第3話 白銀神狼様、お手をしてしまう
どどどどどどどどどっ!!
「待て待て待て! でかいまま来るな!!」
俺の叫びなど聞こえていない。
白銀の巨大な狼――シロは、城の中庭を一直線に駆けてくる。
「レオン!」
「喋れるなら止まれ!」
「レオン!」
「聞けよ!」
まずい。
昔なら飛びつかれても尻餅をつくくらいで済んだ。
だが今のシロは、ちょっとした家くらいある。
あれに飛びつかれたら再会一分で人生が終わる。
「シロ!」
「!」
「伏せ!」
ずざあああああっ!!
止まった。
俺の目の前、ほんの数メートル。
巨大な前脚を揃え、ぺたんと地面へ伏せる。
「…………」
中庭が静まり返った。
さっきまで迎撃態勢を取っていた騎士たちも。
魔術師たちも。
宰相も。
全員が固まっている。
その中心でシロだけが、
ぶん。
ぶんぶん。
ぶんぶんぶんぶん。
尻尾を振っていた。
「……本当にシロだな」
「レオン!」
「久しぶり」
「レオン!」
「それしか言えなくなったの?」
「レオン!」
「まあいいや」
俺が近づく。
シロは巨大な顔を地面すれすれまで下げた。
昔から撫でてほしい時にこうする。
「お前もでかくなったなあ」
額を撫でる。
もふっ。
「おお」
毛並みは昔よりずっと立派になっている。
だけど触った感触は変わらない。
「ちゃんとブラッシングしてる?」
「してる」
「ほんとに?」
「……してもらってる」
「自分でやってないじゃん」
「狼だから」
「そういう時だけ狼になるな」
シロが目を細める。
気持ちよさそうだ。
すると。
「……シロ」
ものすごく低い声が聞こえた。
振り返る。
ルビィが笑っている。
笑っているのに、目が笑っていない。
「なに」
シロもルビィを見る。
二人の間に妙な空気が流れた。
「どうして来たの?」
「レオンがいたから」
「私が先に見つけた」
「関係ない」
「関係ある」
「ない」
「ある!」
「ない」
「ある!」
「子供か、お前ら」
二人とも百歳超えてるんだろ。
俺が呆れていると、宰相が震える声を上げた。
「へ、陛下……!」
「なに!」
「神狼様との御交渉は、どうか慎重に……!」
「交渉?」
ルビィが首を傾げた。
「現在、炎竜領と神狼領の間には北方鉱山の境界問題がございます!」
「そうだっけ?」
「そうだっけではございません!」
宰相が泣きそうだ。
一方のシロは、そんなものにはまったく興味がなさそうに俺を見ている。
「レオン」
「ん?」
「撫でて」
「今撫でてるだろ」
「もっと」
「はいはい」
耳の後ろを掻いてやる。
「……ん」
尻尾の速度が上がった。
ばさっ。
ばさっ。
ばさっ。
「うわっ!」
風圧がすごい。
「シロ、尻尾!」
「……ごめん」
「昔からそこ直らないな」
「レオンの前だけ」
「何でだよ」
「嬉しいから」
「そっか」
何気なく答える。
その瞬間。
ルビィの頬がぴくっと動いた。
「……私だって」
「ん?」
「私だって嬉しい」
「知ってるよ」
「シロより?」
「知らん」
「何で!?」
何で比較しなきゃいけないんだ。
俺はシロの頭を撫でながら周囲を見る。
「ところで」
「なに?」
「シロ、今どこに住んでるんだ?」
「北」
「北?」
「国、三つくらい向こう」
「遠いな」
「走ればすぐ」
「お前基準だろ」
すると宰相が口を挟んだ。
「白銀神狼様は、北方五ヶ国より守護神として崇められております」
「五ヶ国?」
「はい」
「シロが?」
「はい」
俺はシロを見る。
「お前そんな偉くなったの?」
「……少し」
「ルビィと同じこと言ってる」
どうやらこいつらは、自分たちが偉くなった自覚が薄いらしい。
「北方五ヶ国って、仕事とかあるんじゃないの?」
「ある」
「じゃあ帰らないとまずいんじゃ?」
「帰らない」
「即答!?」
「レオンがいる」
「いや俺は逃げないけど」
「百年前も急にいなくなった」
「……」
その一言だけ。
シロの尻尾が止まった。
「起きたら、レオンがいなかった」
「…………そうか」
「探した」
いつもの無表情に近い顔。
でも耳だけが少し下がっている。
「ずっと探した」
「……悪かったな」
「レオンは悪くない」
「いや、でも」
「だから」
シロが俺の服の裾を口でくわえた。
「もう離さない」
「いや服伸びる服伸びる」
「離さない」
「そういう意味じゃない!」
さっきのちょっとしんみりした空気が一瞬で消えた。
俺が服を取り返そうとしていると、ルビィがシロの口から布を引っ張った。
「レオン困ってるでしょ!」
「ルビィも抱きついてた」
「あれは再会だから!」
「私も再会」
「私の方が先!」
「またそれかよ!」
百年でこいつら精神年齢あんまり変わってないんじゃないか?
