第46話 炎竜皇の祭礼、供物を全部「みんなで食べよう」に変えたら本人が一番楽しんでいた
休日の朝。
俺が朝食を食べていると、ルビィが一枚の紙を両手で持ったまま、さっきから俺の横を行ったり来たりしていた。
最初は気にしなかった。
一往復。
二往復。
三往復。
さすがに落ち着かない。
「ルビィ」
「何?」
「用があるなら言えば?」
「別にないよ?」
「じゃあ何でずっと俺の横歩いてるんだよ」
「歩きたいから!」
明らかに嘘だった。
紙を背中へ隠している時点で分かりやすすぎる。
俺が黙って手を出すと、ルビィは少し迷ったあと、観念したようにその紙を渡してきた。
「……これ」
「何?」
「神殿から」
開いてみる。
炎竜皇を祀る大神殿からの招待状だった。
数日後に行われる《炎竜大祭》について書かれている。
名前だけなら以前から聞いたことがある。
炎竜皇ルビリアへの感謝を示すため、毎年大量の果物や穀物を奉納する祭礼らしい。
ただし今年は内容が大きく変わっていた。
《本年より、炎竜皇様ご本人の御意向に基づき、祭壇への奉納後、供物は参列者および町の皆様へ広く分配いたします》
《また、炎竜皇様がお望みであれば、祭礼への一般参加も歓迎いたします》
俺はそこまで読んで、ルビィを見る。
「良かったじゃん」
「うん」
「前に言ってた通りになったんだろ?」
「うん」
「じゃあ何でそんな顔してるの?」
「どんな顔?」
「行きたいけど自分から言うのは恥ずかしい顔」
「そんな顔してない!」
「してるよ」
すると、少し離れたところで寝転んでいたシロが顔だけ上げた。
「してる」
「シロまで!」
フェニアも茶を飲みながら、わずかに笑っている。
どうやら全員気づいていたらしい。
「で、行きたいの?」
俺が聞く。
ルビィは俺の向かいの椅子へ座った。
「ちょっとだけ」
「どのくらい?」
「すごく」
「全然ちょっとじゃないな」
素直なのか素直じゃないのか分からない。
「じゃあ行ってくれば?」
「レオンは?」
「俺?」
「一緒に来ない?」
ようやく本題が出た。
「俺、炎竜皇の祭礼に関係ないだろ」
「あるよ!」
「どこが?」
「私が行くんだからある!」
「それはお前との関係だろ」
「だから関係あるじゃん!」
ものすごく強引だ。
ただ、俺もその日は休みだった。
断る理由も特にない。
「分かったよ」
「本当!?」
「果物食べに行くだけだろ?」
「うん!」
一瞬で機嫌が直った。
尻尾まで嬉しそうに動いている。
世界中から崇められる炎竜皇が、自分の祭礼へ行くのに俺の付き添いを欲しがる。
百年前なら想像できなかった。
いや。
百年前なら、知らない場所へ行く時に俺の服を掴んでついてきたから、むしろ何も変わっていないのかもしれない。
◇
数日後。
祭礼が行われる町へ着いた瞬間、俺は自分の認識が甘かったと気づいた。
「果物食べに行くだけじゃなかったな」
「すごいね!」
「お前の祭りだぞ」
町中が果物だらけだった。
大通りには色とりどりの布が張られ、露店にはこの地方で採れた果物が山のように積まれている。
リンゴに似た赤い実。
房状になる紫色の実。
俺の頭ほどある黄色い果実。
百年前には見たこともない種類まであった。
中央広場には巨大な祭壇があり、その前にはすでに大勢の人が集まっている。
「例年もこんな感じなの?」
俺が尋ねる。
「もっと静かだったよ」
ルビィの返事は意外だった。
「静か?」
「うん。みんな果物を置いて、お祈りして、帰るの」
「食べないの?」
「食べないよ」
「もったいなくない?」
「私もそう思ってた」
だから、皆で食べたいと言ったのか。
祭礼なのだから、もっと賑やかなものを想像していた。
しかし百年間、ここでは神へ捧げる厳粛な儀式だったらしい。
「ルビィは毎回来てたの?」
「ううん」
「何で?」
「私が来たら、みんなもっと緊張するから」
ルビィは広場の祭壇を見る。
