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世界最強の神獣たちを育てた飼育員、百年後に目覚めたら全員俺の家に住み着いた ~竜王も神狼も俺の前では昔のままです~  作者: てへろっぱ


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第52話 百年前の「存在しない部品」、七日後の強制解除だけを止める鍵だった

 百年前、俺が入った緊急保存結界は、本来なら最長七日で強制解除されるはずだった。


 ところが俺が目を覚ましたのは百年後。


 しかも、襲撃の四日前には《外部解除鍵》と呼ばれる部品が交換され、その交換後の番号は当時の王国規格に存在しない。


 そこまで判明した翌朝。


「レオン、今日は仕事休んだら?」


「何で?」


「何でって……」


 朝食の席で、ルビィが困ったように俺を見る。


「昨日あんなこと分かったばっかりだよ?」


「だから?」


「だから、今日は家にいて!」


「仕事と関係ないだろ」


「あるよ!」


 何がどう関係するのか分からない。


 俺は焼いたパンを皿へ置きながら、周囲を見る。


 シロは俺の椅子のすぐ横に座っている。普段から近いが、今日はいつも以上に近い。


 フェニアは平静に見えるものの、さっきから俺の昼食用の包みを必要以上に確認していた。


 ライカは新聞を読んでいるふりをしながら、ほとんど同じ場所から視線が動いていない。


 ミコに至っては、俺が起きる前から何か書類を作っていた。


 唯一いつも通りなのは、水路の中で朝食の魚を食べているリヴィくらいだ。


「お前らさ」


「何でしょう?」


 ミコが微笑む。


「俺が仕事行ってる間に、勝手に百年前の調査進めないよな?」


「…………」


「何で全員黙るんだよ」


「レオン」


 ライカが新聞を畳んだ。


「情報の照合だけなら、調査を進めるとは言わないのではないか?」


「言うよ」


「既存資料を閲覧するだけだ」


「どこへ?」


「雷帝国中央軍史庫」


「国家施設じゃん」


「私の国だ」


「昨日、世界中の軍とか神殿とか動かすなって言っただろ」


「軍を動かすのではない。私が見るだけだ」


「屁理屈覚えるな」


 今度はミコ。


「私は商業記録を少々確認する程度でございます」


「どこの?」


「百年前、旧王都で魔導部品を取り扱っていた商会二百七十一社の記録を」


「少々じゃない」


「既に現存する十二社まで絞り込みました」


「進めてるじゃん!」


「昨夜、眠る前に少しだけ」


「お前の少し、怖いんだよ!」


 ミコは不思議そうに首を傾げた。


 九本の尻尾は得意げなので、絶対に分かってやっている。


「フェニアは?」


「私は何もいたしません」


「本当に?」


「はい。ただ神殿の古文書保管責任者へ、育成所襲撃前後の記録について、もしお時間がございましたら確認を――」


「それを調査って言うんだよ!」


「依頼しただけです」


「もっと駄目だよ!」


 シロを見る。


 シロは俺を見返した。


「私は何もしない」


「本当?」


「うん」


「良かった」


「レオンについていく」


「仕事に来るな」


「何もしない」


「存在するだけで店が大騒ぎになるんだよ」


 銀色の耳が伏せられた。


 ちょっと可哀想だが、ここで折れるわけにはいかない。


 以前、六大神獣が《もふもふ魔獣店ポッケ》へ集まった時は、それだけで仕事どころではなくなった。


「リヴィ」


『んー?』


「お前は何もしないよな?」


『寝るー』


「よし」


『あと魚食べるー』


「完璧」


『褒められたー』


 今日も一番信用できるのがリヴィなのはどうなのだろう。


「レオン」


 ルビィがまだ納得していない。


「本当に仕事行くの?」


「行くよ」


「昨日、誰かがレオンを百年眠らせたかもしれないって分かったのに?」


「そこまでは分かってない」


「でも!」


 俺はルビィの頭へ手を置いた。


 赤い髪を軽く撫でる。


 言いかけていた言葉が止まった。


「昨日も言っただろ。百年前のことだけで今の生活を埋める気はないって」


「……うん」


「今日は仕事の日。だから仕事行く」


「帰ってくる?」


「帰ってくるよ」


「何時?」


「いつも通りなら夕方」


「ちゃんと?」


「寄り道しなければ」


「寄り道しないで!」


「果物買ってくるけど?」


「寄り道して!」


「どっちだよ」


 ようやくルビィが少し笑った。


 シロの耳も戻る。


