第5話 海皇様、迎えに来る気はないらしい
『レオーン』
山の麓に広がる湖から、間の抜けた声が響いてくる。
『こっち来てー』
「自分で来い!」
『やだー』
「百年経っても変わってねえな!」
俺は城の窓から湖へ向かって叫んだ。
返事はすぐに返ってきた。
『だって陸、歩きにくいー』
「人の姿になれるだろ!」
『疲れるー』
「じゃあそこで待ってろ!」
『待つー』
「素直だな!」
会話終了。
俺は窓を閉めた。
「よし。飯」
「えっ?」
ルビィが俺を見る。
「行かないの?」
「何で俺が山を降りなきゃいけないんだよ」
「リヴィが呼んでる」
「あいつが会いたいんだから、あいつが来ればいいだろ」
「でもリヴィだよ?」
「知ってるよ」
「海皇だよ?」
「昔は水槽から出るの面倒くさがって、俺に餌持ってこさせてた奴だろ」
「……うん」
「甘やかしたら負けだ」
俺は食堂へ向かって歩き出した。
その場にいた連中は誰も動かなかった。
「どうした?」
振り返る。
宰相が口をぱくぱくさせている。
「い、今……」
「ん?」
「海皇様からの召喚を……お断りに?」
「召喚?」
そんな大げさなものだったか?
「こっち来てって言われただけだぞ」
「それを海皇様の御召しと申します!」
「そうなの?」
「国家元首であろうと、生涯に一度賜れるかどうかという栄誉でございます!」
「へえ」
「へえ!?」
宰相の声が裏返った。
「それを……」
「腹減ってるし」
「食事を優先なさるのですか!?」
「朝から何も食ってないんだぞ!」
俺にだって優先順位くらいある。
一位、飯。
二位、飯。
三位くらいにリヴィだ。
『レオーン』
また湖から声がした。
「今度は何だー!」
『お腹すいたー』
「知らん!」
『魚ほしいー』
「湖にいるだろ!」
『自分で捕るの面倒ー』
「捕れ!」
『レオン捕ってー』
「百年前から何も成長してねえ!」
湖面が、ぶくぶくと泡立った。
『けちー』
「誰がケチだ!」
俺は本格的に無視して食堂へ向かった。
すると。
「レオン」
シロが俺の隣を歩きながら聞いてきた。
「なに?」
「リヴィ、来ない?」
「腹減ったら来るだろ」
「来ないと思う」
「何で?」
「面倒だから」
「……あいつならあり得るな」
フェニアも頷いた。
「昔もレオンが食事を運ぶまで、水場から出ませんでしたものね」
「そうなんだよ」
ルビィが腕を組む。
「一回放っておいたら?」
「三日くらい拗ねてた」
「その後は?」
「腹減りすぎて泣いた」
三人が黙った。
「…………」
「何だよ」
「レオン」
ルビィが言う。
「やっぱり甘やかしてたんじゃない?」
「…………」
言われてみれば。
「いや、でも幼かったし」
「私たちも幼かった」
「お前らは勝手に飯食ってただろ」
「それはそう」
そんな会話をしながら食堂へ入った。
――そして。
「…………」
俺は立ち止まった。
長い。
ものすごく長いテーブルがある。
何人座るんだこれ。
百人くらいいけるんじゃないか?
その上に料理が並んでいる。
肉。
魚。
パン。
スープ。
果物。
見たことのない料理。
見たことのない菓子。
朝飯というより宴会だ。
「ルビィ」
「なに?」
「俺、朝飯って言ったよな」
「うん!」
「これ何?」
「朝飯!」
「嘘つけ!」
朝から丸焼きの魔物みたいなのが三頭並んでるぞ。
「料理長!」
さっきの白い服の男が飛んできた。
「はい!」
「普通の朝飯ない?」
「普通……でございますか?」
「パンと卵とスープくらいでいい」
「そのような粗末な物を!?」
「粗末じゃねえよ!」
百年で食文化までおかしくなったのか?
