第2話 炎竜皇様、俺の前では昔のままだった
「なあ、ルビィ」
「なに?」
「そろそろ降ろしてくれない?」
「やだ」
「即答かよ」
俺は現在、空を飛んでいた。
正確には、巨大な赤竜へ戻ったルビィの前脚に抱えられている。
眼下には豆粒みたいな街並み。
雲が近い。
風が痛い。
「寒い!」
「あっ」
ルビィの身体を包んでいた炎が少し強くなる。
「どう?」
「今度は熱い!」
「むずかしい!」
「百年あったんだから力加減くらい覚えろ!」
「レオン相手に使ったことなかったもん!」
「そりゃそうだけど!」
俺が育てていた頃のルビィは、まだ俺より少し大きい程度だった。
それが今や。
翼を一度動かすだけで雲が吹き飛ぶ。
山ほどの巨体。
炎を纏って空を飛ぶ姿は、確かに神様扱いされてもおかしくない。
……本人を知らなければ。
「そういえば」
「うん?」
「どこ行ってるんだ?」
「家!」
「俺の?」
「私の!」
「お前、家あるの?」
「あるよ!」
「巣じゃなくて?」
「失礼!」
怒られた。
昔は藁を敷いた寝床だったから、つい。
「立派なお城だから!」
「城?」
「うん!」
何を言ってるんだこいつ。
神獣のくせに城なんか必要なのか?
「掃除大変そうだな」
「…………」
「どうした?」
「使用人がやる」
「お前」
「な、なに?」
「自分の部屋くらい自分で掃除しろよ」
「…………はい」
何故か素直に返事をした。
百年経っても、この辺は変わらないらしい。
やがて前方に巨大な山が見えてきた。
その山頂に――。
「……え?」
城がある。
いや。
城というより、街だ。
山頂全体を使った巨大な城塞都市。
無数の塔。
広大な庭園。
空を飛ぶ小型竜。
城壁の上には、俺が見たこともない装備の兵士たち。
そして中央には、とんでもなく大きな赤い宮殿。
「…………」
「どう?」
ルビィが得意そうに聞いてくる。
「無駄にでかいな」
「そこ!?」
「掃除絶対大変だろ」
「もっと他にない!?」
あるにはある。
何でお前こんなに偉くなってるんだ、とか。
どうして山一個を家にしてるんだ、とか。
聞きたいことはいくらでもある。
だが、それより先に異変が起きた。
「炎竜皇陛下、ご帰還!」
城壁から声が上がる。
鐘が鳴り響く。
兵士たちが一斉に整列。
「炎竜皇陛下に敬礼!」
ずらり。
何百人いるんだ。
全員がルビィへ向かって頭を下げる。
「……陛下?」
「えへへ」
「何で照れてんだ」
「だってレオンに見られるの初めてだから」
「偉いの?」
「ちょっと」
ちょっとじゃなさそうなんだけど。
ルビィが中庭へ降りる。
地面に触れる直前で人間の姿になり、俺を抱えたまま着地した。
「よっと」
「だから自分で歩けるって」
「百年ぶりだから!」
「意味分からん」
俺が地面へ降りる。
そして顔を上げると――。
そこには数十人の人間が跪いていた。
豪華な服を着た老人。
鎧姿の騎士。
魔術師らしき連中。
全員ものすごい顔をしている。
「お帰りなさいませ、陛下」
「ただいま」
先頭の白髭の老人が顔を上げた。
「突然のご出立、我ら一同心配を――」
老人の視線が俺へ向く。
止まった。
「…………」
俺も見る。
「どうも」
「…………陛下」
「なに?」
「そちらの御方は……?」
「レオン!」
ルビィが満面の笑みで答える。
老人の顔が引きつった。
「……レオン、様?」
「うん!」
「どちらのレオン様でしょうか」
「私を育ててくれたレオン!」
しーん。
誰も動かなくなった。
老人が俺を見る。
次にルビィを見る。
そしてもう一度俺を見る。
「……陛下」
「なに?」
「恐れながら」
「うん」
「その御方は、お若く見受けられますが」
「二十八だよ!」
「何でお前が答えるんだよ」
老人の顔色が悪くなっていく。
「六大神獣様が育成所を離れられたのは……百年前でございます」
「そうだよ」
「では……」
「だから本物!」
「…………」
老人がふらついた。
隣の騎士が慌てて支える。
「宰相閣下!」
「大丈夫だ……少し世界観が揺れただけだ」
世界観って揺れるものなのか。
その宰相と呼ばれた老人が、改めて俺を見る。
「失礼ながら、証拠などは……」
「あ」
俺は思い出した。
「ルビィ」
「なに?」
「右の翼の付け根」
