第31話 六大神獣、普通の朝ご飯を作るだけで大騒ぎになる
翌朝、俺が台所へ入ると、六人全員がすでに待っていた。
昨日までなら、朝食ができるまで食卓で待っているか、腹を空かせたルビィが台所を覗き込み、シロが俺の背後から皿を狙っている程度だった。それが今日は、誰もが妙に真剣な顔をしている。
昨夜の真っ黒な夜食が、よほど悔しかったらしい。
「おはよう。今日はずいぶん早いな」
「今日はちゃんと作るから!」
ルビィは勢いよく腕まくりをした。その隣ではシロが包丁をじっと見つめ、フェニアは石鹸十二個事件の時よりも緊張した表情で食材を確認している。
ライカに至っては背筋を伸ばし、これから料理ではなく軍議でも始めそうな雰囲気だった。
「レオン、昨日は役割が曖昧だったことも失敗の原因だと思う。今日は最初に手順と担当を明確にした方がいい」
「朝飯を作るだけなのに、作戦会議みたいに言うなよ。言ってること自体は間違ってないけどさ」
苦笑していると、ミコが待っていましたとばかりに一枚の紙を差し出してきた。
「でしたら、こちらをお使いください。起床から配膳までを二十四工程に分け、失敗しやすい箇所には注意事項も付けておきました」
「多すぎるって。朝飯一回だぞ?」
「食材調達から始める場合は四十一工程になりますが、本日はすでに材料がございますので省略できます」
「増える方を説明しなくていいよ!」
紙には野菜の洗浄、包丁の確認、食器の準備といった細かな項目まで丁寧に書かれている。料理初心者には役立つのかもしれないが、六大神獣がパンとスープを作るための資料としては大げさすぎた。
窓の外から、間延びした声が飛んでくる。
『レオーン。私もいるよー』
「分かってる。リヴィは今日も水係な。昨日みたいに台所を水浸しにしないなら頼む」
『今日は大丈夫。昨日より経験者だから』
「経験一回で自信つけすぎだろ」
それでも、昨日の失敗を気にして全員で再挑戦しようとしていること自体は嬉しかった。
「じゃあ今日は難しいことはしない。パンとスープ、それから卵を焼く。俺が全部横で見るから、分からない時は勝手に判断せず聞くこと。ルビィは火を出さない、フェニアは浄化しない、ライカは包丁を軍刀みたいに持たない。ミコは料理中に契約を増やさない」
「最後だけ私への扱いが少々おかしくありませんか?」
「昨日の百年契約があるからだよ」
ミコは少し不満そうだったが、否定はしなかった。
『池も増やさない方がいい?』
「料理しながら何で池が増えるんだよ。もちろん増やすな」
『一応確認しただけー』
朝から確認事項が多い。
普通の朝食というものが、六大神獣にとっては世界を救うより難しいのではないかという気さえしてきた。
◇
「まずルビィ、人参は昨日みたいに半分へ割ればいいわけじゃない。スープなら、このくらいの大きさにそろえて切る」
「なるほど……昨日のは切ったんじゃなくて、薪みたいに割っただけだったんだね」
「自分で気づけたなら成長だな。力で押し切ろうとせず、刃を前へ滑らせる感じでやってみろ」
俺が一本だけ見本を見せると、ルビィは珍しく真剣な顔で手元を覗き込んだ。
包丁を握らせた直後は力が入りすぎて、まな板まで切りそうになったものの、何度か手を添えてやるうちに少しずつ形になっていく。
「レオン、これくらい?」
「そうそう。昨日よりずっといいぞ。あとは手元から目を離さないこと」
「できたら褒めてもらいたくなるんだけど」
「毎回こっちを見るなって意味だよ。ちゃんと見てるから」
そう言うと、ルビィは嬉しそうに笑ってから再び包丁へ集中した。
百年前も似たようなことがあった。
餌を自分で食べられるようになった時も、飛ぶ練習を始めた頃も、何か一つできるたびに俺の顔を見ていた。身体は立派な大人になっているのに、そういうところはあまり変わっていない。
「次はシロ。玉ねぎを頼めるか?」
「昨日ルビィが小さくしすぎたやつ?」
「消してないよ! 綺麗に剥いただけだから!」
「食べられるところまで全部剥いたら似たようなものだろ」
二人が言い合いを始める前に、俺は玉ねぎを一つ手に取った。
