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第5話 大好きな妹を泣かせたので、少しだけ怒りました!

 エレノアが七歳になった春、アルヴェイン侯爵家では、数組の貴族を招いたお茶会が開かれていた。


 庭園には白いテーブルが並べられ、色とりどりの花が咲く中、大人たちが談笑している。

 子供たちのためにも別の席が用意され、エレノアと五歳になったリリアも、そこでお菓子を食べていた。


「おねいちゃま、これ、おいしい!」


 リリアは小さな焼き菓子を両手で持ち、嬉しそうに笑った。


「ほんと? じゃあ、わたしも食べてみようかな!」


 エレノアは同じお菓子を一つ取り、口に運んだ。


「うん! おいしいね!」

「えへへ!」


 リリアは満足そうに頷いた。

 エレノアはそんな妹の様子を見て、自然と笑顔になった。


 リリアは今年で五歳になった。

 以前よりもできることが増えたけれど、エレノアにとっては、まだまだ可愛い妹だった。


 今日はお客様が来ているので、二人とも普段より少しおしゃれなドレスを着ている。

 エレノアは淡い青色のドレス。

 リリアは白いレースのついた桃色のドレスだった。


「リリア、そのドレス、とっても似合ってるよ!」

「ほんと?」

「うん! すっごく可愛い!」

「おねいちゃまも、かわいい!」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 そのとき、近くから声が掛かった。


「君たちが、アルヴェイン侯爵家の令嬢?」


 振り向くと、二人の少年が立っていた。

 どちらもエレノアより少し年上に見える。

 胸元には、それぞれの家の紋章が入った飾りがついていた。


「はい! わたしがエレノアで、こちらが妹のリリアです!」


 エレノアが答えると、少年の一人がリリアへ目を向けた。


「へえ。君が妹なんだ」

「……はい」


 リリアは少し緊張した様子で、エレノアの後ろへ半歩下がった。

 少年はそんなリリアを上から下まで眺めた。


「でも、姉の方は魔法がすごいって聞いたけど、妹の方はどうなの?」


 エレノアは首を傾げた。


「リリアの魔法ですか?」

「そう。君の家では、姉の魔力量がものすごいんだろ?」


 少年は少し得意そうに笑った。


「僕も魔法を習ってるんだ。だから、君たちがどれくらい使えるのか気になってさ」


 エレノアは素直に答えた。


「わたしは、まだ魔力を少しだけ使う練習をしているところです!」

「……少しだけ?」

「はい! 前に風の魔法で、お庭の木を倒しちゃったので……」


 少年たちは顔を見合わせた。


「……木?」

「はい。お父様に、もっと魔力を上手に使えるようになろうねって言われました!」


 エレノアは少し恥ずかしそうに笑った。


 少年の一人が咳払いをした。

 先ほどまで得意そうに笑っていた少年は、エレノアから視線を逸らした。


「そ、そうなんだ。それで、妹の方は?」

「リリアは、まだ魔法のお勉強を始めたばかりです!」


 エレノアが答えると、少年はつまらなそうに鼻を鳴らした。


「なんだ。じゃあ、妹は普通なんだ」

「……え?」


 リリアが小さく声を漏らした。


「姉の方はすごいのに、妹は大したことないんだね」


 少年は笑いながら続けた。


「同じ侯爵家の娘なのに、ずいぶん違うんだな」


 リリアの表情が曇った。


「……リリア、まだ……」


 何か言おうとしたが、言葉が続かない。


 少年はそんな様子にも気づかず、さらに口を開いた。

 エレノアから逸らしていた視線をリリアへ向けると、再び得意そうに胸を張った。


「まあ、姉がそんなにすごいなら、妹は何もできなくても困らないか」


 エレノアは少年を見つめた。

 今、何と言ったのだろう。

 リリアが何もできない?

