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第4話 お庭の木を倒してしまっただけなのに、お父様が頭を抱えています

今日はちょっと短いです。

 王宮のお茶会から、しばらく経ったある日のこと。


 アルヴェイン侯爵家の庭園では、今日もエレノアの魔法のお勉強が行われていた。


「先生! 今日は何をするの?」


 エレノアは目の前に立つ魔法教師を見上げ、期待に満ちた声で尋ねた。


「本日は、魔力を一定の量に保ちながら、対象へ送り込む練習をいたします」

「魔力を送るの?」

「はい。魔法を使う際には、必要な量だけ魔力を扱うことが大切なのです」


 教師は庭園の端に置かれた、小さな木製の的を指さした。


「まずは、あちらの的へ弱い風を当ててみましょう。的が少し揺れる程度で十分です」

「うん! わかった!」


 エレノアは元気よく頷いた。


 少し離れた場所には、母親とリリアが座っていた。

 今日はリリアも、お姉様の魔法のお勉強を見学している。


 教師は二人のいる場所を確認してから、見学席の周囲に防御結界を展開した。

 続いて、木製の的を中心とする訓練区域にも結界を張り、魔法が周囲へ及ばないようにする。


 五歳のときの魔力量測定で、エレノアは二つの測定器の上限を超えていた。

 そのため教師は、通常の初級魔法の訓練で使用するものより、はるかに強固な結界を用意していた。


「これで準備は整いました。奥様とリリア様は、どうぞそのままお席でご覧ください」

「ええ。よろしくお願いします」


 母親が頷くと、リリアは椅子から身を乗り出した。


「おねいちゃま、がんばって!」

「うん! リリア、見ててね!」


 エレノアは妹に手を振ってから、木製の的へ向き直った。


 教師はその様子を見守りながら、念のためにもう一度注意を伝えた。


「エレノア様。魔力はほんの少しだけですよ。先日お教えしたとおり、ゆっくりと流してください」

「はーい!」


 エレノアは右手を的へ向けた。


 風の魔法は、これまでにも何度か練習している。

 けれど、魔力を少しだけ使うというのは、エレノアにとって意外と難しいことだった。


 たくさん使うのは簡単なのに、少しだけ使おうとすると、どうしても余計に出てしまうのだ。


「えっと……ちょっとだけ……」


 エレノアは手のひらへ魔力を集めた。


 教師の言葉を思い出しながら、できるだけ小さな風を作ろうとする。


「《ウィンド》!」


 次の瞬間、庭園を強い風が吹き抜けた。


 木製の的が大きく揺れ、地面から浮き上がる。


「……っ!」


 教師が目を見開いた。


 的の周囲に張っていた結界が強風を受けて大きくたわみ、その表面に亀裂が走った。


「エレノア様! 魔力を止めてください!」


 教師の声が響いた直後、結界が砕け散った。


 結界を突き破った風は勢いを失わず、木製の的を巻き込んで庭園の奥へ吹き抜けた。


 見学席の防御結界が強風を受け止めたが、その衝撃で結界の内側にも弱い風が吹き込んだ。


「きゃっ!」


 リリアの銀色の髪が揺れ、母親が慌てて妹の身体を抱き寄せた。


「えっ?」


 エレノアが目を丸くした直後、的は奥に立っていた大きな木の幹へ衝突した。


 乾いた音が響き、木の枝から葉が一斉に舞い落ちる。


 さらに、的を追うように吹き抜けた風が、大きな木の幹と枝を激しく揺さぶった。


 地面が盛り上がり、太い根が土を押し上げながら、木がゆっくりと傾き始めた。


「……あれ?」


 エレノアは首を傾げた。


 教師の顔から血の気が引いた。


「エレノア様! その場から動かないでください!」


 教師がエレノアの周囲に防御魔法を展開すると同時に、大きな木が庭園の芝生へ倒れ込んだ。


 どおん、と地面が揺れた。


 枝が折れ、土が跳ね、庭園に積まれていた植木鉢がいくつか転がった。


 エレノアは倒れた木をじっと見つめた。


「…………」


 教師も倒れた木を見つめていた。


「…………」


 少し離れた場所では、母親がリリアを抱きしめたまま固まっている。


 最初に口を開いたのは、エレノアだった。


「……先生?」

「……はい」

「わたし、ちょっとだけって言ったよね?」

「……おっしゃいましたね」


 エレノアは倒れた木へ目を向けた。


「でも、木が倒れちゃった……」

「……倒れてしまいましたね」


 教師は額に手を当てた。