「外側の皮だけ取れば十分だ。ほら、ここまで」
シロはしばらく俺の手元を見たあと、慎重に真似をする。
意外にも手先は器用らしく、こちらはほとんど問題なかった。
「上手いじゃん。このまま切ってくれれば任せられそうだ」
「……ほんと?」
「ああ」
その一言だけで、銀色の尻尾が大きく一度揺れた。
しかし数十秒後。
「レオン、これ嫌い」
「どうした?」
「目が痛い。玉ねぎ、攻撃してくる」
シロは涙をぽろぽろ流しながら、切りかけの玉ねぎを睨んでいた。
「神狼に効いてると思うと玉ねぎって強いな」
「笑い事じゃない。食べるのは好きだけど、切るのは嫌」
その様子を見てルビィが吹き出した瞬間、シロは無言で残りの玉ねぎをそちらへ押しつけた。
「何で私に渡すの!?」
「笑ったから」
「それと料理は関係ないでしょ!」
「二人とも喧嘩するなら朝飯が遅くなるぞ」
俺がそう言った途端、二人とも同時に口を閉じた。
食べ物の力は偉大だった。
◇
フェニアには鍋を任せた。
「水はここまで。沸いたら野菜を入れて、表面に灰汁が出てきたらこのお玉ですくう。分からなくなったら勝手に何かせず俺を呼べ」
「昨日の洗濯と違って、今回は分量が明確ですから問題ありません」
「その自信が少し怖いけど、頼む」
しばらく見ていたが、こちらはかなり安定していた。
ところが野菜を煮始めて数分した頃、フェニアが鍋を覗き込みながら難しい顔をする。
「レオン。先ほど説明されていた灰汁というのは、これですね?」
「そう。それを少しずつ取ればいい」
「ですが、私の浄化を使えば不純物だけを一瞬で除去できます。その方が確実ですし、時間も――」
「今日はお玉で取る」
「やはり駄目ですか」
「こういう地味な作業も料理のうちだからな」
フェニアは少し納得していない顔をしたまま、素直に灰汁をすくい始めた。
「レオンは、毎日こうしたことをしていたのですね」
「毎日ってほど大げさじゃないよ。慣れれば手間にも感じなくなる」
「……今まで、出来上がった料理しか見ていませんでしたので」
フェニアは鍋と俺を交互に見たあと、さっきより少し丁寧にお玉を動かした。
「これからは、私ももう少しお手伝いするようにします」
「それは助かるよ」
俺がそう答えると、フェニアは柔らかく笑った。
その直後、無意識に神力を出しかけていたので止めた。
決意と習慣は、どうやら別物らしい。
◇
問題は卵だった。
「ライカ、卵焼き頼めるか?」
「任せろ。昨日の失敗はすでに分析してある」
「昨日まともに卵触ってないだろ」
「だが、戦場では野営経験もある。携帯食を湯で戻したことも何度も――」
「それ料理って言わないからな。今日は卵の割り方からやるぞ」
卵を一つ持ち上げて見せる。
「台の角にぶつけるんじゃなく、平らなところへ軽く当てる。あくまで軽くだぞ」
「理解した」
ライカが卵を持ち、慎重に台へ当てる。
こつ。
ぐしゃっ。
手の中で完全に潰れた。
「……今のが軽く?」
「私としては、かなり抑えた」
「雷帝基準で力加減するなよ!」
「申し訳ない」
二個目は慎重すぎて傷一つ付かず、三個目でようやく薄い罅が入った。
「それ、それくらいでいい。あとは両手で殻を開けば――」
ぱかり。
中身が綺麗に器へ落ちる。
ライカは目を見開いて卵を見つめた。
「……できた」
「そんなに達成感ある?」
「ここまで微細な力加減を意識する機会は、最近ほとんどなかった。これは思ったより良い鍛錬になる」
「卵で鍛錬を始める雷帝なんて初めて見たよ」
「悪くない」
本気で気に入ったらしい。
その後、残っている卵を全部割りたがったので、二個だけ許した。
◇
一方、ミコには配膳を任せていた。
さすがに皿を並べるだけなら、金銭感覚も関係ないし失敗しないだろう。
「ミコ、そろそろ皿お願い」
「すでに準備しております」
「さすが早――」
振り返った俺は、そのまま言葉を止めた。
食卓には綺麗な皿が並んでいる。
ただし。
全部、金色だった。
「……ミコ。これ、どこから出した?」
「私物です。せっかく皆で作る初めての朝食ですので、少しだけ良い器を使おうかと」
