第35話 王都から三百人と言われたので、普通に断った
王都教育院から来た役人は、俺が叫んだあとも深々と頭を下げたままだった。
来月の魔獣触れ合い教室へ、王都の子供たちを三百人参加させたい。
町内の子供向けに始まった催しとしては、あまりにも規模がおかしい。
「念のため確認しますけど、三十人じゃなくて三百人ですよね?」
「はい。希望者そのものはさらに多いのですが、安全面を考慮して教育院側で三百名まで絞り込む予定でおります」
「全然絞れてませんよ」
俺が即答すると、役人は少し困った顔になった。
その背後ではルビィたち六人が興味津々で話を聞いている。さっきまで近所の子供を相手に予行練習をしていたせいか、全員まだ妙にやる気がある。
「三百人くらいなら大丈夫じゃない?」
「ルビィ。さっき六人相手に一時間遊んだだけでも、庭があれだけ賑やかだっただろ」
振り返って庭を見ると、あちこちに子供たちが遊んだ跡が残っている。世界樹の枝には小さな花輪が掛けられ、ミコの尻尾へ結ばれていたリボンが一本落ち、池のそばにはリヴィがもらった干し魚の包み紙まで置かれていた。
六人の子供なら、これくらいで済んだ。
三百人が一度に来たら、触れ合い教室どころではない。
「それに店の裏庭でやる催しなんです。三百人入れたら、人間だけでいっぱいになりますよ」
「その点については教育院側でも検討しておりまして、王都の中央演習場を会場として提供する案がございます」
「会場まで変えるんですか?」
「はい。十分な面積があり、警備兵も配置できます。必要であれば観覧席も増設し――」
「ちょっと待ってください」
俺は説明を途中で止めた。
嫌な方向へ進んでいる。
「それ、もう町の触れ合い教室じゃないですよね」
「ですが、六大神獣様方が揃って子供たちと接する機会は歴史上初めてであり、教育的価値は計り知れません。王都でも大きな期待が――」
「六人を見せる会じゃないんです」
できるだけきつくならないよう言ったつもりだったが、役人はそこで口を閉じた。
「子供たちに教えたいのは、珍しい神獣を見た時のありがたい拝み方じゃありません。魔獣にも気分があって、嫌がることをしたら駄目だとか、怖そうに見えても怪我をしてるだけかもしれないとか、そういう普通の話です」
先日の岩翼獅子を思い出す。
痛みに怯え、逃げた末に店へ迷い込んできた若い魔獣。
ああいう時に必要なのは、勇者でも神官でもない。
まず相手を見ることだ。
「人数を増やしすぎたら、一人一人が触ったり反応を見たりできなくなるでしょう? 遠くから六大神獣を眺めるだけなら、それは別の催しです」
「……なるほど」
役人は手にしていた資料へ目を落とした。
どうやら怒ったわけではなく、本気で考えているらしい。
「では、レオン殿としては何名ほどが適切だと?」
「店長と相談しないと決められませんけど、前回が二十人くらいだったので、多くても三十人か四十人でしょうね。一度に見るなら、そのくらいが限界だと思います」
「三百名から四十名……」
役人の顔が明らかに曇る。
後ろからミコが静かに口を挟んだ。
「複数回に分けて開催する方法もございます。四十名を一組として八回実施すれば、三百名以上を受け入れられますが」
「ミコ」
「はい」
「誰が八回やるの?」
「…………」
「俺だよね?」
「私たちもお手伝いいたします」
「お前らは楽しそうだけど、店長も俺も普通に仕事あるんだよ」
そこまで言うと、ミコは素直に引き下がった。
最近は以前より止まり方が早くなっている。
成長と言っていいのかもしれない。
「それでしたら」
役人が少し考えてから提案した。
「王都からの参加者は少数の代表児童に絞り、教育院の教員を同行させるのはいかがでしょう。そこで学んだ内容を王都へ持ち帰り、通常の授業へ反映いたします」
「それならいいかも」
俺はようやく頷いた。
六大神獣を見ることが目的ではなく、教えた内容を持ち帰る。
それなら町の催しを壊さない。
「何人くらいです?」
「十名ではいかがでしょう」
「それなら店長にも相談できます」
「ありがとうございます」
役人はほっとしたように頭を下げた。
最初の三百人から十人。
だいぶ普通に近づいた。
その横でルビィが不思議そうに首を傾げている。
「でもレオン、会いたい子がいっぱいいるんだよね?」
「そうみたいだな」
「会っちゃ駄目なの?」
「駄目とは言わないけど、全員いっぺんには無理だって話」
「じゃあ少しずつ会えばいいのに」
「お前、こういう時だけ体力無限みたいなこと言うな」
「だって子供かわいかったし」
ルビィは本気らしい。
シロも俺の袖を少し引いた。
