第二十九話「一週間」
ヴェステルからの連絡を待つ一週間は、表面上は普段通りだった。
学園へ行った。講義を受けた。アメリとタルトを食べた。レインに探りを入れられた。帰宅して夕食を食べた。父と紅茶を飲んだ。
しかし内側では、一週間ずっと、何かを待っていた。
待ちながら、できることをした。
リュカとの情報整理が一つ。
翌日の夜、茶館で会った。
「昨夜の連絡を読みました」
リュカが言った。
「ヴェステルが影廷との接触を知っていた件ですが、セダンから流れた情報の範囲を確認する必要があります」
「どこまで知られていると思いますか」
「私との接触は知られていると思います。内容については、セダンが把握していた範囲に限られます」
「セダンが把握していた範囲とは」
「フォルタン子爵の内偵担当だった時期の情報です。その後は担当を外れていますので、それ以降の動きは把握していないはずです」
「クレヴァン夫人との接触は」
「把握していない可能性が高い。セダンが担当を外れた後の接触です」
「ヴェステルとの直接の面会の内容は」
「知らないはずです。昨日の時点では」
昨日の時点では、という言葉を使った。
今後については、わからないという意味だった。
「ヴェステルが王国の構造を作り直す意図を持っていることについて、影廷として何か把握していましたか」
「断片的には。ただし規模については把握していませんでした。三十年以上かけた計画だとすれば、私たちが見えていた部分は表面だけだったことになります」
「セダンがヴェステルに情報を流し始めたのはいつ頃からだと思いますか」
「セダンが影廷に入った時点からの可能性があります。つまり、セダンはヴェステルが影廷に送り込んだ人間かもしれない」
「最初から」
「はい」
二人で少し黙った。
「セダンをどうするつもりですか」
ヴィオレットが聞いた。
「ヴェステルからの連絡の内容を見てから判断したい」
「なぜですか」
「セダンを今動かせば、ヴェステルが気づきます。気づけば、連絡の内容が変わる可能性があります」
「ヴェステルからの連絡が来るまで、セダンは泳がせる」
「はい」
「わかりました」
リュカが少し間を置いた。
「前世の件について、昨夜の連絡に書いてありました。ヴェステルへの言及があったと」
「はい。まさか、という言葉が出ました」
「認識した、ということですか」
「そう見えました」
「一週間以内の連絡の中に、それについての話が含まれると思いますか」
「含まれる可能性があります。ヴェステルが私の前世を知っているなら、その情報は交渉材料になります」
「交渉材料として使ってくる」
「そう準備しておきます」
リュカが茶杯を手に取った。
「令嬢が前世の答えを得た場合、それがどういう内容であっても、今世での行動は変わりませんか」
ヴィオレットは少し考えた。
「変わりません」
「確かですか」
「根を断つことは変わりません。ただ、方法が変わる可能性はあります」
「方法が、とは」
「前世の答えによって、ヴェステルとどう向き合うかが変わるかもしれない。しかし向かう方向は変わりません」
リュカが頷いた。
「わかりました」
茶館を出た。
二日目は、父からルーベン商会についての続報があった。
朝食の後、書斎に呼ばれた。
「旧経営者の行方がわかった」
父が言った。
「どこにいますか」
「王都から東へ三日ほどの地方都市に移っていた。知人の商人を通じて、間接的に確認した」
「その方は今、どんな状態ですか」
「商売はしていない。静かに暮らしているらしい。ただ、人を怖がっているという話だった」
「人を怖がっている」
「王都から来た人間を、特に怖がっているらしい」
三年前のクレヴァン伯爵と同じだ、とヴィオレットは思った。
何かを知って、怖くなった人間の反応だった。
「その方と直接話すことはできますか」
父が少し考えた。
「難しくはないが、時間がかかる。信頼できる人間を間に立てる必要がある」
「急ぎではありません。ただ、いずれ必要になるかもしれません」
「頭に入れておく」
「ありがとうございます」
父が少し間を置いた。
「ヴィオレット」
「はい」
「もう少しで話してくれると、先日言っていたな」
「はい」
「近いうちに、とも言っていた」
「はい」
「一週間ほどで、何かの区切りがつきそうか」
ヴィオレットは父を見た。
「なぜ一週間とお思いですか」
「お前の顔が、一週間何かを待っている顔をしている」
ヴィオレットは少し考えた。
父の観察は、いつも正確だ。
「そうかもしれません」
「区切りがついたら、話してくれるか」
「話します」
「砂糖は今いくつだ」
「今日の朝食は二つでした」
「そうか」
父が新聞を広げた。
それ以上は聞かなかった。
三日目は学園で、レインとの会話があった。
廊下ですれ違った時に、レインが低く言った。
「最近、令嬢が少し違う」
「そうですか」
「何かが変わった。何かを待っている顔をしている」
父と同じことを言った。
「殿下は観察眼がおありですね」
「令嬢のことは昔から気になっている」
「昔から、というのはいつ頃からですか」
「学園に入った最初の日です」
「どこが気になりましたか」
「遠すぎる目をしていた」
ヴィオレットは少し止まった。
アメリが言っていた言葉と同じだった。遠くを見ている目、と。
「今は遠くないですか」
「少し近くなった。だから余計に気になる」
「なぜですか」
レインが少し考えた。
「遠い目をしている人間は、どこか諦めている。近くなった目をしている人間は、諦めていない。諦めていない令嬢が何を考えているか、気になる」
「殿下は鋭くていらっしゃいます」
「答えになっていない」