 百年前に俺が消えた時。


 六人には、帰ってくる時間を伝える余裕すらなかった。


 だから今は、こういう普通の約束が思っている以上に大事なのかもしれない。


「じゃあ行ってくるよ」


「いってらっしゃい!」


「いってらっしゃい」


「お気をつけて」


『魚もー』


「帰りに買う!」


 玄関を出る。


 後ろからまだ六人の気配がする。


 扉を閉めて少し歩き。


 振り返った。


 窓から六人分の顔が見えた。


「……全員で見送る必要ある?」


 窓が一斉に閉じた。


 聞こえていたらしい。


     ◇


 《もふもふ魔獣店ポッケ》へ着けば、仕事そのものはいつも通りだった。


 床を掃除し、餌を準備し、水を交換する。


 雲綿兎の飼育書も続きを読んだ。


 以前相談に来たポポについては、飼い主から経過を知らせる手紙が届いていた。


 娘さんが学校へ行っている間でも、最近は自分の寝床で少しずつ餌を食べられるようになったらしい。


 娘さんの匂いがついた布を使うところから始め、今では布がなくても短時間なら落ち着いて待てる。


 それでも娘さんが帰ってくると、一番嬉しそうに駆け寄るという。


「順調そうだな」


 俺が手紙を読みながら呟くと、店長が横から覗いた。


「レオンさんの言った通りになりましたね」


「俺が言った通りってわけじゃないよ。飼い主さんが毎日ちゃんと見たからだろ」


「それでも、離せばいいという話にしなかったのはレオンさんですよ」


「いきなり安心できる相手を奪ったら、余計怖くなると思っただけ」


 俺は手紙を畳む。


 自分で生きられるようになることと。


 誰かを好きでいることは別だ。


 六人の百年を知ってから、その感覚は以前よりはっきりしている。


「レオンさん」


「ん?」


「今日はちょっと考え事多くないですか?」


 店長に言われて、自分の手が止まっていることに気づいた。


「ああ。ごめん」


「何かありました?」


「百年前の職場の設備が、思ってたより変なことになってたらしい」


「……百年前の職場の話を普通の仕事相談みたいに言える人、レオンさんくらいですよ」


「そう?」


「そうです」


 笑われた。


 俺も笑う。


 それくらいでいい。


 百年前の謎が増えたからといって、今日の魔獣の餌が不要になるわけではない。


 掃除も必要だ。


 具合の悪い仔がいれば見る。


 俺が知っていることもあれば、知らないこともある。


 昨日と同じだ。


 昼を過ぎる頃には、頭の中でずっと引っかかっていた《存在しない部品番号》のことも、少しだけ遠くなっていた。


     ◇


 夕方。


 仕事を終えた俺は、ルビィに頼まれた果物とリヴィ用の魚を買って帰った。


 玄関を開ける。


「ただいま」


「おかえり!」


 声と同時にルビィが来た。


「果物!」


「俺じゃなくて先にそっち?」


「レオンも!」


「ついでみたいに言うな」


 シロも寄ってきて、俺の服へ鼻を近づける。


「帰った」


「帰ったよ」


「時間通り」


「だいたいな」


 それで満足したらしい。


 フェニアが魚の包みを受け取り、リヴィは水路から嬉しそうに身体を乗り出している。


 ライカも今日はちゃんと家にいた。


 ミコを見る。


「調査してない?」


「しておりません」


「本当に?」


「レオンとの約束ですので」


 少し意外だった。


「ただし」


「やっぱり何かあるじゃん」


「王立文書院から連絡が届いております」


「それは仕方ないか」


「私から催促はしておりません」


「偉い」


「もう少し褒めていただいても」


「調子に乗るからやめとく」


 ミコが不満そうに尻尾を揺らす。


「何て?」


 尋ねると、ミコはテーブルに置いてあった封筒を俺へ渡した。


「昨日の部品番号について、専門家が確認したいことがあるそうです」


「もう分かったの?」


「完全には。ただ、かなり重要な可能性があるため、先に説明したいとのことです」


「いつ来るって?」


「既に玄関の外でお待ちです」


「え?」


 呼び鈴が鳴った。


「何で入れなかったの?」


「レオンが帰宅する前に始めない方がよろしいかと思いまして」


 そういうところは、本当に変わった。


「ありがとう」


 ミコが少し嬉しそうに笑った。


     ◇


 今日やって来たのは、エドガーだけではなかった。


 もう一人。


 七十歳前後に見える、小柄な男性が同行している。


 王立工務院で古代魔導設備の研究をしている技師らしい。