 エレノアは困ったように眉を下げた。


「……どうしよう」


     ◇


 騒ぎを聞きつけた侯爵が庭園へ駆けつけたのは、それから間もなくのことだった。


「エレノア! 無事か!」


 父親は庭園へ飛び込むなり、娘の姿を探した。


「お父様!」


 エレノアは父親へ駆け寄った。


「わたし、怪我してないよ!」

「そうか! それならよかった!」


 侯爵は娘を抱き上げ、頭から足先まで確認した。


「どこも痛くないか? 風で飛ばされたりしていないか?」

「うん! 大丈夫!」


 エレノアは元気よく頷いた。


 侯爵はようやく安堵の息を吐いた。


「それで、いったい何が……」


 そこで、父親の視線が庭園の奥へ向いた。


 芝生の上には、根元から倒れた大きな木が横たわっている。

 周囲には折れた枝が散らばり、木製の的は幹にめり込んだままだった。


「…………」


 侯爵はしばらく黙っていた。


 そして、ゆっくりと教師へ顔を向けた。


「……何があった?」

「……風魔法の練習でございます」

「風魔法?」


 教師は深く頭を下げた。


「エレノア様には、木製の的を軽く揺らす程度の風をお願いしておりました」

「……それで?」

「……的が飛びまして」

「……飛んだ?」

「はい。そして、あちらの木へ衝突いたしました」


 侯爵は倒れた木を見た。


 次に、教師を見た。


 もう一度、倒れた木を見た。


「……あの木に?」

「……はい。さらに、的と一緒に結界を突破した風が木を直撃いたしました」


 侯爵は額を押さえた。


「……なるほど」


 エレノアは父親の顔を覗き込んだ。


「お父様、怒ってる?」

「……いや、怒ってはいないよ」


 侯爵は娘を抱き直した。


「ただ、少し驚いているだけだ」

「ほんと?」

「ああ。本当だとも」


 エレノアはほっとしたように笑った。


「よかったぁ……」


 けれど、すぐに倒れた木を思い出した。


「でもね、お父様……」

「うん?」

「わたし、木を倒しちゃったの……」


 エレノアはしょんぼりと肩を落とした。


「ごめんなさい……」


 侯爵は娘の顔を見つめた。


 その目には、今にも涙が浮かびそうになっている。


「エレノア」


 侯爵は娘の頭を優しく撫でた。


「まず、誰も怪我をしなかったことが一番大切だ。木のことは心配しなくていい」

「……ほんと?」

「ああ。ただし、これからは魔法の使い方をもっと練習しないといけないね」

「うん……」


 エレノアは小さく頷いた。


「わたし、ちゃんと練習する……」

「そうだね。一緒に頑張ろう」


 侯爵が微笑むと、エレノアも少しだけ笑顔を取り戻した。


 そのとき、リリアが母親の手を離れて駆け寄ってきた。


「おねいちゃま!」


 エレノアが顔を上げる。


「リリア……」

「おねいちゃま、だいじょうぶ?」


 リリアは心配そうに姉を見上げた。


「うん……でも、木を倒しちゃったの……」


 エレノアが倒れた木を指さすと、リリアはそちらを見た。


 しばらく考えてから、姉へ向き直る。


 リリアはしょんぼりしている姉の顔を見上げ、何か思いついたように両手を握った。


「でも、おねいちゃま、すごかったよ!」

「……え?」

「風が、びゅーんってなったの!」


 リリアは両手を大きく広げた。


「すっごく強かった!」


 エレノアは目を瞬かせた。


「……そうかな?」

「うん! リリア、びっくりした!」


 リリアは元気よく頷いた。


「でもね、おねいちゃまが怪我しなくてよかった!」


 エレノアは妹を見つめた。


 そして、嬉しそうに笑った。


「……ありがとう、リリア!」


 侯爵は二人の娘を見つめ、静かに息を吐いた。


 娘たちが無事だったことは、本当にありがたい。


 ただし。


 倒れた木を見る限り、今後の魔法教育については、根本から考え直す必要がありそうだった。


     ◇


 その日の夕方。


 侯爵は執務室で、魔法教師から詳しい報告を受けていた。


「……つまり、エレノアは弱い風を出そうとしたのだな?」

「はい。ご本人は、確かに魔力を抑えようとしておられました」

「それなのに、あの威力か……」


 侯爵は椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。


「五歳のときの測定でも、魔力量が通常の測定範囲を超えていたが……」

