春の市 -政朝と町へ-
春のお茶会に向け、団子の下見へ出かけることになった姫と政朝。
活気あふれる春の市で、二人は次々と団子を味見していく。
無自覚に距離が近い姫と、振り回されながらも惹かれていく政朝。
春の甘い香りと団子に包まれた、穏やかで賑やかな宮廷小話です。
春の朝は、どこか浮き立つような空気に満ちていた。
宮殿の庭には柔らかな陽射しが降り注ぎ、芽吹いたばかりの若葉を揺らす風が、甘い花の香りを運んでくる。
朝の集まりを終え、皆がそれぞれの仕事へ散っていく中、姫は一人そっと考えていた。
——今日は、お茶会の茶菓子にするお団子の下見に行こう。
お茶会を開くからには、妥協はしたくない。せっかくなら春らしい品も欲しいし、皆が喜ぶものを揃えたい。
けれど、一人で町へ出るのも少し味気ない。
そう思った瞬間、頭に浮かんだ相手は一人だった。
「政朝さん、町へご一緒しない?」
早々に仕事を片付け、声をかければ返事は予想通りだった。
「……行く」
短い返答に、姫はぱっと顔を明るくする。
「では、早く!」
「元気すぎだろ、姫さん……」
政朝は眠たげに片目を細め、呆れたように息を吐いた。
けれど、その足取りはしっかり姫の後を追っている。
「今日は大事な下見なのよ?」
「下見って言う割に、絶対食う気満々だろ」
「確認は大事なの」
しれっと言い返され、政朝は思わず吹き出した。
そんなやり取りをしながら、二人は春の市へ向かう。
町はすでに多くの人で賑わっていた。
色鮮やかな布が風に揺れ、焼き菓子や香の匂いが通りを満たしている。
花飾りを売る店の前では子供たちの声が弾み、楽師が奏でる笛の音が軽やかに響いていた。
その景色の中で、姫はまるで子供のように目を輝かせる。
「見てみて、胡麻団子!」
「おー」
「こちらは桜餡ですって。春限定なのね」
「まだ着いて早々なんだけど?つーか、姫さん、花より団子だな」
言っているそばから、姫は屋台へ吸い寄せられていく。
政朝は苦笑しながら、その後ろを追いかけた。
人混みの中、姫の袖が通行人にぶつかりそうになる。
政朝は反射的にその肩を引き寄せた。
「っと。前見ろよ」
「あ、ごめんなさい」
素直に謝った姫は、次の瞬間には別の屋台へ視線を奪われている。
——ほんと、放っておけねぇな。
賢木のように器用に守れるわけじゃない。
道隆のように穏やかに寄り添えるわけでもない。
けれど。
姫が楽しそうだと、それだけで十分だと思ってしまう。
「政朝さん!」
呼ばれて顔を上げると、姫が串団子を差し出していた。
「はい。一口どうぞ」
「は?」
「感想役をお願いします」
「雑な役割だな……」
呆れながらも口をつければ、香ばしいみたらしの甘辛さが舌に広がった。
「……うま」
「でしょう?」
姫は顔をほころばせる。
その笑顔が思ったより近くて、政朝は視線を逸らした。
市の中央へ向かうにつれ、人通りはさらに増えていく。
姫と政朝が並んで歩くだけで、周囲の視線が自然と二人へ向けられていた。
「……月の姫様だ」
「隣は政朝殿か」
「あの距離感、随分親しいな……」
声は小さい。
けれど、ひそひそと交わされる言葉は確かに耳へ届いていた。
政朝は聞こえないふりをする。
一方の姫はまるで気づかず、桜餡の団子を見つけては目を輝かせていた。
「政朝さん、これは新作!」
「はいはい……」
そんなやり取りを続けていると、近くで遊んでいた子供たちが姫を見つけて駆け寄ってきた。
「姫さま、こんにちは!」
「政朝さまも一緒なんだね!」
姫はしゃがみ込み、優しく子供たちの頭を撫でる。
政朝も軽く手を振った。
すると子供たちは顔を見合わせ、こそこそと何かを相談し始めた。
嫌な予感がした。
次の瞬間。
「ねぇ、二人って結婚しないの?」
「ぶっ――!」
政朝は盛大にむせた。
「な、何言ってんだお前ら!?」
耳まで真っ赤になりながら声を荒げる。
胸の奥が妙に熱かった。
——嬉しい、なんて思うなよ俺。
分かっている。
姫にとって自分は、賢木のような特別な存在ではない。
せいぜい気安い兄貴分だ。
「……俺はあれだ、兄貴みたいなもんだろ? なぁ、姫さん」