 名前を聞いたが、本人から「今日限りの説明役でしょうから技師で結構です」と言われた。


「そんな扱いでいいんですか?」


「年を取ると長い肩書きを名乗る方が面倒でして」


『分かるー』


 リヴィがすぐ同意した。


「海皇様に共感いただけるとは光栄です」


『長いの面倒ー』


「理由まで同じで少々複雑ですな」


 変な人だ。


 でも、六大神獣を前にしてもエドガーほど緊張していない。


 技術の話になると、そちらの方が気になるタイプらしい。


 技師は昨日の交換記録を机へ置く。


「例の番号ですが、結論から申し上げれば、王国規格に存在しないという文書院の調査は正しいです」


「じゃあ何の番号なんです?」


「部品番号ではありません」


「え?」


 昨日の紙を見る。


 交換後の欄に記された番号。


 俺にはただの文字と数字の組み合わせにしか見えない。


「百年前の営繕局職員なら、これを見れば王国規格外と分かったはずです。ただ、書式が似ているため後世の人間が部品番号だと考えたのでしょう」


「本当は?」


「試験製作品の識別番号です」


 ライカが身体を乗り出す。


「試作品?」


「はい」


 技師は別の古い資料を広げた。


「王立魔導研究院という組織をご存じですか?」


「名前なら」


 百年前にもあった。


 魔導具や結界の研究をしていた王国機関だ。


「当時、保存結界の長時間化研究が行われていました。医療用ではなく、主に危険物や研究試料の保存を目的としたものです」


「人間用じゃない?」


「人が入ることは想定されておりません」


 そこで少し嫌な予感がした。


「その試作品が、俺の保存結界についてた?」


「記録が正しければ」


 技師は慎重だった。


「ただし、昨日の段階では何の試作品かまでは分かりませんでした。そこで研究院側の古い試作台帳を調べました」


 紙を一枚めくる。


「該当しました」


 ミコの九本の尻尾が止まった。


「何をする部品なのですか?」


「簡単に申し上げます」


 技師が指先で、保存結界の構造図を示した。


「通常の緊急保存結界には、内部の人間を守る仕組みと同時に、長時間閉じ込めないための安全機構があります」


「七日後の強制解除?」


「その通りです」


 技師の指が一つの線をなぞる。


「外部操作盤が破損していても、管理者がいなくても、百六十八時間に到達すれば内部側から安全機構が作動し、結界を解除する」


「俺にはそれが起きなかった」


「はい」


 次に、昨日の《外部解除鍵》を示す。


「問題の試作品は、正確には解除鍵そのものではありません」


「違うの?」


 ルビィが眉を寄せる。


「解除条件を切り替える補助鍵です」


「どう切り替えるんです?」


「時間による強制解除を無効化し、外部から解除命令が届くまで保存状態を継続する」


 部屋が静かになった。


 意味を理解するのに時間はかからなかった。


「……つまり」


 俺が言う。


「それを付けると七日経っても開かない?」


「はい」


「外から誰かが開けるまで?」


「理論上は」


 ルビィの椅子が音を立てた。


「誰がそんなの付けたの!?」


 立ち上がろうとしたルビィの腕を掴む。


「落ち着け」


「でも!」


「まだ最後まで聞いてない」


 ライカも険しい顔をしている。


 ただ、以前と違ってすぐに人員を動かそうとはしなかった。


「技師殿。その部品は、長期保存そのものを可能にするのか?」


「いいえ」


 返答ははっきりしていた。


「そこがもう一つの問題です」


「どういうこと?」


「この補助鍵ができるのは、七日後の強制解除を止めることだけです」


 技師は図面を指す。


「本来の緊急保存結界は、長くても数週間から数か月程度で魔力を失う。どれほど安全機構を止めても、百年間維持することなどできません」


「じゃあ」


 フェニアの声が硬くなる。


「レオンが百年間保存された理由は、まだ説明できないのですね」


「はい」


 謎が一つ解けた。


 七日で開かなかった理由。


 しかし。


 今度は別の謎が残る。


 なぜ百年も動いたのか。


「この試作品、何のために作ったの?」


 ルビィが今度は座ったまま尋ねる。


「当初は、危険な魔導物質を非常時に隔離するためだったようです。七日経ったからと自動的に開いては困る物もありますので」


「人間に使っちゃ駄目?」


「正式採用されなかった理由の一つがそれです」


「どうして?」


「誤って人が入った場合、外部から解除されない限り出られなくなるからです」


「…………」


 全員が俺を見る。


「俺を見るなよ」