「少しだけって、これ金だろ?」
「概ね純金です」
「普通の陶器に戻そう」
「ですがレオンでしたら、仮に千枚ほど割られても何の問題も――」
「俺の精神に問題が出るんだよ。落とすたび国家予算みたいな皿で飯食えるか」
結局、金の皿は全部片づけてもらい、いつもの食器へ戻した。
ミコは最後まで「せめて銀器を」と粘ったが、それももちろん却下した。
普通の食卓に必要なのは、落としても心臓が止まりそうにならない皿だ。
◇
『レオーン、水の準備できたー』
「今行く」
最後にリヴィのところへ向かうと、こちらは必要な仕事をきちんと終えていた。
水差し、鍋へ足す分、洗い物用。それぞれ必要な量だけ桶へ分けてある。
「今日は何も増やしてないよな?」
『池は増やしてないし、水路も伸ばしてないよ』
「偉い。昨日よりかなり成長してる」
『魚は増えたけど』
「それはお前のせいじゃないよな?」
『たぶん』
庭の池を見ると、昨日三匹だった魚型魔獣が七匹に増えている。
「……まあいいか」
『かわいいよー』
「それは分かる」
また増えそうだが、今日は家事の最中に新しい池を作っていないだけでも大きな進歩だ。
リヴィは少し俺を見たあと、珍しく自分から言い出した。
『次は私も料理したい』
「水係じゃ物足りなくなった?」
『うん。魚ならできそう』
「じゃあ今度、下処理を教えるか。ただし陸に上がって――」
そこまで言った瞬間、リヴィの顔が曇った。
『水の中でできる方法を考える』
「そこまで陸に出るの嫌なのかよ」
こいつのものぐさだけは、百年経っても筋金入りだった。
◇
全員で作った朝食が食卓へ並んだのは、いつもの倍以上の時間が経ってからだった。
少し形の不揃いな人参と玉ねぎのスープに、焼き加減の違う卵。それからパン。
豪華でもなければ、神獣が食べる特別な料理でもない。
けれど六人は、普段よりずっと緊張した顔で俺を見ていた。
「レオン、早く食べてみて」
ルビィに急かされ、俺はまずスープを一口飲む。
少し塩が薄い。
それでも、ちゃんと美味い。
「うん。美味いよ。少なくとも昨日の夜食とは比べものにならない」
「ほんと!?」
ルビィは両手を上げかけたが、途中で台所で暴れたら何か壊すと思い出したのか、小さく拳を握るだけに留めた。
シロの尻尾も、隠す気がないほど大きく揺れている。
「卵の方は?」
ライカが真剣な顔で聞いてくる。
「少し焼きすぎだけど普通に食える。初めてなら十分」
「次は加熱時間を十五秒短縮する」
「料理の感想を軍事報告みたいに処理するなよ」
「改善には必要だ」
「まあ、好きにしろ」
フェニアも自分たちで作ったスープを一口飲み、少し驚いたように目を開いた。
「レオンが作るものとは、やはり味が違いますね」
「そりゃそうだ。でも最初から同じ味にできるわけないだろ。これなら十分だよ」
「……次は、もう少し近づけたいものです」
そう呟きながら、フェニアはもう一口飲む。
その表情は満足そうだった。
ミコも今日は普通の皿を使って普通にパンを食べている。ただ、ときどき食器棚の方を見ているので、金の皿を諦めきれてはいないらしい。
その時、窓の外から不満そうな声が飛んできた。
『私の朝ご飯、まだー?』
「あ」
『今「あ」って言った。忘れてたでしょ』
「忘れてない! 今魚焼くから待て!」
『百年ぶりにみんなで作ったご飯なのにー』
「百年を何でも有利に使うな!」
結局、リヴィの朝食まで用意して、ようやく全員が落ち着いて食卓についた。
いつもより時間はかかった。
台所も少し散らかっている。
俺一人で作った方が間違いなく早かっただろう。
それでも、不思議と悪い気はしなかった。
「こういうのも、たまにはいいかもな」
何気なく呟くと、六人が一斉にこちらを見た。
ルビィが真っ先に身を乗り出す。
「今、悪くないって言ったよね? じゃあ明日も作ろう!」
「毎朝はまだ怖い。今日だって卵が一個死んでるからな」
「週三回」
シロがさらりと提案する。
「何で急に具体的なんだよ」
「ブラッシングと同じで予定にすればいい」
「何でも予定表にするなって」