その時だった。
中庭の入口から、息を切らした兵士が駆け込んでくる。
「へ、陛下! 緊急報告です!」
「今度は何?」
「北方神狼領より使節団が到着いたしました!」
「早いな」
俺が呟く。
「シロより後に出たんだよな?」
「たぶん」
「どうやって追いついたんだ?」
「転移門」
「ああ、便利になったんだな」
俺としてはそれだけだったが、宰相たちはそれどころではないらしい。
「使節団代表は神狼領最高司祭、および北方連合外務卿!」
「なんでそんな大物が!?」
宰相が頭を抱える。
「神狼様が突然国境を越え、炎竜皇陛下の領域へ侵入なされたのです! 当然でしょう!」
「あー」
ルビィがようやく理解した顔をした。
「戦争だと思われた?」
「思われます!!」
「違うのに」
「向こうは知りません!」
かわいそうだな、この宰相。
数分後。
中庭へ、白を基調とした豪華な衣装の一団が入ってきた。
先頭には銀髪の老人。
その後ろに騎士と役人たち。
皆、顔色が真っ青だ。
「神狼様!」
老人が地面へ跪く。
「御無事でございましたか!」
「うん」
「何故突然、単身で炎竜領へ!?」
「レオンがいた」
「……レオン?」
老人の視線が俺に向いた。
嫌な予感がする。
「どうも」
「…………」
「レオン」
シロが俺の横にぴったり座る。
「この人」
「うん」
「私を育てた人」
老人の顔から色が消えた。
「…………は?」
またこの反応だ。
「百年前の育成所で」
「百……?」
「毎日ご飯くれた」
「…………」
「寝る時、一緒だった」
「ちょっと待て」
ルビィの時にも似た会話をしたぞ。
「あと」
「まだあるの?」
「お手も教えてくれた」
老人がゆっくり俺を見る。
「……お手?」
「いや、子供の頃な」
「レオン」
「ん?」
シロが前脚を上げた。
ぽん。
俺の手の上へ置く。
「…………」
全員が固まった。
「シロ」
「なに」
「今のタイミングでやるな」
「お手って言ったから」
「俺は命令してない!」
最高司祭らしき老人の唇が震えている。
「神狼様が……」
「ん?」
「神狼様が……人間に……お手を……」
「人間じゃない」
シロが訂正する。
老人がはっと顔を上げた。
「では……?」
「レオン」
「説明になってない」
「レオンはレオン」
「だからそれじゃ分からないって」
ルビィが満足そうに頷いた。
「そうなの。レオンはレオンなの」
「お前まで乗るな」
どうして俺よりこいつらの方が説明下手なんだ。
老人はその場で何かを必死に考えている。
「まさか……古き神獣伝承にある……」
「何それ」
「六柱の神々が唯一心を許した《始まりの守護者》……」
「誰だよ」
「あなた様では!?」
「違う」
「しかし!」
「飼育員!」
「……神々を育てし者……」
「言い換えるな!」
どんどん話が大きくなる。
もう嫌な予感しかしない。
「ルビィ」
「なに?」
「俺、どこか静かなところで飯食いたい」
「分かった!」
「人少ないところな」
「分かった!」
「偉い人とか呼ばなくていいから」
「分かった!」
ルビィが宰相を見る。
「今夜、歓迎宴を開く」
「話聞いてた!?」
「レオンの歓迎だから!」
「静かに飯食いたいって言っただろ!」
「じゃあ小規模!」
「何人?」
「五百人くらい」
「それを小規模って言うな!」
横からシロが俺の袖を引く。
「北なら静か」
「本当?」
「私の城、静か」
「じゃあそっち――」
「ダメ!!」
ルビィが叫ぶ。
「レオンは私のところに泊まるの!」
「私のところ」
「私!」
「私」
「俺の意思は!?」
二人が俺を挟んで睨み合う。
周囲の騎士たちが一斉に緊張した。
「ま、まずい……」
「炎竜皇様と白銀神狼様の神力が……!」
「このままでは衝突が!」
え?
