へ出ると、音楽は薄い壁の向こうになった。
テシアは柱のそばで息を整えた。オルヴェは少し離れて立ち、水の杯を持ってきてくれた。
飲み終えるまで、何も尋ねなかった。
「楽しかった。でも、疲れた」
テシアが言うと、彼は壁へ肩を預けた。
「じゃあ、楽しかったところで出てきてよかった」
あと少し頑張れと言われなかったことに、涙が出そうになった。
けれどそれだけで泣くのは、彼を困らせるかもしれない。テシアは杯を持ち直し、濡れた縁へ指を当てた。
「私、皆みたいに長くいられない。楽しいのに、音が重なると、何を話してるかもわからなくなる」
彼はゆっくり頷いた。
テシアは庭の灯りを見た。今日、ここまで来られたことを喜びたいのに、できなかった分まで数えてしまう。
「オルヴェは、もっと広間にいたかった?」
彼は少し考えた。
「あとで、剣術部のやつらとは話したい。でも、今はここにいたい」
その返事なら、わかった。
自分のために全部諦めているのでも、楽しい場所へ戻りたいのを隠しているのでもない。彼が戻るなら、そのときは別に帰ればいい。
テシアは杯を回廊の台へ置いた。
「少し、歩く?」
オルヴェが尋ねた。
テシアは頷き、二人で花壇の間へ下りた。




