第4話_家の食卓
帰省の日、母は玄関でテシアの髪を直した。
馬車を降りたばかりで、荷物もまだ手に持っている。襟を確かめられると、テシアは身を引きかけ、母の手が止まった。
「そのくらい、させてくれてもいいでしょう」
母は手を下ろして、家へ入った。
テシアは迎えに出てくれた使用人へ鞄を預け、後を追った。嬉しいと伝えるための言葉も、急に触られると驚くという説明も、玄関に置いてきた。
妹のユリアは、居間で刺繍をしていた。
テシアの顔を見ると針をしまい、隣の席を空けてくれる。淡い桃色の糸で、小さな花が並んでいた。
「今度のドレスにつけるの。お姉様は、学園の祝祭で何を着る?」
まだ決めていないと答えると、妹は布の見本を持ってきた。二人で色を見ているあいだは穏やかだった。
テシアが青灰色の布を選ぶと、ユリアは、それも綺麗ね、と言った。母が入ってきたのはそのあとだった。
「またそんな地味なものを。せっかく若いんだから、明るい色にすればいいのに」
布を持ち上げられ、テシアは膝の上の手を握った。
母は妹の頬へ桃色の布を当て、こちらを着たらどうかと尋ねる。テシアは青灰色の端へ目を戻した。
「私は、それが好き」
母は困ったように笑った。
「好きなものだけで生きてはいけないわよ。人からどう見えるかも考えなくちゃ」
今、布の話をしていたはずだった。
けれど母には、人から見える自分の話なのだ。テシアはそう考え、言い返さずに見本を畳んだ。
夕食には叔母も来た。
ユリアのお茶会の話から、近所の令息の話へ移り、叔母がテシアへ身を向けた。学園では親しくしている人がいるのか。
名前を口にすると、その人がこの食卓へ呼ばれてしまうように思えた。テシアは同じ係の人とは話している、と答えた。
「係じゃなくて、お友達よ」
叔母が笑い、母も杯を持ったまま笑った。
父は肉を切りながら、そういうところだぞ、と言った。
テシアは皿を見た。何がそういうところなのか、聞けばまた話が長くなる。明日は帰る。それまで食事を終えればいい。
「祝祭の灯りを作ってるの」
ユリアが助けるように言った。
妹の声で自分のしていることを聞き、テシアは少し顔を上げた。父は剣を持つ仕草で、灯石を光らせるだけだろう、と返した。
違うと説明したくなった。色を切り替えるための回路も、歩く人のための灯りもある。
「石を並べるだけではないの。力の流れを作って、時間で変わるようにしてる」
話し始めると、父の顔がぼやけた。自分の声ばかり耳に響く。
父は途中で手を上げた。
「仕組みを聞きたいわけじゃない。そういうのに夢中になって、人との付き合いを疎かにするなと言ってる」
テシアは膝に置いた布を握った。
係で人と話している。町へ買い物に行った。作業に来ないときは知らせてほしいと頼んだ。どれも自分には難しくて、ようやくできたことだった。
だが、それを一つずつ並べるのは、こんなこともできないと知らせるのと同じに思えた。
「私、疎かにしてるつもりはない」
父の手が止まった。
母が、言い方、と低く注意した。テシアはそれ以上口を開かなかった。
食後、部屋で荷物をまとめているとユリアが来た。
妹は扉を閉じてから、寝台の端に座った。
「私が灯りの話をしたから、ごめん」
テシアは鞄へ教科書を入れ、首を振った。
「お父様に言われたことは、ユリアのせいじゃないよ」
妹は指先で寝台の布を撫でた。少し迷ってから、お父様たちは心配してるんだと思う、と言った。
その言葉で、テシアの背中がまた固くなる。
「心配だったら、何を言ってもいいの?」
ユリアが顔を上げた。
妹に聞いても仕方がない。テシアは鞄の口を閉じかけ、深く息を吸った。
「ごめん。ユリアに答えてほしいわけじゃない。ただ、心配してくれてるって、私もいつも考えるから」
心配なら自分が受け入れなければいけない。ありがたいと思わなければいけない。そう考えているうちに、嫌だったことを言う場所がなくなる。
そこまで説明はできなかったが、ユリアは帰らなかった。
「青灰色、私も好きよ」
妹は寝台から立ち、昼間の布を机へ置いた。
テシアが顔を見ると、ユリアは少し口を曲げた。
「これは、さっき言ってもよかったね」
布を受け取ると、薄い織り目が指に引っかかった。テシアはありがとうと言った。妹は頷き、明日の馬車までに朝食を一緒に取ろう、と約束した。
翌朝、母は台所の前で待っていた。
昨夜の話になるとわかり、テシアは足を止めた。母は包んだ焼き菓子を渡しながら、あなたが心配なの、と言った。
「この先、周りとうまくやれなかったら困るでしょう。私たちは、あなたが困らないように言っているのよ」
テシアは包みを持ったまま、母の指に目を向けた。爪の端に小さな傷がある。焼き菓子を作ってくれた手だった。
それでも昨夜の食卓は、思い出すだけで喉が詰まる。
「わかってる。でも、帰ってきたとき、できてないことだけ聞かれると、帰るのが怖くなる」
母は眉を寄せた。
大げさね、という言葉が出かかったのがわかった。けれど母は唇を閉じ、台所のほうを見た。
「……朝食、冷めるわ」
話はそれで終わった。
母が納得したわけではない。テシアも言いたいことを言い切れなかった。ただ、怖くなると伝えた声は、なかったことにはならないと思った。




