第23話 六大神獣と暮らしているだけなのに、ご近所会議が始まった
翌朝。
俺は珍しく、誰にも押し潰されずに目を覚ました。
「……軽い」
右腕が動く。
左腕も動く。
足元にも誰もいない。
窓の外に顔を押しつけたリヴィも――いや、こいつはいる。
『おはよー』
「おはよう」
それでも寝室には入っていない。昨日貼った《この家の決まり》が、早くも効果を発揮したらしい。
「やればできるじゃん」
ちょっと感動しながら寝室を出ると、居間ではルビィたちが朝食を待っていた。
ルビィは椅子に座りながら腹を鳴らし、シロは机へ顎を乗せている。ライカはすでに身支度を整えていたが、昨日より顔色がいい。ミコはお茶を淹れ、フェニアは――。
「…………」
「おはようございます、レオン」
妙に艶々していた。
「お前、今日は綺麗だな」
「!」
フェニアの顔が一瞬で明るくなる。
「そ、そうでしょうか?」
「ああ。羽根もふわふわだし」
「…………」
「やっぱ毎日風呂入った方がいいだろ?」
「今の褒め言葉を返してください!」
「何で!?」
フェニアが机へ突っ伏した。
昨夜、全員がかりで温泉へ送り込まれた結果、ずいぶん長湯したらしい。風呂嫌いなのか好きなのか、いまだによく分からない。
「でも気持ちよかったでしょ?」
ルビィが聞くと、フェニアは顔を伏せたまま小声で答えた。
「……温泉そのものには罪はありません」
「じゃあ今日も」
「それと毎日入浴することは別問題です」
「別じゃない」
シロがばっさり切る。
「百年間もそれで通してきたのですから、今さら生活習慣を――」
「フェニア」
「はい?」
俺は壁を指差した。
四番。
**毎日風呂に入る。**
「…………」
「読める?」
「読めます」
「今日もな」
「……はい」
しょんぼりした。
よし。
家のルールは順調に機能している。
少なくとも俺はそう思っていた。
「じゃあ朝飯作るか」
台所へ向かおうとした、その時だった。
こんこん。
玄関が叩かれる。
「こんな朝早く誰だ?」
「ミコが買った土地の人?」
ルビィが何でもないように言う。
「元住民って言え! あとその話まだ完全に許したわけじゃないからな!」
「皆様、喜んで移転されましたよ」
ミコが穏やかにお茶を飲んでいる。
「市場価格の三倍で」
「金で全部解決するな!」
「五倍をご希望でしたか?」
「そうじゃない!」
もういい。
俺は玄関へ向かった。
「はい」
扉を開ける。
そこにいたのは、五人の男女だった。
一番前には、恰幅のいいおばさん。隣に白髪のお爺さん。その後ろにも、この辺りで何度か顔を見た住民が並んでいる。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
おばさんが俺の家の中をちらりと覗いた。
「レオンさん、だったかしら?」
「はい」
「少しお話がありましてね」
「どうぞ?」
「その……」
また家の中を見る。
俺も振り返る。
ルビィ。
シロ。
フェニア。
ライカ。
ミコ。
全員、普通にこちらを見ている。
窓の向こうにはリヴィ。
『誰ー?』
「近所の人」
『おはよー』
水槽の中から手を振る。
住民五人の顔が引きつった。
「それで、お話って?」
「……まず」
おばさんが覚悟を決めたように言った。
「昨日、あなたのお宅から、とても大きな悲鳴が聞こえまして」
「悲鳴?」
誰だ。
少し考える。
「ああ」
フェニアを見る。
「お風呂ですか?」
「やっぱり何かあったの!?」
「いや、風呂嫌いを入れただけです」
「その説明で安心できると思います!?」
背後でフェニアが立ち上がった。
「レオン! 近隣の方へそのような説明をなさらないでください!」
「でも事実だろ」
「せめて言い方というものが!」
おばさんがフェニアを見る。
「……昨日、『嫌ですー!』と叫んでいたのは」