 そんなことはない。


 リリアはいつも一生懸命だ。

 文字のお勉強も、お母様のお手伝いも、毎日頑張っている。

 それに、エレノアが魔法で失敗したときには、いつも優しく励ましてくれる。


 どうして、この人はそんなリリアを馬鹿にするのだろう。


「……あの」


 エレノアが声を掛けると、少年は面倒そうに振り向いた。


「何?」

「リリアは、何もできない子じゃありませんよ?」


 少年は肩をすくめた。


「でも、魔法は大したことないんだろ?」

「まだお勉強を始めたばかりですから」

「だから、普通なんだろ?」


 エレノアは少し考えた。


「……普通だと、いけないんですか?」

「えっ?」

「魔法がすごくないと、駄目なんですか?」


 少年は答えに詰まった。


「そ、それは……貴族なんだから、優秀な方がいいに決まってるだろ!」


 エレノアは納得できなかった。

 優秀な方がいいというのは、分からなくもない。

 でも、それとリリアを馬鹿にすることは、別の話だと思う。


「リリアは、毎日頑張ってますよ?」

「だから、何だよ」

「だから、何もできない子じゃありません!」


 エレノアは少しだけ声を強めた。

 少年は顔をしかめた。


「……なんだよ。妹のことになると、ずいぶんうるさいんだな」


 その言葉に、エレノアは眉を下げた。

 自分のことを何か言われるのは、別に構わない。

 でも、大好きな妹を馬鹿にされるのは嫌だった。


「……リリアに謝ってください」


 エレノアは少年をまっすぐ見つめた。


「はあ?」

「リリアは何も悪いことをしていません。だから、謝ってください」


 少年は不機嫌そうに腕を組んだ。


「嫌だね。僕は本当のことを言っただけだ」


 エレノアは口を結んだ。


 そのとき、後ろから小さな声が聞こえた。


「……おねいちゃま」


 振り向くと、リリアがドレスの裾を握りしめていた。

 青い瞳には涙が浮かんでいる。


「……リリア?」


 エレノアがしゃがむと、リリアは俯いた。


「……リリア、だめな子なの?」


 その言葉を聞いた瞬間、エレノアの胸がぎゅっと痛くなった。


「そんなことないよ!」


 エレノアは慌てて妹の手を握った。


「リリアは、とってもいい子だよ! お勉強も頑張ってるし、いつもわたしに優しくしてくれるでしょ?」

「……でも……」


 リリアの目から、ぽろりと涙が落ちた。


「……おねいちゃまみたいに、魔法できない……」


 エレノアは妹を抱きしめた。


「そんなの、気にしなくていいんだよ! わたしだって、まだ上手にできないことがいっぱいあるんだから!」


 けれど、リリアは小さく首を振った。


「……でも、あの人が……」


 エレノアはゆっくりと顔を上げた。

 少年たちは、まだそこに立っていた。

 一人は少し気まずそうにしていたが、もう一人は不満そうな顔をしている。


「……泣くほどのことじゃないだろ」


 その言葉を聞いて、エレノアは立ち上がった。


「……謝ってください」


 先ほどよりも、少し低い声だった。

 少年は顔をしかめた。


「だから、嫌だって言ってるだろ!」


 エレノアは両手をぎゅっと握った。


 どうして、謝ってくれないのだろう。

 リリアは泣いているのに。

 何も悪いことをしていないのに。


「……わたし、怒ってます」


 エレノアは少年を見つめた。


「リリアを泣かせたこと、ちゃんと謝ってください」


 少年が何か言い返そうとした、そのときだった。


 エレノアの足元で、芝生が揺れた。


「……え?」


 少年が足元を見た。


 風は吹いていない。

 それなのに、エレノアの周囲では、外側へ押し出されるように芝生が倒れていく。


 近くのテーブルでは、皿の上に置かれたスプーンがかすかに震え始めた。

 やがて、皿の縁に何度も触れ、かちゃかちゃと小さな音を立てる。


 エレノアの周囲にいた少年たちは、突然、息苦しさを覚えた。

 目の前の少女は何もしていないのに、身体が重くなったように感じられる。


 エレノアは気づいていなかった。

 ただ、リリアを泣かせた少年を見つめている。


「……謝ってください」


 もう一度、エレノアが言った。

 その瞬間、足元の芝生が大きく揺れた。

 テーブルの上で、ティーカップがかたかたと音を立てる。


「な、何だよ、これ……!」


 少年が一歩後ずさった。

 エレノアは不思議そうに首を傾げた。


「……?」


 けれど、リリアは違った。


 以前、お姉様が魔法のお勉強をしていたときのことを覚えている。

 あのときも、最初は少しだけだった。

 それから、ものすごい風が吹いて、大きな木が倒れてしまったのだ。


 リリアは足元の芝生を見た。

 次に、姉の顔を見た。