「え?」
「昔、木から落ちて傷作っただろ」
「うっ」
「あと左の後ろ脚の内側に白い鱗が三枚」
「ちょっ」
「それから尻尾の先――」
「わー! わー!!」
ルビィが俺の口を塞いだ。
「それ以上はダメ!」
「むぐっ」
「何で全部覚えてるの!?」
「飼育員だからだよ!」
宰相たちの顔がさらに青くなっている。
何かまずいことを言っただろうか。
「陛下……」
「な、なに?」
「それらの特徴は……王家でも最高機密に指定されております」
「え?」
「特に白鱗の位置を知る者は、現在ほぼ存在いたしません」
「…………」
全員の視線が俺へ集まる。
やめてほしい。
「ほら!」
ルビィが何故か得意げに胸を張る。
「本物でしょ!」
宰相が勢いよく頭を下げた。
「大変失礼いたしました!」
「いや、別にいいけど」
「炎竜皇陛下の御父上とも呼ぶべき御方とは知らず!」
「誰が父親だ」
「え?」
「え?」
ルビィまで固まった。
「俺は飼育員」
「でも育ててくれた」
「仕事で」
「毎晩一緒に寝てくれた」
「お前が泣くからだろ」
周囲がざわついた。
「毎晩……?」
「炎竜皇陛下と……?」
「幼少期とはいえ……」
「神話書を書き換える必要が……」
「書き換えなくていい!」
何で話が大きくなるんだ。
「それより腹減ったんだけど」
「あ!」
ルビィが手を叩く。
「ご飯!」
「そうだよ。朝から何も食ってない」
「すぐ作る!」
「お前、本当に作れるの?」
「作れる!」
「前は卵焼こうとして台所燃やしたよな」
「百年前の話!」
「今なら?」
「…………」
「目逸らすな」
「料理長!」
ルビィが突然叫んだ。
「はい!」
どこからともなく白い服を着た男が飛び出してきた。
「レオンにご飯!」
「承知いたしました!」
「肉!」
「最高級火竜牛をご用意いたします!」
「パン!」
「王都より毎朝取り寄せております!」
「野菜!」
「皇室専用農園より!」
「プリン!」
「直ちに!」
ルビィがこちらを見る。
「完璧!」
「お前何も作ってないじゃん」
「指示した!」
「料理とは言わん」
「ぐぬぬ……!」
頬を膨らませた。
その顔だけ見ると、本当に昔のままだ。
俺は思わず笑った。
「まあいいや」
「……レオン?」
「元気そうでよかったよ」
「…………」
ルビィが固まる。
「百年も経ってるって聞いた時、正直ちょっと怖かった」
「……うん」
「でもまあ、お前が元気ならそれでいい」
「…………」
ルビィの目がまた潤み始めた。
「おい」
「泣いてない」
「いや泣いてるだろ」
「泣いてない!」
「鼻水出てる」
「出てない!!」
人類が恐れる炎竜皇は、昔から泣き虫だった。
そこも変わっていないらしい。
俺が笑っていると。
突然――。
ルビィの表情が変わった。
「……あ」
「どうした?」
彼女が空を見る。
「気づいた」
「何が?」
「みんな」
「みんな?」
その瞬間。
城中に警報が鳴り響いた。
『緊急! 緊急!』
『北方より超高速飛翔体接近!』
『神力反応――白銀!』
兵士たちが一斉に動き始める。
「何だ?」
「神狼だ!」
「白銀神狼様がこちらへ向かっている!」
「何故だ!?」
宰相が叫ぶ。
「陛下! 神狼領とは現在、正式な会談予定は――」
「違うよ」
ルビィが妙に嫌そうな顔をした。
「たぶんレオン」
「俺?」
「うん」
遠く。
空の彼方に、小さな銀色の点が見えた。
それがどんどん大きくなる。
速い。
ものすごく速い。
「シロか?」
「……たぶん」
「久しぶりだな」
「レオン」
「ん?」
「絶対言っちゃダメだからね」
「何を?」
ルビィが俺の肩を掴む。
「『お手』」
「なんで?」
「絶対だから!」
「別に言わないよ」
「本当に!?」
「ああ」
その直後。
銀色の巨大な狼が城壁を飛び越えた。
兵士たちが悲鳴を上げる。
そして白銀神狼は――。
何百人もの前で俺の姿を見つけた瞬間。
ぴたりと止まった。
「…………」
俺を見る。
耳が立つ。
尻尾が。
ぶんっ。
「…………」
ぶんぶんっ。
「…………シロ?」
白銀神狼の威厳ある顔が崩れた。
そして。
どどどどどどどどどっ!!
「待て待て待て! でかいまま来るな!!」
世界最強の神狼が、全力で俺へ突っ込んできた。




