第29話 六大神獣、ブラッシングの順番で本気になる
王城から戻ったその日の夜。
世界樹の下。
俺の前には。
六大神獣が並んでいた。
「最初はグー」
「待って」
シロが止める。
「何?」
「ルビィ、後出しする」
「しないよ!」
「百年前した」
「いつの話!?」
「百年前」
「そのまんまじゃん!」
俺はため息をついた。
王宮から返してもらった古い木箱。その中には、昔使っていた首輪や食器、玩具、それから何本かのブラシが残っていた。
その一本を見つけたシロが「ブラッシング」と言い出し。
ルビィが「私も」と入り。
フェニアも。
ライカも。
ミコも。
そしてリヴィまで。
結果。
誰が最初かを決めるために、世界最強の六柱がじゃんけんを始めようとしている。
「別に誰からでもいいだろ」
「よくない!」
ルビィが即答した。
「最初は特別!」
「何が?」
「百年ぶりの最初!」
「……便利だな、その百年ぶり」
何でも特別になる。
シロも真剣だった。
「公平に決める」
「じゃんけんで?」
「うん」
ライカが腕を組む。
「私は順番に異存はない」
「じゃあ最後でいい?」
「それは困る」
「異存あるじゃん」
「公平性の問題だ」
「お前まで面倒になってきたな」
フェニアは一見落ち着いている。
「私は皆さんの後でも構いません」
「お、偉い」
「その代わり、翼まで丁寧にお願いいたします」
「時間で得しようとするな!」
ミコがにこやかに口を挟む。
「では、一人十五分ずつでいかがでしょう」
「六人で九十分か」
「はい」
「長い!」
「百年待ちましたので」
「またそれ!」
『私は十五分じゃ足りないー』
庭の水路からリヴィの声。
「お前どこブラッシングするの?」
『髪』
「それただの髪梳かしだろ!」
『昔やってくれた』
「水から上がった時だけな!」
『じゃあ上がる』
「そこまでして!?」
普段は陸に出るだけで面倒がるくせに。
ブラシのためなら動くらしい。
「分かった分かった。じゃんけんしろ」
俺が促す。
六人が円になる。
『私は水球で参加ー』
リヴィが小さな水球に包まれたまま、輪の端へ浮かんできた。
「いくぞ」
ルビィが拳を握る。
「最初はグー!」
「じゃんけん!」
六人。
一斉に手を出す。
「…………」
グー。
グー。
チョキ。
チョキ。
パー。
パー。
「全員あいこ」
「もう一回!」
次。
グー。
チョキ。
パー。
グー。
チョキ。
パー。
「またあいこ」
「何で!?」
さらに。
あいこ。
あいこ。
あいこ。
「お前ら息合いすぎだろ!」
「嬉しくない!」
ルビィが叫ぶ。
「シロ、私の手見てない!?」
「見てない」
「ミコは?」
「私は皆様の癖を存じておりますが、利用はしておりません」
「それ言われると余計怪しい」
「心外です」
十回目。
またあいこ。
「もうやめろ!」
俺は止めた。
「これじゃ朝になる」
「じゃあどうするの?」
「年齢順」
全員が止まった。
「…………」
嫌な空気。
「何?」
フェニアが微笑んだ。
「レオン」
「うん」
「女性に年齢順を提案なさるのは、あまり感心いたしません」
「神獣にもそういうのあるの!?」
ルビィ。
「私は若い!」
「百年以上だろ」
「レオン!」
シロ。
「正確な年齢、忘れた」
「嘘つけ」
ライカ。
「年齢と序列は無関係だ」
「誰も序列なんて言ってない」
ミコだけは落ち着いている。
「では、レオンが選んでは?」
「それ一番揉めるやつだろ」
前にも似たことがあった。
「じゃあ」
俺は木箱を見る。
中には。
古い札。
それぞれの名前を書いた飼育札が残っている。
「くじ」
「くじ?」
「ああ」
俺は六枚の札を裏返して混ぜる。