 そして、慌てて周囲を見回した。


「……おとうさま!」


 リリアは大きな声で叫んだ。


「おとうさまぁーっ!」


     ◇


 庭園の反対側で客人と話していた侯爵は、娘の声に振り向いた。


「……リリア?」


 何かあったのだろうか。

 そう思った直後、庭園の一角から聞き慣れた音が響いた。


 かたかた、かたかた。


 テーブルの上の食器が震えている。

 侯爵はその方向へ目を向けた。


 そこには、二人の少年と向かい合って立つエレノアの姿があった。

 そして、娘の足元では、芝生が不自然に揺れていた。


「…………」


 侯爵の顔から、すっと血の気が引いた。


「……エレノア?」


 娘は何も答えない。

 ただ、少年たちを見つめている。


 侯爵はすぐに歩き出した。


「エレノア!」


 その声に、エレノアが振り向いた。


「あっ、お父様!」


 嬉しそうな声だった。

 けれど、その周囲では、まだ食器が震えている。


 侯爵は娘の前にしゃがみ込んだ。


「エレノア。まず、落ち着こうか」

「……?」


 エレノアは首を傾げた。


「わたし、落ち着いてるよ?」

「……そうか。では、ゆっくり息を吸ってごらん」

「えっ? どうして?」

「いいから、お願いだ」


 父親の真剣な顔を見て、エレノアは素直に頷いた。


「……すぅー……」


 大きく息を吸う。


「……はぁー……」


 ゆっくりと吐く。

 すると、足元の芝生が少しずつ元に戻り、テーブルの食器も震えなくなった。


 侯爵は娘の周囲を確かめ、ようやく肩の力を抜いた。


「……よし。いい子だ」


 エレノアは不思議そうに父親を見上げた。


「お父様、どうしたの?」

「……いや、何でもないよ」


 侯爵は娘の頭を撫でた。

 それから、すぐ後ろで涙を拭いているリリアに気づいた。


「……リリア?」


 リリアは父親の姿を見ると、駆け寄ってきた。


「おとうさま……!」


 侯爵は娘を抱き上げた。


「どうしたんだい? 何があった?」


 リリアは父親の首にしがみついた。


「……あの人が……リリア、だめな子って……」


 侯爵の表情が変わった。


「……何?」


 エレノアが父親の袖を引いた。


「お父様! あの人たちが、リリアのことを何もできない子だって言ったの!」


 エレノアは少年たちを指さした。


「それで、リリアが泣いちゃったから、謝ってくださいって言ったんだけど……」

「……謝らなかったのかい?」

「うん!」


 侯爵は少年たちへ視線を向けた。

 二人とも、先ほどまでの勢いはなくなっていた。


「……君たち」


 侯爵が声を掛けると、少年たちは背筋を伸ばした。


「は、はい……!」


 侯爵は落ち着いた声で尋ねた。


「私の娘に、何を言ったのかな?」


 少年たちは顔を見合わせた。

 最初に口を開いたのは、先ほどまで黙っていた方の少年だった。


「……その、妹君の魔法が、姉君ほどではないという話を……」


 侯爵は黙って聞いていた。


「……それで?」

「……何もできないのではないかと……」


 侯爵はリリアを抱き直した。


「なるほど。それで、娘が泣いているのだね」


 少年は俯いた。


「……はい」


 侯爵は二人の少年の顔を見比べた。


「……ところで、君たちに怪我はないか? 気分が悪くなったりはしていないか?」


 少年たちは顔を見合わせた。


「……さっき、少し息苦しくなりました。でも、今は大丈夫です」

「僕も……身体が重くなった気がしました。でも、怪我はありません」


 侯爵は二人の顔色を確かめ、頷いた。


「そうか。何か異変があれば、すぐに知らせてほしい」


 少年たちは小さく頷いた。

 侯爵は少しだけ声を厳しくした。


「魔法の才能があるかどうかで、人の価値が決まるわけではない。まして、まだ五歳の子供に向かって、そのようなことを言うものではないよ」


 少年たちは何も答えなかった。


「君たちのご両親にも、今日のことはお伝えしておこう」


 その言葉に、二人の顔色が変わった。

 先ほどまで強気だった少年は何か言い返そうとしたが、侯爵の腕の中で涙を拭いているリリアを見て、口を閉じた。


「……申し訳ありませんでした!」


 少年たちは慌てて頭を下げた。


 侯爵はリリアへ目を向けた。


「リリア。二人が謝っているよ」


 リリアは父親の腕の中から、そっと少年たちを見た。


「……うん」


 少年の一人が、もう一度頭を下げた。


「……ごめんなさい」


 リリアは少し迷ってから、小さく頷いた。


「……はい」


 エレノアはその様子を見て、ようやく笑顔になった。


「よかったぁ!」


 侯爵も微笑んだ。


 ただし。