俺が止めるより早く、ミコがすでに紙を取り出していた。
「では料理当番表を作成しましょう。曜日ごとに役割を変えれば効率も――」
「まだ作らなくていい!」
どうやら、家事嫌いだったはずの六大神獣は。
一度褒められただけで。
急に料理へやる気を出してしまったらしい。
◇
朝食の片づけを終え、仕事へ向かおうとすると、ルビィたちは珍しく素直に玄関まで見送りに来た。
「今日は店に来るなよ。屋根から見るのも駄目だからな」
「分かってるって。前みたいなことしないよ」
「今、一瞬だけ目を逸らしたよな?」
「気のせい!」
怪しい。
シロにも勝手についてこないよう念を押し、フェニアにはルビィを止めるよう頼んだ。ライカには護衛を派遣しないよう確認し、ミコには店周辺の土地を買わないと約束させる。
リヴィには魚を飛ばさないよう言っておいた。
普通に仕事へ行くだけなのに、出発前の確認事項が多すぎる。
「じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい!」
六人分の声を背中に受け、俺は家を出た。
世界樹の下では小型魔獣たちが昼寝を始めている。その向こうでは、昨日ライカに整列を教えられた大型魔獣たちが、何故か俺へ揃って頭を下げた。
「……ライカ」
「今日は教えていない! 昨日覚えたものが残っているだけだ!」
「それが問題なんだよ!」
庭から聞こえる言い訳を背に、そのまま仕事へ向かった。
◇
《もふもふ魔獣店ポッケ》へ着くと、店主はすでに開店準備を終えていた。
「おはようございます」
「おはよう、レオン君。今日はちゃんと一人だね」
「毎回そこ確認されるの、ちょっと悲しいんですけど」
「最初の数日が濃すぎたからねえ。私も警戒するようになったよ」
否定できない。
いつものように店内を掃除し、預かっている魔獣たちの状態を確認する。朝食作りに少し時間はかかったが、仕事には十分間に合っている。
餌を用意していると、店主が思い出したようにこちらへ声をかけてきた。
「そうだ、レオン君。明日の午後、町の子供たち向けに魔獣との触れ合い教室をやるんだけど、手伝ってもらえないかい?」
「俺でいいんです?」
「むしろ君が一番向いてるよ。子供にも魔獣にも好かれるし、危険な兆候を見つけるのも早い。毎年やってる催しだから、難しく考えなくていい」
子供たちに、魔獣への接し方を教える。
百年前の育成所でも、新人飼育員へ似たようなことを教えた覚えがある。
「それなら、やります」
「そう言うと思ったよ。ただし、一つだけお願いがあるんだ」
店主はそこで一度言葉を切り、少しだけ遠い目をした。
「明日は、同居人の皆さんを連れてこないでもらえるかい?」
「俺もそのつもりです!」
即答した。
六大神獣が子供向けの魔獣教室へ来たら、触れ合いどころではなくなる。
そのはずだった。
けれど、その日の夕食で何気なく明日の予定を話した瞬間。
「子供たちに魔獣のお世話を教えるの?」
ルビィの目がぱっと輝いた。
シロもすぐに耳を立てる。
「見たい。レオンが教えてるところ」
「教育は重要ですね。正しい接し方を幼少期から知っておくことには大きな意味があります」
フェニアが興味を示す横で、ライカまで真面目に頷いた。
「危険な魔獣への対応も早いうちに学ばせるべきだ。必要なら私が安全管理を――」
「必要ないからな」
先回りして止める。
ミコはすでに何かを手配しそうな顔になり、水路からはリヴィの『私も行くー』という声まで聞こえてきた。
俺は箸を置き、全員を見渡した。
「念のため先に言っておく。明日は絶対に来るな。店長からも頼まれてるし、子供たちのための普通の触れ合い教室だから、お前らが来たら全部そっちに持っていかれる」
六人はしばらく黙ったあと、一応それぞれ了承した。
ただ。
誰一人として。
俺と目を合わせていなかった。
「……お前ら、絶対何か考えてるだろ」
「考えてないよ?」
代表して答えたルビィの視線は、完全に横を向いている。
翌日の触れ合い教室が本当に普通に終わるのか。
俺は今から。
かなり不安だった。