「これなら文句ないだろ」
六人。
しばらく見つめ。
頷いた。
「引け」
一斉に手が伸びる。
「一人ずつ!」
◇
一番。
「…………」
札を見たシロの尻尾が。
ぶわっ。
膨らんだ。
「シロ?」
「一番」
「見れば分かる」
「一番」
「二回言わなくていい」
その横。
ルビィ。
「六番……」
ものすごく沈んでいる。
「最後なだけだろ」
「百年待って六番……」
「十五分くらい待てよ!」
「九十分!」
「六人全部やるならな!」
二番はフェニア。
三番ミコ。
四番ライカ。
五番リヴィ。
六番ルビィ。
「よし。決定」
「交換制度は?」
ルビィ。
「なし」
「追加料金で――」
「ミコみたいなこと言うな」
「私はそのような提案はしておりません」
ミコが少し不満そうだった。
「じゃあシロから」
「うん」
シロが。
すぐ俺の前へ座った。
「人の姿でやる?」
「…………」
考える。
そして。
ぽん。
銀色の光。
次の瞬間。
世界樹の下に。
大きな白銀の狼がいた。
「おお」
久しぶりにちゃんと見る。
百年前は。
もっと小さかった。
俺の膝へ乗るくらい。
今は。
俺よりずっと大きい。
銀色の毛並み。
月明かりみたいな光沢。
「立派になったなあ」
『…………』
「シロ?」
耳。
ぺたん。
「どうした?」
『昔みたいにして』
「昔?」
『うん』
俺は少し考えて。
「ああ」
分かった。
「伏せ」
シロが。
すぐ腹ばいになる。
「よし」
首元。
背中。
古いブラシを通す。
さら。
さら。
「このブラシまだ使えるな」
『うん』
「毛、綺麗だな」
『……うん』
「絡まりも少ない」
『毎日手入れしてる』
「偉い」
耳がぴん。
尻尾が。
ぶん。
ぶんぶん。
「褒められるの好きなのも変わらないな」
『……別に』
「尻尾」
止まる。
「意識して止めるな」
再び。
ぶん。
「はいはい」
背中を梳く。
シロは目を閉じた。
『レオン』
「ん?」
『百年前』
「うん」
『こうしてもらったあと』
「うん」
『よく寝た』
「覚えてるよ」
『今日は』
「寝る?」
『ここで』
「世界樹の下?」
『レオンの近く』
「…………」
俺は笑った。
「ブラシ終わるまではな」
『それでいい』
全然よくなさそうな顔で。
満足そうだった。
◇
「次は私ですね」
フェニア。
「はいはい」
「こちらを」
黄金の光。
背中から。
大きな翼。
「…………」
俺はブラシを持ったまま止まった。
「でかくなったな」
「当然です」
「昔は両手で抱えられたのに」
「百年経っておりますから」
「羽根何枚ある?」
「数えたことはございません」
「抜け毛……じゃなくて抜け羽根多い?」
「季節によっては多少」
「ちゃんと掃除しろよ」
「……はい」
「今ちょっと怪しかったぞ」
翼へブラシを入れる。
「お」
ふわ。
柔らかい。
「綺麗だな」
「!」
「やっぱ風呂入ったから?」
「またそこへ戻すのですか!?」
「いや、普通に綺麗」
「…………」
「フェニア?」
「もう一度」
「何を?」
「今のお言葉を」
「綺麗?」
「はい」
「綺麗だぞ」
翼。
ぶわっ。
「羽根膨らんだ!」
「膨らんでおりません!」
「いや膨らんだだろ!」
「気のせいです!」
ルビィが横で笑う。
「フェニア分かりやすい!」
「あなたにだけは言われたくありません!」
その後。
梳かすたびに羽根が少しずつ膨らんだ。
「これ、喜んでるの?」
「違います」
「じゃあ止める?」
「それは困ります」
「喜んでるじゃん」
◇
三番。
ミコ。
「ではお願いいたします」
「尻尾九本全部?」
「はい」
「十五分で終わるかな」
「時間延長も可能です」
「勝手にするな」