 娘の足元で芝生が揺れ、食器が震えていたことについては、別の問題だった。


     ◇


 お茶会が終わったあと。


 侯爵はエレノアを執務室へ呼んだ。


「エレノア。少しお話をしようか」

「はーい!」


 エレノアは元気よく返事をして、父親の前に座った。

 侯爵は娘の顔を見つめた。


「今日、リリアを守ろうとしてくれたんだね」

「うん! だって、リリアは何も悪くないんだもん!」


 エレノアは真剣な顔で答えた。


「それなのに、あの人たちがリリアを馬鹿にしたから……」

「そうだね。それは、あの子たちが悪かった」


 侯爵は頷いた。


「エレノアがリリアのために怒ったことも、私は悪いことだとは思わないよ」

「……ほんと?」

「ああ。ただし、一つだけ気をつけてほしいことがあるんだ」


 エレノアは首を傾げた。


「なあに?」

「今日、怒っていたとき、魔力が身体の外へ漏れていたんだよ」

「……え?」


 エレノアは目を丸くした。


「わたし、魔法なんて使ってないよ?」

「そうだね。エレノアは魔法を使おうとはしていなかった」


 侯爵は娘の目を見ながら、ゆっくりと説明を続けた。


「けれど、魔力は気持ちが大きく動いたときにも、無意識に外へ出てしまうことがあるんだ」

「……そうなの?」

「ああ。今日も、エレノアの周りで芝生が揺れたり、食器が震えたりしていただろう?」


 エレノアは少し考えた。


「……そういえば、かたかたって音がしてたかも」


 侯爵は頷いた。


「エレノアは、とても大きな魔力を持っている。だから、怒ったときにも魔力を抑えられるようにならないといけないんだよ」

「……うん」


 エレノアは真剣に聞いていた。


「わたし、また何か壊しちゃう?」

「今のままだと、そういうこともあるかもしれないね」


 侯爵は正直に答えた。

 エレノアはしょんぼりと肩を落とした。


「……ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。今日は何も壊していないし、誰も怪我をしていないからね」


 侯爵は娘の頭を優しく撫でた。


「大切なのは、これから気をつけることだよ」

「……うん! わたし、ちゃんと練習する!」


 エレノアは顔を上げた。


「今度は、怒っても魔力が出ないようにする!」

「そうだね。一緒に頑張ろう」


 侯爵は微笑んだ。


 そのとき、執務室の扉が小さく叩かれた。


「おとうさま……?」


 扉の向こうから、リリアの声が聞こえた。


「リリア? 入っておいで」


 扉が開き、リリアが顔を覗かせた。


「おねいちゃま、いる?」

「いるよ!」


 エレノアが手を振ると、リリアはぱっと笑顔になった。

 そして、小走りで姉のところへ駆け寄った。


「おねいちゃま!」


 エレノアは妹を抱きしめた。


「リリア、もう大丈夫?」

「うん!」


 リリアは元気よく頷いた。


「おねいちゃま、リリアのために怒ってくれて、ありがとう!」


 エレノアは嬉しそうに笑った。


「だって、リリアはわたしの大事な妹だもん!」


 リリアも笑顔になった。


「リリアも、おねいちゃま大好き!」

「わたしも大好き!」


 二人はぎゅっと抱き合った。


 侯爵はその様子を見つめ、穏やかに微笑んだ。

 娘たちが仲良くしている姿を見るのは、何より嬉しいことだった。


 侯爵は机の上の書類へ目を向けた。

 そこには、新しい魔法訓練場の建設計画が置かれている。


 魔力の出力調整だけでなく、感情が高ぶったときの制御も教えなければならない。

 侯爵は書類に記された完成予定日を見つめた。


「……訓練場の完成を、少し急いだ方がよさそうだな……」


 すると、リリアが父親の顔を見上げた。


「おとうさま! おねいちゃま、すっごく怒ってたの!」


 侯爵は娘たちへ目を向けた。


「……そうだね。お父様も、よく分かったよ」


 エレノアは不思議そうに首を傾げた。


「……わたし、そんなに怒ってた?」


 リリアは元気よく頷いた。


「うん! おねいちゃまの周りが、ぐらぐらしてた!」


 エレノアは目を丸くした。


「ええっ!? そうだったの!?」


 侯爵は二人の娘を見つめ、もう一度、小さく息を吐いた。


 どうやら、エレノア本人だけが、まだ自分の魔力の恐ろしさを分かっていないらしい。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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今後ともよろしくお願いいたします!

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