第39話 六大神獣、俺に一日何もさせないつもりらしい
翌朝。
目を覚ました俺は、しばらく天井を見つめていた。
何かがおかしい。
いつもなら庭からリヴィが魚を要求する声が聞こえたり、ルビィが台所で何かを落としたり、シロが朝飯を催促しに来たりする時間だ。
なのに、今日は妙に静かだった。
「……寝坊してる?」
昨日、俺は確かに言った。
明日の朝くらい全員自分で起きて、朝飯を作って、洗濯も掃除もしてほしい、と。
あの時は六人揃って目を逸らしていたので、半分くらいしか期待していなかった。
寝室を出る。
すると、廊下はもう掃除されていた。
「え?」
埃がない。
窓も開けられ、朝の涼しい風が入っている。
さらに台所から。
いい匂い。
「まさか……」
居間へ入る。
「おはよう、レオン!」
ルビィが笑顔で振り返った。
食卓にはパン、卵、野菜のスープ、それから切った果物が並んでいる。
シロは箒を壁へ立てかけているところで、フェニアは洗い終わった布巾を籠へ入れていた。ライカは庭から戻ってきたところらしく、ミコは買い物袋の中身を整理している。
窓の外ではリヴィが水路を掃除していた。
しかも。
誰も慌てていない。
家も燃えていない。
泡もない。
箒も折れていない。
池も増えていない。
「…………」
「レオン?」
ルビィが不安そうにこちらを見る。
「何で黙ってるの?」
「いや」
俺はもう一度部屋を見渡した。
「成功してる……」
「そこまで驚く!?」
「驚くよ!」
前回の家事当番を思い出せば当然だ。
玉ねぎは消滅し、石鹸十二個で家が泡だらけになり、箒三本が犠牲になり、庭の魔獣は軍隊化され、買い出し一回で百年契約が結ばれ、いつの間にか庭へ池までできていた。
それが今日は。
普通。
ものすごく普通だ。
「どうやったんだ?」
「練習した!」
ルビィが得意そうに胸を張る。
「人参もちゃんと同じくらいに切ったよ。見て!」
鍋の中を覗く。
本当だ。
少し大きさに差はあるものの、以前のような薪サイズではない。
「上手くなったな」
「でしょ!」
褒めた瞬間、ルビィの顔がぱっと明るくなる。
その隣ではシロが、何も言わずにこちらを見ていた。
「シロも掃除したの?」
「うん。箒、壊してない」
「偉いじゃん」
銀色の尻尾が勢いよく揺れる。
「尻尾には当たらなかった?」
「上げてた」
「疲れた?」
「少し。でもできた」
「十分十分」
今度はフェニア。
「洗濯も終わっております。石鹸は、レオンが仰っていた通り半分だけ使用しました」
「泡は?」
「必要な分だけです」
「浄化は?」
「使用しておりません」
「すごいじゃん」
「そこまで感心されますと、以前の私が相当ひどかったように感じます」
「石鹸十二個だったからな」
「……忘れてください」
たぶん一生覚えていると思う。
ライカは庭の様子を報告してきた。
「魔獣たちへの給餌も終了している。体調不良はなし。世界樹の周辺も確認したが異常はなかった」
「整列させてない?」
「させていない」
窓から見る。
大型魔獣たち。
五列。
「並んでるけど?」
「あれは自主的だ!」
「もう完全に習慣になってるじゃん」
「私の責任ではあるが、本日は命令していない!」
そこだけはどうしようもないらしい。
そして、最も不安だったミコ。
「買い物は?」
「行ってまいりました」
「普通の値段?」
「はい」
「契約してない?」
「しておりません」
「店買ってない?」
「もちろんです」
「周辺の土地は?」
「買っておりません」
「偉い!」
「レオン」
ミコが少し頬を膨らませた。
「私は普通に買い物をしただけなのですが、何故それほど褒められるのでしょう」
「お前にとって普通の買い物が一番難しかったからだよ」