九本。
ふわり。
広がる。
「改めて見るとすごいな」
「お気に召しましたか?」
「毛並みはいい」
「毛並み『は』?」
「言い方に引っかかるな」
一本目。
ブラシ。
さらさら。
「お前、一番手入れしてそう」
「毎朝一刻ほど」
「一時間以上!?」
「九本ございますので」
「大変だな」
「慣れております」
二本目。
三本目。
「レオン」
「何?」
「百年前は」
「うん」
「一本だけでしたね」
「そうだな」
「その一本を」
「うん」
「よく踏まれました」
「まだ根に持ってる!?」
「三度ほど」
「回数覚えてるの!?」
「四度目は避けました」
「ごめんって!」
ミコが笑う。
「冗談です」
「本当?」
「半分ほど」
「半分残ってる!」
四本目。
「でも」
ミコが静かに続ける。
「またレオンに手入れしていただける日が来るとは、思っておりませんでした」
「…………」
「ですので」
尻尾。
一本。
俺の腕へ巻きつく。
「少しくらい長くても」
「延長はなし」
「残念です」
「ただ」
「はい?」
「全部終わらなかったら、明日続きな」
九本の尻尾が。
一斉に。
ふわっ。
「……はい」
「露骨に喜ぶな」
◇
四番。
ライカ。
「私は人型でいい」
「獅子にならないの?」
「…………」
「何?」
「大きい」
「知ってる」
「庭が狭い」
「世界樹あるから大丈夫だろ」
「……では」
雷が。
ほんの一瞬だけ。
ぱちっ。
そして。
巨大な黄金の獅子。
「おお」
鬣。
立派。
身体も大きい。
「ライカ」
『なんだ』
「格好いいな」
『…………』
「どうした?」
『何でもない』
鬣が。
少し。
ぶわっ。
「お前も膨らむんだ」
『違う!』
「フェニアと同じじゃん」
『違うと言っている!』
「はいはい」
ブラシ。
鬣を梳く。
『…………』
「痛くない?」
『問題ない』
「ここ絡まってる」
『……そこは自分では届きにくい』
「言えばいいのに」
『誰に?』
「部下とか」
『雷帝の鬣を梳かせるのか?』
「俺やってるけど」
『レオンは別だ』
「またそれ」
梳く。
すると。
ごろごろ。
「ん?」
低い音。
「雷?」
『違う』
ごろごろ。
「喉?」
『違う!』
「獅子も気持ちいいと喉鳴らすんだ」
『鳴らしていない!』
「鳴ってるよ」
周囲。
ルビィが笑いを堪えている。
シロも。
フェニアも。
ミコも。
リヴィまで水球の中で笑っている。
『見るな!!』
世界最強の雷帝。
ブラッシングで。
喉を鳴らした。
◇
五番。
「リヴィ」
『はーい』
「どうする?」
『出る』
「本当に?」
『うん』
水球。
ぱしゃ。
消える。
青髪のリヴィが。
地面へ。
「…………」
一歩。
「…………」
二歩。
「…………」
三歩。
「疲れた」
「三歩だぞ!?」
「陸つらい」
「お前もう少し歩けるだろ!」
「運んで」
「駄目」
「…………」
「歩く」
「レオン」
「何?」
「百年ぶり」
「その言葉使えば何でも通ると思うな」
「……ばれた」
結局。
のそのそ。
俺の前へ。
「座れ」
「うん」
髪。
長い。
水の中にいるせいか、少し絡みやすい。
「これ手入れ大変だな」
「水でほどく」
「今日はブラシな」
「うん」
梳く。
「…………」
リヴィの目が。
とろん。
「眠い?」
「気持ちいい」
「寝るなよ」
「寝ない」
五秒。
「…………」
「リヴィ?」
「…………すぅ」
「寝た!」
ルビィ。
「早っ!」
シロ。
「三秒くらい」
「五秒だったよ!」
フェニア。
「どちらでも早いです」
俺は仕方なく。
寝ているリヴィの髪を最後まで梳かした。
終わっても起きない。
「どうすんのこれ」
『……水』
「寝言で指示するな!」
