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黒百合の仮面  作者: 翡翠


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第二十四話「集まりの正体」

リュカからの返信は翌日の夜に来た。


今夜茶館で会いたい、という内容だった。


いつもより早い返信だった。


茶館に入ると、リュカの表情が普段と少し違った。計算の層の下に、何かが動いている顔だった。


「昨夜の報告を読みました」


リュカが言った。


「何かわかりましたか」


「フォルタン子爵が語った集まりについて、心当たりがあります」


ヴィオレットは茶杯を置いた。


「以前から把握していましたか」


「把握していたわけではありません。ただ、三年ほど前から噂として影廷内に入ってきていた情報がありました。《枷》に対抗する貴族の非公式な結束が生まれつつある、という内容でした」


「その情報をどう評価していましたか」


「《枷》が意図的に流している偽情報の可能性があると判断していました。対抗勢力が存在するように見せることで、影廷の注意を分散させる手口は以前にも使われています」


「今もその評価ですか」


リュカが少し間を置いた。


「わかりません。昨夜の報告を読んで、判断が難しくなりました」


「どの点が」


「クレヴァン伯爵の件を子爵が実績として語ったことです。《枷》が意図的に流した偽情報なら、その集まりが実際に動いた痕跡を語る必要がない。しかし子爵は語った」


「つまり、集まりは実在する可能性が高い」


「はい。ただし」


リュカが続けた。


「実在するとしても、その集まりが本当に《枷》に対抗しているかどうかは別の問題です」


「どういう意味ですか」


「《枷》に対抗するふりをしながら、実際には《枷》の別働隊として機能している可能性があります。表から見えない形で動く組織を、《枷》が内側から操っている」


ヴィオレットは少し考えた。


「その場合、フォルタン子爵の立場はどうなりますか」


「子爵が知っているか知らないかによります。知っていれば《枷》の一員として意図的に動いている。知らなければ、子爵自身も利用されている」


「子爵が語った実績、クレヴァン伯爵の件は、《枷》にとっても都合のいい結果でした」


「はい。伯爵は《枷》の資金の流れを調べていた。その伯爵が倒れることは、《枷》の利益になります」


「つまり集まりが《枷》の別働隊なら、実績として語られた行為は《枷》のための行為でもある」


「そうなります」


二人で少し黙った。


暖炉が静かに燃えていた。


「来週の面会で、中心人物の名前を引き出すつもりです」


ヴィオレットが言った。


「その名前が、クレヴァン伯爵の書類にあったリストの名前と一致するかどうかを確認したい」


「一致した場合は」


「集まりと《枷》の核心が、同じ人間によって動かされていることになります」


「一致しなかった場合は」


「別の構造がある。その場合は一から考え直します」


リュカが封筒を出した。


「セダンの件の続報です」


受け取って、開けた。


三年前の時期にセダンが接触していた人間のリストが書かれていた。


一番上の名前を見た。


クレヴァン伯爵の書類にあったリストの一番上の名前と、一致していた。


「一致しています」


ヴィオレットが言った。


「同じ名前ですか」


「はい」


リュカが目を閉じた。


短い時間だったが、何かを受け止めている時間だった。


「セダンが三年前に接触していた人間と、クレヴァン伯爵が追っていた人間の核心が同じ」


「つまりセダンは、その人間の指示で動いていた可能性があります」


「クレヴァン伯爵の書類を消したのも」


「その人間の指示による可能性が高い」


二人の間に静けさが落ちた。


暖炉が一度大きく爆ぜた。


「その名前を、今夜ここで言ってもいいですか」


ヴィオレットが聞いた。


「言ってください」


ヴィオレットは名前を言った。


リュカが少し間を置いた。


「知っている名前です」


「どういう存在ですか」


「表向きは王都から離れた地方の小貴族です。爵位は低く、社交界への出席もほとんどない。影廷の監視リストには入っていましたが、優先度は低かった」


「目立たない場所にいる」


「はい。三十年以上、ずっとそうです」


三十年以上。


《枷》の歴史と重なる部分がある。


「その人物が《枷》の中でどういう立場にあるかは、今まで把握できていませんでしたか」


「できていませんでした。むしろ、なぜ影廷の監視リストに入っているかの理由すら、記録が曖昧でした」


「誰が監視リストに入れましたか」


「三十年以上前の統括者です。その統括者はすでに亡くなっています。記録だけが残っていて、理由が書かれていない」


ヴィオレットは窓の外を見た。


