第3話_誘われる人
二週目の木曜日、オルヴェは作業に来なかった。
最初は遅れるだけだと思った。テシアは銅線を切り、灯石の台を揃え、二人で確かめるはずだった切り替え部分を残して待った。
窓の外が赤くなる頃、ディナが温室へ顔を出した。
「オルヴェ、騎馬部の練習を手伝ってるみたい。今日、人が足りなかったんですって」
ディナが帰ったあと、テシアは彼の使う椅子を見た。
人が足りなければ仕方がない。騎馬部の練習は、灯り作りより大変なのかもしれない。それでも、来ないと知らせてくれれば、実習室の機器を借りる時間を変えられた。
どうして何も言わないのだろう。
思った瞬間、気持ちが狭くなったようで、テシアは自分の手を止めた。彼には仲間がいる。自分の作業ばかり優先してもらう理由はない。
翌日、オルヴェは温室の戸を開けるなり謝った。
騎馬部に呼ばれたあと、馬具の修理まで頼まれて遅くなったという。テシアは灯石を磨きながら、大丈夫、と答えた。
彼が台に袋を置いたところで、昨日からしまっておいた言葉が出てきた。
「でも、次は来ないって教えて」
思ったより硬い声だった。
オルヴェがこちらを見る。テシアは説明を足そうとして、理由を幾つも並べかけたが、彼はその途中で頷いた。
「うん。連絡しなかったのは悪かった」
それで終わった。
テシアは灯石を置き、予定表を開いた。怒っているのかと聞かれることも、たった一日なのにと言われることもなかったので、次の作業を相談していいのか、しばらく迷った。
「今日、実習室を借りられる。切り替えを試したい」
彼は上着を脱いで椅子へかけた。
「何時まで?」
時刻を答えると、オルヴェは今日はそれまでできると言った。その言い方が、ずっといる、と約束されるより安心だった。
試験はうまくいかなかった。
噴水の外周を模した八つの石は、三つ目から色が変わらなくなった。テシアが回路を確かめるあいだ、オルヴェは各石へ同じ量の魔力を流す。二度試し、三度目には彼の肩が下がった。
「少し休もう。力が揃わなくなってる」
テシアが言うと、彼は意外そうな顔をしてから、椅子に座った。
持ってきた水筒を差し出されたが、テシアは自分の杯を取りに行った。二つの杯を台へ並べると、オルヴェが口元を緩めた。
「それ、取っ手が鳥だ」
テシアの杯には、小さな尾の長い鳥がついていた。十二歳の誕生日に、祖母が買ってくれたものだ。
「持ちにくいよ。飾りが指に当たるから」
そう言ってから、好きだから使っているのに、と言い足した。オルヴェは手を伸ばさず、少し首を傾けて眺めた。
「気に入ってても、持ちにくいのは変わらないか」
彼の声には笑いがあったが、杯を馬鹿にされた感じはしなかった。
テシアは水を飲み、取っ手へ指を戻した。
「オルヴェの、何もついてないね」
彼は自分の金属杯を持ち上げた。
「落としても割れないやつ。前に一つ割って、寮監に叱られた」
どこで落としたのか聞くと、寮の階段だという。誰かに呼ばれて振り返ったら手から滑った、と説明する彼の身振りに、テシアは少し笑った。
彼がこちらを見たので、笑ってはいけなかっただろうかと背筋が固くなる。
けれどオルヴェは、ここは笑っていいところだよ、と軽く言ってから、自分でも笑った。
帰り道は、図面を一緒に持って歩いた。
彼が端を持ち、テシアがもう一方を持つと、風で折れずに済んだ。どちらかが歩幅を変えるたび紙が斜めになるので、やがて二人とも遅くなった。
「明後日、町へ石の台を見に行くけど、一緒に来る?」
門の前でオルヴェが尋ねた。
係の買い出しだ。それなのにテシアは、返事をする前に喉を鳴らした。
「行きたい。何時に出る?」
彼は昼食のあとを提案した。人が多い店なら午前のほうがいいと伝えると、それなら午前にしよう、と決まった。
時刻を変えてもらったことを、寮へ戻ってからも思い出した。自分の希望を一つ入れただけで、待ち合わせが壊れることはなかった。
日曜日、オルヴェは校門に早く来ていた。
制服ではなく、薄い灰色の上着を着ている。髪も普段より整えていて、テシアは目が合うまで顔を見ていた。
「何かついてる?」
聞かれて、首を振った。似合うと言えばいいのだろうが、口にするには少し時間がかかった。
「その服、いいと思って」
オルヴェは自分の袖を見下ろし、ありがとう、と答えた。
それからテシアの緑色のスカートへ視線を移し、今日の色、好きだと言った。
どこに手を置けばいいかわからなくなり、テシアは買い物の一覧を両手で握った。
町の工房通りには、鉄と木と焼いた砂の匂いがした。
店を二つ回り、予定より軽い石の台を見つけた。職人に寸法を説明するあいだ、オルヴェは注文数を書き、値段を確かめた。
店を出てから彼が、さっきは話が早かったな、と言った。
「必要なものがわかってたから」
何を言えばいいかわかるときは、話せるのだ。テシアがそう続けると、彼は一覧の余白へ注文内容を書き込んだ。
「俺、あの寸法、図面を見てもまだ迷う。助かった」
彼が自然に差し出した役目を、テシアは受け取った。頼られるのは怖い。けれど、できたことをなかったことにする必要もないと思えた。
帰る前に、川沿いの屋台で焼き菓子を買った。
オルヴェは杏の入ったものを選び、テシアは木の実のものにした。半分交換しようかと言われ、頷いてから、紙袋を開く手が慎重になる。
割った菓子を彼の袋へ入れると、指が一度だけ触れた。
ほんの短い接触なのに、川へ目を向けても、その指の感触が残っていた。
「杏、苦手だった?」
食べずにいることを気にした彼に、テシアは急いで首を振った。
菓子を口に運ぶと、薄い生地から甘酸っぱい実が覗いた。美味しいと言った声が小さくなったのは、口に物が入っていたからだけではない。