「まさにレオンがそうなったのでしょう?」


 ミコが言う。


「そうだけど」


「では見ます」


「そういう問題?」


 誰も視線を外さない。


 居心地が悪い。


     ◇


「それで」


 俺は資料へ視線を戻した。


「どうして正式採用されなかった試作品が育成所に?」


「分かりません」


 技師は首を振る。


「王立魔導研究院の記録上、当該試作品は五個製造されています」


「五個」


「二個は研究中に破損。二個は廃棄記録があります」


「残り一個?」


「所在不明です」


「それが育成所に来た可能性が高い?」


「番号が同一ですので」


 偶然とは考えづらい。


「誰が持ち出したかは?」


「記録がございません」


「盗まれた?」


「可能性はあります。しかし百年前の管理体制が現在ほど厳密ではなかった面もございますので、正式な研究目的で貸し出され、その記録だけ失われた可能性も否定できません」


 何度聞いても、この人たちは決めつけない。


 ありがたい。


 俺たちだけなら、たぶんルビィあたりがもう犯人を十人くらい想像していた。


「交換作業そのものの記録は残っていますよね?」


 俺が聞く。


「はい」


 エドガーが別の書類を出した。


「昨日お見せした記録は営繕局側の控えでした。しかし今日、専門家の確認が入ったことで、別の帳簿を見る必要があると分かりました」


「別の帳簿?」


「通常、規格外品を施設へ取り付ける場合、現場側にも受領記録を残します」


 ミコがすぐ反応する。


「育成所側の記録はほとんど失われているはずでは?」


「はい。ただし原本ではなく、営繕局へ戻された作業完了報告の写しが見つかりました」


 また紙が出てくる。


 百年前の一枚。


 紙の端は破れ、文字も薄い。


「交換作業日。襲撃四日前」


 エドガーが読み上げる。


「作業内容。緊急保存結界外部解除系統、認証鍵交換」


 ここまでは昨日と同じだ。


「施工担当者の欄は一部欠損しており、氏名を確認できません」


 ルビィが残念そうな顔をした。


「でも」


 エドガーの表情が妙だった。


「現場立会人の欄が残っております」


「誰?」


「それを、レオン殿ご本人に確認していただきたく」


 紙が俺の前へ置かれる。


 立会人。


 何かを取り付けた時、その施設の人間が「確かに作業を確認しました」と署名する欄だ。


 名前が書かれている。


 俺は読んだ。


《王立神獣育成所 飼育員 レオン・ハルト》


「…………」


 ルビィたちが息を呑む。


「俺?」


「書類上は」


 エドガーが答えた。


「覚えておられますか?」


「いや」


 即答だった。


 まったく覚えていない。


 襲撃の四日前。


 保存結界の部品交換。


 そんなものに立ち会った記憶はない。


「百年前だから忘れてるだけじゃない?」


 ルビィが言う。


「そうかも」


 実際、育児日誌を読んで初めて思い出した出来事はいくつもある。


 仕事上の小さな設備点検まで全部覚えているとは言えない。


「署名は?」


 ライカが尋ねる。


「レオン本人のものか確認できるか?」


「それもお願いしたかったのです」


 書類の下。


 立会人欄の横に、署名がある。


《Leon Hart》


 百年前、正式書類へ署名する時に使っていた形だ。


 俺はしばらく眺めた。


「似てるな」


 自分の字。


 そう見える。


「本人?」


 シロが聞く。


「待って」


 俺は昨日まで整理していた育児日誌を持ってくる。


 仕事用の日誌だから、冊子の最後には毎回自分の署名を入れていた。


 一冊。


 二冊。


 三冊。


 並べる。


 エドガーも技師も黙って見ている。


「……俺の字に見える」


 ルビィの顔が曇る。


「じゃあレオンが交換したの?」


「俺は作業してないよ。書類上も立ち会っただけ」


「でも知ってた?」


「それも分からない」


 記憶がない。


 本当に忘れているのか。


 それとも。


 別の理由なのか。


 俺は署名をもう一度見る。


 何かが引っかかった。


「レオン?」


 フェニアが気づく。


「どうされました?」


「いや……」


 育児日誌の署名。


 作業完了報告の署名。


 何度も見比べる。


「似てる」


「はい」


「かなり似てる」


「本人の署名を参考にして書いたのであれば、当然では?」


 ミコの言葉に、俺は首を振った。


「違う」


「何がでしょう」


「俺、正式書類に署名する時だけ癖があったんだ」