「私です」
「『離してください!』と」
「私です」
「『私はもう大人です!』とも」
「…………私です」
「何をされていたんです?」
「入浴です」
「入浴だけで!?」
ごもっとも。
お爺さんが恐る恐る口を挟んだ。
「それからですね。夜中に何度か雷鳴が聞こえましてな」
今度は全員。
ライカを見る。
「…………」
「お前?」
「昨夜は私ではない」
「本当?」
「天然の雷だ!」
「そっか」
お爺さんはライカの髪の周囲に一瞬走った小さな放電を見た。
「今、雷が……」
「静電気だ」
「青白く光りましたが」
「強めの静電気だ」
「便利な言葉覚えたな」
「レオン!」
さらに別の男性が手を挙げる。
「あの、家の裏から水音もするんですが」
「それはリヴィ」
『はーい』
「……リヴィさん?」
「はい」
『海皇リヴ――』
「ただのリヴィ!」
『むぐ』
「余計なこと言うな!」
危ない。
まだ近所ではこいつらの正体を隠しているのだ。
「大きい水槽で暮らしてまして」
「家より大きいですが」
「本人の希望で」
「そんな魚いるんですか?」
「魚じゃないです」
水槽から声。
『魚じゃないよー』
「喋った!?」
まずい。
「あー……珍しい魔獣で」
『神獣だよー』
「リヴィ!!」
『間違えた』
「間違えるところじゃない!」
住民五人が顔を見合わせる。
完全に怪しまれている。
「と、とにかく!」
俺は無理やり笑った。
「ちょっと騒がしい同居人が増えただけなんで!」
「ちょっと……?」
おばさんが再び家の中を見る。
その時。
ルビィの腹が。
ぐううううううう。
かなり大きな音を立てた。
「…………」
「…………」
「ごめん」
ルビィが恥ずかしそうに腹を押さえる。
「朝ご飯まだだから」
おばさんの顔が少し緩んだ。
「あらまあ」
「すみません」
「若い子はお腹空くものねえ」
「若い……」
ルビィが嬉しそうだ。
「何歳?」
俺が小声で聞く。
「言わない!」
「百――」
「レオン!」
怒られた。
すると、おばさんは手にしていた籠からパンを取り出した。
「よかったら、これ。今朝焼いたばかりだから」
「いいんですか?」
「もちろん」
ルビィの目が輝く。
「ありがとうございます!」
「ちゃんとお礼言えるじゃん」
「当然だよ!」
パンを受け取ったルビィが、俺ではなくおばさんへ頭を下げた。
その姿を見て、おばさんも少し安心したらしい。
「まあ、昨夜の騒ぎが事件じゃなかったならいいんだけどね」
「すみません。なるべく静かにさせます」
「なるべくじゃなくて、静かにしてね」
「はい」
そこは俺も気をつけよう。
何しろこいつら、本人たちにその気がなくても規模がでかい。
「それから」
お爺さんが家の横を指差した。
「昨日までなかった部屋が増えておりますな?」
「…………」
俺はミコを見る。
ミコは笑顔。
「増築しました」
「一日で?」
「はい」
「……随分早い」
「優秀な職人を手配しましたので」
「そこまでは普通なんだけどな」
問題は地下だ。
絶対言えない。
「さらに、その裏手にですね」
「まだあるんですか?」
「今朝、散歩をしておりましたら」
「はい」
「庭の端に見覚えのない扉がありまして」
「…………」
俺は止まった。
「扉?」
「ええ。昨日まではなかったような」
ゆっくり。
ミコを見る。
「ミコ」
「はい?」
「何か作った?」
「…………」
「今、間があったよね?」
「増築はしておりません」
「質問変える。新しいもの作った?」
「…………」
「ミコ」
「小さなものを」
「何!?」
ミコは少し困ったように微笑んだ。
「裏門です」
「どこへ繋がる?」
「この土地の裏手へ」
「普通じゃん」
「正確には、各神獣領へ接続可能な転移門です」
「全然普通じゃない!」
住民五人。
「…………転移門?」
「違います!」
俺は即答した。