「昔、一回来たことあるんだけどね。誰も動かなくなっちゃった」
「誰も?」
「私が帰るまで、ずっと頭下げてた」
「……そりゃ楽しくないな」
「でしょ?」
ルビィが笑った。
でも、その笑い方は少し寂しそうだった。
百年の間に、似たようなことが何度あったのだろう。
自分を祝う祭りなのに、自分が行けば皆が緊張する。
自分への供物なのに、一緒に食べる相手はいない。
「今日は大丈夫なんだろ?」
「たぶん」
「たぶん?」
「神殿から『普通に参加してください』って書いてあったから!」
「一番難しい注文されてない?」
ルビィの普通。
人間側の普通。
かなり違う気がする。
そんな話をしながら広場へ近づくと、俺たちに気づいた人々が次々に立ち止まった。
まずい。
やっぱりこうなるのか。
「炎竜皇様……」
誰かが呟く。
周囲が静かになっていく。
ルビィの表情から笑みが消えた。
さっきまで果物を見てあれだけ楽しそうだったのに、姿勢を正し、炎竜皇としての顔へ戻ろうとしている。
人々も頭を下げ始める。
その時だった。
「炎竜皇様!」
一人の老人が人垣を抜けてきた。
神官の服を着ている。
かなり偉い人なのだろう。
老人はルビィの前まで来ると――。
深々と頭を下げなかった。
代わりに、大きな籠を差し出した。
「本日は、どの果物から召し上がりますか?」
「……え?」
ルビィが固まる。
老人は少し緊張していた。
それでも顔を上げたまま続ける。
「今年は、皆で食べる祭礼でございますので」
周囲の人々も様子を窺っている。
どう接すればいいのか分からないのだろう。
それはそうだ。
百年間やってきた礼法を、いきなり変えるのだから。
ルビィは籠を見る。
赤。
黄。
紫。
緑。
たくさんの果物が入っている。
「選んでいいの?」
「もちろんでございます」
「私が最初?」
「ぜひ」
ルビィは俺を見る。
「俺を見るなよ」
「どれがいいと思う?」
「自分で選べ」
「じゃあ……これ!」
選んだのは、手のひらほどの赤い果物だった。
老人から受け取る。
そして、その場でかじった。
しゃくっ、といい音がする。
「甘い!」
炎竜皇の顔が、一瞬でいつものルビィに戻った。
「レオン、これおいしい!」
「良かったな」
「食べる?」
「それお前がかじったやつだろ」
「反対側!」
「別のもらうよ」
俺が籠から一つ取る。
周囲がまた静かになった。
まずかったか?
そう思った直後。
どこかから、小さな笑い声がした。
子供だった。
母親らしき女性が慌てて口を押さえようとするが、ルビィの方が早かった。
「君も食べる?」
「え?」
「これ、おいしいよ!」
ルビィが籠を持って子供の前へしゃがむ。
母親の顔が青くなった。
「炎竜皇様、そのような――」
「今日、みんなで食べるんでしょ?」
ルビィは自然に言った。
「私だけ食べてたら、前と同じじゃん」
その言葉に、神官の老人が笑った。
「仰る通りでございます」
彼は広場へ向かって声を張る。
「皆様! 本日の供物は、炎竜皇様のご希望により、ここにいる全員でいただきます!」
少し間があった。
そして。
「ただし!」
老人が追加する。
「炎竜皇様より先に全部食べることのないように!」
広場に笑いが起こった。
「それ大事!」
ルビィまで真顔で叫ぶ。
さらに笑いが広がる。
さっきまでの緊張が、少しずつ溶けていった。
◇
祭礼は、俺が聞いていた昔の形とは完全に違っていた。
祭壇へ供えられた果物は、短い祈りのあとすぐに下ろされる。
それを神官たちが切り分け、広場にいる人へ配っていく。
子供も。
老人も。
商人も。
旅人も。
そして炎竜皇本人も。
同じ果物を食べている。
「レオン、これ!」
「さっきから食べすぎじゃない?」
「まだ全部の種類食べてない!」
「全部食べる気なの?」
「祭礼だから!」
「便利な言葉にするな」
ルビィが次々に持ってくるので、俺まで腹いっぱいになってきた。