「はい。エレノア様の魔力量は、私の知る限りでも極めて異例です」


 教師は慎重に言葉を選んだ。


「ただ、今回の問題は魔力量そのものではございません」

「……というと?」

「魔力の出力調整でございます。エレノア様は、少量の魔力を扱う際にも、無意識に多くの魔力を流してしまうようです」


 侯爵は腕を組んだ。


「……それを改善する方法は?」

「訓練は可能です。ただし、通常の初級魔法を使わせるだけでは、危険が伴います」

「……そうだろうな」


 侯爵は窓の外へ目を向けた。


 庭園では、使用人たちが倒れた木の撤去作業を進めている。


「……まず、訓練場所を変えよう」

「はい」

「屋敷の庭園ではなく、周囲に被害が及ばない場所を用意する。必要なら、専用の訓練場を造っても構わん」

「承知いたしました」


 教師は深く頷いた。


「それから、エレノアには攻撃魔法よりも、魔力の制御を優先して教えてほしい」

「私も、その方がよいと考えております」


 侯爵は頷いた。


「それと、今日の結界についても確認しておきたい」

「……はい」


 教師は姿勢を正した。


「エレノア様の魔力量を考慮し、通常の初級魔法よりも強固な結界を用意しておりました。しかし、今回の風魔法は、その強度さえ超えてしまったのでございます」

「見学席の結界は無事だったのだな?」

「はい。奥様とリリア様にお怪我はございませんでした」


 侯爵は安堵しながらも、厳しい表情を崩さなかった。


「今後は、これまでの想定を超える威力が出ることを前提に、安全対策を考えてほしい」

「……承知いたしました」


 教師は深く頭を下げた。


 侯爵は机の上に置かれた訓練場の建設案へ目を向けた。


「……結界の強化だけでは足りないな。周囲に建物も樹木もない場所を選ぶ必要がある」

「はい。魔力を吸収する設備の導入も検討いたします」

「そうしてくれ。費用については、必要なものをすべて見積もってほしい」


 教師は再び頭を下げた。


 侯爵は書類を手に取り、深く息を吐いた。


 そして、窓の外を見た。


「……それにしても、あの木が倒れるとはな」


 教師も窓の外へ目を向けた。


「……立派な木でございましたね」

「ああ。私が子供の頃から、あそこにあった木だ」

「……そうでございましたか」


 侯爵は額に手を当てた。


「……まさか、娘の初級風魔法で倒れる日が来るとは思わなかった」


 教師は返す言葉が見つからず、黙って頭を下げた。


     ◇


 その日の夜。


 エレノアは自分の部屋で、リリアと一緒に絵本を読んでいた。


「おねいちゃま、これ読んで!」

「うん! 今日はどれにする?」


 リリアは棚から一冊の絵本を取り出した。


「これ! お姫様のお話!」

「わかった!」


 エレノアは妹を隣に座らせ、絵本を開いた。


 けれど、数ページ読んだところで、リリアがふと顔を上げた。


「ねえ、おねいちゃま」

「なあに?」

「今日の木、どうなったの?」


 エレノアは少し考えた。


「お父様がね、片づけてくれるって」

「そっかぁ……」


 リリアは安心したように頷いた。


 そして、姉の顔を覗き込んだ。


「おねいちゃま、もう元気?」

「うん! 元気だよ!」


 エレノアは笑顔で答えた。


「明日から、もっと魔法のお勉強がんばるの!」

「リリアも応援する!」

「ありがとう!」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 その頃。


 侯爵は執務室で、庭園の修復費用と新しい魔法訓練場の建設案を前にしていた。


「……木の撤去費用に、芝生の修復費用……」


 侯爵は書類を一枚めくった。


「……さらに、訓練場の新設費用か」


 もう一枚、書類をめくる。


 そこには、庭園の被害状況をまとめた報告書が添えられていた。


 侯爵はしばらく報告書を見つめた。


 そして、両手で頭を抱えた。


「……エレノア。頼むから、次は何も壊さないでくれ……」

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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今後ともよろしくお願いいたします!

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