◇
そして。
六番。
「やっと!」
ルビィが飛び出してきた。
「待った!」
「九十分は経ってないぞ」
「体感百年!」
「盛るな!」
赤い光。
そして。
大きな炎竜。
「…………」
世界樹の枝より高い。
「お前」
『何?』
「昔のブラシじゃ小さすぎる」
『…………』
俺の手。
古いブラシ。
ルビィの身体。
大きい。
「これ一晩かかるぞ」
『やる!』
「即答!?」
『百年待った!』
「分かったよ!」
俺は笑いながら。
まず首元へブラシを当てた。
鱗。
一枚ずつ。
昔みたいに、汚れを落とす。
『…………』
「どう?」
『気持ちいい』
「鱗でも分かるんだな」
『レオンだから』
「何だそれ」
角の根元。
首。
翼の付け根。
「あ」
『何?』
「傷」
昔からあった。
翼の根元。
小さな古傷。
「まだ残ってる」
『うん』
「痛む?」
『もう痛くないよ』
「そっか」
その周りを。
少し丁寧に。
梳く。
『レオン』
「ん?」
『覚えてたんだ』
「そりゃ担当だったからな」
『百年経っても?』
「俺には百年経ってないし」
『……そっか』
「でも」
俺は手を動かしながら。
「忘れてなくてよかった」
『…………』
「お前らのこと」
ルビィが。
静かになった。
他の五人も。
いつの間にか。
黙っていた。
「何?」
『何でもない!』
ルビィが急に顔を上げる。
『もっと強く!』
「急に元気になるな!」
『そこそこ!』
「注文多いな!」
『百年分!』
「出た!」
結局。
六番だったルビィのブラッシングは。
本当に。
一番長くなった。
◇
夜。
「疲れた……」
俺は世界樹の根元へ座り込んだ。
腕。
重い。
「六人は多い」
「明日も?」
シロ。
「毎日は無理」
「……残念」
フェニア。
「週に三度ほどでしたら」
「多い」
ライカ。
「週一」
「それなら考える」
ミコ。
「予約表を作りましょう」
「やめろ」
『私は毎日ー』
「お前は自分で髪梳かせ!」
ルビィが。
人の姿へ戻って。
俺の隣へ座る。
「でも」
「何?」
「今日、楽しかった」
「そう?」
「うん」
他の五人も。
何となく。
近くへ集まる。
世界樹の下。
魔獣たちも眠っている。
「百年前みたいだった」
ルビィが言う。
「今と違う?」
「違うよ」
「どこが?」
「昔は」
少し考えて。
「レオンが私たちの世話をしてくれてた」
「今もしてる気がする」
「でも今は」
ルビィが笑う。
「みんなで暮らしてる」
「…………」
「そこが違う」
なるほど。
「じゃあ」
俺も笑った。
「今度はお前らも俺の世話してくれよ」
六人。
ぴたり。
「…………」
「何で黙る?」
ミコ。
「具体的には?」
「飯とか掃除とか洗濯とか」
「…………」
ルビィ。
「料理はレオンの方がおいしい!」
「逃げるな」
シロ。
「掃除、神力禁止?」
「当然」
「……難しい」
フェニア。
「洗濯でしたら浄化の炎で」
「普通に洗え」
ライカ。
「私は指揮を」
「お前も働け」
ミコ。
「使用人を雇いましょう」
「自分でやるんだよ!」
『私は水出せるー』
「それはちょっと使える」
『やった』
俺は。
六人を見る。
「決めた」
「何?」
「明日」
一呼吸。
「家事当番を決める」
「…………」
さっきまで。
ブラッシングの順番で。
あれほど本気だった六大神獣が。
今度は全員。
露骨に。
俺から目を逸らした。
「おい」
返事。
なし。
「お前ら」
世界最強。
国を守り。
海を治め。
世界を救い。
神として崇められる六柱。
しかし。
「家事くらいやれえええええ!!」
どうやら。
俺の家では。
まだまだ。
育て直す必要がありそうだった。