だが、周囲を見ると少し不思議だった。
最初は距離を取っていた人たちが、少しずつルビィへ近づいている。
「炎竜皇様、こちらの果実もどうぞ」
「ありがとう!」
「今年は南斜面の畑が豊作でして」
「これ、そこから?」
「はい」
「おいしい!」
農家らしい男性の顔がぱっと明るくなる。
別の女性が小さな籠を持ってくる。
「こちらは娘が初めて育てたものです」
「食べていいの?」
「ぜひ」
「じゃあ一緒に食べようよ」
「わ、私もでございますか?」
「だって育てたんでしょ?」
ルビィは果物を半分に割り、片方を女性へ渡した。
女性は泣きそうな顔で受け取った。
神へ供える。
そうではなく。
一緒に食べる。
ただそれだけで、ずいぶん景色が違う。
俺は少し離れたところから、その様子を見ていた。
すると、最初にルビィへ籠を渡した老人が隣へ来た。
「レオン・ハルト殿」
「どうも」
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「俺は付いてきただけですよ」
「それでも、炎竜皇様は大変お喜びでしょう」
「果物で?」
「それもございましょう」
老人が笑う。
しばらくルビィを見る。
「私が幼い頃の祭礼は、今とはまったく異なっておりました」
「やっぱり静かだった?」
「はい。炎竜皇様への畏敬を示すことが何より重要とされておりました」
「百年ずっと?」
「少なくとも、私が知る限りでは」
老人は少し考えてから続けた。
「ですが古い記録を調べたところ、祭礼が今の形になる以前には、少し違った時期もあったようです」
「違った?」
「炎竜皇様がまだ現在ほど広く信仰される以前、豊作の年に皆で食事をしたという記録がいくつか残っております」
俺はルビィを見る。
子供たちに囲まれている。
「本人は知ってるのかな」
「おそらく覚えておられないのではないでしょうか」
「何で?」
「百年の間に、炎竜皇様が救った土地はあまりに多うございます」
老人は穏やかに答えた。
「我々にとって一生忘れられない出来事でも、あのお方にとっては数ある出来事の一つなのでしょう」
少し引っかかった。
「救ったって、何をしたの?」
「今から八十七年前、この地方一帯が大干ばつに見舞われました」
初めて聞く話だった。
「作物の多くが枯れ、翌年に植えるための種すら食べなければならないほどだったと記録されています」
「それでルビィが?」
「山を越えた南方から、食料を運んだのです」
「一人で?」
「はい」
俺は思わずルビィを見直した。
「何往復もされたそうです。果実、穀物、薬草。炎竜皇様が自ら運んだため、通常なら数か月かかる量が数日で届いたと」
知らなかった。
「それで果物を供えるようになったの?」
「きっかけの一つとされています」
老人は頷く。
「最初は感謝として、その年に採れた最初の果実を皆で分けたそうです」
「……皆で?」
「はい」
おかしい。
「じゃあ最初は、ルビィが今日やりたいって言った形だったの?」
「そうなります」
長い年月の間に意味が変わったのだ。
皆で食べた。
翌年も感謝した。
その次も。
だんだん祭壇が大きくなり、礼法が増え、炎竜皇へ捧げること自体が目的になった。
「本人が言わないと戻らなかったんだな」
「お恥ずかしい限りです」
「いや」
俺は首を振る。
「百年なら、そういうこともあるんじゃないですか?」
俺だって育児日誌を読まなければ忘れていたことが山ほどあった。
人が変わる。
意味が変わる。
残したつもりのものも、少しずつ形を変える。
「ルビィに教えていい話?」
「もちろんです」
「じゃああとで言ってみます」
◇
「覚えてない!」
祭礼が少し落ち着いた頃。
俺が八十七年前の話をすると、ルビィは見事なくらい即答した。
「本当に?」
「うーん……」
果物を食べる手を止め、考える。
「干ばつは何回かあったし」