三十年以上前から、その人物は監視リストにいた。理由を書かずに入れた統括者がいた。その統括者は亡くなっている。


理由を書かなかったのか、書けなかったのか。


「その統括者の死因は」


「記録上は老衰です」


「何歳でしたか」


「五十二歳です」


五十二歳の老衰。


「若い」


「はい。当時も疑問の声があったようです。しかし正式な記録は老衰のままです」


ヴィオレットは茶を飲んだ。


冷めていたが、今夜はそれでよかった。


「その人物と、前世の記憶の繋がりについて、今夜もう少し話してもいいですか」


リュカが頷いた。


「霧が、先週より薄くなっています」


「どこまで見えていますか」


「依頼人だったと言いました。前世の最後の依頼の依頼人だったと」


「はい」


「その依頼が何だったか、今夜少し見えてきました」


リュカが動かなかった。


聞いている。


「誰かを殺す依頼ではありませんでした」


「では」


「何かを守る依頼だったと思います。具体的に何を守るかは、まだ霧の中にあります。しかし、守る側として動いていた」


「守る側として」


「はい。前世では暗殺者でしたが、最後の依頼だけは、守る側として動いていました。それが、今まで霧の中にあった理由かもしれません。自分の仕事の定義と、最後の行動が一致していなかった」


リュカが少し間を置いた。


「その依頼で、何が起きましたか」


「失敗しました」


ヴィオレットは静かに言った。


「守れなかった」


「何を守れなかったかは」


「まだ見えません。ただ、失敗したことだけは、今夜はっきりと見えています」


リュカが何も言わなかった。


しばらく、暖炉の音だけがした。


「前世で失敗したことと、今世でここにいることに、関係があると思いますか」


リュカが静かに聞いた。


「あると思っています」


「どんな関係ですか」


ヴィオレットは少し考えた。


「前世で守れなかったものを、今世で守るために来た、という可能性があります」


「守れなかったものが何かは」


「来週の面会で、中心人物の名前が出てきた時に、もう少し見えるかもしれません」


リュカが頷いた。


「来週まで待ちます」


「はい」


ヴィオレットは席を立った。


「一つだけ」


リュカが言った。


「なんでしょう」


「前世で失敗したと言いました」


「はい」


「今世では」


リュカが少し間を置いた。


「失敗しないでください」


計算ではなかった。


ヴィオレットはリュカを見た。


「努力します」


「努力ではなく」


「わかりました」


扉に向かった。


今夜の外は、これまでで一番冷たかった。


冬が来ていた。


路地を歩きながら、ヴィオレットは前世の霧の中をもう一度見た。


守る側として動いた。


失敗した。


その先に何があったかが、まだ見えない。


しかし。


失敗した理由が、霧の端に少しだけ見えた気がした。


一人で動いていたから、かもしれない。


今世では、一人ではない。


カインとミアがいる。父と母がいる。リュカがいる。アメリがいる。クレヴァン夫人がいる。王女がいる。


一人ではない。


それが今世と前世の、最も大きな違いかもしれない。


公爵家の灯りが見えてきた。


母の部屋の明かりがついていた。


今夜は、明かりを見てから、少し長く立ち止まった。


立ち止まった理由を、自分でも言葉にできなかった。


ただ、見ていたかった。


それだけだった。


門をくぐった。


玄関でカインが待っていた。


「収穫はありましたか」


「あります。詳しくは近いうちに」


「わかりました」


「カイン」


「はい」


「もう少しで、全部話せます」


カインが頷いた。


今夜の頷き方は、静かだった。


待っている、という頷き方だった。


自室に戻った。


手帳を開いた。


今夜のことを書いた。


最後に一行付け加けた。


前世で一人で失敗した。今世では一人ではない。それだけで、結果が変わるかもしれない。


書いてから、少し考えた。


変わるかもしれない、ではなく。


変える、と書き直した。


手帳を閉じた。


引き出しを開けた。


スノードロップの押し花を見た。


白いままだった。


来週で、地図の最後の点が揃う。


揃った後に何をするかは、まだ全部決まっていない。


しかし方向は決まっている。


根を断つ。


前世で守れなかったものを、今世で守る。


その二つが、今の自分の仕事だ。


引き出しを閉じた。


眠る準備をした。


今夜の意識は何割になるだろうかと思いながら、目を閉じた。


六割を下回るかもしれない、と思った。


それでもいいと思った。


この屋敷に、信頼できる人間がいる。


それだけで、今夜は十分だった。

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