それでも頭を撫でてやると、九本の尻尾は正直にふわっと広がった。
「……もう少しお願いします」
「喜んでるじゃん」
「それとこれとは別です」
最後にリヴィを見る。
「リヴィは?」
『水路と池のお掃除したー』
「増やしてない?」
『増やしてない』
「海まで繋げたりも?」
『してないよー』
「魚は?」
『増えた』
「それはもう仕方ないな」
池を見ると、また何匹か増えている。
最近、うちの庭は小型魔獣だけでなく魚型魔獣の休憩所にもなりつつあった。
ただ。
今日ばかりは。
「お前ら、ちゃんとできるようになったんだな」
思わずそう言うと。
六人が。
揃って。
嬉しそうな顔をした。
◇
朝食。
スープを一口飲む。
「美味い」
「ほんと?」
ルビィが身を乗り出す。
「ああ。前より塩加減もいい」
「私、味見した!」
「何回?」
「三回!」
「シロは?」
「四回」
「味見で減ってない?」
「少し」
「お前らなあ」
それでも美味い。
卵は少し焼きすぎているが、以前よりずっといい。
「卵はライカ?」
「そうだ。加熱時間を前回より十三秒短縮した」
「まだ秒で管理してるんだ」
「再現性は重要だ」
「まあ、美味いからいいけど」
ライカは満足そうに頷いた。
フェニアが作ったスープも、ミコが普通の値段で買ってきた果物も、きちんと食卓に並んでいる。
リヴィだけは窓の外。
『私の魚はー?』
「そこまで作ったの?」
『あるよー』
ルビィが皿を持っていく。
焼いた魚。
ちゃんと焦げていない。
「お前ら本当にどうしたの?」
「昨日、レオンがお願いしたから」
ルビィは当たり前のように言った。
「だから叶えようって、みんなで決めたの」
「俺の願いだから?」
「うん」
それくらいで。
ここまで頑張ったのか。
「神殿から大げさな願いを聞かれたあとに、俺が家事してほしいって言っただけだぞ」
「でも」
シロがパンをちぎりながら、静かに口を開いた。
「レオンのお願い、あんまりない」
「そう?」
「うん。いつも私たちのことばっかり」
言われて。
少し考える。
飯を食え。
風呂に入れ。
寝ろ。
休め。
勝手に増築するな。
神力を使うな。
確かに。
頼みごとのほとんどは。
六人のためか、家が壊れないためだ。
「だから」
フェニアが続ける。
「昨日は私たちから、レオンの願いを叶えてみようという話になったのです」
「家事だけ?」
「いいえ」
ミコが笑う。
嫌な予感。
「まだあるの?」
「ございます」
「何?」
ミコが。
一枚の紙を。
食卓へ置いた。
《本日のレオン》
一、朝食を作らない。
二、掃除をしない。
三、洗濯をしない。
四、魔獣の世話は緊急時以外しない。
五、昼食も作らない。
六、夕食も作らない。
七、ゆっくりする。
「…………」
俺は紙から顔を上げた。
「何これ?」
「レオンの休日です」
「今日仕事あるんだけど」
「ありません」
「あるよ」
「ありません」
「いや、出勤――」
「今日は店休日」
「…………」
そうだった。
言われて思い出した。
今日は《ポッケ》の定休日だった。
「じゃあ家のことを」
「私たちがやる」
ルビィ。
「魔獣の手入れ――」
「怪我してる仔はいない」
シロ。
「買い出し――」
「完了しております」
ミコ。
「庭――」
「任せろ」
ライカ。
「洗濯――」
「すでに干しております」
フェニア。
『水は私ー』
リヴィ。
「…………」
逃げ道。
なし。
「一日何もしないって、逆に難しくない?」
「それがレオンの今日の仕事」
シロが真顔で言った。
「休むのが仕事?」
「うん」
「ライカに言ってたやつ」
ルビィが笑う。
俺は。
ライカを見る。
雷帝は。
ほんの少し口元を上げた。
