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心配だったら、何を言ってもいいんですか?  作者: あずきまんま


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第5話_名前のつかない午後

 学園へ戻った翌日は、風が強かった。

 温室の窓が鳴り、机の上の薄紙がめくれる。テシアが重しを探していると、オルヴェが持っていた本を置いた。


「こっち、使って」


 いつもの声を聞くと、実家で溜めた息が少し抜けた。

 テシアは頷いて、母の焼き菓子を机へ出した。袋を開ける手が止まったのを、彼が見ていた。


「食べたくないなら、あとでいいけど」


 テシアは首を振り、二つ取り出した。


「美味しいの。お母様が作った」


 それだけ言うと、胸の内側が痛かった。

 オルヴェは菓子を受け取り、ありがとう、と言った。母について何も尋ねなかったので、テシアは自分から少し話した。

 食卓で話が噛み合わなかったこと。心配されているとわかっていても、苦しいこと。

 話すうち、菓子の粉が指についた。テシアはそれを紙へ落とし、彼の顔を見ないまま続けた。


「家族が嫌いなのかって聞かれたら、違う。でも、帰りたいかって聞かれると、すぐに頷けない」


 オルヴェは手の中の菓子を見下ろしていた。

 しばらくして、俺は家へ帰ると黙ってしまう、と言った。


「父さんが話して、兄貴が答えて、俺はだいたい聞いてる。学園で喋りすぎるくらいだから、家では休んでるんだろうって思われてる」


 テシアは顔を上げた。

 彼が人の輪の中で笑っているところしか知らなかった。家でも同じだと思っていたことに、初めて気づいた。


「話したくないの?」


 彼は首を傾け、窓の揺れる音を聞いた。


「話しても、兄貴のほうがわかりやすくまとめるから。途中で任せちゃうんだよな」


 そう言って笑ったあと、もう一口菓子を食べた。

 テシアは、わかる、と言いかけてやめた。似ているところがあっても、同じではない。彼が笑っているから、軽い話とも限らない。


「そのまま話すの、聞いてみたい」


 オルヴェは菓子を飲み込み、こちらを見た。


「長くなるかも」


 テシアは窓から机へ目を戻した。今日は灯石の台が届くまで、急ぎの作業はなかった。


「時間はあるよ」


 彼は少し笑った。それから、卒業後のことを話し始めた。

 家は王都で馬具を売っていて、兄が継ぐ。オルヴェも店へ入るつもりでいたが、学園の実習で街路の灯りを修繕したとき、別の仕事があると知った。機器を使う人のところへ行き、何が困っているか聞いて直す仕事だ。

 父にはまだ話していない。店を手伝うと決めたわけではないのに、決まっているように話が進む。


「別の仕事をしたいって言ったら、困らせると思う」


 テシアは彼の話が終わるまで待った。

 店の人手がどれほど足りないのか、自分にはわからない。それでも、彼の希望を聞いたいま、ただ店に戻るのがいいとは言えなかった。


「困るかどうか、聞いてみたらわかる?」


 オルヴェは本の表紙を指で押さえ、そうだな、と答えた。

 助言をしたつもりはなく、必要な情報を尋ねただけだったが、彼は少し考えていた。テシアはその横顔を見て、彼が黙るときの顔も好きだと思った。


 灯石の台が届いたのは、その日の夕方だった。

 二人で木箱を開け、割れていないか確かめた。台へ石をはめ込むと、図面で考えていたものが、手に持てる形になった。

 オルヴェが完成した一つを窓際へ運び、試しに灯した。

 淡い金色が、古い窓枠を照らした。


「これ、庭に並んだら綺麗だな」


 テシアは机の端へ手をつき、灯りを見た。彼が同じものを見ていることが、光そのものより嬉しかった。


 次の休日、二人で工房へ残りの台を受け取りに行った。

 帰りにオルヴェが川沿いを指し、今日は座って食べようと言った。前に買った菓子の屋台はなく、代わりに小さなパン屋へ入った。

 川岸の腰掛けでパンを分け、テシアは食卓で言われたことを思い出した。係じゃなくて、友達。

 この時間には、どんな名前がつくのだろう。


「オルヴェは、ほかの人ともこうやって来る?」


 口にすると、ひどく探るように聞こえた。

 彼はパンを持つ手を止めた。


「町には来る。剣術部のやつらとか」


 それは知っている気がした。テシアは頷き、川の水面へ目を向けた。

 オルヴェはしばらく黙ってから、今日はテシアと来たかった、と続けた。


「買い出しがなくても、誘おうと思ってた」


 川を渡る風が、スカートの裾を揺らした。

 テシアは膝の上の袋を畳み、何を返せばいいのか考えた。嬉しい。それなら、そう言えばいい。けれど言ったあと、顔を見ることまで想像すると、声が出なかった。


「私も、買い出しじゃなくても来たかった」


 ようやく答えると、オルヴェは耳の上を掻いた。

 いつも軽く笑う彼が少し困った顔をしていて、テシアはその顔をもう一度見たくなった。


「また誘っていい?」


 彼が聞いた。

 テシアは顔を向け、今度はすぐに頷いた。


 寮へ戻ってから、机の上に工房の領収書を置いた。

 隣に、パンを包んでいた紙を置きかけて、捨てるものだと思い直す。そんなものまで取っておこうとした自分がおかしくて、一人で笑った。

 鏡の前で髪をほどくと、頬が赤かった。家の食卓でも、教室でもないところで、今日の自分は何度も笑っていた。


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