第42話 百年前の俺、六大神獣を育て終えたら「ただの飼育員」に戻るつもりだった
《六体を育て終えたら、俺は王立神獣育成所を辞めるつもりだ》
百年前の俺が書いたその一文を、俺はしばらく理解できずに眺めていた。
文字そのものは間違いなく読める。
筆跡にも見覚えがある。
けれど、そんなことを考えていた記憶がない。
「レオン」
最初に声を出したのはルビィだった。
いつもの明るさは消えている。
「辞めるって……どこに行くつもりだったの?」
「それが俺にも分からないんだよ」
「私たちを置いて?」
「いや、待って。まだそこまで書いてないから」
俺が慌てて答えると、ルビィは口を閉じたものの、表情は晴れなかった。
シロは何も言わず俺の服の袖を握っている。
フェニアも、ライカも、ミコも、さっきまでとは違う緊張した顔で手紙を見つめていた。
池から伸びる水路にいたリヴィまで、いつの間にか俺の近くまで来ている。
百年前。
あの頃の六体にとって、俺が育成所を辞めるという話は、それほど大きなことだったのだろうか。
いや。
今の顔を見れば分かる。
百年後の今でも、大きなことらしい。
「続き読むぞ」
俺は確認してから、次の行へ視線を落とした。
《理由は二つある》
《一つ目。六体が成体になれば、もう俺に育てられる必要はない》
そこまでは普通だった。
神獣とはいえ、当時は仔だったから育成所で預かっていた。
餌を自分で取れない仔もいたし、魔力を制御できない仔もいた。夜中に寂しくなって鳴くこともあれば、ちょっとしたことで喧嘩もした。
だから俺たち飼育員がいた。
だが、いつまでも仔ではない。
《成体になった六体には、自分の行く場所を自分で決めてほしい》
《人間が用意した檻がどれだけ広くても、それを自由とは呼びたくない》
俺の口から、小さく息が漏れた。
「……こんなこと考えてたのか」
ミコが俺を見る。
「レオンらしいと思います」
「そうかな」
「はい。昔から、私たちのためと言いながら勝手に決めることを嫌っておられましたから」
「必要なことは決めてたぞ。飯の時間とか寝る時間とか」
「それは仔を育てるために必要なことでしょう?」
「まあな」
「ですが、私たちが大きくなったあと、どこで暮らすかまでレオンが決めることはなかった」
言われてみれば、そうだったのかもしれない。
俺はまた手紙へ視線を戻した。
《育成所は六体を守る場所だった。だが、いつまでも守る場所であり続けるべきではない》
《俺の言うことを聞く必要もなくなる》
「え?」
シロが反応した。
「何だ?」
「そこ、おかしい」
「どこが?」
「今も聞く」
「いや、聞かなくていいことまで聞いてる時あるだろ」
「聞く」
シロは譲らなかった。
俺の袖を掴む手に少し力が入る。
「レオンが駄目って言ったら、考える」
「考えるだけ?」
「……だいたい聞く」
「だいたいなんだな」
少しだけ空気が和らいだ。
それでもシロは離れない。
俺はそのまま手紙を読み進めた。
《二つ目の理由は、俺の方だ》
《たぶん俺は、この六体に情が移りすぎた》
「……たぶん?」
ルビィが呟いた。
「たぶんじゃないよね?」
「百年前の俺に言ってくれ」
「すごく移ってるよね?」
「日誌を見る限りはな」
「すごくだよ?」
「分かったから」
妙なところで確認を求めてくる。
だが、続きにはもう少し真面目なことが書かれていた。
《仕事だから面倒を見る。それが飼育員として正しい》
《でも、いつからか俺は、仕事が終わったあとも六体のことを考えている》
《今日はちゃんと眠れているだろうか。喧嘩していないだろうか。明日の餌は何がいいだろうか。あいつは今日、少し元気がなかった気がする》
読んでいるうちに、何となく覚えのある感覚が蘇ってきた。
出来事そのものではない。
もっと曖昧なものだ。
育成所から帰ったあと、夕食を食べながら翌日の餌を考えたこと。
夜に雨音を聞いて、ライカが怖がっていないか気になったこと。