「以前、私に言っただろう。休むことも仕事のうちだ、と」
「……言ったな」
「今日はレオンの番だ」
返ってきた。
完全に。
返ってきた。
◇
朝食後。
俺は。
暇だった。
とりあえず食器を片づけようとしたら、フェニアに止められた。
庭の魔獣を見ようとしたら、ライカに「異常なし」と座らされた。
世界樹の周りの落ち葉を拾おうとしたら、シロに箒を奪われた。
買い物へ出ようとしたら、ミコに必要な物は全て揃っていると言われた。
「……することない」
縁側。
座る。
目の前。
世界樹。
魔獣たち。
水路。
池。
少し離れた場所ではルビィが洗濯物を畳んでいる。
ただし。
「ルビィ」
「何?」
「それ俺のシャツ」
「うん」
「何で四角くならないの?」
「頑張ってる途中!」
妙な形に畳まれている。
でも。
手は出さない。
今日はそういう日らしい。
「暇……」
「寝れば?」
隣。
いつの間にかシロが座っていた。
「朝起きたばっかりなんだけど」
「昼寝の予行練習」
「シロじゃないんだから」
「気持ちいいよ」
シロはそのまま世界樹の根元へ移動し、日当たりのいい場所へ寝転がった。
銀色の尻尾。
ぱたぱた。
「レオンも」
「俺はいい」
「今日は休む日」
「……はいはい」
隣へ座る。
木漏れ日。
風。
葉が揺れる音。
世界樹の周囲に集まった魔獣たちも、今日は妙に静かだった。
「…………」
確かに。
気持ちいい。
気づけば。
少し。
目を閉じていた。
◇
どれくらい寝たのか。
目を開けると。
身体が。
重い。
「…………」
右腕。
シロ。
いつの間にか人の姿へ戻り、俺の肩に頭を乗せて眠っている。
左。
ルビィ。
俺の腕へ抱きついている。
少し離れて。
フェニア。
世界樹にもたれて静かに眠っている。
ライカは木の幹へ背を預けたまま腕を組み。
ミコは本を開いた状態で目を閉じ。
池の縁。
リヴィまで水面へ顔を出したまま眠っていた。
「……全員寝てるじゃん」
俺を休ませるはずが。
みんなで昼寝になったらしい。
小型魔獣たちまで。
周囲へ集まっている。
俺が少し動くと。
ルビィが。
目を閉じたまま腕へ力を入れた。
「レオン……」
「起きてる?」
「……寝てる」
「寝言で返事するなよ」
「百年分……」
「寝てても便利に使うのか」
笑ってしまった。
結局。
俺も。
もう一度。
目を閉じた。
悪くない。
たまには。
こういう休日も。
◇
夕方。
目を覚ますと、今度は本当に腹が減っていた。
「夕飯どうする?」
俺が聞く。
六人。
一斉に動いた。
「私たちが作る!」
「本当に?」
「朝できた!」
「夕飯の方が難しいぞ」
「練習する」
シロまでやる気だ。
「俺、横で見ようか?」
「今日は駄目」
「危なくなったら?」
「その時だけ」
ライカが真面目に答える。
「分かった。じゃあ任せる」
俺は居間で待つことにした。
台所から聞こえる。
「ルビィ、その大きさでは火が通りません!」
「朝よりちょっと大きいだけ!」
「ちょっとではない」
「ライカ、卵はもう十分です!」
「今日は卵料理ではないのか?」
「何でも卵を割ればいいわけではありません!」
「ミコ、それ高いやつじゃないよね?」
「市場価格です」
『水いるー?』
「今はいりません!」
騒がしい。
とても。
騒がしい。
でも。
俺は。
手を出さなかった。
◇
一時間後。
食卓へ。
夕食が並んだ。
野菜と肉の煮込み。
少し形が悪いパン。
サラダ。
焼き魚。
「いただきます」
まず。
煮込み。
「…………」
六人。
こちらを見ている。
「美味い」
「ほんと!?」
ルビィの声。
大きい。
「ちょっと人参硬いけどな」
「ああー!」
「でも普通に美味いよ」
「よかった……」