「今は答えられません」
「いつか答えてもらえますか」
ヴィオレットは少し考えた。
「時期が来れば」
「それを待っています」
レインが廊下の先へ歩いていった。
その背中を見ながら、ヴィオレットは思った。
レインが何を待っているかは、まだわからない。しかしこの王子が、単純に《枷》の道具ではないことは、今日また確認した。
この王子についての判断は、根を断った後に改めて考える必要がある。
四日目は、アメリとの昼食で、思いがけない話が出た。
「ヴィオレット様、王女殿下とはその後お会いしましたか」
「学術会館でお会いしたきりです」
「実は、昨日お母様がセリア王女殿下の侍女の方とお茶をしたらしくて」
「そうですか」
「殿下がヴィオレット様のことを聞いていたとお母様から聞きました。最近どうされているか、と」
「まあ」
「ヴィオレット様のことが気になっているみたいですよ。また学術会館でお会いできないかって」
ヴィオレットは少し考えた。
セリア王女が自分のことを聞いている。
王女との接触が、根を断つ作業の中でどういう意味を持つかは、まだわからない。
しかし王女の存在を、忘れていたわけではなかった。
「機会があれば、とお母様に伝えていただけますか」
「わかりました」
五日目の夜、クレヴァン夫人から手紙が来た。
短い手紙だった。
最近お変わりありませんか、という内容だった。
社交的な文面だったが、その奥に何かがあった。
待っている、という気配が、文章の行間にあった。
夫人も何かを待っている。
返事を書いた。
変わりなく過ごしております、という内容にした。
もう少しだけお待ちください、という意味を、文章の行間に込めた。
夫人なら読み取れると思った。
六日目は、何も起きなかった。
普通の一日だった。
ただその普通の一日が、今の自分には大事だと思えた。
普通の朝食があった。父と紅茶を飲んだ。学園でアメリのお菓子を食べた。
そういう一日が続いていることの意味を、六日目に改めて考えた。
根を断つことの先に、こういう一日が続くことを守りたいのだと思った。
誰の一日も。
公爵家の一日も、アメリの一日も、クレヴァン夫人の一日も、スラム街の子供たちの一日も。
それが今の自分の目的の、言葉になっていなかった部分だった気がした。
七日目の朝、手紙が来た。
フォルタン子爵経由ではなかった。
差出人のない封筒だった。
封蝋に、見慣れない紋様が押されていた。
開封した。
一枚の紙が入っていた。
明日の夕刻、王都の東区の古書店に来てほしい、という内容だった。店の名前と番地が書いてあった。
署名はなかった。
しかし書き方が、フォルタン子爵のものではなかった。
ヴェステルだ、と判断した。
フォルタン子爵を経由せずに直接連絡してきた。
それが何を意味するかを考えた。
フォルタン子爵に知られたくない内容がある。
あるいは、令嬢と直接の連絡経路を作りたい。
どちらも可能性がある。
リュカへの連絡を出した。
今夜の茶館で会った。
「来ました」
手紙を見せた。
リュカが読んだ。
「古書店ですか」
「場所を確認してください。私が指定した図書室ではなく、ヴェステルが指定してきた場所です」
「警戒が必要です」
「はい。ただし、行きます」
「条件をつけますか」
「場所を変えることはしません。変えれば、ヴェステルが警戒します。前回と同じように、周辺の監視をお願いできますか」
「します。カインとミアは」
「同じように近くに待機させます」
「了解しました」
リュカが手紙を返した。
「前世の答えが、明日来るかもしれません」
ヴィオレットが言った。
「心の準備はできていますか」
「していると思います」
「思います、というのは」
「準備できているかどうかを確認する方法がないので。ただ、受け取る気持ちはあります」
リュカが少し間を置いた。
「どんな答えが来ても、今夜の令嬢と明日の令嬢は同じ人間です」
ヴィオレットはリュカを見た。
計算から出た言葉ではなかった。
「ありがとうございます」
「お礼を言うことではありません」
「言いたいので言いました」
リュカが少し黙った。
それから言った。
「わかりました」
茶館を出た。
夜の路地を歩いた。
明日、前世の答えが来るかもしれない。
守る側として動いた。失敗した。
その先に何があったか。
ヴェステルの目に認識があった。
まさか、と言った。
その続きが、明日来る。
公爵家の灯りが見えてきた。
全部ついていた。
母の部屋。父の書斎。カインの部屋。ミアの部屋。
全部ついていた。
それが今夜、一番大事なことだと思えた。
明日の答えが何であっても、この灯りは変わらない。
変わらないために、根を断つ。
門をくぐった。
玄関でカインが待っていた。
「明日の件、場所を教えてください」
「東区の古書店です。名前と番地はこれです」
紙を渡した。
カインが受け取った。
「今夜のうちに下見をします」
「急かして申し訳ありません」
「急かされていません。行くべき時に行くだけです」
「ありがとうございます」
「お嬢様」
「なんですか」
「明日、何があっても」
カインが少し間を置いた。
「俺たちはそこにいます」
ヴィオレットは答えなかった。
答えが出なかった。
しかし今夜は、それでいいと思った。
自室に戻った。
引き出しを開けた。
スノードロップの押し花を見た。
白いままだった。
明日、答えが来る。
怖いかどうかを考えた。
怖い、と思った。
しかし同時に、知りたいとも思った。
両方が本当だった。
両方が本当でいい。
引き出しを閉じた。
眠った。
今夜の意識は、三割だった。
七割が眠っていた。
前世の最高値だった。