何で?
確かにルビィの髪が少し燃えている。
シロの周囲にも白銀の光が漏れ始めた。
「レオンは私が見つけた!」
「早い者勝ちじゃない」
「百年前は私の方がよく一緒に寝てた!」
「回数なら私」
「数えてたの!?」
「当然」
「お前ら」
二人とも止まらない。
「私が先!」
「私」
「私!」
「シロ!」
「なに」
「お前まで張り合うな!」
「大事」
「ルビィ!」
「なに!?」
「火!」
「あっ」
「シロ!」
「なに」
「毛、逆立ってる!」
「……あ」
「二人とも座れ!」
ぺたん。
ルビィとシロが同時に座った。
「…………」
静寂。
「よし」
俺は腕を組む。
「喧嘩禁止」
「……はい」
「……分かった」
「返事」
「はい」
「はい」
よし。
静かになった。
俺が満足していると。
周囲では、数十人の人間が魂を抜かれたみたいな顔をしていた。
「どうした?」
誰も答えない。
宰相が震えながら呟いた。
「……世界最強の二柱を……」
最高司祭が続ける。
「一言で……」
「座らせた……」
「昔から言うこと聞かない時はこれだぞ」
俺がそう答えると。
二人の老人は同時に天を仰いだ。
「神話だ……」
「だから違うって」
まったく。
百年後の人間は話を大げさにする癖があるらしい。
「さて」
俺は手を叩く。
「飯」
「!」
ルビィが立ち上がる。
「ご飯!」
「私も食べる」
「シロは帰って!」
「帰らない」
「帰って!」
「やだ」
「お前らまた始めるなよ」
とりあえず今日くらいは、三人でゆっくり話をしよう。
百年分。
聞きたいことはいくらでもある。
そう思った、その時だった。
ばさり。
俺の頭に何かが落ちてきた。
「ん?」
小さな金色の羽根。
懐かしい。
俺はそれを摘まみ上げる。
「……これ」
ルビィとシロが同時に空を見た。
二人の表情が変わる。
「まさか」
「来た」
「誰?」
俺が空を見上げる。
青空の彼方。
小さな金色の光。
それが徐々に大きくなっていく。
ルビィが嫌そうに言った。
「フェニア」
「あいつも来たのか」
「……レオン」
「ん?」
ルビィが真剣な顔になる。
「絶対に最初に『風呂入ったか』って聞かないでね」
「なんで?」
「怒るから」
「でもあいつ風呂嫌いだったし」
「だから!」
その直後。
天空を覆うほど巨大な黄金の翼が広がった。
そして世界最高の聖鳥――天鳳フェニアの声が空から響く。
『レオオオオオオン!!』
俺は目を細めた。
「声でっかくなったなあ」
その日。
炎竜領は史上初めて、
三柱の大神獣が同時に集結することになった。
各国は震撼した。
そして原因となった俺はまだ――。
朝飯すら食えていなかった。