「何回か助けてるの?」
「困ってるって聞いたら行くでしょ?」
「普通みたいに言うなよ」
「でも、食べ物運んだのは覚えてる気がする」
しばらく考えたあと。
「あ」
「思い出した?」
「小さい女の子がいた!」
「女の子?」
「うん。運んだ果物、一個くれたの」
「自分が持ってきたやつじゃなくて?」
「その子の家に残ってた最後の一個」
ルビィは両手で丸を作る。
「すっごく小さい実だった。半分くれた」
「食べたの?」
「食べたよ」
それだけは覚えているらしい。
「で、そのあとみんなで食べた!」
「祭礼の元、それじゃない?」
「え?」
ルビィが目を丸くする。
俺は老人から聞いた話を伝えた。
最初の祭礼。
皆で果物を食べたこと。
それが少しずつ変わり、いつしかルビィへ果物を捧げる祭りになったこと。
「……そうだったんだ」
ルビィは広場を見る。
今日もたくさんの人が食べている。
笑っている。
子供が果汁で服を汚して母親に叱られている。
老人たちが昔話をしながら果物を分け合っている。
「戻ったね」
ルビィが言った。
「何が?」
「昔に」
「全く同じではないだろ」
「でも、みんなで食べてる」
それはそうだ。
ルビィは手元に残っていた果物を半分に割った。
「レオン」
「何?」
「半分」
「自分で食べろよ」
「いいから!」
押しつけられた。
仕方なく受け取る。
「八十七年前もこうしたの?」
「たぶん」
「その時は小さい女の子だったんだろ」
「今はレオン」
「意味分からないぞ」
「分からなくていいの!」
本人が楽しそうなので、それ以上は聞かなかった。
二人で同じ果物を食べる。
甘い。
少し酸っぱい。
「おいしい?」
「うん」
「良かった!」
ルビィは自分が作ったわけでもないのに嬉しそうだった。
俺はそんな横顔を見ながら、ふと思う。
百年前のルビィは、俺から果物をもらって喜んでいた。
俺がいなくなったあと。
いつの間にか、人へ果物を運ぶ側になった。
さらに年月が流れて。
人々はルビィへ果物を捧げるようになった。
そして百年後。
本人が望んだのは、また皆で食べることだった。
「何笑ってるの?」
「別に」
「絶対何か考えてた!」
「大きくなったなと思って」
「今さら!?」
「今さら」
世界では炎竜皇。
八十七年前には、飢えた土地へ何度も食べ物を運んだ。
そんな話を俺は今日まで知らなかった。
「ルビィ」
「何?」
「百年の間の話、また聞かせてよ」
ルビィが少し驚いた顔をした。
「聞きたい?」
「全部は無理だろうけど」
「いっぱいあるよ」
「百年だからな」
「格好いい話もあるよ!」
「本当?」
「あるよ!」
「枕持って寝た話より?」
「それ忘れて!」
すぐ怒った。
でも、そのあと。
「じゃあ今度話す!」
嬉しそうに言った。
「レオンがいなかった間に何したか、いっぱい!」
「うん」
「でも失敗した話は少なめね!」
「そこも聞く」
「何で!?」
「そっちの方がお前らしいから」
「ひどい!」
抗議するルビィの声が、祭りの喧騒へ混ざっていく。
百年。
俺にとっては眠っていた時間。
でも六人にとっては、ちゃんと生きた時間だ。
育児日誌に残っているのは、俺と一緒にいた頃だけ。
そのあとの百年間について、俺はほとんど知らない。
なら。
これから少しずつ聞けばいい。
炎竜皇として何をしたのか。
何を失敗したのか。
誰と出会ったのか。
何を覚えていて、何を忘れたのか。
「レオン!」
「ん?」
「次あれ食べよう!」
「まだ食べるの!?」
「祭礼だよ!」
「便利に使うなって!」
ルビィが俺の腕を引く。
向かった先では、新しい果物がちょうど切り分けられていた。
神へ捧げるためではない。
神と一緒に食べるために。
百年かけて変わった祭礼は、百年かけて元の姿へ戻った。
ただ一つ違うのは。
八十七年前より今の炎竜皇の方が、たぶん誰より楽しそうだった。