「レオンは昔からそう」
シロが席につく。
「朝はパン」
「あと卵」
フェニアも座る。
「半熟でしたね」
「そうそう」
「果物も」
「それも欲しいな」
ルビィが慌てて料理長を見る。
「聞いた!?」
「直ちに!」
「いや、今あるパンでいいって!」
料理長が全力疾走で厨房へ消えていった。
「……偉い人の飯って大変だな」
俺は適当な席に座った。
すると。
ルビィが右隣。
シロが左隣。
フェニアが正面。
ぴたり。
「…………」
三人とも俺を見ている。
「何?」
「別に」
ルビィ。
「何も」
シロ。
「お気になさらず」
フェニア。
「気になるわ」
何なんだ。
俺がパンへ手を伸ばす。
三人も同時に動いた。
「レオン、これ美味しいよ」
ルビィが肉を皿へ載せる。
「朝から重いって」
「じゃあ果物」
シロが皮を剥いた果物を置く。
「自分で取れるぞ」
「こちらのスープも」
フェニアが器を差し出す。
「いやだから!」
百年ぶりに会ったからなのか。
三人とも妙に世話を焼きたがる。
「お前ら」
「?」
「?」
「?」
「俺は子供じゃないぞ」
三人が顔を見合わせた。
ルビィが言う。
「知ってる」
シロも頷く。
「大人」
フェニアが微笑む。
「もちろんです」
「じゃあ自分で食わせろ」
「それとこれとは別」
「何が!?」
結局、俺の皿は勝手にいっぱいになった。
……まあ。
悪い気はしないけど。
パンを一口食べる。
「うまい」
ルビィの顔がぱっと明るくなった。
「でしょ!」
「お前が作ったんじゃないけどな」
「うっ」
スープ。
「これもうまい」
フェニアが嬉しそうに頷く。
「この地方では百年前より香辛料が豊富になりましたから」
「へえ」
果物。
「甘っ」
シロが尻尾を振る。
「南方産」
「百年前にはなかったな」
「今は転移門で一日」
「便利になったんだなあ」
ようやく。
俺は百年という時間を少しだけ実感した。
料理。
城。
服。
魔道具。
俺が知っている世界とは、かなり違う。
でも。
右を見る。
ルビィが俺のパンを狙っている。
「自分のあるだろ」
「そっちの方が美味しそう」
「同じだ!」
左。
シロが俺の肩にもたれている。
「食べにくい」
「百年分」
「何が?」
「くっついてる」
「長いわ!」
正面。
フェニアがこっそり席を立とうとしている。
「フェニア」
「はい?」
「どこ行く」
「少々用事を」
「風呂から逃げる気だろ」
「…………」
「座れ」
「はい」
こいつらは変わっていない。
なんだか、それだけで安心した。
「そういえば」
俺はパンをちぎりながら聞いた。
「百年間、お前ら何してたんだ?」
ぴたり。
三人の動きが止まった。
「…………」
「…………」
「…………」
「何だよ」
ルビィが目を逸らす。
「色々」
「雑だな」
シロ。
「仕事」
「何の?」
「国を守ったり」
「へえ」
フェニア。
「病を治したり、争いを止めたり……でしょうか」
「立派になったな」
三人とも少し照れた。
「そっか」
俺は笑う。
「ちゃんとやってたんだな」
「…………」
「…………」
「…………」
「だから何で黙るんだよ」
ルビィが小さく口を開いた。
「レオン」
「ん?」
「私たち――」
その時。
どっぱああああああん!!
城全体が揺れた。
「今度は何!?」
俺が立ち上がる。
窓の外。
湖から、とんでもない量の水が空へ噴き上がっている。
『レオーン!』
「リヴィ!」
『魚捕れたー!』
「自分で捕れるじゃねえか!!」
『褒めてー!』
「子供か!」
『持ってくー!』
「ちょっと待て!」
嫌な予感。
猛烈に嫌な予感がする。
「リヴィ!」
『なーにー?』
「その魚どれくらいでかい!?」
少し間があった。
『城くらいー』
「持ってくんなあああああ!!」
次の瞬間。
遥か遠くの湖から。
**城より大きな魚が空を飛んできた。**
食堂にいた全員が窓を見る。
「…………」
「…………」
「…………」
俺は額を押さえた。
「百年あったんだから……」
空を飛ぶ巨大魚を見ながら呟く。
「少しくらい常識覚えてくれよ……」
俺の百年後の生活。
どうやら静かに暮らすのは――。
かなり難しそうだった。