フェニアまで胸を撫で下ろす。
魚。
「リヴィ?」
『私が選んだー』
「焼いたのは?」
「私です」
ライカ。
「焦げてないな」
「火加減も習得しつつある」
「卵以外も焼けるようになったか」
「当然だ」
少し誇らしそう。
サラダ。
「ミコ?」
「野菜はすべて通常価格です」
「味より先にそこ報告するようになったんだな」
「重要だと思いまして」
「重要」
パン。
「シロ?」
「こねた」
「形は?」
「ルビィ」
「何で言うの!?」
「事実」
「味は美味いから大丈夫」
六人。
笑う。
「ごちそうさま」
俺が食べ終えるまで。
今日は。
一度も。
台所へ立たなかった。
洗い物も。
六人でやるらしい。
「今日は本当に何もしなかったな」
俺が呟くと。
フェニアが穏やかに笑った。
「いかがでしたか?」
「最初は落ち着かなかった」
「今は?」
「……たまにならいい」
その一言で。
六人が。
分かりやすく。
嬉しそうな顔をした。
「じゃあ来週も!」
「毎週はいらない!」
「月二回」
シロ。
「交渉するな」
「月一回」
ミコ。
「何でお前が調整役なの?」
「現実的な頻度かと」
「まあ……月一なら」
言った瞬間。
「決まり!」
「待って。今の仮の話!」
遅かった。
ミコはもう。
家事当番表の隣へ。
《レオン休養日 月一回》
と書き込んでいた。
「消さなくていいの?」
ルビィが聞く。
俺は。
少し迷って。
「……まあ、そのままでいいよ」
六人の顔が。
また明るくなった。
世話をする。
守る。
食べさせる。
休ませる。
ずっと。
俺がこいつらへやってきたこと。
でも今は。
少しだけ。
逆になった。
それも。
悪くない。
◇
翌朝。
玄関へ。
王宮から。
大きな木箱が届いた。
「また返還品?」
箱の横には。
《旧王立神獣育成所保管資料》
と書かれている。
「何だろ」
蓋を開ける。
中には。
古い本が。
何十冊も。
詰まっていた。
一冊取る。
表紙。
《神獣幼体育成記録》
《担当 レオン・ハルト》
「……俺の日誌?」
後ろ。
気配。
振り返る。
六人。
全員。
固まっていた。
「どうした?」
「レオン」
ルビィの顔色が。
明らかに悪い。
「それ」
「うん」
「読まなくてもいいんじゃないかな」
「何で?」
「百年前の記録なんて、今さら必要ないよ!」
フェニアまで珍しく強く頷く。
「その通りです。過去より未来の方が重要でしょう」
ライカも。
「古い記録には誤認もあり得る」
ミコ。
「経年劣化も懸念されますので、私が適切に封印を――」
「何で封印するの?」
『燃やすー?』
「リヴィまで!?」
怪しい。
ものすごく。
怪しい。
俺は。
一冊目を開いた。
《炎竜幼体ルビィ》
《本日、寂しさから飼育員の枕を持ち去る》
「…………」
ルビィ。
後退。
《返却を求めるも拒否》
《最終的に枕へ抱きついたまま就寝》
「レオン!」
「まだ一ページ目だけど?」
「閉じよう!」
「嫌だ」
「お願い!」
次。
《白銀神狼シロ》
《腹を撫でられると後脚が勝手に動く》
シロ。
「…………」
「今も?」
「その記録、間違ってる」
「試す?」
「間違ってる」
耳が真っ赤。
さらに。
《天鳳フェニア》
《本日も入浴から逃走》
「もう結構です!」
《捕獲に四十二分》
「読まないでください!」
「昔からじゃん!」
世界最強。
世界中で神として崇められる。
六大神獣。
その。
絶対に知られたくない百年前が。
何十冊も。
俺の手元へ。
戻ってきた。
「これ」
俺は箱を見る。
「しばらく暇しなさそうだな」
六人。
揃って。
青ざめた。
俺の次の休日は。
どうやら。
百年前の育児日誌を読むだけで。
一日。
潰れそうだった。