 自分の名前を指でなぞる。


「昔、事務員に何回か注意された。俺の署名、最後が読めないって」


「最後?」


「ハルトの最後」


 育児日誌を見る。


 俺の署名。


 最後の文字を、いつも少し上へ跳ねるように書いている。


 面倒で、最後までちゃんと書かない癖があった。


「こっちは?」


 作業完了報告。


 綺麗だ。


 丁寧すぎるほどに。


「……読めるな」


「読めてはいけないのですか?」


「俺ならもっと汚い」


「自慢することではないかと」


 フェニアから冷静に言われた。


「でも本当に」


 別の日誌も出す。


 同じだ。


 どの署名も最後だけ崩れている。


 一冊だけではない。


 二冊。


 三冊。


 古い給与受領記録が木箱に入っていたので、それも確認する。


 やっぱり同じ。


「これ」


 ライカが作業完了報告を持ち上げた。


「最後まで正確に書かれている」


「うん」


 似ている。


 でも。


「俺が自分の署名を真似して丁寧に書いたみたいな字だな」


「そんな書き方する?」


 ルビィが聞く。


「しないと思う」


「じゃあ偽物?」


「まだ分からない」


 俺はすぐに止めた。


 紙が百年残る間に、線の見え方が変わった可能性もある。


 署名する時、たまたま丁寧に書いたのかもしれない。


 俺自身が忘れているだけかもしれない。


「筆跡鑑定は?」


 ミコが尋ねる。


 エドガーが頷く。


「行います。ただ、百年前のレオン殿ご本人がここにいらっしゃる以上、先に記憶と普段の署名方法を確認するべきと考えました」


「それでいいと思います」


 俺は答えた。


 すぐ犯人探しを始める必要はない。


 ただ。


 引っかかる。


 ものすごく引っかかる。


「この書類に立会人が必要だった理由は?」


「保存結界が、人命用設備だからです」


 技師が答えた。


「安全機構へ関係する部品を交換する場合、実際にその設備を使用する可能性がある現場職員の確認が必要になります」


「つまり」


 ライカの目が細くなる。


「規格外の部品を正規の設備へ取り付けるには、育成所の誰かが了承したという形が必要だった」


「そうなります」


 そして。


 そこに俺の名前が使われていた。


     ◇


 その日の話は、そこで終わりにした。


 筆跡については専門家に確認してもらう。


 試作品が研究院からどう流出したのかも、文書院が残存資料を調べる。


 俺たちは勝手に大規模な捜索を始めない。


 昨日決めた通りだ。


 エドガーたちを見送ったあと。


 家の中が妙に静かになった。


「レオン」


 ルビィが俺を見る。


「何?」


「やっぱり今日から仕事行く時、私ついていこうか?」


「何で百年前の署名の話から今の護衛になるんだよ」


「だって」


「必要ない」


「でも――」


「ルビィ」


 俺は頭を撫でる。


「今の俺に何か起きてるわけじゃない」


「……うん」


「百年前に何があったか調べる。でも、それと今日の俺が一人で仕事へ行けるかは別」


「分かってるけど」


「帰ってきただろ?」


 ルビィが黙る。


「今日も」


「……うん」


「明日も仕事なら帰ってくるよ」


「絶対?」


「事故とかまで絶対とは言えないけど」


「そこは絶対って言って!」


「無茶言うな」


 俺が笑うと、ルビィは不満そうにしたあと、ようやく少し笑った。


 シロも俺の横へ来る。


「帰る」


「うん」


「約束」


「はいはい」


 フェニアは少し離れた場所から俺たちを見ていた。


「百年前にも、そのように言えれば良かったのでしょうね」


「何を?」


「いつ帰るのか、と」


 あの日。


 そんな時間はなかった。


 警報。


 火。


 襲撃。


 仔たちを逃がすことで精一杯だった。


「俺も七日くらいだと思ってたからな」


「私たちは知りませんでした」


「そうだな」


 だから待った。


 いつまでかも分からず。


 そして百年経った。


「今回は言うよ」


「はい」


「仕事なら夕方。買い物なら何時くらい。泊まりなら先に連絡する」


「泊まり?」


 六人の視線が一斉に集まった。


「例えだよ」


「どこに泊まるの?」


「だから例え!」


「誰と?」


「決まってない!」


「なら泊まらなくていい」


 シロまで参加してきた。


「何でそうなるんだよ!」


 空気が戻る。


 これでいい。


     ◇


 夕食後。