暑い日にはリヴィの水温が上がりすぎていないか心配し、寒い朝にはシロがまた外で寝ていないか気になった。
「……ああ」
少しずつ思い出した。
「俺、休みの日にも育成所へ行ってたな」
「来てた!」
ルビィがすぐ答えた。
「休みだって言ってるのに来てた!」
「お前らが気になったからだろ」
「知ってる!」
どうしてそんなに嬉しそうなんだ。
フェニアも懐かしそうに微笑んでいた。
「レオンがお休みの日に来られた時だけ、制服ではありませんでしたね」
「そうだったかな」
「はい。ですから私たちは、遠くからでもすぐ分かりました」
「服で?」
「今日は仕事ではないのに来てくださった、と」
そんなところを見ていたのか。
俺には大した違いではなかった。
仕事の日でも休みの日でも、顔を見る相手は同じだったからだ。
手紙は続いている。
《だから六体が成体になったら、俺も一度ちゃんと区切りをつけようと思う》
《担当飼育員という立場のままそばにいれば、俺の方がこいつらを手放せなくなるかもしれない》
俺はそこで黙った。
百年前の俺は、六体のためだけではなく、自分のためにも辞めようとしていたらしい。
大きくなった仔をいつまでも仔扱いして、俺のそばに置こうとしないために。
「なるほどな……」
「納得するところなの?」
ルビィが不満そうな顔をする。
「いや、当時の俺の考えとしては分かるって話だよ」
「今は?」
「今?」
「私たち、大きくなったよ」
「大きくなりすぎたくらいだな」
「じゃあ手放す?」
その聞き方はずるい。
俺は周囲を見る。
シロは袖を掴んでいる。
フェニアはじっと俺を見ている。
ライカは平静を装っているが、尻尾が落ち着いていない。
ミコは笑っているものの、九本の尻尾すべてがこちらへ寄っている。
リヴィまで水路の縁から身を乗り出していた。
「手放すも何も、お前ら勝手に住み着いたじゃん」
「それはそうだけど!」
ルビィが即座に言い返した。
「だったら今さら追い出さないよ」
答えると、六人の空気が一斉に緩んだ。
そこまで心配することだったのか。
俺は苦笑しながら続きを読んだ。
《退職したあとのことは、まだ具体的には決めていない》
《たぶん王都か、その近くで普通の魔獣を世話する仕事を探す》
俺の手が止まった。
「……ん?」
エドガーも目を瞬かせる。
ミコが俺の現在の仕事を思い出したらしく、口元へ手を当てた。
「レオン」
「言うな。俺も思った」
「現在、《もふもふ魔獣店ポッケ》で――」
「分かってるって」
百年前の俺。
百年後の俺。
考えることがほぼ同じだった。
六大神獣を育て終えたら、普通の魔獣を世話する仕事をしたい。
実際、百年後に目覚めた俺が最初に選んだ仕事も、普通の魔獣店の飼育員だった。
「百年寝ても趣味変わらなかったんだな、俺」
「趣味ではなく天職なのではありませんか?」
フェニアが笑う。
「そうかもな」
手紙にはさらに続きがあった。
《大きな家はいらない》
嫌な予感がした。
《寝る場所と飯を食べる場所、それから少し庭があれば十分だ》
「…………」
俺は読むのをやめた。
「レオン?」
ルビィが覗き込んでくる。
「何でもない」
「続きは?」
「もういいんじゃないか?」
「さっきまで最後まで読むって言ってた!」
仕方なく読む。
《六体もそれぞれ自分の場所を持つだろうから、俺一人なら小さな家で困らない》
全員の視線が、現在の家の中を巡った。
最初は俺一人で住むはずだった、小さな家。
そこへ六人がやって来た。
狭くなった。
土地が増えた。
増築した。
温泉ができた。
水路ができた。
中身までだいぶおかしくなった。
「百年前のレオンも甘いですね」
ミコが楽しそうに言う。
「うるさい」
「ご自身で『六体もそれぞれ自分の場所を持つ』と」
「持ってるだろ。国とか神殿とか聖域とか」
「はい」
「なのに何で全員ここにいるんだよ」