「私も、またやりたい」
「撫でられたいだけじゃない?」
「それもある」
「否定しないんだな」
フェニアは苦笑したものの、ルビィたちの意見そのものには賛成らしい。
「一度だけの特別行事にする必要はないのではありませんか。レオンのお仕事に支障がない範囲で、時折行う程度でしたら」
「月一とか?」
「そのくらいであれば現実的かと」
ライカも頷く。
「一度に大人数を受け入れるより合理的だ。安全管理もしやすい」
「お前ら、本当に気に入ったんだな」
「悪くなかった」
そう答えたライカは平静を装っているが、近所の男の子に握手を頼まれた時、尻尾が動いていたことを俺は知っている。
「じゃあ、その辺も店長と相談してみるよ。ただし町内の子供優先。それと六大神獣を見るだけの観光イベントにはしない」
「分かりました」
六人の返事が揃った。
リヴィだけは少し遅れて、水球の中から手を挙げる。
『魚のお土産は?』
「原則禁止」
『ええー』
「子供から食べ物もらう癖つけたら、お前何でも食うようになるだろ」
『確認してから食べる』
「夕飯前は?」
『我慢する』
「……ちょっと成長してる」
『えらい?』
「偉い」
それだけでリヴィは満足そうに水球の中で回った。
役人はそんな俺たちのやり取りを、何とも言えない顔で見ていた。
「どうしました?」
「いえ……王都では六大神獣様方の参加について、神聖なる教育事業として非常に大きな議論になっておりまして」
「はい」
「こちらでは、魚のおやつについて話し合われるのですね」
「こっちの方が大事なので」
『大事ー』
リヴィが同意する。
役人はしばらく黙ったあと、小さく笑った。
「王都が騒ぎすぎている理由が、少しだけ分かった気がいたします」
◇
その日の夕方、俺は《ポッケ》へ戻って店長に事情を説明した。
「三百人?」
「最初は」
「最初は、ってところが怖いねえ」
「十人まで減らしました」
「随分減らしたね」
店長は驚いたものの、王都から代表児童十人と教員数人が加わる程度なら受け入れられると言ってくれた。
ただし、もともとの町の子供たちの枠を削らないこと。
六大神獣目当ての大人を入れないこと。
店の営業へ支障を出さないこと。
この三つが条件になった。
「全部賛成です。俺もその方がいいです」
「しかしねえ」
店長は机の上に置かれた応募用紙の山を眺める。
「この人たちはどうする?」
「抽選で外れた人には、今回は諦めてもらうしかないでしょう」
「子供はともかく、大人の応募も随分混ざっているよ」
「何しに来るんです?」
「白銀神狼様を撫でたい、と」
「大人も!?」
「十七通ほど」
人気だな、シロ。
「炎竜皇様へ果物を直接食べさせたい、というものが二十三通」
「ルビィも餌付けされかけてる!」
「天鳳様へお風呂の良さを説きたいというものが――」
「それは全部落としてください」
「そうするよ」
命のためにも。
フェニアの耳には入れない方がいい。
「ただ、子供から届いたものは応募用紙だけじゃないよ」
店長が足元の箱を一つ持ち上げた。
「何です?」
「手紙さ。昨日の掲示を見て、各地の子供から届き始めた」
「もう?」
「例の記録水晶で話題になると早いからねえ」
百年後の世界は、こういうところだけ本当に速い。
店長に許可をもらい、箱を開ける。
一番上には、まだ字を書き始めたばかりなのだろう、少し歪んだ文字が並んでいた。
《しろさまへ。おおきないぬがこわかったけど、しろさまをみたらすきになれそうです》
「犬って書かれてる」
「本人にはそこ強調しない方がいいんじゃないかい?」
「本人たぶん気にしませんよ」
別の手紙。
《るびぃさまへ。ぼくもにんじんをきるれんしゅうをしています》
「何で料理の話まで広まってるんだ?」
「近所からじゃないかね」
「うちの情報、漏れすぎじゃないです?」
次はフェニア宛て。
《ふぇにあさまへ。ぼくもおふろきらいです。いっしょにがんばりましょう》
「これは持って帰ろう」
「怒らないかい?」
「たぶん喜ぶ……かなあ」
自信はない。
ライカ宛てには、剣の絵と一緒に《つよくなりたいけど、たまにはやすみます》と書いてある。
ミコには《おこづかいをぜんぶつかわないようにします》。
リヴィには魚の絵。
そして。
一番下の方から。
俺宛ての封筒も出てきた。
「俺?」
開く。
《レオンせんせいへ》
先生ではないんだけど。
《まじゅうがこわいとき、すぐわるいこだとおもわないようにします》
その一文を。
しばらく見ていた。
「……これなら」
「ん?」
「やった意味、ありますね」
店長が笑う。
「だから君に頼んだんだよ」