「勝手口です!」
「しかし今、転移――」
「最近の勝手口は便利なんです!」
「そうなの?」
「たぶん!」
百年寝ていた俺が言うことではない。
「ミコ!」
「はい」
「後で話!」
「承知しました」
「あと今すぐ使用禁止!」
「はい」
するとルビィが残念そうに言う。
「じゃあ私の城から直接来られないの?」
「普通に歩いて来い!」
「遠いよ!」
「お前飛べるだろ!」
「目立つってレオンが言った!」
「じゃあ転移魔法!」
「それも目立つ!」
シロ。
「走る」
「シロはそれでいい」
「三国境越えるけど」
「店で牛乳買う感覚で国境越えるな!」
フェニア。
「私の聖域からですと、一日ほどかかります」
「休みの日に来い!」
ライカ。
「私の場合は軍事的な問題が――」
「お前は今休暇中!」
『私は水路ー』
「リヴィはどこまで伸ばす気だ!」
『海まで』
「絶対駄目!」
気づけば。
近所の五人は。
口を開けて俺たちを見ていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「すみません」
俺は頭を下げた。
「ちょっと騒がしい家なんです」
おばさんが。
しばらく黙ったあと。
「ちょっと?」
「……かなり」
「でしょうねえ」
でも。
何故か笑っていた。
「まあ、悪い人たちじゃなさそうだし」
「本当ですか?」
「ただし」
指を一本立てる。
「夜は静かに」
「はい!」
「庭で爆発させない」
「はい!」
「大きな魚を飛ばさない」
「…………」
「見られてた?」
「街中から見えてたわよ」
「リヴィ」
『ごめんなさーい』
「それから、突然土地を買い占めない」
ミコ。
「…………」
「返事」
「はい」
「近所の人にまで言われてるじゃん!」
おばさんたちは笑いながら帰っていった。
玄関を閉める。
「…………」
俺は振り返った。
六人。
「家族会議」
「また?」
ルビィ。
「またです」
俺は壁の《この家の決まり》へ向かう。
八つ目。
筆を取る。
**近所に迷惑をかけない。**
「これ」
全員を見る。
「一番大事だからな」
「はい」
「分かった」
「承知しました」
「了解した」
「はい」
『はーい』
「よし」
その時。
また。
こんこん。
「今度は誰だ?」
玄関を開ける。
先ほどのおばさんだった。
「あら、ごめんなさい。言い忘れてたわ」
「何です?」
「今度、この辺りの住民で歓迎会をするのよ」
「歓迎会?」
「ええ。新しく越してきた人も多いから」
「へえ」
「あなたたちも来ない?」
「いいんですか?」
「もちろん」
おばさんが家の中を覗く。
「同居人の皆さんも」
六人。
ぴくっ。
「みんな?」
「ええ」
「普通の地域の歓迎会ですよね?」
「普通の、って何?」
「何でもないです!」
俺は振り返る。
「行く?」
「行く!」
ルビィが即答。
「レオンも?」
シロ。
「行くよ」
「では私も」
フェニア。
「地域住民との交流は重要だ」
ライカ。
「楽しそうですね」
ミコ。
『私もー』
「リヴィはどうやって来るんだ?」
『水槽ごと』
「来るな!」
おばさんが水槽を見て笑った。
「庭でやるから、水槽の近くでもいいわよ」
『やったー!』
「いいんだ!?」
「賑やかな方が楽しいでしょう?」
「…………」
普通の人。
強い。
こうして。
百年後に始まった俺たちの生活は。
神獣だとか。
国家だとか。
世界だとか。
そういう大きな話とはまるで関係なく。
次は。
**町内の歓迎会**
へ参加することになった。
俺としては。
今までで一番普通の予定だった。
ただ。
「レオン」
「何?」
ミコが笑顔で聞いてきた。
「歓迎会への手土産は、金貨千枚ほどでよろしいでしょうか」
「普通の菓子折りにしろ!!」
やっぱり。
普通に参加するだけでも。
かなり大変そうだった。