六人が顔を見合わせる。
代表するようにシロが答えた。
「ここも、場所」
「そういう意味じゃないだろ」
「私の場所」
銀色の尻尾が床を一度叩く。
ルビィも負けじと手を挙げた。
「私も!」
「私もです」
フェニアまで続いた。
『私もー』
「当然、私もだ」
ライカが胸を張る。
最後にミコが優雅に微笑んだ。
「今さら私だけ違うとは申しませんよ」
「知ってるよ」
六人とも、自分の国や神殿や領域を持っている。
それでも、この家も自分の帰る場所だと思っているらしい。
百年前の俺は、そこまで想像していなかった。
さらに手紙を読み進める。
《もちろん、六体が会いに来るなら追い返すつもりはない》
今度こそ全員が静かになった。
《担当でなくなったあとに、それでも自分から会いに来てくれるなら、それは仕事とは別の関係だと思う》
俺も黙った。
百年前の自分の言葉なのに、少しだけ胸に刺さった。
《その時は餌くらい出す》
《泊まりたいなら、寝る場所も貸す》
《ただし六体全員が一度に来ることは、たぶんないだろう》
「馬鹿」
ルビィが呟いた。
「おい。百年前の俺に馬鹿って言うなよ」
「馬鹿だもん。絶対みんな行くに決まってるじゃん」
「そうかなあ」
「行く!」
ルビィは即答した。
シロも俺の袖を掴んだまま頷く。
「行く」
「私も伺ったでしょうね」
フェニアが微笑む。
『魚あったら毎日行くー』
「私は節度を守って定期的に訪問したはずだ」
ライカが言った。
「雷の日も?」
「……必要に応じて頻度は変わる」
そこは変わるらしい。
ミコは少し考えてから、穏やかに言った。
「私は、おそらくレオンの隣の土地を先に確保していたかと」
「百年前からやりそうなのやめろ」
「では一軒挟みます」
「距離の問題じゃない」
結局、全員来る。
百年前の俺の予想は完全に外れていた。
いや。
百年後には、会いに来るどころか住んでいる。
思わず笑ってしまった。
「何がおかしいの?」
「いや、昔の俺に教えてやりたいと思って」
「何を?」
「心配しなくても、こいつら全員来るぞって」
ルビィが笑った。
フェニアも。
ライカも。
ミコも。
リヴィは水面へ尻尾を打ちつけ、シロは俺の肩へ頭を預けてきた。
俺は最後の部分を読む。
《俺が育てたから、こいつらが俺のものになるわけじゃない》
《俺が一緒にいたいと思うことと、こいつらが一緒にいたいと思うことは別だ》
《だから大人になったあとは、六体自身に選んでもらう》
《それでも俺のところへ来てくれたら、その時はもう飼育員と神獣じゃない》
一度、文章が途切れていた。
最後の一行だけ、少し字が乱れている。
《たぶん家族みたいなものなんだと思う》
誰も喋らなかった。
百年前の俺は、こいつらに言わなかったらしい。
少なくとも六人の反応を見る限り、この手紙の内容を知っていた者はいない。
「……何だよ」
俺は妙に恥ずかしくなって紙を畳もうとした。
だがルビィが止めた。
「もう一回」
「何を?」
「最後」
「嫌だよ」
「何で!?」
「自分で昔書いた恥ずかしい文章を二回も音読したくない」
「じゃあ私が読む!」
「やめろ!」
手紙を取ろうとするルビィから逃がすと、反対側からミコまで手を伸ばしてきた。
「複製を一部いただければ」
「さっきまで私生活の記録を複製するなって話してただろ!」
「こちらは私たち全員に関係する重要文書です」
「俺の手紙だ!」
「家族に関する手紙です」
「都合よく解釈するな!」
騒ぎ始めた俺たちを見て、エドガーは少し離れた場所で固まっていた。
そういえばいた。
「エドガーさん?」
「は、はい」
「どうしました?」
「いえ……」
彼はかなり迷ったあと、職業人らしく口を開いた。
「歴史研究者として申し上げますと、その手紙は王立神獣育成所の思想を知る上で、極めて重要な資料になり得ます」
六人の視線が一斉に集まる。
エドガーは一瞬怯んだが、続けた。
「ですが」
今度は俺を見た。