◇
夜。
家へ帰ると、俺は食後に六人へ手紙の箱を見せた。
「お前ら宛て」
「こんなに!?」
ルビィが真っ先に身を乗り出す。
「全部子供から?」
「ほとんどな。返事は全部には書けないから、読むだけにしろよ」
「分かってる!」
六人で手紙を分ける。
最初は賑やかだった。
「レオン見て! 人参一緒に練習してるって!」
「お前より上手くなったりしてな」
「負けない!」
シロは自分宛ての手紙を静かに読みながら、尻尾だけがずっと揺れている。
「犬って書いてあるぞ」
「いい」
「いいの?」
「好きになれそうって書いてある」
「そっちが大事か」
「うん」
フェニアは。
「…………」
黙っていた。
「どうした?」
「同じく入浴を苦手とする子供から、励まされました」
「仲間できたじゃん」
「少々複雑です」
「でも嬉しい?」
「……少し」
「じゃあ今日も風呂頑張ろうな」
「話をそこへ繋げないでください!」
元気になった。
ライカは自分宛ての手紙を何度も読み返している。
「何て書いてある?」
「強くなりたいが、休むことも覚えると」
「いい子じゃん」
「ああ」
「お前も見習え」
「……現在は休んでいる」
「俺に強制されてな」
「今後は自分からも意識する」
お。
本当に少し成長している。
ミコは《おこづかいをぜんぶつかわないようにします》という手紙を前に、難しい顔をしていた。
「何で悩んでる?」
「この子へ適切な資産形成の方法を――」
「返事書かなくていいから」
「ですが幼少期から投資教育を行えば」
「触れ合い教室の話から離れすぎ!」
「残念です」
リヴィは魚の絵を水球の内側へ貼ろうとしていた。
『これ飾る』
「濡れない?」
『水避ける』
「こういう時だけ器用だな」
『魚かわいい』
「よかったな」
『うん』
その後も。
六人は長い時間。
一枚ずつ。
手紙を読んでいた。
神殿からの祈祷文でも。
国から届く報告書でもない。
世界を救ってほしいという願いでもない。
《またあそびたい》
《こんどさわってみたい》
《ありがとう》
そんな。
普通の手紙。
ルビィが一枚を胸元へ抱えた。
「レオン」
「何?」
「こういうの、初めてかも」
「手紙なら山ほどもらってただろ」
「違うよ」
ルビィは少し考えたあと、手元の紙を見た。
「お願いじゃない手紙」
俺は。
返事ができなかった。
六大神獣になってから百年。
世界中から崇められ。
祈られ。
頼られてきた。
そんなこいつらへ届く手紙のほとんどは、きっと何かを求めるものだったのだろう。
雨を降らせてほしい。
国を守ってほしい。
病を治してほしい。
敵を倒してほしい。
だけど。
今日届いたのは。
ただ。
また会いたい。
という手紙だった。
「じゃあ、大事にしろよ」
「うん!」
ルビィが笑う。
シロも頷き、フェニアは自分宛ての手紙を丁寧に重ねた。ライカも折り目を付けないよう慎重にしまい、ミコは保存用の箱を用意しようとしている。
「普通の箱だからな」
「まだ何も申し上げておりません」
「宝石付きとか禁止」
「…………」
「今考えてたな?」
「否定はいたしません」
『私は水に浮かぶ箱がいいー』
「普通に保管しようよ!」
結局。
ミコが持っていた中で一番普通らしい木箱へ。
六人宛ての手紙をまとめて入れることになった。
◇
翌朝。
俺が起きると。
居間の壁。
《家事当番》
その隣へ。
新しい紙が貼られていた。
《触れ合い教室でやりたいこと》
ルビィ。
《子供と一緒に野菜を切る》
シロ。
《撫でられる。犬じゃないことも教える》
フェニア。
《魔獣の羽根の手入れ》
ライカ。
《安全な接し方。握手は可》
ミコ。
《お小遣い――》
そこだけ。
黒く塗りつぶされている。
「ミコ」
「レオンが反対なさると思いまして、すでに撤回いたしました」
「学習が早い」
最後。
リヴィ。
《魚》
「何も学んでない奴いる!」
『魚との触れ合いー』
「お前が触れ合いたいだけだろ!」
そして。
紙の一番下には。
六人の字で。
《また遊びたい》
と書いてあった。
「…………」
まあ。
それなら。
月に一度くらい。
こんな騒がしい日があっても。
悪くないかもしれない。
そう思った直後。
玄関が叩かれた。
「レオンさん!」
マーサさんだった。
「どうしました?」
「触れ合い教室の件で、今度は国外から問い合わせが来てるわよ!」
「国外!?」
「隣国の王立学院から、児童二百名!」
「昨日三百人を十人まで減らしたところなのに!!」
どうやら。
俺たちが普通の催しに戻そうと努力する速度より。
噂が世界へ広がる速度の方が。
圧倒的に。
速かった。