 俺は百年前の署名を何枚か机へ並べていた。


 調査のためというより、単純に気になったからだ。


 やっぱり。


 自分の署名はどれも最後が雑だ。


「百年前から字汚かったんだな」


「今もそこまで変わっておりませんよ」


 フェニアが横から言う。


「そんなに?」


「薬草の買い物メモを読めなかったことがございます」


「俺は読めた」


「書いた本人ですから」


 反論できない。


 ライカも一枚手に取る。


「この日誌は襲撃の二か月前」


「うん」


「こちらは半年前」


「そう」


「どちらも同じ癖だな」


「だろ?」


 ミコは作業完了報告の写しを見ていた。


「署名以外の記載は別人の筆跡です」


「作業員が書いたんだろ」


「はい。ただ」


「何?」


「立会人欄の役職」


 指を差す。


《飼育員》


「それが?」


「レオンは百年前、正式には何という役職でしたか?」


「飼育員だけど」


「書類上も?」


「たぶん……」


 そこで止まった。


 何か思い出す。


「いや」


「違う?」


「正式名称、もっと長かった気がする」


 王立施設だ。


 妙に堅苦しい役職名がついていた。


 日常では全員、飼育員としか呼ばなかったが。


「日誌にない?」


 探す。


 表紙。


 裏表紙。


 何冊目かの管理欄に見つけた。


《王立神獣育成所 第二幼体育成室 飼育管理官 レオン・ハルト》


「これだ」


「飼育管理官」


 ミコが作業記録へ戻る。


 そこには。


《飼育員 レオン・ハルト》


「間違ってる?」


 ルビィが聞く。


「普通に呼ぶなら間違ってないよ」


「正式書類では?」


「たぶん、こっちを書く」


 俺は日誌の正式名称を指す。


 王国の役人が作る書類。


 安全設備の交換。


 現場責任者の立会い。


 そんなものに、わざわざ略した職名を書くのだろうか。


 分からない。


 でも。


「レオンを知ってる人が書いた?」


 シロが呟いた。


 全員がシロを見る。


「どういうこと?」


「名前知ってる」


「うん」


「仕事も知ってる」


「うん」


「でも、書類の名前は知らない」


 俺は何も言えなかった。


 ミコの目が少し細くなる。


「……なるほど」


「待った」


 俺はすぐ止める。


「それもまだ仮説だからな」


「はい」


「当時の書式が略称でも良かった可能性がある」


「調べます」


「文書院に頼むだけな」


「承知しております」


 前なら、もう百年前の王国官吏の子孫まで探し始めていただろう。


 ミコも少し変わった。


「でも」


 俺は二枚の紙を見る。


 俺の署名に似ている。


 俺の名前を知っている。


 俺が飼育員だと知っている。


 ただし。


 正式な役職名は使っていない。


 そしてその書類を使って。


 七日で俺を外へ出すはずだった安全機構が、止められた。


「……俺、意外と狙われてた?」


「今さら気づいたの!?」


 ルビィが大声を出した。


「いや、まだ決まってないって!」


「絶対明日仕事ついていく!」


「来るな!」


「遠くから見るだけ!」


「それも前にやっただろ!」


「じゃあもっと遠く!」


「距離の問題じゃない!」


 また騒ぎになる。


 フェニアは止めようとしているのか笑っているのか分からない。


 ライカは護衛計画を考え始めようとしているので、そちらも止めないといけない。


 ミコは既に紙を出しかけている。


 シロは俺の服を掴んだまま。


 リヴィだけが水路から眠そうにこちらを見ていた。


『レオンー』


「何?」


『百年前に狙った人ー』


「うん」


『もう百歳以上だよー』


「……そうだな」


『寝てるかもー』


「もっと別の言い方しろ!」


 百年前の事件なのだ。


 犯人が人間なら、今生きている可能性は低い。


 だから。


 慌てる必要はない。


 けれど。


 誰かが俺の名前を使い。


 俺の署名に似た文字を書き。


 本来なら七日後に開くはずだった保存結界へ、強制解除を止める試作品を取り付けた可能性がある。


 それだけは。


 昨日より、少しだけはっきりした。


 百年間眠ったことは、ただの事故ではなかったのかもしれない。


 そしてもし。


 誰かが最初から俺を長く眠らせるつもりだったのなら。


 次に知るべきなのは。


 どうして俺だったのか。


 そこなのだと思う。

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