「これはレオン殿が未来のご自身へ宛てた私信でもあります。公開するかどうかは、まずレオン殿がお決めください」
昨日までなら、歴史的価値を最優先していた人だ。
「いいんですか?」
「先ほど教えていただいたばかりですので」
エドガーが少し苦笑する。
「記録された方が今ここにいるなら、まず本人へ聞く。それを実践しなければ、文書院へ戻って部下に説明できません」
「なるほど」
「もっとも、研究者としては読ませていただけただけで一生分の幸運ですが」
「今読んだ内容は勝手に本にしないでくださいね」
「もちろんです」
今度は本当に何も書き留めていなかった。
俺は手紙を見る。
公開する必要があるかは分からない。
少なくとも、今すぐ決めることではないだろう。
「これは家に置いとくよ」
「承知いたしました」
エドガーは素直に頷いた。
「保管箱だけはお持ちいたしましょうか?」
「あ、それはお願いします」
「レオン?」
ミコが反応した。
「何だよ」
「私が用意した保管庫は却下されたのに」
「地下施設を作ろうとするからだろ」
「箱でしたらよろしかったのですか?」
「普通の箱ならな」
「……なるほど」
何を納得したんだ。
嫌な予感しかしない。
◇
エドガーが帰ったあと、手紙は日誌とは別にして棚へ置くことにした。
六人が珍しく異論を挟まなかったのは、その場所なら誰でも見られるからだと思う。
俺は改めて、百年前の自分が書いたものを思い返した。
六体が大人になったら育成所を辞める。
普通の魔獣を世話する仕事を探す。
小さな家で暮らす。
そして六体が自分の意思で会いに来たら、迎える。
「ほとんど今じゃん」
思わず呟いた。
「違うよ」
隣にいたルビィが言った。
「何が?」
「百年前のレオンは、私たちがたまに遊びに来るくらいだと思ってた」
「そうだな」
「今は住んでる」
「それが最大の誤算なんだよ」
ルビィは嬉しそうに笑う。
「じゃあ百年前のレオンより、今のレオンのほうが幸せ?」
不意に聞かれた。
俺は少し考えた。
百年前の俺が不幸だったわけじゃない。
育成所で働くのは好きだったし、六体を育てる毎日は大変だったけれど楽しかった。
でも。
あの頃の俺は、いつか終わると思っていた。
六体が成長すれば、自分の仕事は終わる。
それぞれ別の場所へ行って、俺も違う生活を始める。
それが当然だと思っていた。
百年後。
終わったと思っていたはずの先に、こんな生活が待っているなんて想像できるわけがない。
「今の方が騒がしいな」
「それ、答えになってない!」
「家は狭くなるし、勝手に土地買われるし、温泉はできるし、水路は通るし」
『水路いいでしょー?』
「便利ではある」
『やったー』
「お前らが世界中から仕事持ち込むし、俺が普通に暮らそうとすると周りが大騒ぎするし」
「それで?」
ルビィが急かす。
俺は六人を見る。
百年前に育てた六体。
俺がいなくなってから百年生きた六人。
そして、自分の意思でここへ来た六人。
「まあ、今の方がいいよ」
それだけ答えた。
ルビィの顔が一気に明るくなる。
シロの尻尾が床を叩き、フェニアは嬉しそうに目を細めた。
ライカは満足そうに頷き、ミコの九本の尻尾が大きく広がる。
リヴィは水路から両手を上げた。
『じゃあずっと住むー』
「そこまで許可した覚えはない」
「今の方がいいって言った!」
「全員永住していいとは言ってない!」
「同じだよ!」
「違う!」
すぐにいつもの騒ぎが始まった。
百年前の俺が見たら、たぶん頭を抱えるだろう。
六体が一度に家へ来る可能性は低い。
そんなことまで書いていたくらいだから。
でも、一つだけ教えてやれるなら。
お前が思っているより、この六体はずっとしつこいぞ。
大きくなっても。
世界最強になっても。
百年経っても。
ちゃんと帰ってくる。
そして、一度帰ってきたらなかなか帰らない。
そこだけは、覚悟しておいた方がいい。




