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【短編】月影の記憶 -茶会-  作者: しまゆり


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3/5

兄様の機嫌

“兄”であろうとしてきた男が、自分の感情に少しだけ気づいてしまう、夕暮れの茶会の話。

 夕暮れの庭先。

 茶会の準備が進む中、姫は嬉しそうに今日の出来事を語っていた。


「それで、町の子供に聞かれたの。“政朝様と結婚するの?”って」


 女房たちがくすりと笑う。

 政朝は腕を組んだまま、わざとらしく顔を背けた。


「……子供ってのは遠慮がねぇからな」


「私は、少し嬉しかった。家族が増えたみたいで」


 その瞬間、政朝がぴたりと固まる。

 女房たちの視線が一斉に向いた。


「……は?」


「町めぐりして、お団子を選んで……とても楽しかったの」


 政朝は数秒沈黙したあと、片手で口元を覆った。

 町では”家族みたい”と言われて地味に傷ついていたが、改めて聞くと存外悪くない。


「……まぁ、姫さんが楽しかったなら、それでいい」


 ——単純な男だ。


 賢木は薄く輪郭を描き始めた月を眺めている。

 だが、その胸の奥は面白くなかった。

 美琴——姫が誰かと時間を共有している。

 その中心にいるのが、自分ではない。

 ただそれだけのことが、妙に引っかかる。


 本来なら、喜ぶべきなのだ。

 美琴が屋敷の外で誰かと打ち解け、世界を広げていくことは。

 閉じた籠の中で生きていた頃より、ずっといい。

 自分もそれを望んでいたはずだった。


 ……なのに。

 美琴はもう、何をするにも自分の隣にいるわけではない。

 知らない場所で、知らない時間を過ごしている。

 その事実が、思った以上に胸に障った。


「政朝さんがね、途中で——」


「仲睦まじいようで何よりだな」


 す、と空気が冷える。

 姫がきょとんと目を瞬く。

 賢木は笑っている。 だが、目は笑っていなかった。


「兄様?」


「ほぅ」


「ええと……?」


「……へぇ」


 横で政朝が吹き出した。


「ははっ、怖ぇ顔」


「誰のせいだと思っている」


 賢木は扇を閉じ、深く息を吐く。

 本当は分かっている。

 姫に悪気などない。 あれはただ、“楽しかった一日”を共有したかっただけだ。


 ——俺の知らない時間を、お前は随分楽しそうに笑うんだな。


 その一言が、喉元までせり上がって消えない。

 胸の奥が、わずかに軋む。


「お前は“楽しかった”で済むんだろうがな。延々とコイツの話を聞かされる身にもなれ」


「ハッ。なんだよ嫉妬か」


「政朝」


「なんだよ」


 火花が散るような視線。

 昔なら、こんな風に誰かと美琴を取り合う未来など想像もしなかった。

 いつも、自分の隣にいたのだから。


 ……だが今は違う。


 美琴の世界は少しずつ広がっている。

 それが喜ばしいはずなのに。


 ——面白くないと思ってしまう俺は、随分と器が小さいらしい。


 そんな空気を割るように、姫が微笑んだ。


「では、次は兄様もご一緒に?」


 沈黙。

 女房たちが一斉に視線を逸らす。

 政朝が肩を震わせた。

 賢木はしばらく黙っていたが、やがて観念したように額を押さえる。


「……お前は本当に」


 嫉妬も独占欲も、真っ直ぐ見つめ返されると馬鹿らしくなる。


 その時。

 奥から道隆の穏やかな声が響いた。


「団子の数を見る限り、予想通りでしたね」


 振り返れば、既に茶会の席は整えられている。

 賢木は山のような団子を見て露骨に顔をしかめた。


「買いすぎだ」


「限定ってのに姫さんは弱いのよ」


「全部食べる気か?」


「食えるだろ」


 道隆と女房たちは、その光景を微笑ましそうに見守っている。

 姫は皆を手招きした。


 夕暮れの風が、ふわりと庭を抜ける。

 賢木はそっと目を細める。


 ……まぁ、今はそれでいい。


 道隆は静かに扇を開き、微笑んだ。


「では、茶会を始めましょうか」


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