そう言うと、姫はふわりと目元を緩めた。
「ええ。政朝さんはとても頼りにしているの。家族が増えたみたいで嬉しいわ」
その言葉に、政朝は一瞬だけ目を伏せる。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
——家族、か。
周囲の大人たちは、そんな二人を遠巻きに見ながら小声を交わしている。
「子供でも気づくほど仲が良いのだな」
「姫様はお優しいから……政朝殿が誤解されなければ良いが」
悪意はない。
ただ、“月の姫”という特別な存在を見上げる者たちなりの距離感が、そこにはあった。
その時、姫の口元に桜餡がついているのに気づき、政朝は自然と手を伸ばした。
「……ついてる」
「あら、本当」
指先で拭われ、姫が少しだけ頬を染める。
その光景に、周囲の空気がまたざわついた。
「……あれはさすがに」
「どう見ても……」
子供たちはきゃっきゃと笑っている。
「やっぱり仲いいんだ!」
「結婚するんだ!」
「だから違ぇっての!」
政朝は頭を抱えた。
姫だけが、意味が分からないまま不思議そうに首を傾げている。
——距離感、おかしいんだろうな。
分かってる。
月の一族である姫と、地の一族の自分たち。
普通なら、こんな自然に触れたりしない。
でも姫は嫌がらない。
むしろ安心したみたいに笑う。
その無防備さが、嬉しくて、困る。
「政朝さん?」
「……なんでもねぇよ」
政朝は頭を掻いた。
◇
帰り道。
気づけば、団子の包みはかなりの量になっていた。
夕焼けが通りを橙色に染め、人通りも少し落ち着いている。
姫は包みを大事に抱え、政朝を見上げる。
「いっぱい買えて満足だわ」
「買いすぎだろ。下見なのにこの量だ。賢木に絶対イヤミいわれるぞ」
「ふふ、賢木兄様はいつものことだから平気よ。皆で食べるの、楽しみね」
夕風が吹き抜け、姫の髪がさらりと揺れた。
本当はこうして二人で歩いている時間が、少し特別になっている。
姫はきっと気づいていない。
賢木とも、道隆とも違う。
自分だけの距離が、少しずつできていることに。
なのに
「……俺との下見より、そっち優先かよ」
ぽつりと零れる。
姫が足を止めた。
「え?」
「いや、なんでも——」
「私は、政朝さんと来たから楽しかったのよ?」
まっすぐな声で言われ、政朝は一瞬、言葉を失う。
「一人だったら、こんなに楽しくなかったもの」
夕焼けの光が、その笑顔を柔らかく照らしていた。
——駄目だ。また調子が狂う。
政朝は視線を逸らし、大きく息を吐いた。
「……そういうこと、簡単に言うなよ」
「?」
姫は意味が分からないまま首を傾げている。
政朝は苦笑した。
◇
一方その頃、宮殿では。
道隆が茶器の準備を確認しながら、帳簿を閉じた賢木へ視線を向けていた。
「そろそろ姫様が戻られる頃でしょうか」
「……あの二人だ。下見とか言っていたが、どうせ団子を大量に抱えて帰ってくる」
賢木は深くため息を吐く。
道隆は眉を下げる。
姫は感情がそのまま表情へ出る人だ。
興味を持てば前のめりになり、不安になれば誰かの袖をつまむ。
その素直さを皆が受け入れている。
「茶会の支度は進めております。団子が増えても問題ありません」
「抜かりないな」
「姫様はきっと、満面の笑みで戻ってこられますから」
その言葉に、賢木は諦めたように肩を竦めた。
◇
夕暮れ前。
宮殿へ戻ってきた姫と政朝の両手は、案の定、団子の包みで塞がっていた。
賢木はそれを見るや否や、額を押さえる。
「……下見とは聞いていたが、なんだこの量は」
「姫さんが止まんなくて」
「政朝さんも食べていたでしょう?」
「否定はしねぇけど!」
即座に返され、道隆がくすくすと笑う。
女房たちも微笑みながら、茶の準備を進めていた。
「姫様、お茶会の支度は整っております」
「ありがとうございます。では皆でいただきましょう!」
姫は嬉しそうに団子を抱え直す。
政朝は疲れ切った顔をしていたが、その表情にはどこか満ち足りたものがあった。
賑やかな声が広間に広がる。
——この宮殿は、きっとこういう場所なのだ。
春の夕風がそっと吹き抜け、甘い団子の香りを運んでいった。




